拓郎中国文化賞受賞
「等身大」 歌った先駆者
「広島時代から今まで、結局は変わってない」。9月、レギュラーを務めるラジオ番組「オールナイトニッポンGOLD」で、懐かしい歌声が流れた。アマチュア時代の1969年、広島市青少年センターでステージに立った「よしだたくろうフォークどくえん会」の貴重な録音。「自分の作る歌は、当時から『日記』だった」と、音楽人生の原点を振り返った。
広島商科大(現広島修道大)在学中、4人組のロックバンドを結成。独学でギターの演奏技術を磨き、ソロでもオリジナルソングを奏で歌った。コンサートを自主開催していた大学生たちのグループ「広島フォーク村」で人気者となった。70年のデビューシングル「イメージの詩」は、広島時代の作。世に拓郎節を印象付けた長大な歌詞は、失恋した心情を書いたものだったという。
72年に「結婚しようよ」が大ヒット。等身大を歌うシンガー・ソングライターの先駆者として、若者から熱狂的な支持を集めた。当時主流だったテレビの音楽番組ではなく、全国を回るライブツアーを中心に活動。深夜放送のパーソナリティーとしても人気を博した。今は「普通」となったミュージシャン像を作り上げた。
昨年は東京や名古屋など7カ所のツアーを成功させた。「愛、家族、友達、裏切り、信頼、正義、悪、心。そうした全てを音楽と共に感じながら生きてきた。すばらしいことだったな、と思う」とリスナーに語りかけた。(西村文)
よしだ・たくろう 鹿児島県生まれ。小3から広島市へ▽1971年、広島商科大(現広島修道大)卒▽74年、森進一に提供した「襟裳岬」で日本レコード大賞▽75年、静岡・つま恋で6万人ライブ▽96~2001年、音楽番組「LOVE LOVEあいしてる」出演
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