襟裳岬 ・ 音楽プロデューサー 髙橋 隆
FM おだわら 2月19日 24:00 - 25:00 午前0時の歌謡祭
パーソナリティ : 濱口英樹
ゲスト : 音楽プロデューサー 髙橋 隆(元ソルティー・シュガーのメンバー、当時高橋卓士)氏
濱口 : 森進一さんの襟裳岬。森さんも当時すでに演歌の大スターで
高橋 : 大御所ですね
濱口 : ですよねぇ。20代前半の、こう言ってはなんですが駆け出しのディレクターが担当するようにはなかなかなりそうにないんですが、なんかこれも企画かなんかなんですか
髙橋 : ちょうど当時、何周年だったかちょっと記憶定かじゃないんですが、ビクターの何周年かでディレクターみんなが、「自分の担当以外のアーティストの企画を出しなさい」と。所謂企画のコンペ、「自分の担当以外を出しなさい」ということで、私は真っ先に森 進一と青江三奈両方の企画を書いて、出しまして。本人のOK取ってないんですが、岡本おさみさんは吉田拓郎さんと組んで、もうすでに売れてましたから。あのう岡本さんは僕、知ってましたんで、作詞岡本おさみ、作曲吉田拓郎ってもう思いつきで書いて、企画書出した。フォークと演歌の融合、みたいなだけなんですけどね。それで、そしたらまぁ通っちゃって、「やれ」という事になって。それからまぁちょっと、困ったなぁ、どうしようかなぁ、と思ったんですけど。まぁ、あの、お二方とも快く受けてくれて。うんあの、それからトントン拍子でうまくいったんですけど。この時はですね、ビクターもやっぱりまぁ、渡辺プロも渡辺晋さんという大社長が居ましてね。ビクターもその時は天皇と呼ばれる社長が居て、両方の意見が合わなくて。森さんと渡辺プロは「襟裳岬」なんですけど、ビクターの社長は、もう片方のカップリングと言うか、本来そっちがA面なんですが、「世捨人唄」をA面だ、と。折り合わなくて、「じゃ、しょうがない」って事で両A面という形にして。実際にはアナログ盤ですからA面、B面あるわけで、「襟裳岬」はB面なんですね。それで最初が、「世捨人唄を歌番組でひと通り歌わせる。その代わり、一通り歌ったあとは、今度は襟裳岬に切り替えるよ」という渡辺プロからの提案があって。それでまぁ、両者の顔を立てたんです。ですから最初、発売してしばらくは「世捨人唄」を森進一はずっと歌ってたんです。それでしばらくして、「じゃあそろそろいいだろう」ということで「襟裳岬」に切り替えたんです。だからこれもね、すぐにはそんな売れなかったです。結構時間かかって、じわじわじわじわと売れてったって感じですかね。
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