隠岐の人々が待つ島が再び「重くなる日」 拓郎ライブ実現を熱望
その隠岐が、なぜ拓郎のライブを熱望しているのか?もう44年前のことになる。拓郎は1973年12月21日に「たくろうLIVE’73」を発売した。東京・中野サンプラザホールでのライブを収録したものだが、その中に隠岐の旧都万村を舞台とした「都万の秋」が含まれているのだ。
「都万の秋」は2015年に亡くなった作詞家の岡本おさみさんが詞を書いた。岡本さんは隠岐への海の玄関口となっている鳥取県米子市の出身。拓郎とのコンビで「旅の宿」「襟裳岬」など数々のヒット曲を生んでいる。「都万の秋」は岡本さんが隠岐の滞在体験をもとに書き上げた。
曲のタイトルになった都万村は04年の町村合併で隠岐の島町となった。村名は消えてしまったが、隠岐の人は拓郎が「都万」を歌ってことを絶対に忘れていない。島の観光関係者と情報交換する機会があったが、意外にも拓郎世代より年下の層からライブ実現を望む声が聞こえてきた。
「本当に拓郎さんに隠岐に来てほしいと思ってます。拓郎さんといえば、隠岐の人間からすれば『都万の秋』なんですよ。隠岐でこの歌を歌ってほしい」と熱望する。同アルバムには拓郎の名曲中の名曲「落陽」も収録されている。歌は太平洋上を航行する苫小牧発の仙台行きフェリーが舞台となっているが、隠岐の人の一部には「あれは本土と隠岐を結ぶ隠岐航路がモデルなんです」と言い張る人がいるほどだ。
実は隠岐にはスーパースターのライブを成功させたという経験がある。13年6月にあのB’zが隠岐島文化会館でライブを行っているのだ。島の人はこのライブを「島が一番重くなった日」と呼び、観光関係者は「B’zが来た時はそれはすごかった。会場が狭いんで間近に2人が見られたそうです。それにどこからこんなに人が来るんだというほど島に人もいました」というほど。その経済効果は数千万円あったといわれている。
拓郎のライブ実現には、拓郎の年齢と健康面、興行面での採算などの課題も多いが、観光関係の方々は「拓郎さんが本当に来てくれるなら、全力を尽くして頑張りますよ」とラブコールをあきらめない。拓郎は昨年ライブツアーを行うなど、肺がんに端を発した健康不安を一掃した。それだけに隠岐の期待もヒートアップしているようだ。隠岐の人々は島が再び「重くなる日」を待っている。(デイリースポーツ・木村浩治)
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