カテゴリー「松田聖子や吉沢秋絵の曲を手がけた理由 プロデューサー/アレンジャーの瀬尾一三が語る」の記事

2020/01/22

松田聖子や吉沢秋絵の曲を手がけた理由 プロデューサー/アレンジャーの瀬尾一三が語る

松田聖子や吉沢秋絵の曲を手がけた理由 プロデューサー/アレンジャーの瀬尾一三が語る

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音楽評論家・田家秀樹がDJを務め、FM COCOLOにて毎週月曜日21時より1時間に渡り放送されているラジオ番組『J-POP LEGEND FORUM』。

日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2020年1月の特集は、「瀬尾一三2020」。今週と来週の2週に渡って、去年、音楽活動50周年を迎えた70年代以降の日本の新しい音楽のプロデューサー、アレンジャーの先駆けである彼の作品集の収録曲を特集していく。今週は収録曲の前半9曲について、田家と瀬尾が裏話をトークしていく。

田家秀樹(以下、田家):こんばんは。FM COCOLO『J-POP LEGEND FORUM』案内人の田家秀樹です。今お聴きいただいたのは、中島みゆきさんで「涙 - Made in tears-」、オリジナルは1988年のアルバム『グッバイ ガール』から。今月2020年1月の特集は「瀬尾一三2020」。プロデューサー、アレンジャー、作曲家、音楽監督、シンガー・ソングライター、中島みゆきさんを手掛けるようになって32年です。1月8日に瀬尾さんが手掛けられた曲を集められたコンピレーションアルバム『時代を創った名曲たち 3〜瀬尾一三作品集 SUPER digest〜』が発売されました。瀬尾さんが70年代から2000年代まで手掛けた全17曲が収録されています。今週と来週は、そのアルバムの全曲紹介をお送りいたします。という話は、去年の1月もしておりまして。実は去年の1月も瀬尾さん特集でございました。ということはですね、新春恒例のじじい放談(笑)。

瀬尾一三(以下、瀬尾):本当ですよね。こんな70歳越した2人でこうして話しててもいいんですかね(笑)。

田家:恒例、高年齢ですよね(笑)。でもそういう年齢にもかかわらず、こうやって毎年1カ月の特集が組めるのはちゃんと作品があるからですよね。

瀬尾:そう言っていただけるのはありがたいですね。

田家:そして『時代を創った名曲たち 3〜瀬尾一三作品集 SUPER digest〜』が発売になりました。

瀬尾:ほんとですよね、なんという……。僕が頼んだわけじゃないんですけどね(笑)。

田家:こういうコンピレーションシリーズって、例えば徳永英明さんとかご自身で歌ってらっしゃる方によるものが多いですけど、瀬尾さんのアルバムは歌ってる人が皆違いますからね。

瀬尾:作品集として出していただけるのも本当に特殊な感じですよね。

田家:曲を選ぶ大変さというのもあるかと思うんですが。

瀬尾:僕は実際、選曲にはタッチしてないんですよ。一作目を出したときに、あるアーティストから「なんで僕の歌が入ってないの?」という声が聞こえてきまして、「いや、僕は選曲にはタッチしてないんだよ」っていう。なので、その辺のことはアーティストの皆さん、文句は言わないでください(笑)。

田家:なぜ今週と来週は中島みゆきさんの「涙 - Made in tears-」から始めるのかと言いますと、瀬尾さんが初めてアレンジを手掛けた曲がこれだったということです。

瀬尾:そうですね、これは1988年に彼女と初めて協力した思い出の曲です。

田家:もう32年も経つわけですね。この曲はアルバムの中に入っておりますが、来週詳しく話そうと思っております。今週は先ずですね、今回のアルバム1曲目に収録されています六文銭で「私の家」からお送りいたします。

田家:1972年に発売された1stアルバム『キングサーモンのいる島』収録の曲ですね。六文銭、小室等さん、原茂さん、及川恒平さん、橋本良一さん、四角佳子さん、色々なアーティストの方がいらっしゃいますね。この曲をアルバムの1曲目に持ってきたっていうのも、選曲されたスタッフの方がこの曲から始めたいということで?

瀬尾:そうですね、小室さんとは以前から親しくさせていただいていたので。これが、べルウッドというレーベルから出た最初の作品で、君もちょっとやってみてくれないかっておっしゃっていただいて。僕も会社から独立してすぐの初期の頃だったので、結構覚えてますね。

田家:1972年にアルファミュージックをお辞めになり、シンガー・ソングライターとしてもデビューなさったその年に。でもこの六文銭は、「インドの街を象にのって」という曲が私はとても好きで。

瀬尾:その曲入れたらよかったですね。まあ僕は選曲に関わっていなくて、文句も受け付けていないので(笑)。

田家:まあ、色々あるでしょう(笑)。お聴きいただいたのは六文銭で「私の家」でした。

猫「各駅停車」

田家:2曲目はこちらです、1974年発売、猫の6枚目のシングル「各駅停車」 。作詞が喜多條忠さん、作曲が石山恵三さんです。これは、猫、変わったなあって思った曲ですね。

瀬尾:そうですね、デビューの「地下鉄にのって」は吉田拓郎さんプロデュースで、拓郎さん色が強かったですもんね。これは僕色がちょっと出てるかもしれませんね、ホーンとか使ってて。

田家:猫は当時、常富喜雄、田口清、内山修という早稲田の学生によるバンドでした。当時から交流はおありでした?

瀬尾:そうですね、元々僕は関西出身なので早稲田の人のことはそんな分からなかったんですけど、僕が東京に来てからは色々な人を通じて知り合って。それで色々と根っこを作って、1枚目は吉田さんが担当したということで、次は任すよって僕が言われて。2枚目のアルバムは僕が全曲担当しました。

田家:このホーンを使うっていうのは、どういうアプローチだったんですか?

瀬尾:僕はよくカテゴライズでフォークっていう風によく分けられるんです、出身はそうですけど僕自身はそういうジャンルに拘って考えていないので。だから、この作品の前にやってた「よしだたくろう LIVE ’73」の時からホーンたくさん入れてR&Bっぽくやってますし。だからそんなに、フォークというジャンルの区分けはあまりないんですよね。

田家:猫のメンバーはどういう反応だったんですか?

瀬尾:どうだったんでしょうね、揉めることは揉めました(笑)。多少は文句を言うメンバーもいましたけど、

田家:これはおれたちの音楽じゃない、フォークじゃないみたいな?

瀬尾:うーん、そういうのはアルバムのこの曲だけだったんだけど、この曲が目立っちゃって。だからまあ、僕の腹の中では「ほらね?」って言う感じでしたね。

田家:アレンジャーを加えるなら、メンバーだけで作った作品とは違う要素が入らないとね。

瀬尾:やっぱり先細りになってしまう可能性もあるじゃないですか。他の要素を入れたら広がりが見えるかもしれないっていうアレンジで、こういうプロデューサー・アレンジャーというポジションでやらせていただきました。

田家:お聴きいただいたのは、『時代を創った名曲たち 3〜瀬尾一三作品集 SUPER digest〜』2曲目、猫で「私の各駅停車」でした。続いては3曲目、1974年かぐや姫で「なごり雪」。

かぐや姫「なごり雪」

田家:かぐや姫の1974年リリースの3枚目のアルバム『三階建の詩』の中の曲で、イルカのカバーでもヒットしました。瀬尾さんのキャリアの中で、かぐや姫は欠かせませんね。

瀬尾:ここで最初のキャリアの礎になったことを色々やらせてもらったので、これ以降は僕は正さん(伊勢正三)のスタッフに入ってしまうんです。南こうせつさんは石川鷹彦さんとか水谷公生さん、正やんは僕が曲を見るという形になって、そのまま「風」まで続いていくんですけどね。

田家:「22才の別れ」と「なごり雪」は、正やんが最初に書いた「三階建の歌」収録の2曲なんですよね。

瀬尾:そうですね、それも僕がオリジナルの方をやって、「風」の方は石川鷹彦さんがやってましたけど。

田家:以前この番組で、正やんの特集をした際にゲストでご本人に来ていただいたんですけど、このアルバムの最後の2曲だけが残っていて「お前が書くんだ」って言われて、しょうがなく書いたって話されていましたね。

瀬尾:でもそれが名曲となって、最終的に皆に愛される曲になって。だから彼もすごいなと思います。残り物に福があるじゃないですけど、最後に任されたのがとてもいい曲だったので。

田家:その時に彼のソングライター・スキルを感じたと。3曲目はかぐや姫の「なごり雪」でした。4曲目はこちらです。石川セリさんの「虹のひと部屋」。

石川セリ「虹のひと部屋」

石川セリの名盤『ときどき私は…SERI』の制作裏話

田家:同時代・同世代の小うるさいじじいのリスナーとして、この曲が収録されていたのは拍手でありました。石川セリさんの名盤『ときどき私は…SERI』の中の1曲「虹のひと部屋」でした。アルバムの中でも特に印象的な曲で、作曲と編曲ですもんね。これはどういう思い出がありますか?

瀬尾:これはですね、当時のフォノグラムレコードっていうところのディレクターの本城さんに書いてみないかって言われて、それで書かせてもらってアレンジしたんです。この時に初めて矢野顕子さんとかともやって、楽しかったですよ。

田家:このアルバムは、松任谷由実さんの「朝焼けが消える前に」とか、下田逸郎さんの「SEXY」とか、この人がこんな曲書くんだっていうものが入ってまして名盤ですね。

瀬尾:この業界にいる小うるさくないおじさんおばさんは好きなアルバムですね(笑)。

田家:やっぱりちょっと違いますよね。

瀬尾:色っぽいいい女ですよ、人妻ですが(笑)

田家:お聴きいただいたのは、『時代を創った名曲たち 3〜瀬尾一三作品集 SUPER digest〜』の4曲目、石川セリさんで「虹のひと部屋」でした。続いては5曲目、大貫妙子さんで「じゃじゃ馬娘」。

大貫妙子「じゃじゃ馬娘」

田家:1978年発売の大貫妙子さんの3枚目のアルバム『ミニヨン』の1曲目。このアルバムのアレンジは瀬尾さんと坂本龍一さん、プロデュースは評論家の小倉エージさん。

瀬尾:これはですね、小倉エージの考えでそうなったんですが、僕がやったのはいわゆるLAサウンド。教授がやったのはヨーロッパサウンドという区別の仕方をして。それでその後の大貫さんが選んだのはヨーロッパサウンドでしたね(笑)。

田家:ですから、その後の大貫さんを聴いてらっしゃる方には意外な曲かもしれませんね。

瀬尾:そうですね、こういうこともあったので大貫さんも自分の行く道が見えたんじゃないでしょうか。

田家:このプロデュースをしている小倉さんは、元々URCのアート音楽出版というところのディレクターで。瀬尾さんはその頃からお付き合いがあったんですよね。

瀬尾:学生の頃から知ってたんですよ。

田家:同じ神戸の音楽シーンで。

瀬尾:輸入盤漁りをしてたんですよ。「これ持ってる?」って訊いて、持ってなかったら優越感に浸るみたいな。持ってなかったら、あっちこっち探しに行ってこれいいよ、あれいいよ知らないの? っていう競争をしていました。

田家:その時から、趣味が近かったんですか?

瀬尾:そうですね、同じようなとこが好きで。あいつが威張ってるのを見るとすごい腹が立ってね(笑)。

田家:で、瀬尾さんはURCからデビューされて、小倉さんはディレクターになると。少しづつ立場が違ってるわけですもんね。

瀬尾:そうですね、最終的に彼はいわゆる評論家になっていって、僕はものつくりの方に移っていって。

田家:その後、プロデューサーとアレンジャーとしてそこで出会って。複雑な何かというのもあるんですか?

瀬尾:そんなことないですよ、それはそれで面白かったんですが、大貫さんにとってこれが良いことか悪いことか分かりません。でもLA、ウェストコーストサウンドっていうものに決別はできたと思います。

田家:お聴きいただいたのは、アルバム5曲目の大貫妙子さんで「じゃじゃ馬娘」でした。続いては6曲目です。1979年CHAGE and ASKAのデビューシングル「ひとり咲き」。

CHAGE and ASKA「ひとり咲き」に芝居的要素を入れたかった

田家:デビューシングルからやってらっしゃる。

瀬尾:そうですね、これは世界歌謡祭に出た時のものだと思います。歌謡祭とレコード用を同じくしたいと言われて、レコーディングを先にやってしまったんですけど。初めて彼らに会った時は素朴な2人で。ASKAがちょっと鼻が詰まった声で、それが魅力的だったんですけど。これは演歌っぽく、情念っぽくしたいなと思ってました。歌舞伎の舞台ではないけど、屋台崩しがあってそこから出てくるみたいなものをイメージして作ってみました。最後に半音上げてるのも、元々そんな曲じゃなかったんですけど。当人たちは何も知らなかったんでびっくりして目が点になってましたけどね。「あれー」みたいな(笑)。

田家:(笑)。でもアレンジによって曲のスケールが何倍にもなってましたね。

 

瀬尾:それは本当に屋台崩しがしたかったんですよ。舞台が上から崩れて、後ろから違うものが出てくるみたいな。それくらいの変化を音で作りたかったんですよ。

田家:あれ、1回目か2回目のツアーで屋台くずしやってませんでしたっけ?

瀬尾:それはちょっと行ったことないんですけど(笑)。

田家:それも瀬尾さんのアイデアなのかと思ってました。

瀬尾:いやいや、僕はそれでこの曲にちょっとこう、いわゆる芝居的要素を入れてみようと思ってアレンジしました。

田家:2作目の「万里の河」はフォーク演歌っぽくアレンジされてますけど、これはちょっと違いますもんね。

瀬尾:そうですね、これはある意味、世界歌謡祭っていう意識もあったので、他のエントリーの人より目立とうっていう僕のスケベ心があったんじゃないでしょうか。

田家:なるほどね、そういう意味ではある意味CHAGE and ASKAの生みの親と言っちゃっていいんでしょうね。

瀬尾:最初の頃はね。でもこのイメージを払拭するのに彼らは大変だったと思いますよ。「SAY YES」までいくのも大変だったと思います。

田家:なるほど。お聴きいただいたのは6曲目CHAGE and ASKAで「ひとり咲き」でした。続いては7曲目です。松田聖子さんで「花一色 ~野菊のささやき~」。

松田聖子「花一色 ~野菊のささやき~」

田家:作詞‎が松本隆で、作曲‎が財津和夫。これは6枚目のシングル「白いパラソル」のB面曲で、A・B面ともにこのコンビで書かれた曲であり、松本さんが初めて書いたシングル曲だった。で、東映映画『野菊の墓』の主題歌だったと。これはどういう経緯だったんですか?

瀬尾:これは財津さんの方からアレンジして欲しいと頼まれて。その時に甲斐祥弘さんに「赤い靴のバレリーナ」だったかな、それも頼まれて。だから、あともう一つ、杉真理さんからも『ピーチ・シャーベット』の3曲も頼まれてて。その時に録りました。

田家:瀬尾さんにとって、聖子さんはどういう風に映ってらっしゃったんですか?

瀬尾:ごめんなさいね、この頃のアイドルさんはね、スタジオに来ないんです。全部仮歌なんです。仮歌の女性がラララって歌いにくるだけだったので、申し訳ないんですけど松田聖子さんと仕事してるっていう認識がなかったんです。M1、M2みたいな感じで来るんですよ。

田家:あー、誰が歌うか分からない感じになってたんですね。去年の特集の時にですね、瀬尾さんはアイドルに対してどういうスタンスだったんですか? って伺った際に「シンガー・ソングライターだけやると決めた」と仰ってたんです。でも、なんでアイドルやらないのかって言えば、今仰ったようなことですよね。

瀬尾:そうですね、結局ご本人がオケ録りにいらっしゃらないので。僕にとってアイドルっていうのは顔のない誰かっていう感じなので、やってるうちに「この曲はどの人のために頑張るんだろう」っていうのが分からなくなってくる。やっぱりシンガー・ソングライターの方が直接話もできるし、意見も聞けるしっていうことで、アイドルから遠のいていくっていうことがありましたね。

田家:それはレコードが店頭に並んだり、テレビで歌ってる時のクレジットを見て「あ、これになったんだ」と気づくみたいな?

瀬尾:それもありますし、飲み屋で飲んでたら「あれ、どっかで聴いたこkとあるな。え、もしかして俺?」ということもありました。でも歌ってるのはこの人じゃなかった、仮歌の子だったようなって。松田聖子さんが悪いんじゃなくて、当時の音楽業界がそうだったってことなんですけどね。

田家:なるほど(笑)。7曲目、松田聖子さんで「花一色 ~野菊のささやき~」でした。続いて8曲目です。稲葉喜美子さんで「ゆりこ」。

強く印象に残った女性シンガー・ソングライター、稲葉喜美子

田家:稲葉喜美子さんは横浜出身で、日本放送のフォーク番組『フォーク・ビレッジ』の出身だったと。

瀬尾:この人は気性の激しい人なんですけど、強い気性じゃなくて。感受性が強い人で、この時も曲が終わってから出てこないから気になって見たら泣いていて。

田家:なんとなくイメージはお酒とタバコって感じでしたけどね。

瀬尾:そうですね、とてもナイーブな人で。女性のシンガー・ソングライターの中でも好きなタイプですね。

田家:この曲はスタッフさんが選んだと思うんですけど、これが選ばれると嬉しいでしょう?

瀬尾:そうですね、「おっ、これ選んだか」って思いましたね。

田家:あまりヒットしたわけじゃなくて、でも個性的な人でしたよね。

瀬尾:やっぱり知って欲しかったし、こういう人もいるって知って欲しかったので。これを選んだ人には心で拍手しました(笑)。嬉しくて。

田家:でもこれ1983年ですよね。中島みゆきさんと出会う5年前。当時って稲葉喜美子と中島みゆきさんって当時のシーンでは重なるところがあったようにも思います。

瀬尾:そうですねえ。内情は違うところがありましたが、もしかしたら女性のシンガー・ソングライターへの、僕の耐性というか。順応できるようになったなと思いますね。

田家:それまでは男性が多くて女性シンガー・ソングライターはあまり手掛けてらっしゃらなかった?

瀬尾:アーティストの中でこういうタイプの人が初めてだったんです。強い人はたくさんいたんですけどね、誰とは言いませんが(笑)。

田家:その中でもこの方は強く印象に残ったと。お聴きいただいたのは稲葉喜美子さんで「ゆりこ」でした。続いて9曲目、吉沢秋絵 with おニャン子クラブで「なぜ? の嵐 」。

田家:いやーこの曲の流れが面白いですね。

瀬尾:そうですね。人間って本当に勝手だと思いますよ、そんなのは嫌だとか言いながらこういうのも時々やってみたくなるっていう人間の性(笑)。

田家:いろいろな曲を手掛けましたという例としては、これほど分かりやすい曲はないですね(笑)。『スケバン刑事Ⅱ-少女鉄仮面伝説-』の主題歌で、作詞が秋元康さん、作曲が山梨鐐平さん。藤岡孝章(元・まりちゃんズ)、板垣秀雄(元・ウィークエンド)と組んだ男性グループ「Do!」の山梨鐐平さんです。長渕さんの曲を書いたことありますもんね。そういうので選んだのかと思いました。

瀬尾:僕は選んでないからね(笑)。でも、それにしてもの並びは面白いですよね。

田家:そうですよね(笑)。河合奈保子さんとか中森明菜さんとか、富田靖子さん、工藤静香さんなども手掛けていたと。

瀬尾:さっきまでの話はなんだったんだってことですよね(笑)。

田家:さっきの話でいくと、この人たちはレコーディングに来てないってことですよね。

瀬尾:河合奈保子さんは来たかな、他は来てないですね(笑)。

田家:言っちゃった(笑)。9曲目は吉沢秋絵 with おニャン子クラブで「なぜ? の嵐 」でした。

田家:J-POP瀬尾一三2020年part2、70年代以降の日本の新しい音楽のアレンジャー・プロデューサーの先駆け瀬尾一三さんに特集する1カ月。今週はPart3『時代を創った名曲たち 3~瀬尾一三作品集 SUPER digest~』前編でした。今流れているのは竹内まりやさんの「静かな伝説(レジェンド)」。今週は前編でしたが、まだ中島みゆきさんが出てきませんでしたね。1作目の時はアイドルとか全然出てこなかったでしょう。それはちょっと、入れないようにしてたっていう……?

瀬尾:まあ僕は選んでないですけどね、でも他に入れたいのがあったんじゃないですかね。別に避けてた訳ではないと思いますね。

田家:この3作目によって全貌が見えてくるっていう(笑)。全貌ということで言うとですね、2月10日に瀬尾さんの本が出版されます。『音楽と契約した男 瀬尾一三』瀬尾一三を知らずに日本の音楽は語れないですね。

瀬尾:そんなことないですよ、宣伝の方が選んでくれたので。

田家:スペシャル対談も4組ありまして、萩田光雄さん、松任谷正隆さん、山下達郎さん、亀田誠治さん。どんなお話をされました?

瀬尾:楽しかったですよ。全員バラバラでやって、彼らもお互いを知ってないから、僕だけが各々を知っているので、各々にコンタクトを取ってOKもらって3時間くらいそれぞれ喋ってましたね。皆やっぱり同じ業種で喋るってことがないみたいで、お互いのあるある話とか、4人ともいろいろなことを結構喋ってくれました。

田家:へえ〜。来週はこの本についても深く掘り下げたいと思います。今週はこの辺りで。

瀬尾一三
1969年フォークグループ「愚」として活動。1973年ソロシンガーとしてアルバム『獏』を発売。同年に『LIVE`73』を吉田拓郎と共同プロデュース。その後、中島みゆきをはじめ、吉田拓郎、長渕剛、德永英明 他、今作品に収録された日本のポップス、ロックシーンの黎明期から現在まで燦然と光輝くアーティストたちの作品のアレンジ(編曲)やプロデュースを手掛け、中島みゆきにおいてはコンサート、『夜会』『夜会工場』の音楽プロデュースも務めている。2017年、自身の作品集第1弾『「時代を創った名曲たち」~瀬尾一三作品集 SUPER digest~』を発売し、好評を博した。2019年に第2弾、2020年1月に第3弾の発売が決定。その同時期に音楽活動50周年のアーカイブ書籍の発売も予定されている。

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソナリティとして活躍中。

 

 

 

 

 

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