拓郎、東京キッド・ブラザースに歌を語る(かれが殺した驢馬)
1977年10月6日(木)新宿シアター365
吉田拓郎 東京キッド・ブラザースに歌を語る
吉田拓郎の歌唱論が続く。 時間は午前ニ時になろうとしている。東由多加は言葉を発することなく座っている。歌うことにより、自分の青春を完全に燃焼させた拓郎はこの日、新宿の場末の地下室で"音楽"を語りつづけた。 プロの歌手にではなく、音楽により何かを燃焼させようとする若者たちに。 次の曲がはじまった。
我々の職業が人気商売であることは今後も変わりはしないだろうが、人気うんぬんは何かをやった上での結果に過ぎない。 収人も然り。つまり何をどうやるか、やりとげるかということのほうがずっと大事なんだ。 -吉田拓郎「明日に向って走れ」より
<東京キッド·ブラザース>1969年に結成され、今年で九年目を迎えるミュージカル集団である。70年代の初頭にニューヨーク、ロンドン、パリ、アムステルダムらの海外への遠征を繰り返し、ニューヨーク・タイムスらのジャーナリズムの高い評価をうけ、あるいは、プレスリィやビートルズなど世界的エンタテ イナーが出演したビッグTVプログラム "エド・サリバンショー"にも出演と、 国際的な評価を受けている。
上演作品がミュージカルということで, 数多くのミュージシャンが作曲、演奏、 出演という形で関わりあっている。創設期は下田逸郎が全面的に作曲担当、大野真澄や吉田美奈子が出演、田山雅充、はっぴいえんどの前身にあたるエイプリル・フール (松本隆、細野晴臣、小坂忠、 柳田ヒロほか)らが演奏という時期もあった。以後、加藤和彦、井上堯之、かまやつひろし、小椋佳、加川良、龍、生田敬太郎らが作曲家として参加、加川良、内田裕也、カルメンマキ、北炭生、長谷川きよしらが出演している。
そして、吉田拓郎がナゼか、新作ミ ュージカル「かれが殺した驢馬」の作曲を小椋佳と担当した。<大いなる人>の レコーディング終了後、依頼を受けた八曲を一気に書き上げた。このどちらかというとマイナーな仕事を当初は、拒否するほどのことでもないと引き受けた。し かし、劇団の主宰者である東由多加との打ち合せ、あるいは対話の途上で、拓郎のなかで何かが動きはじめた。
一度は、"歌を作る"ことに関する考え方の相違で激しい言い争いをし、遂に決裂してしまった。ひこうとしない二者の意地が牙をむき合わせたのだ。しかし、そのこと自体が二者、つまり吉田拓郎と東由多加の劇団にとって、妙なわだかまりを残したため(おそらく、酒が入ったうえでの喧嘩なので) 、数日後には二人ともお互いに"ひくこと“も含んだうえでの対話をした。その結果、拓郎は同じような時代のなかを歩んできた同世代の東由多加に次のように語った。
「オレの持っているフォーライフも、東由多加の持っているキッド・ブラザースも同等なのね。両方並列でもいいから、大きくなろうと。そのためにはオレやら東やらが大きくならなければという使命があると思う。今の吉田拓郎、今の東由 多加じゃいけないわけさ。 その仕事をやった以上、その仕事をまっとうして死にたいよ。死ぬ時に『やっ た!』って死にたい。つまり、昭和20年や21年生まれに、そういう人間がいてい いんじゃないかって思うよ。けっこう、 華麗で美しいかも知れないし、次の世代に何か残すかも知れないし、残したいとは思わないけど、何かやってあげないと次の世代が動かないし、オレたちは動きやすいんだから動こうって、そう思うよ」 そして、この日の夜、初日を数日後にひかえて練習に励む劇団員の前で、吉田拓郎は饒舌なまでに"歌"を語った。
地下室のメロディ
新宿·歌舞伎町の裏、職安通りを少し脇に入ったところに、東京キッド・ブラ ザースの地下劇場<シアター365>がある。何人いるともわからない劇団の若いメンバーがあわただしく走りまわっている。その混乱する劇場に突然、東由多加と現われた吉田拓郎の姿を見て、若者 たちはハッとする。 東由多加が声をかける。 「歌の部分だけ、練習するからすぐ準備 して下さい」そして、劇団員たちのなかに消えてゆく。吉田拓郎は所在なげに、 劇場に設置されたバーコーナーのカウンターに身をもたれ、出されたウイスキーを飲んでいる。そして、同行した記者 との雑談で準備の時をすごす。 「あのさ」吉田拓郎が語る。「ロッド.・スチュワート、やっぱりいいな。 "トゥ ナイ トゥナイ"って歌うところさ、泣けるよ。黒人のフィーリングなんだな」 「他のレコードはよくなかった?」 一か月ぐらい前に、記者はロッド・スチュワートの<ナイト・オン・ザ・タウン>を 含む数枚のロック・アルバムを渡した。 ボブ・マーリィ、アル・スチュワート, グレッグ・オールマン、グレートフル・デッド、イーグルスのレコードだ。 「まあ、いいけど、BGMとして聞くにはね。ロッド・スチュワートはすごいよ」 「すごい浪費家で、酒と女に溺れてて、一年に十曲ぐらいしか曲が作れないらしいですね」 「そうだってな」 拓郎の隣りで研究生の一人が額の汗をタオルで拭きとりながら,水を飲んでいる。その若者に気づき、語りかける。 「たいへんだね」 「ええ、ずっと徹夜が続いてるんです」
「あのさ、ちょっと聞きたいんだけど、こう毎日、体力の限界まで寝ずにガンバ ッテね、それで初日をむかえるわけだろ。 ゆっくり、休んだ方がいいと思わない。 無理すれば、いいものが出来るとは限らないだろ。ゆっくり休んでさ、体力つけて初日をむかえた方がいいと思うけどな. オレは」 「ホントは、そうしたいんですけど、ポクら研究生だから、言えないすよ」 「誰に、東にか?」 研究生の若者がうなずく。 「じゃあ、みんなで言えばいいだろ。こう、要求すれば……」拓郎を前に若者は話しづらそうな表情を見せる。 ステージの方の準備が完了したことを知らされ、ウイスキーのグラスをカウンターに置き、その若者に「がんばれよ」 と声をかけ、ステージの方に移動した拓郎は立ち並ぶ団員の前に席をとる。 「じゃあ、流して歌っていこう!」 東由多加が拓郎の隣りに席をとり、指 示をする。カラオケのテープがまわされ、 激しいロック・サウンドが劇場に爆発し、ステージの俳優が叫ぶ. 「さあ、ロックだ!」
生まれてから歌った唄のかずかず
時代はなげく
ほんとうのもの 伝えられなかったと
老いた踊り子はおもいだす
消えちまったヒーローの面影を
だけど 私はふりかえらない
だけど おまえに忘れられたくない
疑いもなく 愛の唄が欲しい
おまえを待ってる
汗を吹き出し、顔を痙攣させ、泡を飛ばし、肉体を踊らせ、髪を乱し、俳優たちは吉田拓郎に挑みかかるように歌う。 声の嵐が遠のき、カラオケの音が断ち切 られ、そして、東由多加が言う。 「どうですか?」 息を苦しそうに吐きながら、俳優たちは拓郎の言葉を待っている。しかし、言葉はなかなか出ない。ジッと顔をふせ、考えこんでいる。汗ばんだ静寂が劇場を 支配する。
水ワリもらおうか
「何人いるんだっけ」拓郎が突然、顔を上げてから饒舌に言葉を吐きはじめる。 「十何人いるのか、え? 15人。そう、15人が歌うと、やっぱりダメなんだよね。 はっきり言って、もうメロディがぐしゃぐしゃね。緻密なところが合わなくなっちゃうんだ。 何が一番大事かっていうと、やっぱり 隣りのやつが、どう歌ってるかっていう、つまり合わせる作業をしてほしい。オレ がこう歌うから、オマエらついてこいっていうんじゃなくて。いまは、みんなでそう歌ってるわけ。みんなオリジナルをソロシンガー、つまり一人一人で歌うのならいいんだろうけど、15人でやってるわけさ、いまは。 で、もし15人のパワーがピタッて合ったら恐いわけよ。でも、聞いていて恐くない。なんでかって言ったら、おのおのがおのおのの気持で歌をうたうから、全然伝わってこないわけ。合わせようっていう気がなくて、『おのれが一番』って感じがするわけね。悪いけど、そうじゃないの、合唱っていうのは。もっと、チームワークを要求されるわけ。じゃなかったら、お客さん乗ってこないの、絶対に、『なに言ってんだ、バカヤロー』 って、そういう感じになるよ。 いま言った気持でやってほしい、お願 いだから」 「じゃあ、もう一度!」東由多加の指示で再びロックが爆発する。と、拓郎が東由多加の耳に口を寄せ「でもね、東ちゃん、これは売れるよ。オレ、受け合うよ。 このLP、絶対に売ってみせるよ」と語り、 歌にジッと神経を集中させて聞きはじめる。そして、再び語る。
「あのね、ごめんな、すごい音程が違うの。はっきり言って、オンチがいるの。 これは、だれか1人いるんだよね。このカラオケなかったら、すごく不愉快な思 いしたの。音程がすごくフラフラなわけよ。それはアクションしながら歌っているせいもある。でも、歌ってのは労働なのね。肉体使うわけよ。だから、ハーハーなわけよ。ゲロが出るくらいにね。オレもいつもそうだけど、ステージでさゲロ出すわけよ、最後は。そのくらいやんなきゃ、歌になんないわけよ。
そこをやらなきゃいけないのね、あんたら、絶対に。でも、そこをやらないでもう音程が狂ってるわけね。もう、息が上がってるわけよ。ハーハーやって、汗かいてね、そんなもんじゃねーんだ、歌ってのは。いくら肉体を激しく使っても、そのアクションとは別に自分の音程ってのは出せるわけ。百メーター走ったら音程が保てないっていうんじゃダメなんだよ。
いまは音程がガタガタだよ、悪いけど。 ハッキリ、オレの耳でもわかるわけ。音程がおかしいなーてのが、みんなが、だいぶ違うのよ。それは、みんな肉体的に言って、全然自信がないの。腹筋運動も足らないし、腹が出来てないね、弱いんだよ。だから、一生懸命に叫んでいるけど迫力がないんだよ。いまは十何人が一緒に歌ってるから、迫力はそれなりにあるかもしれない、だけど......」
熱っぽく語る吉田拓郎に視線が集まる。 まだ完成されてない劇場の内装工事をし ている職人さんすら、その熱い口調に作業の手を止める。あるいは、練習風景をのぞきにきた演劇評論家も突然に訪ずれた拓郎の気炎を興味深げに見ている。 拓郎の指導がほとばしるように続く。 「“だけど-” って言うじゃない。その時、みんなが他の人の力を借りて、あなたも、あなたも、みんなの力を借りて、“ だけどー” って歌ってるわけさ。そう じゃないんだよ。オレの声すごいよっていうのが全然ないんだよ。だから、疲れ果てた、アクションを起こした人間が集まって、やっとこさの“だけどー” って いう声なんだよ。
で、これでは説得力ないしさ。その時はさ、そのサビの段階でね、みんなアク ションで疲れ切ってるのさ。だから全然生きてこないわけさ。サビにくるまでにもう目一杯歌い切り疲れ果ててるから、 "だけどー"から、歌が広がらないのよ。 そうじゃないんだよ、歌っていうのは、 余裕があり、なおかつ、そこに説得力があるのが歌なのね。何を反省しなきゃな らんのかって、それはね、目一杯でしか声が出ないっていうのは普段の労働が足んないの、絶対。 歌って、そんなに簡単には歌えないのよ、絶対に。ものすごく必死の思いで歌うんだからさ、いつでも、終ったら死ぬんだよ、パターンって。いまのあんたたちには余力があるわけ。余力を残すなんてつまんないのね。そう思わないかい?」 前に乗り出した体をひき、ディレクタ ー・チェアにアグラをかく。 「もう一回、お願いします」東由多加の指示で再び俳優たちが位置につき、カラオケの音を待つ。 「ねえ、何かサケ飲む?」東由加が声をかける。 「いや、不謹慎だからいい」と答え、間を置いてから、求める。 「やっぱり、水ワリもらおうか」そして 呟くように言う。 「もう、なんだって見てやるよ、死ぬまでやるよ、オレ」
深夜である。この指導は今日の拓郎のスケジュールには組まれていなかった。 作曲担当者として歌を指導するのは当然である。そして、自分の歌がどう歌われているかを知るのも当然であると、劇団の制作担当者の論理に押し切られ、原宿から新宿へ拓郎はマネージャーやらスタ ッフなしにやって来た。 タクシーのなかで、この突然の仕事に 「まいったな、今夜中にさ、オレ三曲作 らなきゃいけないのにな」と苦しいところを見せた。しかし、一時間後には前述 のように、激しくぶつかっているわけである。
歌の指導から演技指導へ
まだ、カタがつかない。 「あなた」と俳優の一人に指をさす。 「つまり、あなたの隣りの人がどう歌ってるか聞こえる? わからないだろ? やっぱり、自分の声が先でしょ。そうなのよ、いまは。それが、お互いにわかるようになったら、すごい。こりゃ、迫力あるよ いま迫力あるのは、ボリュームだけ。 だって十何人いるんだからさ, バーンと来たらさ、そりゃ恐いよ。逃げて帰るよ。 みんな。でも、それじゃ音楽として成立 しないんだよ。やっぱりさ、変な言い方 だけど、思いやりっていうかさ、あいつ がこう歌ってるっていうことをさ、聞こうとしない姿勢がまだあるのね。合唱ってのは、そうだと絶対にダメだよ。 ソロじゃないんだ。ソロの場合は自分の個性ね。でもコーラスはそうじゃない。 十何人の人でやってるんだからさ、あなたの後に何人かいるわけさ。その声を聞きながら歌うっていうさ、そういう気持ちね、 それがなかったら歌にならないわけ。 一番強いのは合唱なんだよ。知ってる? ドン・コサックとかさ、ミッチ・ミラー合唱団とかさ、いるわけよ。何十人って、いっぺんにユニゾンで歌うわけ。素晴ら しいことなんだよ。バックはさ、こんなにベースとかエレキとかドラムとかないわけよ、ウクレレ1本で何十人が歌う わけよ。それがさ、大迫力、ガーンとく るわけよ。ピッタリ合ってるから。その素晴らしさがあるわけよ。ウクレレだよ。 ここには全部あるじゃない。ドラムもベ ースも、恵まれているんだよ! さあ、もう一回!」
次の曲に移る。
女優がソロをとる。
歌がまるで生きもののように…
僕の見立てたドレスに
着替えた君は
思い通りの美しさ
少しながめていたいけど
......抱きしめてる
マイクを片手に切々と歌う女優を見る。 拓郎は微笑んでいる。合唱との対決を終え、気分は少しリラックスしたかのようだ。で、歌が終ると今度は素早く反応を見せる。「"抱きしめてる" って、その言葉ってすごく大事なのね。そこさ、大事に歌ってないの。そこが一番かんじんかなめの大ヒットソングなわけ」 劇場に笑いが起こり、さっきまでの緊張が溶けてゆく。
「そこがさ、よく聞こえないわけ。そこはさ、あなたはムリしてさ、目一杯色っぽくやってんだと思うんだけど、あんた、できないんだよ、きっと。 すごく、かわいいわけ。いまさ、かわいいと思ったわけ、いいなーと思ったわけよ、でも、それはさ決して色っぽくないわけ。かわいいと思っただけで。で、この歌、すごく色っぽいのね。 でもさ、 "少しながめていたいけど" の次のブレークの後の、そこをさ、気持を込めて、あなたがね思い切りね、テレとか恥じらいとかそういうの捨て去ってさ、ムズかしいかも知れないけど、目一杯うまくやったら、その髪型もいいしね, これはきっとすごく説得力ある歌になると思うよ。 もう一回。かわいいなー、おまえいく つだ?」 「十七です」 再び笑い声が起こり、劇場のなかに温かな空気が広がってゆく。その空気のなかにセンチメンタルなメロディが流れはじめ、二度目の歌が流れる。
なぐさめより確かに
素敵なのは夜
すべてが終わり
すべてが始まる
素敵なのは夜
素敵なのは君
素敵なのは 素敵なのは愛
「マイクの使い方だよ。マイクを近ずけて、その時さ、東に悪いけど演出とはちがえてさ、こう、うつ向いてね。"抱きしめてるー"って、やってみろ」 女優が思い入れを込めて歌う 「そーよー!」拓郎がヒザを大きく叩く。 「だから、演技過剰ぎみでいいからさ。 歌ってのはさ、詩がすごくイヤラシくて、演技過剰なわけよ、詩自体がね。で、やっぱり、それを歌う時はね、それ相応の演技をしなきゃしょうがないわけ。でないと説得力持たないわけさ。
今ぐらいでも、足らないのね。もっとオーバーにね。おしむらくは、こう葛藤する気持がほしいのね。うまく言えないんだけど、声は出てるわけ。"抱きしめてる"なんて恥かしいから、顔も上げられないわけね。でも、歌詞はあるから、 言葉言わなきゃいけないっていう……だ から、顔を見せないでね、言っちゃおぅっていう演技がほしいな」 歌の指導が演技にまで入ってくる。しかし、確かに拓郎の指導の通り歌うと、歌が生きてくるような印象を受ける。い まや、完全に吉田拓郎の感性が劇場を支配している。連日連夜の稽古の連続で劇場に澱んでいた疲れが、新しい息吹きを吹き込まれる歌たちによって、コンクリ ートの壁のなかに押しやられてゆく。
SING SING SONG!
美声の男優がステージに立ちソロをとる。小椋佳の歌である。オペラやカンツォーネのような朗々たる唱法で、そして力強く歌う。歌が終わり、その男優(元・劇団四季の池田鴻。ゲストで出演している)は腹から息を押出し、柱に身をも たれかける。拓郎は予想もつかなかった唱法をぶつけられ、うつむいたまま口を 閉ざしている。池田氏はうつむく拓郎を見つめている。そして、一分ぐらいの沈黙を破り一気に話し出す。 「ごめんなさいね。あの、いまのボクはいまの歌聞いて、もし、あなたがもっと軽く歌ってくれたらって気がするな。いわゆる歌がウマいかヘタかって言ったら、ウマイと思う。つまり、オレの友達に上条恒彦っているわけ。ヤツも労音とか民音とかで歌わせたら、もう素晴らしいですよ。歌唱力はすごくありますからね。 おそらく、あなたに負けないくらい、いや、あなたも負けないと思う。でも、その上条のウォーッていう歌い方はボク は嬉しくないわけ。なぜかって言うと、歌唱力の素晴らしいのはわかってるわけですよ。それをわかってて押さえて歌った時に素晴らしい歌だって、ボクは思うわけです。 その100歌えるところを80 %に押さえたらね、もっと歌が生きるんじゃないかという気がするわけ。 あなたみたいに歌う人はいっぱいいると思う。で、そのなかで何があなたの素晴らしさになるかって言うと、あなたのハートしかないでしょ。この歌をどう消 化するか。だから、小椋佳が作ってきたメロディを朗々と歌うんじゃなくて、これをとつとつと自分なりに消化して歌ったら素晴らしいんじゃないかって、なん となくそんな気がする。
つまり逆に言えばね、バカな唄を歌えないってことになったら、人間おしまいだと思うわけ。バカな唄を軽く歌える人こそ、朗々と腹から声を出して歌えると ......。逆にね、オペラやカンツォーネ歌う人は軽くポップス歌うんですよ。とこ ろが日本の浪曲歌う人はポップス歌えな い。歌っても朗々とやっちゃうわけです。 これは違うのよ。 それだけの歌唱力持った人が、なおかつポップスを軽く歌うってことが素晴ら しいわけね、絶対に……」 吉田拓郎の歌唱論が続く。時間は午前2時になろうとしている。東由多加は言葉を発することなく座っている。歌うこ とにより、自分の青春を完全に燃焼させた拓郎はこの日、新宿の場末の地下室で "音楽"を語りつづけた。プロの歌手にではなく、音楽により何かを燃焼させようとする若者たちに。 次の曲がはじまった。
歌うことが 苦手だったこともあった
何だかテレくさくって
きまりわるかったこともあった
だけど今では
恋をするよりも
歌うほうがいいなんて
酒をのむよりも
夢を語るよりも
SING SING SONG
SING SING SONG
SING SING SONG
SING SING SONG
(吉田拓郎・大いなる人)
◇
◇
追記 2016.8
東由多加氏F.Bより
1977年10月8日、『かれが殺した驢馬』が新宿の「シアター365」でスタートしました。この劇場は東さんが「365日、ずっと芝居をやり続けていたい。」と希望したことを受けて、KIDのメンバーたちが真夏から秋にかけて手作りで完成させた聖地です。
そのこけら落とし公演が『かれが殺した驢馬』です。音楽はよしだたくろうさんと小椋佳さん。北村易子さん、小池真智子さんらがこの作品からKIDのメンバーになりました。
「『かれが殺した驢馬』は、これまでの素朴な<愛>と<連帯>のメッセージからは、少しだけコンプレックスな内容にしてみたいと思った。無論はっきり言って、僕は単純で素朴なものが好きである。ただ愛や連帯といったものの中へもっと深く分け入り、その中でなおも素朴に輝いているであろう<真実>へ向かおうと試みたに過ぎない。そして『かれが殺した驢馬』はその回路に<狂気>をおいてみた。もっとも純粋な魂が狂気を帯びてしまわざるを得ないのが、神を失った現代人の悲劇であると思うからである。」「地球よとまれ、ぼくは話したいんだ」(東由多加著/毎日新聞社)より抜粋。
上演日 1977年10月8日~12月24日
上演場所 シアター365 制作=梶容子、政住清貴 作・演出=東由多加 音楽=吉田拓郎、葉月多夢 美術=上條喬久 演奏=ミュージカル4 振付=一の宮はじめ 衣装=MARSY 宣伝=久生実子
キャスト
柴田恭兵、国谷扶美子、峰のぼる、三浦浩一、飯山弘章、川船圭子、金井見稚子、テレサ野田、池田鴻、北村易子、長尾正美、渡辺真実、村田正樹、星美恵子、小池真智子
ソング(作詞 作曲)
「Theme-鏡の中のピエロ」(_ いしだかつのり)
「SING A SONG」(東由多加 吉田拓郎)
「素敵なのは夜」(白石ありす 吉田拓郎)
「この光を」(小椋佳 小椋佳)
「時代はなげく」(岡本おさみ 吉田拓郎)
「陽気な綱渡り」(白石ありす 吉田拓郎)
「Theme-手の森(_ いしだかつのり)
「ソファーのくぼみ」(白石ありす 吉田拓郎)
「夜に目覚めるものは」(小椋佳 小椋佳)
「もしも出来ることなら」(塚原将 吉田拓郎)
「密告」(塚原将 吉田拓郎)
「僕の想いはむなしく」(塚原将 吉田拓郎)
「指先に想いをこめて」(小椋佳 小椋佳)
<彼>と演出家と作曲家の3人は、彼らのSHOWの成功で、しだいに有名になっていく。若い野心に燃えた男たち。だが、互いの才能を必要としながら、全くあい入れる性格と考え方で、しだいに亀裂を生じていく。そこへ女優志願の美しい少女が現れて、<彼>はその少女に恋する。演出家は、その少女を<彼>の反対(まだ未熟だという理由で)を押し切って、新しいSHOWのヒロインに抜擢する。<彼>は、リハーサル中にミスをかさねる少女を激情のあまり罵倒する。<彼>は、愛しながら少女を傷つけている自分に茫然とする。少女は作曲家に心をひかれていく。演出家に自分の苦悩を告げると、演出家は、「誰かを愛しても、愛されるとは限らない。俺がお前を愛しているように」夕日のさしこむリハーサル室で二人は抱き合う。<彼>は泣いている。ドレスリハーサルが終わって、帰り道の街角で、作曲家に少女を奪わないでくれと頼む。作曲家は微笑して、何も言わずに去ってゆく。ふりしきる雪の中に立ちすくむ<彼>の目には、小さな狂気の炎が燃えている。初日の幕が開くまえに、<彼>を愛している女から、演出家が少女を犯したことを告げられる。演出家につめよるが、子供のように舞台におしだされる。<彼>はクライマックスで愛の言葉を語りながら、少女を扼殺する。
(「かれが殺した驢馬」LP解説より)
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izumi mayaさん制作作品を貼らせていただきました。
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