南こうせつ・ニッポン放送のってけラジオ ①
南こうせつ・のってけラジオ -2005年9月1日(木)
-午後1:00~3:30
テリー伊藤氏夏休みの為【南こうせつ】がパーソナリティー。
拓郎のエピソード部分を掲載します。アシスタント: 林家たい平
泰平: かぐや姫を再結成するきっかけみたいなのは?こうせつさんが言い出した?
こうせつ: そうなんですよ。えーあの正やんとパンダさんに、あのちょうど僕は広島でずっとねピースコンサートっていうのをや
ってきて、ちょうど戦後60年にあたるんで、「どうかな、これ1回だけやりたいんだ 」と、要するに「3人でやった方がインパクト強いからどうかなぁ」って言ったら、もう大賛成してくれて。で、あのもうリハーサルをやってですね、本当にもう昔の覚えてないようなギターコードとか、わかるでしょ泰平さん。ギター弾くからね。それからコーラスとか思い出しながら、あのうまい事いきましたね。で、あの助っ人に森山良子さんも来ていただいて。で飛び入りでね大友康平さん、うーん1曲歌ってくれました。まそういうね、今年の夏はねいい思い出できましたね。
泰平: いやー本当に目の前にかぐや姫が復活したのを目の当たりに見た人は感激したんじやないでしょうかねぇ。
こうせつ: そうですねぇ広島のサンプラザホールって大きなホールなんですけどもね、あの5000人ぐらいのお客さん集まりまして。
泰平: もうそこだけしかやらないんですか?
こうせつ: そう。そうなんです。
泰平: えー!? 他では見られないんですか!?
こうせつ: それでね、吉田拓郎さんがね、ええ今年になってその春でしたかね、ええとつま恋、静岡県につま恋という所があるんですよ。ここはもうね野外音楽コンサートの聖地といいましょうか。と言いますのが30年前にかぐや姫と拓郎とでねオールナイトコンサート。で当時はねまだ公園の整備ができてなかったわけですから、ダーっと人を入れるとですね、1回で5万人以上入ったのね。であの時は警察発表で7万人。主催者発表は5万人。普通は反対なんですよ。警察が7万って言ったら主催者は10万て言うの多めに。なんだか知らないけど主催者が、税金の関係かな?(笑)5万って言っちゃって。(笑)でもまあね、7万は集まってました。すっごい人でした。で、そこで、えー「もう1回やろう」と、拓郎さんが。
泰平: あ、かぐや姫と。
こうせつ: はい。というね、もうそれは「拓ちゃん冗談でしょ」と僕はね。そしたら「冗談じゃない、やる」って言うんだもん。だって去年がんの手術して「大丈夫ですか?」って言って。で1回ツアーでもなんかねぇ息苦しくなったとか言って。で、あんまり「いやこれは本当なんだ」って。で確かめるためにもう1回会ったんですよ3人と拓郎と4人で。ご飯食べに行ったのね。そしたらガンガンビ-ルを飲んで、健康をアピールするの。(笑)あはは。
泰平: ははは、無茶してるわけですかね。(笑)
こうせつ: で「やろうやろう」っていうことで結構盛り上がってきましてね。んで来年とりあえずやる、という事になりましたんで。あんまり「やるやるやる」って言うからひょっとして誰にも内緒でがんが進行してんじゃないかって(笑)、そんな事はないか。(笑)そんな事はないと思いますけどね。ま、でも元気が良くてむ、拓郎さん。拓郎さんもツア-が始まったのかな。秋のツアー始まってますんで。
泰平: 四畳半フォークと呼ばれたのは、当時はどう思っていたんですか?
こうせつ: 神田川って歌があまりにも売れたためにイメージが、あの人たちはもうせまーい四畳半のね歌を唄う貧しいグループなんだと(笑)言われたのは、しょうがないかな、と。(笑)あきらめて、それはそれでいいかなと、いう事ですね。・・・リスナーから「来年のつま恋、非常に興奮している」というメールを受けて・・・
泰平: 普通だったらですね、楽しみにしてる、なんですけど興奮してる!
こうせつ: ははははっ興奮してる!(笑)これはね、親父達はね、これは燃えますよ。(笑)少年のあの日々が目の前でまた展開されます。我々だって何が起こるか、またわかりませんよ。当時はみんな10代20代だったから良かったと思いますけども今度は40代50代60代ですから、もうじじいとばばあが生きるか死ぬかですよ。
泰平: かぐや姫も誰も欠けてないのが良かったですね。(笑)
こうせつ: いいこと言った!(笑)グループで欠けるともう成立しないですよ。(笑)
泰平: なんか遺影とか置いてあるの淋しいですもんね、つま恋のステージの上に、ね。(笑)
こうせつ: はははっ。ほんとね追悼コンサートにならないようにがんばろう。(笑)
続く
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