カテゴリー「J-POPの歴史「1984年と1985年、ニューミュージックから新世代へ」田家秀樹」の記事

2019/12/19

J-POPの歴史「1984年と1985年、ニューミュージックから新世代へ」田家秀樹

J-POPの歴史「1984年と1985年、ニューミュージックから新世代へ」田家秀樹

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音楽評論家・田家秀樹がDJを務め、FM COCOLOにて毎週月曜日21時より1時間に渡り放送されているラジオ番組「J-POP LEGEND FORUM」。
日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2019年12月は「80年代ノート」というテーマで、1980年から89年までの10年間を毎週2年ごと語るスペシャルマンス。様々な音楽が生まれていった80年代に何があったのかを語った本特集を、5週にわたり記事にまとめてお届け。第3回目となる今回は、ニューミュージックから次の世代へバトンタッチが行われた、1984年と1985年。
こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」案内人、田家秀樹です。今流れているのは、吉田拓郎さん「明日に向って走れ」。1985年7月27日から28日にかけて静岡県掛川市のヤマハリゾートつま恋で開かれた「ONE LAST NIGHT IN つま恋」のライブver.ですね。オリジナルは76年のアルバム『明日に向って走れ』。今日の前テーマはこの曲です。
今週は84年と85年。中間点。劇的な年でした。その中でも、劇的さを作り出した双璧の1つが吉田拓郎さんのイベント「ONE LAST NIGHT IN つま恋」です。拓郎さんにとっては、1975年以来2度目のつま恋でのオールナイト。79年に愛知県の篠島で「アイランド・コンサート・イン篠島」というオールナイトをやったんですが、それを入れると3回目です。この日は開演が7月27日の午後5時、終演が7月28日の午前7時。すごいでしょ? 75年につま恋のオープニングで不滅の名文句「朝までやるよ」と口にしましたが、この日は朝になってもやっていた。こんなことやる人いない、という感じでした。
先週が82年83年編で、そのときに70年代が終わったと申し上げました。だけど、先週も先々週も70年代最大の巨人・拓郎さんの名前は出てこなかったでしょ? 79年に篠島でオールナイトコンサートを終えたあと、80年代をどう迎えるか、いろいろ考えているように見えたんですね。例えば、古い歌はもう歌わないと宣言した。そういう中で、80年の12月8日にジョン・レノンが亡くなったんです。御年40歳でした。80年代に入った拓郎さんが口癖のように言っていたのが、ジョン・レノンが死んだ40までは歌う。当時拓郎さんはインタビューで「俺のやることはもうないんだ。すべてやり尽くしたんだ。この気持ちはお前らに話しても絶対にわかってもらえない」と言っていたんですね。その中でのモチベーションが、ジョン・レノンが死んだ年まではやる、だったんです。
85年夏というのは、拓郎さん30代最後の年でした。70年代の幕を引くんだというふうに言っていましたね。自分で開けた時代を自分の手で閉じる。拓郎さんのバックバンドだった浜田省吾さんがいた愛奴、かぐや姫や猫の再結成、関わったミュージシャンたちが一堂に集まっての一夜の祭り。拓郎引退という噂が飛び交ったりしましたね。そういう85年のお祭り。
さっき双璧と申し上げましたが、もう一つが直前6月15日、国立競技場が初めて音楽のイベントに使われた日がありました。「ALL TOGETHER NOW」。それまでは、芝生が痛むからコンサートには使わせないと言っていた国立競技場が初めて使わせてくれた。主催が民間放送連盟だったんです。特にラジオ委員会というのがあって、そこが放送局を全部束ねていたので、国立競技場もいやとは言えなかった。そういうイベントで、司会が拓郎さんだったんです。そのテーマ曲をお送りします。松任谷由実・小田和正・財津和夫、3人で「今だから」。
松任谷由実・小田和正・財津和夫 / 今だから
この曲は聴いたことがないという方が多いんじゃないでしょうか。これ、CDになってないんです。アナログ盤からお送りしているのでちょっとノイズがお耳に入ったりするかもしれません。「ALL TOGETHER NOW」、出演者すごかったですね。吉田拓郎、オフコース、チューリップ、松任谷由実、サディスティック・ユミ・バンドーーユーミンが入りましたからね。そしてサザンオールスターズ、佐野元春、ラッツ&スター、チェッカーズ、アン・ルイス、白井貴子、南こうせつ、イルカ、さだまさし、武田鉄矢――彼はラジオ体操をやりました。そして、はっぴいえんどが12年ぶりの再結成だったんですね。70年代の世代から80年代世代へのバトンタッチという世紀の豪華イベントでした。もう一つ、旗印があったんです。国際青年年。民間放送連盟が全部集まって主催することと、世界の青年の祭典なんだという事がお役所をウンと言わせました。こういうイベント、もうないんですかね。
84年1月発売、2枚目のシングル、チェッカーズ「涙のリクエスト」
チェッカーズ / 涙のリクエスト
フミヤが語った「週刊明星からディクショナリーまで」の真意
先ほどお話しした「ALL TOGETHER NOW」で、チューリップのピックアップメンバーのステージでピアノの中から登場したのがチェッカーズだったと思います。福岡県久留米市出身のドゥーワップグループ。81年の「ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」のジュニア部門、最優秀ジュニア部門。高校生が2人いたんですね。83年に「ギザギザハートの子守唄」でデビューしたんですが、自分たちの音楽性に対して、これは演歌っぽくて嫌だっていうことで拒否した。その話は有名ですね。
80年代のはじめは、松田聖子さんをはじめいわゆる、女性のアイドルがどっと出てきたときで、80年代はいわゆるたのきんトリオー田原俊彦、近藤真彦、そういう3年B組金八先生出身というのが男性アイドルの1つの新しい流れだった。そんな中、チェッカーズはどこにでも出てきたんですね。初めて取材したのが85年の3枚目のアルバム『毎日!! チェッカーズ』のときだったんですけど、そのときの印象がすごく強かった。彼らは週刊明星から、芸能史から、テレビから全部出ていました。アイドルなんだけど、アイドルじゃない。音楽の理屈理論、イメージ、情熱、すべて持っているんですね。僕らはこういう音楽をやりたいんです。でもアイドル扱い全然構わないんですっていうのが、とっても新しい感じがしました。フミヤ(藤井郁弥)さんの当時の口癖がありまして「週刊明星からディクショナリーまで」。1番柔らかいところから1番硬いところまで俺たちは出て行くんだよという、そういうグループでありました。
さて、次の人たちも「ALL TOGETHER NOW」組ですね。
THE ALFEE / 星空のディスタンス
THE ALFEEの17枚目のシングルですね。ALFEEは、デビューしたとき、再デビューしたとき、「星空のディスタンス」を出しているときと、表記が少しずつ変わっているんですね。で、THE ALFEEになっています。再デビューして、これは15枚目のシングルなんですよ。そんなに時間がかかっていたんだと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、70年代の不遇でレコードも出せなくて、かまやつひろしさんや研ナオコさんのバックをやっていた。82年に再デビューして、そこからここまでさらに10枚以上のシングルを出し、前作の「メリーアン」で爆発した。ここで、今でも必ずステージで歌うという代表曲が出来上がったんですね。作詞が高橋研さんと高見沢俊彦さんの共作です。もともとの詞は、「燃え上がる! 愛のレジスタンス」だったそうです。でも高見沢さんがどうしても「燃え上がる」は客観的すぎるから、「燃え上がれ」にしてくれと変えたというエピソードがありますね。
THE ALFEEもそうですけど、この頃のアーティストを支えていたのが音楽雑誌でした。みんなテレビにあまり出ませんでしたし、芸能誌からもあまり取材を受けなかった。チェッカーズは別ですけど、みんなラジオと雑誌だったんですね。THE ALFEEは新譜ジャーナルとGBが多かった。84年に新しく創刊したのがPATi・PATiです。GBという雑誌は77年に創刊して、中島みゆきさんとかオフコースとか、フォーク系のアーティストは割と出ていたんですね。チェッカーズがデビューしたとき、GBはチェッカーズをやらないと言ったんです。「これはアイドルだから僕らはやらない」と。それに反発してソニーマガジンズで「チェッカーズいいじゃん」って言っている編集長・吾郷輝樹さんが、俺自分で作るからと始めたのがPATi・PATiなんです。チェッカーズ、尾崎豊、吉川晃司で1年間持たせた。それが創刊当時ですね。吉川晃司さんは84年2月に「モニカ」でデビューして、大判の写真メインの音楽雑誌の全盛期というのが来るんです。GBはTHE ALFEEもそうですけど、彼らの前からこの人たちが看板でした。
オフコース活動再開シングル、84年4月に発売になりました。「君が、嘘を、ついた」
オフコース / 君が、嘘を、ついた
80年代になっても健在だった「ライブの拓郎」「アルバムの陽水」
小田和正さん、清水仁さん、松尾一彦さん、大間ジローさん、4人のバンドの音ですね。81年に武道館10日間コンサートがありました。そのあと、鈴木康博さんが抜けて、こういうメンバーになったんですね。活動再開を決めるまでの間について、小田さんがインタビューで言っていたのは「僕はダンボだった」というセリフ。ダンボって、ディズニーの映画がありましたね。耳の大きいゾウさん・ダンボは自分が窓から飛べるのか飛べないのかってずっと悩んでいる時間があったわけですけど、小田さんは、この4人のメンバーで空を飛べるんだろうかとずっと考えていた。そして84年4月に出た『君が、嘘を、ついた』で活動を再開したんですね。
84年6月にアルバム『The Best Year of My Life』というのが出ました。我が人生、最良の年というタイトルですね。自分の最も素晴らしい年なんだというタイトルのアルバム、翌年85年の4月から再開のツアーが始まりました。初日、覚えてますね。千葉県文化会館。まだ桜が咲いていたな。開演1時間くらい前に会場にいったら、もうお客さんがあふれていて、オフコース4人になってどんなステージをやるんだろうって不安の入り混じった緊張感というのがとても初々しかった。懐かしい思い出です。
井上陽水 / いっそセレナーデ
84年の12月に出た『9.5カラット』、セルフカバーアルバムですね。アルバムチャートは1位、そして陽水さんにとっては『氷の世界』以来2作目のミリオンセラーアルバムでした。70年代にもミリオンセラーを出して、80年代になってもそれだけの実績を残した。セルフカバーアルバムが1位になった前例というのがありました。拓郎さんの『ぷらいべえと』なんですよ。70年代、拓郎・陽水の時代と言われましたが、この2人は80年代になっても健在でありますね。ライブの拓郎、アルバムの陽水。この年のレコード大賞アルバム大賞がこの『9.5カラット』なんですね。カバーアルバムが大賞をとったのはこれが初めてです。シングルチャートのほうでは、84年11月に中森明菜さん「飾りじゃないのよ涙は」が1位になっている。
84年には安全地帯の「恋の予感」も出ました。安全地帯はもともと陽水さんのバックを担当していたバンドなわけで、陽水さんが詞も書いたりしていました。安全地帯は85年6月に出た玉置浩二さんが詞曲を書いている「悲しみにさよなら」が大ヒットして、年間チャートの9位になったんですね。この年の年間チャートおもしろいんです。1位のチェッカーズ「ジュリアに傷心」、2位が中森明菜さん「ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕」、3位が小林明子さんの「恋におちて -Fall in love-」、4位C-C-B「Romanticが止まらない」、5位もチェッカーズ「あの娘とスキャンダル」、6位中森明菜「飾りじゃないのよ涙は」、7位も明菜さん「SAND BEIGE -砂漠へ-」、そして8位もチェッカーズ「俺たちのロカビリーナイト」、9位が安全地帯「悲しみにさよなら」で、10位が松田聖子さんの「天使のウィンク」なんです。ニューミュージク、ポップス、ロック系のチャートなんですね。先週、83年のチャートに演歌がたくさんあったという話をしましたけど、激変していく80年代だったんですね。
85年にはもうひとつ劇的なシーンがありました。尾崎豊さんが大阪球場でライブをやったんです。尾崎さんの曲をお聴きいただきます。85年1月に発売になった「卒業」。
尾崎豊 / 卒業
尾崎豊、衝撃的なホールコンサート初日
先週、尾崎さんの「街の風景」をお聴きいただきましたが、あの曲が1曲目だったアルバム『17歳の地図』が、いわゆるレコード会社が決めた最低出荷枚数にも満たない、本当に数が少ないイニシャルだったんですね。でも、84年8月に日比谷野外音楽堂で「アトミックカフェ・ミュージック・フェス’84」という反核コンサートがありました。浜田省吾さんとか、加藤登紀子さんなんかも出ていたんですが、このライブで尾崎さんがPAから飛び降りて骨折したんです。この噂が業界、そして若い人たちの間を駆け巡りまして、尾崎何者? となって、改めて『17歳の地図』がみんなに訊かれるようになった。そして85年3月に2枚目のアルバム『回帰線』が出たんです。これが初登場1位だった。劇的でしたね。
ホールコンサートも始まりました。日本青年館が初日だったんですけど、これが衝撃だったんですね。こんなコンサートをやる若者は初めてみた。何が衝撃だったかって、エンターテイメントという言葉では語れない、自分の中のモヤモヤした何か、衝動、苦しみ、悩みとかを全部叩きつけて塗りたくっているようなステージだった。ステージを這いずり回り、転がりまわり、みたいな。妙な言い方ですけど、そのときに彼は長生きしないなって漠然と思いました。8月25日に大阪球場で10代のシンガーソングライター初めての大阪球場コンサートというのがありました。その前に、週刊朝日という週刊誌で今の音楽シーンを語るみたいな座談会があったんですね。残間里江子さんや山本コウタローさんとかの中に僕も入れてもらって、尾崎ってどうなのって話をコウタローさんが振った。そのとき、朝日新聞の写真部に尾崎豊の写真がなかったんです。つまり、大人は全然知らなかったという例ですね。尾崎さんについては来年1月3日から16日までドキュメンタリーが公開されます。『尾崎豊を探して』。尾崎を撮り続けていた映像監督・佐藤輝さんの未発表、95分のドキュメンタリーです。
85年夏というのは、本当に劇的な移り変わりの年でした。拓郎さんのつま恋があって拓郎引退という噂があって、萩原健一さんがよみうりランドでライブをやって、しばらく萩原さんは音楽から離れる。で、大阪球場で尾崎さんがこういう劇的なライブを行った。2つの終わりと1つの始まりっていう原稿を、僕は『噂の真相』に書いた覚えがあります。
85年6月1日発売、BOØWY の1stシングル「ホンキー・トンキー・クレイジー」。
BOØWY / ホンキー・トンキー・クレイジー
故・佐久間正英氏とBOØWY の出会い
いやぁ、かっこいいですね。85年6月1日発売、BOØWY の1stシングル「ホンキー・トンキー・クレイジー」。アルバムが6月21日に出た『BOØWY』ですね。東芝EMI発売。「ホンキー・トンキー・クレイジー」が出て、アルバム『BOØWY』の間に、あの「ALL TOGETHER NOW」がありました。国立競技場でニューミュージックから次の世代にというバトンタッチの式典が行われているとき、それを横目に、このアルバムとシングルが出たんですね。プロデューサーが佐久間正英さん、レコーディングがベルリンハンザ・スタジオ。もともと徳間ジャパンとビクターでリリースしていたので、決してインディーズではないんですけど、いわゆるメジャーデビュー的な感覚は東芝EMIからですね。そして、プロデューサーに起用された佐久間正英さんが「BOØWYをお願いします」と言われたときに1つ条件を出した。佐久間さんはこの条件を出せばきっと断ることができるだろうということで、ベルリンのハンザスタジオに行きたいと言ったら、「いいですよ」と言われてしまったんです。佐久間さんはここからBOØWY、そして氷室さんとずっと関わることになっていきます。
ここから70年代のはっぴいえんどの重めなウェストコースト風なドラム、ベースのリズムから、ハネるような、布袋さんの足が見えるようなビートに変わっていったんですね。縦ノリのビートバンド。そしてBOØWYも音楽雑誌ですよ。PATi・PATiでしたね。BOØWY があまりにも売れたために、PATi・PATiからBOØWYメインのロック雑誌というのが生まれました。PATi-PATi ROCK’ N’ ROLL。このあとぐらいからアマチュアバンドのコンテストになると、出場者の大半がBOØWYを演奏し、審査員がまたBOØWYかよと呆れた顔をする。そういう時代が来るわけです。世代交代とバンドブーム。その間の中で生まれた名曲です。
サザンオールスターズ / メロディ
いやぁ、屈指の名曲。もしサザンで1曲好きな曲を挙げてくれと言われたら、僕はこれを挙げるかもしれない。この曲が入ったアルバムは9月13日に出た『KAMAKURA』ですね。当初6月の発売だった。そして7月からツアーをやることも決まっていた。でも、レコーディングが延びて全部キャンセルになって、9月発売になりました。曲が増えすぎてしまったんですね。2枚組になりました。レコーディングが終わってテープが工場に届いたのは発売の20日前だった。レコーディング時間数1800時間。なんでそんなに時間がかかったかというと、デジタル化ですよ。いわゆるサンプラーとかデジタルシンセとかドラムマシーンとか新しい機材がたくさん出てきて、それを使いこないたりしているうちに、これだったらもっといろいろなことができるねみたいなことで、どんどん時間が経ってしまった。そういうレコーディングでした。
アルバムの1曲目は「Computer Children」でしたらからね。デビュー当時のサザンオールスターズはアメリカ南部のロックンロールバンド的な、ちょっと肉体派的な若者たちだったんですが、それを卒業しました。そういうコンピューターを扱ったアルバムの中で、シングルカットされたのが、この「メロディ」ですよ。音楽で1番肝心なのはメロディなんだ。彼らの気概みたいなものが伝わってくる、そんな曲だと思いますね。アルバムの中に「吉田拓郎の唄」というのがありましたね。お前の歌が俺を悪くしたっていう。拓郎さん引退という噂を受け取めて、彼らはこういう送る歌を書いたりしました。国民待望の2枚組。国民的ロックバンドという呼び方は最近よく使いますけど、僕はこのサザンの『KAMAKURA』で初めて見た気がしますね。
REBECCA / Maybe Tomorrow
85年11月に発売になった4枚目のアルバム『REBECCA IV 〜Maybe Tomorrow〜』の最後の曲ですね。このアルバムの1ヶ月前10月にシングル『フレンズ』が出たんですね。この『フレンズ』が女の子を直撃しました。当時、少女漫画の中に1番たくさん歌詞とかグループ名が吹き出しなんかで出てきたのがREBECCAでしょう。アルバム『REBECCA IV 〜Maybe Tomorrow〜』はバンド史上初めてのミリオンセラーアルバム。BOØWY が翌年にミリオンを出すんですけど、BOØWY より一足早かったんですね。男子を直撃したBOØWY と、女子をロックの虜にしたREBECCA。NOKKOさんの書く歌詞と、土橋安騎夫さんのヨーロピアンなちょっとしめった霞がかかったようなメロディがアメリカのシンディ・ローパーなんかとちょっと違う日本的なガールズロックを作りましたね。
85年12月に彼らが初めて渋谷公会堂でライブをやって、そのライブ映像が去年DVDになって、今年完全版が発売になりました。このREBECCAの渋公のライブは素晴らしいですよ。NOKKOさんが何かに乗り移ったかのような、本当に必死な、私の人生はここ変わる、このために私は生きてきたんだ、ここで死んでもいいんだみたいな、そういうパフォーマンスなんですね。今年、89年の東京ドーム、BLONDSAURUSのライブ映像作品も出ましたけど、こちらは完成されたREBECCA。この変わり方が実に劇的で、今見ても当時のライブはこういうライブだったんだってことがよくわかって、貴重な映像であります。
「J-POP LEGEND FORUM」
流れているのはこの番組の後テーマ、竹内まりやさんの「静かな伝説」です。いやあ、今日おかけした曲、いかがでしょうね。みんないい曲だったなあって、聴きながら忘年会気分になって、お酒を飲みたいなと思ったりしました。でも1人でこういう曲を聴いてお酒を飲んでいると悪酔いするんですね。あまりにもいろいろなことを思い出しすぎたり、切なくなったり、愛おしい年だったなと思ったりすると、お酒から抜けられなくなります。
さっき話しましたが、音楽雑誌がいっぱいありましたね。PATi・PATi、新譜ジャーナル、GB、B・PASS、音楽専科、ベストヒット、ARENA37、僕よく書いたのはPATi・PATi、新譜ジャーナル、GB、ベストヒット、B・PASSかな。どこでどのアーティストを書いたかいまだに覚えています。編集長の顔も思い浮かびます。PATi・PATi吾郷さん、新譜ジャーナル大越正実さん、GB塚本忠夫さん、ベストヒット飯名さん。B・PASS小松さん、みんな元気かなって思ったりする年の瀬でありますね。僕は70年代、最初は編集者で、その後、放送作家だったりしました。そして雑誌編集者にまた戻って音楽だけ書くようになったのが83年。尾崎豊さんが出てきて、彼がステージで、俺は教室でカセットテープを聴いていて、先生はやめろと言ったけど俺はやめなかったんだ。やめないでブルース・スプリングスティーンやジャクソン・ブラウンや浜田省吾や佐野元春を聴いていたんだと叫んでいた。「Scrambling Rock’n’Roll」ですよ。それを聴いて、俺もまだやることがあるなと思ったんですね。こういう世代に何かが伝えられたら、僕は音楽の周辺にいて自分も楽しくやれるし、やれることがみつけられるなと思ったりしました。あの時代の音楽雑誌は本当に懐かしいです。自分の人生1番楽しかった。1番印象深かったのは何年かと言われたら、1985年だったなというふうに今改めて思いながら今週はお別れしようと思います。
来週は86年、87年。やっぱり楽しい2年間でした。
サザンもユーミンも、これから先、いろいろな形で出てきます。あなたと私の忘年会。来週も楽しませていただけたらと。お前が1番楽しんでいるだろうと? そんな時間でもありますが(笑)。

 

 

 

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・新譜ジャーナルベストセレクション'70s 1980 「吉田拓郎」 ぼくの音楽人間カタログ 山本コウタロー著 「音楽と契約した男 瀬尾一三」 吉田拓郎の寄稿文も収録 【東映チャンネル】影の軍団 服部半蔵 2018/11/9(金)11:00~13:30 ‬森下愛子出演 【第16回輝く日本レコード大賞(1974年)】CS296 12/01 11:00~12:50_ あぁ青春のアヘアヘ物語 あいみょん あなたに影武者がいたらどうする? / 1980.6明星 おすすめサイト お喋り道楽 お知らせ かぐや姫 かれが殺した驢馬 このブログの人気記事ランキング この唄を君に贈ろう■連載中■ ごめんね青春 じゅんの恩返し・拓郎編 すばる・吉田拓郎ロングインタビュー 2010・3 たくろうのともだち / よしだ・たくろうの世界 たくろうの気ままな世界 たくろうパック たくろう旅の顔・ヤング・ギター'73.2 × ヤング・ギター・クロニクルVol.1吉田拓郎これが青春 ちちんぷいぷい歌碑ものがたり ~吉田拓郎編~2014.11.7 つぶやき つま恋 つま恋2006 はっぴいえんど ぼくの靴音/堂本剛  愛しています みうらじゅん よしだたくろうLIVE '73 よしだたくろうの母 吉田朝子さん・週刊平凡毒蝮三太夫シリーズおふくろ第34回 よしだたくろう・まんが履歴書=黒鉄ヒロシ アルバム サマルカンド・ブルー拓郎インタビュー アルフィー イルミネーション エレックの時代Ⅱ萩原克己 エンケン オールナイトニッポン オールナイトニッポンGOLD カセットテープ・ミュージック ・ 第25回「吉田拓郎の歌詞が好き ガガンボン日記・拓郎編 キャンディーズへの手紙 吉田拓郎 ケメ コンサート サマルカンド・ブルー REPORTAGE FROM NYC FROM THE STUDIO サマルカンド・ブルー安井かずみ・加藤和彦・立川直樹 対談 ザ・フォーライフヒストリアル~ペニーレインで雑談を ザ・フォーライフヒストリアル~ペニーレインで雑談を~ 第27話 名盤「クリスマス」 ザ・フォーライフヒストリアル~ペニーレインで雑談を~ 第28話 小室等 フォーライフ設立 ザ・フォーライフヒストリアル~ペニーレインで雑談を~ 第29話 小室等 ザ・フォーライフヒストリアル~ペニーレインで雑談を~ 第30話・小室等 六文銭の過去と最新アルバム「自由」 ザ・フォーライフヒストリアル~ペニーレインで雑談を~ 第31話テーマ水谷豊 ザ・フォーライフヒストリアル~ペニーレインで雑談を~ 第32話テーマ水谷豊「カリフォルニア・コネクション」 ザ・フォーライフヒストリアル~ペニーレインで雑談を~ 第33話・水谷豊 シンプジャーナル1984.11海外特写&レコーディング吉田拓郎 ジュリー×たくろう対談・ぼくたちすっかり酔っちまってね・ スティーヴィー・ワンダー チェリスト友納真緒さんのブログ・9/8つま恋! チャンネル銀河・中島みゆき特集 テレビ・ラジオ テレビ番組 ドラマ 時間ですよ第3シリーズ ドラマ『監獄のお姫さま』 ニッポン放送のってけラジオ ニッポン放送アナウンサー ニッポン放送垣花アナウンサー拓郎にフルフールのゼリーを贈る バレンタインデー 吉田拓郎 ビートルズが教えてくれた 拓郎×岡本おさみ対談 ビート・ピッキング革命 フォークソングの東京・聖地巡礼 1968-1985 金澤 信幸 フォーク・ルネサンス フォーク村 ボブ・ディラン ポーの歌 ミニ情報 ムッシュかまやつ ムッシュかまやつ_ ヤングフォーク ヤングフォークNo.1 1972.初夏号 ユーミン ライヴ情報 ラジオDJ広場・サタデーナイトカーニバル 1980.6明星 ラジオでナイトブログ ラジオ深夜便 ラジオ番組 世界まるごとHOWマッチ 中島みゆき 中島みゆきは「戦友」 プロデューサー/アレンジャーの瀬尾一三が語る2020/01/29 17:15 中川五郎 中沢厚子 久保利英明(弁護士) 亀渕さんの愛聴歌は拓郎のファイト!_ 二流の人 海援隊 井上陽水のベストパフォーマンスがここに! 『GOLDEN BEST』映像版が登場 人間研究・第3回《吉田拓郎》リタイアしない青春だからこそ 月刊明星1980.6 今夜は星空 いしだあゆみ 今日までそして明日から 今日までそして明日から・大越正実 シンプジャーナル 1990.3 僕の旅は小さな叫び 僕らの音楽 加藤和彦 南こうせつ・ニッポン放送のってけラジオ  原由子 吉田拓郎 吉田拓郎 '80~'81激走つづける男のスタイル 構成・文/こすぎじゅんいち 写真/山㟁正良 吉田拓郎 1982.7.27・Tour Final in 武道館 誌上完全再録 新譜ジャーナル'82.10 吉田拓郎 2019 -Live 73 years- in NAGOYA / Special EP Disc「てぃ~たいむ」とうちゃこ 吉田拓郎 アーチの向こう側(ツアー"人間なんて"・新作「176.5」) 文・石原信一 撮影・大川奘一郎 新譜ジャーナル1990.2月 吉田拓郎 ライブでナイト 2019 in 神田共立講堂 吉田拓郎 ・緑の新居 さらに飛翔への砦!'82.2 明星 吉田拓郎 今、更なる戦線布告・平凡パンチ1980.4.28 吉田拓郎1981年夏・新譜ジャーナル1981・10 吉田拓郎90年代へ・・・・・。・パチパチ読本 1990年_ 吉田拓郎INTERVIEWつま恋の朝、"これまでのオレ"は、死ぬんだ / '85.7シンプジャーナル 吉田拓郎LONG INTERVIEW 今、再び荒野をめざして 新譜ジャーナル'82.5 吉田拓郎×久保利英明弁護士(For Life1976創刊春号) 吉田拓郎×岡本おさみ対談 前後編 新譜ジャーナル1984年6月7月号 吉田拓郎×岡本おさみ対談1984 新譜ジャーナル_ 吉田拓郎×岡本おさみ対談 後編・ 新譜ジャーナル1984年7月号 吉田拓郎、「ラジオでナイト」 旧友に向かうような口調で「素」の自分を語る 田家秀樹 吉田拓郎、新ライブ映像 長く新しい「人生のアウトロ」・田家秀樹「誰も知らないJ-POP」 吉田拓郎、最新ライブ映像作品でオリコン週間ランキングTOP10入り最年長記録を樹立20191107 吉田拓郎さん「夏休み」JR谷山駅の到着メロディに2019.10.23 吉田拓郎と愛の歌 ('82オールナイト・ニッポン 最終回より)  吉田拓郎の「ビート・ピッキング革命」 吉田拓郎のオールナイトニッポン 吉田拓郎のオールナイトニツポンGOLD番宣 吉田拓郎の唄 吉田拓郎インタビュー・2005年8月20日(土)FM NACK5 J-POP MAGAZINE 田家秀樹 吉田拓郎インタビュー・新譜ジャーナル1977.10 吉田拓郎クリスマス 吉田拓郎コンサート2019 吉田拓郎ドラマ曲 吉田拓郎ラジオ 吉田拓郎ラジオでナイト 吉田拓郎ラジオでナイトMyTube 吉田拓郎ラジオでナイトブログ 吉田拓郎・ムッシュかまやつ 吉田拓郎・男のライフスタイル / 平凡パンチ1984.3.19号 吉田拓郎夜のヒットスタジオ 吉田拓郎新居でご満悦 吉田拓郎死亡事件・1981年3月13日(金) オールナイトニッポン 吉田拓郎詩集BANKARA 吉田町の唄YOSHIDA「若者共和国の120日」 地球音楽ライブラリー 坂崎幸之助 堀越のり、7年間の活動休止の真相は“がん闘病”だった 大いなる人・拓郎×岡本おさみ対談 大野真澄 夫人へのプロポーズは吉田拓郎の「結婚しようよ」‥ノーベル賞の吉野教授 女ともだち[ 4 ] 撮影/吉田拓郎 浅川マキ(文) 1984年月刊カドカワ8 安井かずみ 富澤一誠の「俺が言う 」 小室等 岡本おさみ 岡本おさみ・かまやつひろし対談 ビートルズが教えてくれた 岩崎宏美 広島フォーク村40周年記念同窓会&ライブ 広島フオーク村 広島修道大学「吉田拓郎歌碑除幕式」 心に残る歌を、あともう一曲 喜多條 忠インタビュー・聞き手/残間里江子 恋・酒・家出・喧嘩・なにをやってもまるでボンボンみたいなタクロウちゃん・・・!guts'72.5 所ジョージ・吉田拓郎 拓ちゃんCM 拓ちゃん小ネタ 拓郎、テレビで歌う・1972.4.23(日) PM5:00~ リブ・ヤング! 拓郎、東京キッド・ブラザースに歌を語る(かれが殺した驢馬) 拓郎カレンダー 拓郎・おケイ 6月26日の朝 72.7.18週間プレイボーイ 拓郎出演テレビ番組 拓郎展 拓郎新譜 拓郎関連ブログ 斉藤哲夫 / されど私の人生 新六文銭 新聞 新聞記事・拓郎 旅に唄あり 岡本おさみ / 襟裳岬 旅に唄あり 岡本おさみ_ 旅の重さ 日常 映画「恋妻家宮本」 映画「結婚しようよ」 映画・甘い暴力 普賢岳災害救済 スーパーバンド 曽我部恵一と後藤まりこ、「結婚しようよ」をカバー 月刊牧村 夏期ゼミ#2 『東京から世界へ』その1 PA界の先駆者'チョーさん'・自腹で吉田拓郎のツアーに参加 松任谷正隆 松任谷正隆「クルマとトイレ」 松本隆「外白」を語る 松田聖子や吉沢秋絵の曲を手がけた理由 プロデューサー/アレンジャーの瀬尾一三が語る 桑田佳祐 梓みちよんを偲んで 梓みちよメランコリーを語る・喜多條忠メランコリーを語る(ラジオ) 森下愛子 検見川廣徳院 椿町ロンリープラネット14・やまもり三香 歌謡ポップスチャンネル 残間里江子・加藤和彦 Interview 江口寿史さんレコジャケ 集 『 RECORD 』 ( 河出書房新社刊 ) 吉田拓郎さんからの寄稿も収録 泉谷しげる 深夜のラジオっ子 村上謙三久 テレビじゃ、これは伝わらない・田家秀樹に聞く 深夜放送ファン 満島ひかり 瀬尾一三 火曜ドラマ「監獄のお姫さま」(通称 プリプリ) 燃える38時間 Takuro Yoshida Island Concert in Shinojima 特別番組『吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD』12月13日 玉城ちはる 王様達のハイキング 田中秋夫 田中秋夫が語るラジオ局が結集した〝伝説〟のコンサート 田家秀樹 田家秀樹 Kei's BAR__ 田家秀樹ブログ・新・猫の散歩 田家秀樹ブログ・新・猫の散歩 ・浅川マキさん、10周忌。 甲斐バンド 矢島賢さん 秋元康氏とユーミンに共通するクリエイターの感覚 竹田企画 紅葉 / 島倉千代子 純情 -なぜか売れなかった ぼくの愛しい歌 - 阿久 悠 自分の事は棚に上げて 芸能界でコーヒー・ブレイク 吉見佑子-吉田拓郎編- 菅田将暉 落合恵子のちょっと待ってMONDAY 落陽 / 旅に唄あり 岡本おさみ 蔭山敬吾ブログ 襟裳岬 訃 報 記念日 諸人こぞりて・街を片手に散歩する 貧乏学生の胃袋を支えてくれた目黒区「ダイエー碑文谷店」の思い出 過去ログ 遠藤賢司 重松清 阿久悠 雑誌 青春のフォーク 南 こうせつ27・【あの頃にタイムスリップ】 時代の証言者・読売新聞2017.9.4朝刊 青春のフォーク 南 こうせつ27・【大雨の「サマーピクニック】 時代の証言者・読売新聞2017.8.30朝刊 音楽 音楽と契約した男 瀬尾一三 瀬尾 一三とうちゃこ 音楽プロデューサー・瀬尾一三が手掛けた作品集第3弾が発売!中島みゆき、吉田拓郎、徳永英明らの名曲収録 音楽番組 高田渡&よしだたくろう - '70年9月16日 ライブ 黄金の60年代、「キャンティ」とその時代 川添象郎・ムッシュかまやつ・ミッキー・カーチス