今日までそして明日から・大越正実 シンプジャーナル 1990.3
今日までそして明日から・大越正実 シンプジャーナル 1990.3
撮影 内藤順司 取材・文 大越正実
はからずも、 吉田拓郎で終わることができた。 1月10日、日本武道館。10日という日付は、 22日に発売される本誌にとっては、入稿が許されるぎりぎりセーフの反則技の日だ。 僕は結構ツイているのかもしれない。 20年近く前、開始されたばかりのFM放送から流れてきた彼の 「イメージの詩」 から確かに始まり、 続いてきた僕の人生の一季節を、その当 人のコンサートに立ち会うことで終えることができるのだから。
吉田拓郎、いや、 当時は“よしだたくろう” だったが、 彼の歌から高校生の僕は、まるで柔道5段の達人に背負い投げをされたような痛快な衝撃を受けた。8つ歳上の彼は、ちょっとザラついた、しかもカン高いところのある声で、 自分の心の中にある言葉や風景を、ある時はまるでポラロイド・カメラのシャッターを押し続けるように切りとり、放り出していた。 またある時の彼は、それをまるで水彩画のようなタッチで、音楽にこめていた。 いずれも遠くに、静かでやさしい孤独が据えられていた。 孤独を、絶望や死という言葉に置き換えてもいい。しかも彼は、それに身を任せることも眼をそらすこともせず、しっかり見据えながら、だからこそ生きることに情熱を傾け、うたいまくっていた。 そんな彼と彼の歌に、10代の僕は感応したのだ。吉田拓郎について語られる文章の多くは、まるで彼をある人々や世代というあいまいなものの代表者のように位置付けるが、少なくとも彼自身は一度としてそんな役割を引き受けたことはない。彼は一貫として"ひとりきり"であることから逃げずに、 歌をうたい続けている。彼の歌に安易な答えが無いのはそのためだ。 答えがあるのなら、彼はそこに向かって走っていく。 彼はそういう人だ。唯一確かなものが"孤独感" というどうしようもないものだから、彼は歌を選んだのだ。 そして、だから彼はあんなにも秀れた歌の数々を生み出し、しかも音楽から離れることができないのだ。
吉田拓郎は、 何より偉大なミュージシャンであるという評価こそがふさわしい。 よく語りぐさにされる彼の生きざまは、 音楽が彼を導いた結果なのだと、 最近僕は考えている。
だから、彼の歌はいつも風のように空をクルクル回っている。 別に、彼の歌を引用しているつもりはない。 答えがない歌は、どれだけ美しく、強く舞えるか、それが命だからだ。 揺らぐことのない音楽の源泉を持った彼は、 その作業に飽きれば、それをさっさと放り出して死んだフリを決めこむ。 でも、彼は自分の人生の道連れになってしまった "巨大な遊び" と別れることはできはしない。吉田拓郎 は、音楽と必死に遊んできたのだ。
"まるで大きな砂漠に太いホースで水をまくような・・・" 確かこういう文章だったと思う。 これは、日本の音楽について語った文章で、僕の記憶の最も古いところにあるものだ。 載っていた雑誌は、言うまでもなく 『新譜ジャーナル』だ。うまい表現だと思う。 彼は、そうやって、うたい続け、生き続けている。
幾つもの歌がうたわれた。 どちらかと言えば、古い曲、しかも、一般的に代表曲と呼ばれ るものがズラリと並ぶといったふうの、スペシャル・メニューといった趣き。「祭のあと」 も 「落陽」 も 「外は白い雪の夜」 も rイメー ジの詩」 も 「言葉」 も、「人間なんて」 だってやってしまった。 しかも一回目のアンコールというか、第2部のステージと言った方がいいか、とにかくそこで彼は椅子に腰かけ、ハーモニカ・ホルダーを下げて 「今日までそして明日から」、「旅の宿」、「花嫁になる君に」 「ハイライト」、「高円寺」、「リンゴ」を弾き語りでうたってみせたのだ。比較的最近、彼のファンになった人は、伝説をまのあたりにして狂喜した夜だったろう。オールド・ファンは、嬉しいやらテレ臭いやら、逢いたいと願っていた昔の恋人に、はからずも逢ってしまった、そんな面持ちもあったに違いない。そして、僕は吉田拓郎がその音楽との関係の新しい段階に入ったことを、このツアーで確認した。 きっとそれは、あのつま恋の "ONE LAST NIGHT"から進められていた作業に違いない。 彼は音楽という彼の人生には欠くことのできない大切な相棒と、以前よりもずっとおだやかな関係を結ぶことにした。 吉田拓郎を語る時に欠かせない名曲の数々を、 CMやテレビ・ドラマの主題歌に"ゆずった" のもその表れだろう。 今回のツアーの豪華極まりないメニューも、 ツアー・メンバーに松尾一彦と清水仁という元オフコースのメンバーを招いたのも、しかりだ。 彼はとりあえず今、音楽ってヤツと仲良くやっていくことにした。
そして吉田拓郎は、ゆったりと自身がつくり出す音楽の中を泳いでいた。 言葉を、両のてのひらで抱くように、うたいついでいった。 ヴォーカルは、驚くほど豊かだった。 僕は改めて吉田拓郎という人間が持っているミュー ジシャンとしての資質の素晴らしさに打たれ、魅了された。 開演前にほんの少し懸念したこと、つまり自分のプライベートな現状と歌を重ね合わせて感傷の海におぼれたりはしないか・・・といった心配は、ほとんど杞憂に終り、彼の音楽を満喫した。
例外は、ふたつだけ。 ひとつは 「今日までそして明日から」 のエンディング、彼が "明日からも、こうして・・・" というくだりを3回リフレインした場面。 これは今まで書いてきた僕の勝手な予想による彼の今の心情を語っ たものか、あるいは何の意味も無いものだが、僕は自分の思いで、そのリフレインをかみしめた。 そしてふたつめは、 大ラスの 「俺を許してくれ」・・・。今後この歌を聴くたびに、僕 は'89年12月の自分を呼び戻すだろう。「イメージの詩」が17歳の僕を鮮かに呼び戻すように。
拓郎さんは、拓郎さんの歌は、僕の人生を間違いなく濃くしてくれた。まったく、拓郎さんが元気なのに 『シンプジャーナル』 が先にいなくなるなんて、情けなくて言葉も無い。
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