カテゴリー「安井かずみ」の記事

2017/03/17

3月17日 安井かずみさん

証言者 : ムッシュかまやつ 平尾昌晃 村井邦彦 加瀬邦彦

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草原の輝き  ムッシュかまやつ

安井かずみが裕福なサラリーマン家庭に生まれたのは、日本が第二次世界大戦参戦に向けて一歩一歩近づいていた1939年1月2日の横浜であった。それから10日後の東京でムッシュかまやつはジャズミュージシャンのティーブ釜萢の息子として生まれた。 安井は幼い頃に戦火の及ばない地域に引っ越していて、戦争の記憶をとどめない。だが代々木上原に育ったかまやつは、アメリカ軍の爆撃機B29に日本の小さな零戦が体当たりしている様を目に焼き付けている。

そんな二人が出会ったのは、日本が戦後の混乱から抜け出し高度成長の勢いにのる1960年代半ば、六本木にある伝説のイタリアンレストラン『キャンティ』であった。 かまやつの『キャンティ』デビューは1960年春のオープン時。ある日、友人だった川添象郎から「今度、うちで店やるからおいでよ」と誘われ出かけたのが、象郎の父・浩史と義母・梶子が、ヨーロッパのサロン風の店を持ちたいと開いた『キャンティ」だった。その頃のかまやつはロカビリーを歌っており、安井と顔見知りになった時にはザ・スパイダースに加入していた。

「僕が会った頃のZUZUは、新興音楽出版社(現·シンコーミュージック・エンタテイメント)というところで、歌の翻訳やっていたんですよね。その時は同じ歳だなんて知りませんでした。僕らの世代というのは女性に歳を聞くのは大変失礼なことだったし、彼女は年齢不詳でした。パスポートを見たやつがいて、意外にいってんだなんて話もありましたけど、とにかく当時には珍しくお洒落だった。ファッションはもちろん、立ち居振る舞いもすべてにおいてね。車もロータスのエランというスポーツカーに乗っていた。『キャンティ」にはこっち側にヨーロッパ的なエランに乗っているZUZUがいて、もう一方の側には女だてらにアメリカ的なジープに乗っている白洲次郎さんのお嬢さんがいた。あの時代にそういう男顔負けの生活を実践してた女の人たちがいたんです。す ごいでしょ」
「実に私にとってキャンティーは素晴らしい駆け込み寺的存在であった。キャンティーに行けばいつも楽しかったから。いつもグルメと芸術とヨーロッパがあったから、いつも仲間がいたから。(中略)私はオレンジ色のロータス・エランをぶっ飛ばして、人生は何も恐くなかったが、ふとよぎる虚しさと孤独は常に友だちだった」(『30歳で生まれ変わる本』PHP研究所刊)
ヨーロッパで長く暮らした国際人のオーナー夫妻の美意識と人脈によって造り上げられた『キャンティ』は、あの頃、日本中で最もモダンで最も洒落た社交の場であった。 三島由紀夫、黒澤明、岡本太郎、小澤征爾、イヴ・サンローラン、フランク・シナトラ、 マーロン・ブランド、シャーリー・マクレーンなど世界の煌めく才能が集い、お喋りに花を咲かせながら若者たちを優しく迎え入れた。 1990年、『キャンティ』が創業30周年に編んだ社史『キャンティの30年」では、さまざまな関係者がこの店の黄金時代のエピソードを語っている。そこには『キャンティ」に足を踏み入れた頃の安井の様子も記されていた。
「安井かずみはその頃、文化学院の学生だった。MGはじめ外車のスポーツカーを乗り回していた。昼間、帝国ホテルのテラスで友人と待ち合わせ、シルバーダラー・ケーキを食べ、銀座で買物をしたり、日比谷で映画を見たり。夜はキャンティに行くというのが、毎日のパターンだった。そして休暇には、ゴルフ、テニス、スキー、車のレーシング。一般の若者たちとはかけ離れていた」(『キャンティの30年』春日商会刊)
マスコミは六本木に遊ぶ若い男女を「六本木族」と名付け、彼らは『キャンティ』に集まった。そこには”選ばれた者"たちの時間があった。 「僕らが『キャンティ』していた頃って、ZUZUも (加賀)まりこさんも、コシノジュンコちゃんも天真爛漫だったよね。『キャンティ』には世界のセレブが集まっていたから、僕は聞き耳立てて、いろんなことを聞いていた。しかも僕らのようなガキがいると、『こっちに来て仲間に入んない?』と声かけてくれる大人がいたんです。三島さんにしても黛敏郎さんにしても、今、僕がこの歳にして十代、二十代の子を見ているような感じだったんじゃない? 若い子は何を考えてるのかなと、興味の目で見られてたんだと思う。僕らは耳から覚えたことを少しずつびくびくしながら実践していって、美意識とかいろんなことを学んでいったんです。タンタンと呼ばれていた梶子さんもすごい感覚の持ち主で、ZUZUやまりこさんを可愛がっていました」
安井は数々のエッセイで『キャンティ』と川添梶子の思い出を繰り返し綴っている。  『キャンティ』は彼女にとって「二十代の東京」であり、キャンティ・クィーン梶子には「私を形作る五十パーセント以上はタンタンからいただいたもの」と最大級の賛辞を捧げる。女たちが安井をロールモデルにしたように、安井は梶子を真似たのだ。
「二十歳ちょっとの私が、イヴ・サンローランのオートクチュールを着ることを習ったのは、まさしくタンタンからであった。/その高価な服を買って、ただ着ればよいのではなかった。/タンタンは私に、その着こなし、居ずまい、成り振りも教えてくれたのだ。(中略)その頃の私にとって、タンタンが全てのリファレンスであった。/そう、パセリのちぎり方から、日常茶飯事のように、ひょいひょいとパリに旅することなどを含めた、女の何千何万という、いちいちの事象の対処にし方......のリファレンスはタン タンであったのだ」(前出『キャンティの30年』
 
「二十代の私が、今から振り返ると、危険にさえみえるほど決断に満ち、冷や冷やするほどに多角的に行動していたのも、彼女(筆者注・,梶子)を暗黙のうちに真似ていたのかもしれない」(「安井かずみの旅の手帖』PHP研究所刊)
安井を魅了した梶子とは、いったいどういう女であったのだろう。「女性自身」の人物ノンフィクション「シリーズ人間」は今に続く名物ページだが、1968年5月20日号に「社交界・午前3時の女王 川添梶子夫人の優雅さ~島津貴子夫人からG・Sまでを演出する謎の女~」と題して、39歳の梶子が登場している。
『キャンティ」の1階には、梶子がデザイナーと経営者を兼ねるブティック『ベビードール」があった。常連客の渡辺プロダクションの渡邊美佐に依頼され、グループサウンズの舞台衣裳のデザインを手がけた梶子は「音響の世界に、はじめて、見る楽しさをプ ラスした女性」と呼ばれていたという。ここで描かれた梶子は美しくお洒落で、アーティスティック、そして自由奔放な女だ。それはまさに安井の記号と重なる。この記事には、梶子と宝塚歌劇団のトップスター上月晃との3人でザ・タイガースのライブを楽しむ安井の写真が掲載されていた。
かまやつは再び語る。
「ちょっと時代が遅れてユーミンとか、あそこにはやっぱりハイパーなやつが集まっていましたよね。好奇心がとにかく旺盛で、人の身につけているものがすごく気になって『あいつ、うまく着こなしてるなぁ』なんて語り合うのが一番の生活の楽しみだった。 オシャレな人ってオシャレな人を研究するよね、勝手に。『キャンティ』っていうのは、そういうトレーニングの場だった。今みたいに情報がない時代だから、パリやロンドンから帰国したやつの周りにみんなが集まって、そのネタで一週間はもったものね。外国に行くと、まるで新しいものを買い出しに行くみたいだった。とにかくみんな自分が1番と思っていたよね」
 

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1970年代に入ると、かまやつと安井の友情は一気に深まった。共通の友人である渡邊美佐の計らいで一緒に仕事をするようになったのだ。きっかけは、ザ・スパイダー ス解散後にソロシンガーとしてスタートした彼が、1970年にリリースした初のソロ アルバム『ムッシュー/かまやつひろしの世界』だった。当時世界的にも珍しかった 「一人多重録音」という方法で作られたこのアルバムの7番目の収録曲『二十才の頃』 は、詞を安井となかにし礼が作り、かまやつが作曲・編曲して、三人で歌っている。同時期に出た安井の唯一のヴォーカル・アルバム『ZUZU』には村井邦彦、加瀬邦彦、 沢田研二、日野皓正ら『キャンティ』人脈の人たちが曲を提供しているが、無論、かまやつもその一人だ。「この企画をした時、いっしょに話し込んで面白がっていたのは、かまやつひろし」と、安井は自著に残す。

「僕は『プール・コワ」、なぜ? っていうのを作ったの。今、考えてみるとセルジュ・ゲンスブールとジェーン・バーキンの曲のパクリだね。彼女の声はジェーン・バー キンみたいだったの。今でいうとカヒミ・カリィみたいな囁き声。フランス人に多いんですね。ZUZUが歌うことになったのは僕らの遊び心だけど、彼女は歌う時、珍しく照れくさがっていました。それくらいからよく一緒につるむようになったよね。若いグループのために一緒に曲を作ったり、ちょうど菊池武夫さんが『BIGI』を作った頃だったからみんなで一緒になんかやろうとしたり、もちろんよく遊んだ」

安井といつも一緒にいたコシノも加賀も、当然のごとくかまやつの遊び仲間であった。 夜毎、ディスコ『ムゲン』や『ビブロス』に繰り出し、『キャンティ」で酒を飲みながら語り明かす。 「ムダ話ばかりしてましたよ。 ZUZUの昔の男のアパートにどうも女が来てるらしい 『おどかしにいくからつきあえ』と言われて、僕とまりこさんが麻布十番のアパートの下で待っていて、『どうだった?』みたいな。そんなことを面白がっていたの。野良犬がつるんで遊んでいるような感覚だったので、僕から見てZUZUもジュンコちゃんもまりこさんも男の子みたいだった。ただみんな、洋服作っても作詞家としても女優としてもプロで、僕もプロのミュージシャンで、普通プロになると保守的になっていくのにそうはならなかった。仕事もそこそこできて自由奔放な人たちだった。だから面白かったんですね。あの時代、映画はトリュフォーとかヌーヴェルバーグに向かっていたし、音楽もチェット・ベイカーのジャズとか、そっちのほうがシャレていて開放的だったから」

学生運動が終焉に向かい、ヒッピー文化が生まれ、公害問題がクローズアップされる騒然とした時代。自由と解放こそが若者の特権であり、かまやつと安井のアイデンティティでもあった。二人は、ミーハー精神という点でも誰にもひけをとらなかった。かまやつは、安井と加瀬邦彦の三人で行った1973年のロンドンが忘れられない。

「ロッド・スチュワートのいたフェイセズを見に行こうってね。思いつくと、すぐ行っちゃうみたいなところが僕らにはあったんですよ。で、その行きの飛行機のファーストクラスにカトリーヌ・ドヌーヴが乗っていた。来日して帰るところだったらしいの。僕 ら、『カトリーヌ・ドヌーヴだ!』って興奮して、3人ともパスポートにサインしてもらいましたよ。プライベートだとできるだけ安く行きたいから、3人ともエコノミーだった。向こうではコンサートやレコーディングを見て喜びに浸り、サッカーの選手や王室の一族が来るような店を探して出かけるの。おお、あそこにオナシスがいる、あ、マリア・カラスだ、チャールズ皇太子だって、それが楽しくてしょうがない。欲望のありどころというか価値観のチョイスが僕とZUZUはとても似ていたんだね。たとえばV12以外のエンジンのフェラーリならミニ ・クーパーのほうがいいとか、自分の行くところにはケリーバッグは似合わないからケンゾーのバッグを持っていくとか、そういったところ」
音楽的なセンスも仕事へのスタンスも、二人はどこか似ていた。かまやつはジャンルを越えて新しい音を追い続けているミュージシャンだ。1975年に出したアルバム『あゝ我が良き友よ』は、彼と吉田拓郎との交流から生まれたものだが、当時はロックからフォークに行くなんてと批判の声も上がった。

「あの頃、 ZUZUもよく僕らと一緒にいましたよ。僕もあの人も社交家だったんで、拓郎とか(井上)陽水と交流し、それはもう縦横無尽に走り回っていた。たぶん、自分で自分が楽しいスペースを探して歩ける能力を持っていたんだと思う。彼女は小柳ルミ子さんの曲を作ったりしていたけれど、それだけでは飽き足らずに、日本でもイギリスでもアメリカでもどんどん出てくるアーティストにタッチしていたがった。それによって延命しようとかじゃなくて、ただそっちのほうが面白いからってね。要するに個人の趣味だよね。この業界って成功すれば成功するほど、自分のステータスをキープしよう として人の話を聞かなくなって古くさくなっていくのが常だけれど、僕らは体力的にも インテリジェンスでもなんかムーブメントに触っていたいというタイプだったのね」

「妙な話だけれど本当のところ、よい歌を書きたい。ほんとの歌を書きたい。人々と分かち合える歌を書きたい。日本のマーケットに合わなくても、私の好きな歌も書きたい」(『空にいちばん近い悲しみ』新書館刊)

二人で作った作品は何曲もあるがヒットには結びつかなかった。

「あの人、アイドルに書いているときは、このぐらいの数字を出さなければというプレッシャーがあったと思うけれど、僕とやった時は当たろうが当たるまいが知ったことじゃないという感じで好きにやっていた。だから案の定売れなかった。たぶん、僕はその部分の友だちかな。経済、ショービジネスを計算して生きてこなかった。いや、彼女はシビアなビジネスも心得ていただろうけれど、自分を解放するためにちゃんと上手に使 い分けができた人なんじゃない? もちろん野心もあったと思うよ。瞬間的に自分を追い越そうとするやつを阻むみたいなところはあったし。ただそれも将来を見据えたもの じゃなくて、ちょっとウザいよ的な感じ。いろいろやっていく中で自分のステータスとか価値観とかが見えてくるから、彼女も学びながら譲れないことを学習していった気がする」

かまやつは、安井が「日本レコード大賞作詞賞受賞者」の肩書を有効利用した時の笑い話を聞いている。 「レコ大なんかとっているから、ある種の場所に行くと政治力があるでしょ。ZUZU がロンドンにいる僕の友だちと付き合っていた時、ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンでローリング・ストーンズのコンサートがあって、抽選でチケットが3枚当たったんだって。で、ロンドンから2人で行ったそうなの。そこからZUZUが大活躍して、日本大使館に『ケアお願いします』と頼んだら、大使館のでっかい車がやってきた。チケットが1枚余ったから、運転手の人に『一緒に行かない?」と誘うと、彼は『わかんないけど見たい』ってついてきて、3人で見ていたら、みんなが『ピース』と言ってる時に、その坊主刈りしたがっちりした身体の運転手が立ち上がって『安保反対!』って叫ぶんだって。そういうところをつぶさに見て教えてくれるのがすごく面白かったよね」

一番身近な男友だちは、彼女の恋も一つ一つ見てきた。

「恋人が替わるのがあまりにも早くてね、その度に僕にも友だちが増えるという感じ。 恋愛の数は僕より断然多かった。ZUZUは自分が翻弄できる男、つまり未知数の男が好きなんだよ。脂ぎっているような男は嫌いだったんじゃない?『全部私が面倒を見てあげるから言うことを聞きなさい』って感じかな。でも、彼女は赤ちゃんぽくて、セックスしているんだかしていないんだかわからなかった。通常の女性よりも翔んでいる? なんか浮遊感がありました。あの時代にはマドンナみたいなフィジカルな女は絶対いなくて、ツイッギーみたいなのがイイ女だったわけ。小枝ちゃんだから、フィジカルにダメなところは『ちょっと助けて』と男言えるじゃない。今は女が元気よすぎて少しつまんないけど、あの時代はやっぱり男性上位だったから、ちょうどバランスがよかったんだね。でも、あんなにいっぱい詞を書いていて、よく恋愛する余裕があったと思うよ」

その頃の安井は、自身が第二次量産期と呼ぶように夥しい数の作品を書いていた。時には1日に10曲も書くことさえあったが、彼女はその苦労も苦悩も決して人には見せなかった。そんな当時のヒット曲のひとつが、平尾昌晃とのコンビで作った『草原の輝 き』だ。ヒットチャート1位の座はチューリップの『心の旅』に譲ったものの、この曲は40万枚を売り上げ、小柳ルミ子、南沙織、天地真理の三人娘を追随していたアイドル、アグネス・チャンの代表曲となった。

1977年、38歳の安井は、1年半の同棲生活を経て30歳の加藤和彦と結婚した。加藤は、かまやつの古くからのミュージシャン仲間であった。

「彼のことはサディスティック?・ミカ・バンドの頃から知っている。音楽でも生活でも新しさを追求したやつです。この間も、フォークの人と話していたんだけど、トノバンってやっぱりすごいよな、という話になったね。とにかくZUZUとトノバンの二人はいろんな価値観が合ったんじゃない? すごく似合っていた。ZUZUはトノパンと結婚してから我々が出入りするようなところにあまり来なくなったね。あの2人には2人の世界があって幸せだったんだよ」
そう言ってにっこり笑ったかまやつは、安井が最も輝いていた時代は1970年代だと再び回想した。
「あの時代、ウザいくらいエネルギーのあるやつが入れ代わり立ち代わり現れてきた中で、小動物のように飛び回っていたね。僕は、ZUZUのこと、サンジェルマン・デ・プレをちょっと切り抜いて持ってきたみたいな感じの人だと思ってずっと見ていました。
70年代はフランス文化の時代だったけれど、ロンドンにもパリにもモードに対抗して、 ヒッピーみたいなファッションがあった。いつもカルチャーとサブカルチャーの両方があって、 彼女も僕もそのどっちにものっかっていたかった。もうあんな人は出てこないと思う。特殊な時代と特殊な文化と特殊な価値観の中で生きてきた人だもの。早くに亡 くなったのは残念だけれど、ちょうどよかったんじゃないかな。こんな疲弊していく日本を見たくもなかっただろうから」
安井とかまやつとコシノジュンコをはじめとするアーティスト仲間がギンギラに着飾った姿で写る写真が残されている。いかにトガっているか、いかに個性的であるか、いかに自由であるか----それは、日本が前だけを向いていた時代の、ポップカルチャーの雄たちの艶姿。今も圧倒的にカッコいい。

- 安井かずみがいた時代 -

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そして安井かずみ。1994年3月17日、肺ガンで死亡。「亡くなる2週間くらい前でした。1階のカフェに安井さんがいて、非常におとなしく座っていました。その前にも2度も加藤和彦さんとふたりでいらっしゃって食事をされたりして。でもその時はひとりでした。何か寂しそうでねぇ。声をかけようと思ったら、安井さん、にこっとして『石井さん、元気?』って。ええ、そうです。 『元気?』って聞かれて」

安井かずみの思い出を語るウェイターの石井勇は来年、定年退職する。自由な時間ができた彼は退職金をはたいて、生まれて初めての外国旅行に出かける。

- キャンティ物語 -

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