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2009/12/30

旅に唄あり 岡本おさみ / 襟裳岬

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襟 裳 岬

四十九年、日本歌謡大賞の生放送で、きらびやかな服装にまじり、ジーパンで乱れ髪の男が作詞者と呼ばれ紹介されたのを記憶している方があるかもしれない。ほんの一瞬テレビにぼくが映った。

これには裏話がある。

十一月になってまもなく一通の封筒が届いた。正確な文面は覚えていないが、「あなたの『襟裳岬』が歌謡大賞にノミネートされたので当日武道館においで下さい」といった内容だった。さらっと読むとごく事務的な文だけれど、あることに気づくと失礼な招待状に思えてきた。まだ賞が決定した訳じゃない。それなのに客席に居て、発表を待てという内容である。そういうことにも耐えるのが職業とするものへの宿命なのかもしれない。しかしテレビに限らずラジオでもコンテストと名のつくものは”感動”がお好きなようで、放送の仕事にたずさわり、 その種のことをやってきたぼくには、ああまたやってるな、と腹だたしく思える。

眼のまえに肉をぶらさげ、犬を並べる。しかし肉は1匹にしか与えられない。 「こんな招待状は気にいらないね。」 一読して破き、クズ箱にぽいと捨てた。それを見て奥さんは、 「破らなくてもいいのに」と言った。 それで発表日がいつなのかも忘れていたけれど、なぜか奥さんは覚えていた。

「今日は発表日よ。テレビで生中継するわ」 朝刊を差し出した。 なんだか気になりだした。 朝、電話が鳴った。歌謡大賞事務局と名のる女性からで、 「今日は御出席になれますか」 「いえ、欠席します」 「そうですか」女性は事務的に答えて、あっさり電話を切った。 昼過ぎ、ぼくは旅のフィルムと現像タンクを紙袋に入れて、友人でカメラをいじっている奥村くんの暗室にでかけていった。 暗室で現像タンクをいじりながら雑談していると扉の向うで電話がきてると、声がした。電話の主はテレビ局を名乗った。偉い人らしい。「『襟裳岬』も最終候補に残ったのでぜひおいで下さい」偉い人は伝えてくれた。「ええ。 でも今、仕事してますから」短いやりとりをして暗室に戻り煙草をふかしてると、また電話がきた。電話の主は森進一さんのディレクターで「冬の旅」「さらば友よ」などをてがけたH氏。二度ほど顔を合わせたことがある。 「森くんと昨夜会って話したんですがね。拓郎さんは沖縄でコンサート中だし、もし授賞ってことになれば、森くんの肉親は弟さんと妹さんでしょう。作詞作曲者もいないと淋しいものになるなあ。いえ、森くんとはもし授賞になれば岡本さんは来てくれるかな、と話してたんですよ」 「森さんのため、にはでかけたいです。しかし賞ってものは決定してから喜んでみたりするわけでしょう。まだ 決ってもいないのに、のこのこでかけるのは、もの欲し そうでいやあな気がするんです」 「わかります。しかしもし授賞ってことになれば、千葉からでは生放送にまにあいません」H氏の説得はさすがディレクターだけあって巧みだった。

「仕事中なんですか」
「ええ、急いでるんです」嘘をついてしまった。こんな風な嘘を過去にもついたことがあるような気がする。いくどかあるはずだが記憶が薄れている。ぼくに巣食っているやっかいな自意識がそうさせるのだけれど、いつまでたってもなおらない気がする。 また暗室に戻ってタンクをいじっていると、今度は奥さんから電話がきた。妙に慌てた様子だ。

「電話きたでしょう」

「うん」

「早く連絡しようと思ってダイヤル廻すんだけど話し中なの」

「ふたつ電話があったよ」

「そう……もう来たの……困ったわ」

「なぜ?」

「それがね。御主人は武道館にむかわれましたかって言われるから、いえ、近くの友達のところに行ってますって言ったのよ」

「その通りだからいいじゃない」

「そこまではいいんだけれど、御主人はお仕事で行かれましたか、って言われたから、遊びに行ってます、って言っちゃったの」

武道錧ではディレクターのH氏がむかえてくれた。八時をまわっていたからTVは本番にはいっていた。席に案内された。拓郎の代理である顔なじみの陣山くんが隣りに居た。やあ、と挨拶して座りこんでいたけれど、落ちつかない。歌謡曲のコンサートに初めてきたのだけれど、今までなじんできたコンサートと雰囲気がちがう。次々歌われるものも退屈きわまりないし、なぜこんなに空虚であるか考えてみることにした。まず服装。ぼくらのコンサートといえば客席もスタッフも楽屋も、長い髪とジーパン。つまり普段着が溢れていた。着飾りすぎて、席には歌を作るより歌を商売とする背広姿が並んでいた。ぼくらもうたをはじめた初心に較べれば汚れて、うたで食べていたけれど、それでもなにかが決定的にちがうのである。それは何なんだろう。

授賞です。決まりました。通知があって、陣山くんとぼくは袖に待機することになった。袖にいると司会者である高島忠夫さんが近づいて、岡本さんですか、と言った。はい、と言うと、「『襟裳岬』は好きでした。よかったですね」と丁寧に言われた。 やさしい人なんだな、と思ったけれど,高島さんの服装があまりきらびやかで拒否したい気持があったから、そのときどう答えたのか覚えていない。今度会ったときは気楽に、お茶でも飲みたいものだ。

授賞があって、そのショーは終った。森進一さんは嬉しそうで来てよかったと思った。陣山くんは用があるらしく帰ってしまい、ぼくは東京で飲むことも考えたけれど、ひとりで飲むのも何やら淋しいし、家に帰ることに した。武道舘のまわりは人の群れでいっぱいだった。ぼくはトロフィーと賞状を持ってその人の群れにまじり帰っていった。人の群れにまじると、何だかほっとした。夜風が気持よかった。お客さんたちは誰ひとりぼくに気づくものはなかった。ぼくは客のひとりになった。

東京駅から津田沼へゆく電車にのりこんで、酔っ払いや、夕刊を読む人たちにもまれながら、北の岬のことをおもった。

カスペ型の道南端

の断崖。

更に飛火模様に。

ごつい岩丈な厳巌がつづき。

ぐるりは泡波のあぶく。

草野心平の詩の一節である。襟裳岬は激しくうねり流動する岬だという印象を長い間持ち続けていた。しかしそれは詩人の心の躍動で、パスを下りて見まわした襟裳の印象はひどく淋しいものだった。老いた詩人は何歳でこの詩を書いたのだろう。青年のように骨太いことば。三十歳を少しまわったばかりのぼくはその精神のある場所のちがいにとまどった。土がむきだしになった道をのぼると左に白いホテルがあった。赤茶色と灰色にくすんだ風景の中でそのホテルだけが白くうきだし、まわりの暮しの色に溶けこまない。日暮れて冷たい風が吹きおろ してくる。ゆっくり歩いていくとペンキで花の名前を書いた民宿があった。それは素朴な日本の花の名で、おさなくてらいのない名の付け方がなぜか気にいったのだった。ガラス戸をあけると、それはあたりまえの暮しの始まる家の匂いがあった。普段着のおばさんが現われ、二階に案内された。ベニヤ板で区切った部屋が四つあった。 三畳ほどの小さな部屋である。どうやら二階に建て増して、いくつかの部屋を区切って境界線を設けた程度のものらしい。部屋には先客の男が二人居た。つめこまれたな、と思ったけれど、そんな殺風景な部屋にほおりこま れるのは、よくあることなので、別に気にならない。わけのわからない憂鬱に神経をやられて北を流れて、わけ もなく草野心平の詩を覚えていた、という理由だけで、襟裳岬に足が向いたのだから、そこに人がいようがいまいが、別に話したくない。ただ黙っていればよかったのだ。

おばさんが紙っ切れ1枚とボール・ペンを持って現れ差出した。「これに住所と名前を書いて下さいな」 小さな紙だった。これはひと部屋分の名前をしるす紙なのか、それとも小さな字で書いて隣室などとの連名をするのか。と少し考えた。部屋はみな満ぱいだから泊まり客は十人以上になる。とりあえず小さな字で書いておく と、おばさんがとりにきた。耳をすましていると隣室をノックする音がする。連名だったらしい。小さな字でしるしておいてよかった。

夕方になっておじさんが現われ、ふとんを敷きます、と言う。おねがいします、と応えて待っていると、おじさんは少しはなれた押入れから廊下づたいにふとんを運んでくる。その時初めて判ったのだが、おじさんは片腕 だった。片手でふとんを持ち、片腕の脇にふとんをはさんで、廊下をひきずりながら運んでくる。こちらは遊びのような旅できてるわけだから、こういうのには弱い。

日々の暮しはいやでも

という一行にはその時の印象が残っていて、自分がたどってきたことや、いろんな含みがあるけれど、その一行を思うと、片腕のないおじさんの姿がみえてくる。 なぜ片腕を失くしたのか知らない。漁師だったが片腕を失くし陸にあがらざるを得なくなって、民宿をはじめたのかもしれない。本当のことは知らない、が知らなくていいと思う。

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「襟裳岬」のことばの原型は以前に書いた「焚火」と言うことばをもちだしたものだった。

北の街ではもう

悲しみを暖炉で

燃やしはじめてるらしい

理由のわからないことで

悩んでいるうちに

老いぼれてしまうから

黙りとおした歳月を

ひろいあつめて

暖めあおう

君は二杯目だね

コーヒー·カップに

角砂糖ひとつ

捨ててきてしまった

わずらわしさを

くるくるかきまわして

通りすぎた夏の匂い

想い出して

恥かしいね

いつもテレビは、ね!

あまりにも他愛なくて

かえっておかしいね

いじけることだけが

生きることだと

飼いならしすぎたので

身構えなければ なにも

できないなんて

臆病だね

寒い友だちが来たよ

えんりょはいらないから

暖まってゆきなよ

「焚火!」

わずらわしさを

ひとまとめにくるんで

さあ急いでかきあつめなくちゃあ

人間くささって奴をかきあつめて

ひょいと裏返しにして炎にすてる

ふふしめしめこれでよい!

ふたりでほほえんで

手をあたためなくては

「焚火Ⅱ」

Tという男が電話をくれた。彼は「走れコータロー」という唄で一時期にぎやかだった、ソルティ・シュガー というグループの残党である。懐かしいが突然連絡があったのはそれなりの理由があった。現在はビクター・レコードに就職してディレクター稼業をやってると近況を述べ、ついては今度、森進一さんの曲を担当することになった、と言った。新人のディレクターに歌手ひとりひとりを担当させる、腕試しらしい。ぼくらはいくつかの約束事をした。歌詞についてはそちらの注文を一切出さないこと。いわゆる森進一らしい歌詞は書くつもりのな いこと。曲がついて編曲まえの原型ができるまでは、こちらの勝手な作業にさせてもらうこと。その代り、でき あがった作品は、気に入ればレコードにし、気に入らなければ没にして作業は打ち切る。

「思い切ったことをやってみたいんです」Tは言って、こちらも本気になった。

吉田拓郎から電話があって曲がついたけれど、いくつかことばを考えたい、と言った。曲との関係で、「二杯 目だね」が「二杯目だよね」「角砂糖ひとつ」が「ひとつだったね」「わずらわしさを」が「わずらわしさだけを」 にその場でらくに改められた。その方がメロディに素直に溶けこむ。

思い出して恥ずかしいね、がなんだかメロディをつけてみるとひっかかるんだが、と彼は言うのだった。過去 の傷を思い出にするようなうしろめたさがあったけれど、この部分も、懐かしいね、と改めた。「『いつもテレビは、ね! 』のとこだけど、 つまんなくないかい。ちっちゃいよ、こういうのは」と拓郎が言った。 「ちっちゃいよ」という言葉でやられた、という気がした。そう言われれば、テレビが他愛ないなんてどう でもいいことじゃないか。

「それに森進一さんがうたうとなると変だぜ」と拓郎が言った。そりゃそうだなと笑ってしまった。どうしよう か、ということになって、片腕のなかった、おじさんの姿が浮かんできた。日々の暮しはいやでも、の一行は電話で話しながら出てきた。「襟裳岬」に関しては、だから共同作業だったという気持ちが強い。ぼくはぼくなり!に勝手にことばを吐いた。拓郎はそれに拓郎の文体で曲をつけた。森進一さんは森進一にひっぱって歌っている。 それが気持がいい。これは三人の共同作品である。

「襟裳岬」が巷に流れたころ、顔を合わせたこともない評論家の人たちや、いろんな人が、このちっぽけな唄のことを書いてくれておもしろかった。「襟裳の春は何もない春です」の一行にからんで「襟裳は昆布だってあるし魚も豊かである」と写真つきで書く記事もあった。ジョークであるものもあったが、まじめなものもあって笑ってしまった。北へ行って放送局勤務のMさんと会うとと会うと「襟裳に住む男から酔って長電話があってねえ。『襟裳に何もないとは何事だ。そんなことを言うから若いもんが街にでていってしまうんだ』ってからむんです。とっても気持のいい酔っぱらいなんですけどねえ」その時のことを思い出して話してくれた。

「それでどう答えましたか」

「作詞してる男を知ってるから今度会ったら、日本の将来のためにも、よく説教しときます」

「迷惑かけましたねえ」

たかが歌なのだが、かんちがいされている方のために自注すると、,「襟裳の春は何もない春です」は「日々の暮 しはいやでも」とつながっていて、また春がやってくるけれど、年が変って過ぎゆくけれど、その先は何も変らないし、暮しなんて同じ繰り返しさ、という気持を述べたものだった。

和田誠さんの「日曜日は歌謡曲」という本を読むと「進一版はたいそう新鮮であるかわりに何のことやら訳がわからない。ま、森進一版『襟裳岬』はこの訳のわからないところが受けたのだろうとぼくは思うのですけれども」とあって、「いったい誰が」「悩んで」「老いぼれて」「身構えながら話して」「臆病」なのかなぁ。とあるのです。

しかし、このことばは、とてもわかりやすい歌詞だと思っている。「悩んで」「老いぼれて」「身構えながら話し」 「臆病」なのは、うたを吐いた本人以外ないじゃないですか。だって作詞した者が吐いたことばだもの。思うにうたってのは歌手に合わせて作るものだという古い考えがどこかにあって、そういう風に考えたりすると、このことばは、なるほどやっかいに思われるのかも知れない。だけれども、ぼくは自分の自分の気持ちを書くのに精一杯で、歌手に合わせて書くほどの余裕がない。和田誠さんにはお会いしたことはないけれど、イラストも文もとても素敵で、愛読しているひとりであります。その和田誠さんにさえ、誤解された。だとすると、まるっきり訳の わからない人がまだまだ沢山いるんだなァ、と思え、お先真っ闇になる。歌のことばはやさしいほどいい、とい うのが、ぼくが心がけている第一のことで、活字の詩とうたの詩の境があるとしたら、そのことだろう。

「襟裳岬」は自分のたどってきた暮しの気持を書いたけれど、森進一さんは自分のことのように思ったらしい ぼくのことばが、森進一さんの心境を代弁するような結果になったとしたら、それはうたの作業として最も嬉 しい。

うた作りの過程は、そんな風にされるのが好きだ。ことばを書くものは、その時々の心境をノートにメモし、述べる。作曲者はそのノートから、まるで店先で立ち読みした人物のように気にいったことばに曲をつける。歌手は又、そのうたで、気にいったものだけをうたえばよい。 みんながそんな作業に入ったら、すてきだ。

 

 

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