77年大いなる人・拓郎×岡本おさみ対談⑦ 「オレがやらねば誰がやる」 といつも俺は思っている
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【 歌謡大賞のこと フォーライフの新人のこと 】
拓郎 ところで話は変わるけれどさ、さる高名な役者が、あの『襟裳岬』は『マイ·ウエイ』 よりいい。日本には『マイ·ウェイ』のような歌がなかったけれど、『襟裳岬』はそれをはるかに凌ぐ傑作だって言ってるのを聞いたんだよ。非常にあの時はうれしかったね。 でも、岡本ちゃんの詩って批判されたことってあまりないでしょ…。
岡本 うん,そうかもしれないけど、『襟裳岬』 というとね、こういうことがあった。イラストレーターの和田誠さんの本に「日曜日は歌謡曲」っていうすごく面白い本があるのよ。 その本を読んでいたら『襟裳岬』という歌は二つあるが、島倉千代子さんのものは古いパターンの歌謡曲である。その点森進一の方は 大変新鮮であるかわりに、詩がなんのことかわからない。一体誰が”悩んで“誰が”老い ぽれた“のかわからないって書いてあったわけ。そりゃ、その歌の言葉を吐いた作詞家の僕に決まってるじゃないかってね、今度出した『旅に唄あり』って本にチクリと書いたんだけど…。
吉田 ここに呼んで来い、岡本おさみにかわって俺が教えてやる(笑)"それから『襟裳岬』 というと、岡本ちゃん、歌謡大賞のときテレビに出たじゃない。あれどうして出たんだ っけ?
岡本 あの時の事情とか理由は、『旅に唄あり』 に書いてあるじゃない。おまえ、本読んでく れてないな(笑)。
拓郎 いや、読んだよ。で、本音かね?
岡本 本音だよ。
拓郎 もう一回行かない?賞とってさ。
岡本 なんかもうレコード大賞とか、歌謡大賞ってのはおもしろくないよ。
拓郎 いや、おもしろいって。つまりさ、一 回じゃおもしろくないけど、二回とってもういらないよっていうのはいい。二回も俺たちに賞をくれやがって、バカじゃないと言ってやめるのが一番いいね(笑)" 一回はまぐれってこともあるけど、二回となると評価とか賞としての信憑性もずっと出てくると思うよ。
岡本 じゃぁ、もらうか(笑)それはそうと、 拓郎が今すごく好きな流行歌の歌手っている。
拓郎 歌い手ではいないな。俺はさ、いま棟方志功さんって言われるくらい裏方志向だか らね。だから発想が非常に裏方的になってい るわけよ。「この歌い手はいいなあ、手がけてみたいなあ」とはならなくて、「この人、ダメになったなあ」と思うと、その歌い手をなんとかしてあげたいなあって気になるのね、良く言うと。悪く言うと、そいつでひと山あてようっていう…(笑)。
岡本 フォーライフには、新人でいい歌い手はいないみたいだね?
拓郎 いるじゃない。小出正則とか小林倫博、それに原田真二。いや、この秋の新人三人はいずれも素晴らしいよ。
岡本 小出君だけはステージも見たけど、それほどでもなかったよ。
拓郎 それはね、岡本ちゃん、今のこの世界の情況だけを基準にして考えちゃいかんのよ。 俺だって最初はひどかったし、関西フォーク の雄、岡林信康とかいってたけどさ、俺も彼もギターもあまりうまくなかったし、音程は悪いし、歌もヘタだったしね。それに比べれば最近の連中は平均してギターも歌もうまい。 ただ何が足りないかといったら、やっぱり説得力とかバイタリティ-が足りない。その辺がおしなべてドングリの背比べなのは確かだけど、個性はわりとあるよ。その個性を説得力になかなか結びつけられないだけでね。
岡本 僕はね、音楽性とかいう以前に、ステ ージに出ただけでさ、例えば立ち姿がいいと か、なにかこう、どこから出てきたヤツだろ うとハッとさせられるような歌い手に、そろそろまた出会いたい。
拓郎 そりゃあ、もうあなたが歌うしかない。 オレ、岡本おさみのLPだったら出すよ。売れなくても、それくらいの器量はあるよ。
岡本 じゃあ1年がかりでやるか。でも、そうすると他の詩が書けなくなっちゃう…。
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【 吉田拓郎の闘争と挑戦だった 『今はまだ人生を語らず』 】
拓郎 それはともかく、俺たちには少くとも感情的なトラブルは何ひとつなかったもんね。 あの野郎、許せないとかいったさ。もちろん、 さっき言ったように岡本ちゃんとは今は仕事やりたくないよとか、今の岡本おさみの詩は俺は買えないよとか、そういうことはあったけどね。
岡本 そういうのは、トラブルでも何でもな いからね。例えば拓郎のその時その時の環境 とか心境とかが変わったり、僕と違ってしまったら、僕の詩を全部放棄されたとしても、 それはそれで仕方ないし、かまわないってこ となんですよ。もともと僕らは、そういう約束事というか前提のもとに仕事を始めていた し、そういうめぐり逢いをしていたのだから。 例えば最近一緒に作った『もうすぐ帰るよ』 にしても、もう3年くらい前に書いたものだ し。
拓郎 まあ思い起こすにさ、岡本ちゃんとは 面白いめぐり逢いだったと思うよ。あの番組の30秒間のCMタイムにね、すべての発端があったような気がする。あの頃二人とも新婚だったし共通の話題もあって「オレ、こう思 うだけど、どう思う」なんて話もしていたん だと思う。その間で十分意志の疎通もできて いたんじゃないかな。だから、例えばr話してはいけない』なんて詩も、そういうところから生まれて俺もすごく納得したんじゃないかな。俺もああいう詩が書きたかった。だ けど、あの頃の俺はメロディ作りとステージの仕事に翻弄させられていて、詩を書けないでいるうちに、書きたいと思っていたテーマをみんな岡本ちゃんが先に書いてきてしまう。 そんな感じだったもん。書きたかったものは全部同じ。それをとりあえず岡本おさみがすべて先にやるわけよ。だからあの頃いつも俺は不愉快だった(笑)。だからまたね、俺としては自分で作った詩のような錯覚にもおちいれたし、『旅の宿』にしても『ライブ'73』に収録されている歌にしても、詩も俺が書いたも のと思っているやつがまだいっぱいいるわけ。 で、ある時期その辺のくやしさというか、いつも先を越されるみたいなところから脱皮するためには:岡本ばなれをしなくちゃいけ ないって真剣に考えはじめたわけ。『今はまだ人生を語らず』を作ろうとした時は、俺も本当にそろそろ自分で詩を書かなきゃいかん、 そうでないと、いつまでたっても岡本おさみにしてやられる(笑)って思った。そろそろ書 かないと印税は持っていかれるし(笑)。
岡本 オレ、拓郎との歌作りがなかったら、 暮らせなかったよ(笑)。
拓郎 こちらとしてはとりあえず岡本ちゃんの力を借りないで『--人生を語らず』は作ろうと思ったわけ。何とか岡本ばなれをしようと...。岡本おさみに影響されたとかいうん じゃなく、先に詩を持ってこられる作業をね 一度断ち切りたかった。それが一番つらいこ とだったし…。
岡本 まあ、影響ってのはないだろうけど、 その辺は拓郎の闘争心だから、すごくいいこ とだったんじゃないかなあ~。
拓郎 そう、負けてなるものかってわけだ。 それで,ある時期になると「そろそろ次のLP作ろうか」って話がレコード会社からくるわけ。で、じゃあやるかということになると,今度は自分で詩を書くか、それとも岡本おさみに頼むかってことを必ずディレクター がきいてくるわけよ。俺は「自分で書くよ」 って一応いつも言ってたんだけど、書こうと身構えて考えてみると、でも、このテーマは岡本ちゃんが既に書いているしな、なんて問題にぶちあたる。表現の仕方は違っても、テ ーマというかルーツが同じだというものを先へ先へと書かれてしまっている。そうするともうダメ、書けなくなっちゃう。そういうこ とが『元気です』『伽草子」「ライブ'73』とず っと続いてきたともいえるね。いつも俺の書きたかったテーマを半歩先きに書かれてしまっていたという感じだ。
岡本 その闘争心ということで言えばね、こ っちは字数のことなんか考えないで書いて それを拓郎がどんどん曲にしちゃったみたいなところがあったでしょう。つまり、そうするとぼくの言葉が拓郎のメロディの中にポコ ッと呑み込まれちゃったみたいになってね、 その辺がとにかく面白かったのだけど、逆にそれが僕の言葉の中での闘争心にもなってい ったわけですよ。じゃあ、どんな言葉を書いたら拓郎がうまく呑み込めるかとか、彼の考 えや趣味嗜好が読めたとかいうのじゃなくて、 恐らく拓郎がさっきから何度か言ってるように、LFで毎週会っていたから、その時チラッチラッと話していた言葉のはしばしから、何かをつかみとっていたんだと思う。
拓郎 本当にそう思うよ、俺も…
岡本 それからね、例えば『祭りのあと』という歌に関して言えばね。僕はちょうどその頃 オフクロを亡くし、彼はオヤジを亡くして, お互いに「つらいな」ってまいっていた時にね、生まれた歌だったんですよ。でも、それがそのまま"悲しいね"というような言葉の歌になったら、多分彼としては曲にしてなか ったと思うんだ。そういう拓郎自身の心情は、 ちゃんと自分で「オヤジの唄』という詩に書 いているし。それが僕の言葉で『祭りのあと』 みたいに、ちょっと違った方向にもっていか れたでしょう。だから「オヤジの唄』はやは り歌っていて、彼も滅入っちゃうこともあっ たろうけど、『祭りのあと』なら、音楽としてものすごく快感を覚えながら、歌えたんじゃ ないかって気がするな。
拓郎 そういう感じで、きっと岡本おさみに俺は読まれていたんだろうね…。で、話はま た戻るけど、『伽草子』というLPもほとんど岡本おさみかあるいは他人の詩なんだけど、 あの中に一つだけ『新しい明日』という、俺の書いたものがあるのね、それであのLPを 聞いた人がみんな言うんだよ。『新しい明日』 の詩だけぐっとレベルが落ちるなって…。こ れがものすごく苦痛だったね。
岡本 そりゃ、腹も立つよな。
拓郎 でも、しょうがないんだよ、大多数のヤツがそう言うのだから。それだけ俺は負けてるんだなと納得するしかなかった。で俺は、LPの中に一つか二つ自分の詩を入れても、やっぱり負けるだろうなと思ってさ。『ライブ '73」の時はもう「書かないぞ」って言ってね、 全部まかせてしまった(笑)。それで次の『今はまだ人生を語らず』では、岡本ちゃんの『襟裳岬』と『世捨人唄』の2曲以外はすべて自分で詩を書いたわけ。そうやって作ってみて、 やっと俺は岡本おさみに勝ったとか、負けたというのじゃなく、違う方向にむかっているなって気がしたんだよ。
岡本 僕もそう思った。あのLPみたいな感 じの詩は、僕にはちょっと書けないなって感 じたもんね。
拓郎 『三軒目の店ごと』っていう歌はどう思った?
岡本 あれは、いいねぇ~。
拓郎 実は岡本おさみには、あんな詩は書けないだろうという自負とてらいがあった(笑)。
岡本 あれはもう酒飲みとさ、酒を飲めない男のさ、どうしようもない違いだよ。でも、あれはとにかくいい。
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【 言葉とメロディの真剣勝負 二人の頂点『ライブ'73』 】
拓郎 ところで、二人でいろんな曲を作ったけど『ライブ'73』(拓郎のライブアルバム)が 最大の勝利だったと思うね。メロディも詩も対等で、五分五分の勝負をしているし、とにかくあれはすべての面ですごいLPだったと思うよ。 特に『落陽』なんて最高、俺は今でも何度きいても酔いしれるね。
岡本 あれは本当に短期間で作ったよね。ものの1か月かそこいらだった。
拓郎 詩がパーッとできて、それにワーッとメロディつけてさ。そうやってものの一か月で作った曲ばかりなんだけど、俺はあのLP の中の曲ってすべて気に入っているね。ちょっとまずかったなと思うのは『望みを捨てろ』 という曲ぐらいだ。
岡本 その辺はまったく同感だね。
拓郎 それから『晩餐』なんて詩は、最初歌になるかかどうか心配だった。テーマは気に入 ったんだけど「岡山で戦車が......」なんていう詩のところは、一体メロディになるだろうかって思った(笑)。岡本ちゃんの詩だと、あの頃は何でもメロディにできたって感じ。あの時はそれに乗っていたしね…。 で、昨日俺はたまたま小林倫博(フォーライ フの新人)と一日一緒にいたのね。彼が詩を、 俺がそれに曲をつけていま太田裕美のLPを作ってるわけ。で彼の詩の中に”ニュース" という言葉があった。「小林、悪いけどこのニュースって言葉はメロディに乗らないよ。ニュースって言葉自体がもうメロディじゃないんだよ。そこ変えてくれないか」なんて言ったんだけど、考えてみると、俺は平気でニュ ースなんて言葉にもメロディをつけて歌っていたんだよね。それから”積極的“という言葉もあったわけ。今の俺にはその言葉もメロディにならないと思った。まあ、俺が歌うのならともかく、太田裕美の歌でしょ。「積極的、 積極的、積極的」って三つにするんだったら、 彼女にも歌えると思うんだけど、一つだけだったらフレーズとして、裕美にはちょっとキ ツイんじゃないかって気がして「変えてよ」 って要求したんだよ。だけど俺だったら歌っちゃっていたもんね。自分ではそういう言葉を書かなかったろうけど、やっぱり岡本ちゃんの持って来た詩なら、歌っちゃったという 時期が確かにあったよ。 で、話は戻るけど『ひらひら』なんて歌も最高の傑作だと思うし、『野の仏』もすさまじ い曲だしさ、あのLPはすごいよ。とにかくあのLPの頃の岡本ちゃんの詩は、すさまじ くいいよ。メロディともピタッと合っていると思うし、俺としても最大の自信作のひとつ だね。だから、あの辺の作品をとやかくケチ つけるやつがいたら、ブッ殺してやるみたいなところさえある(笑)。
岡本 でも、その少し前あたりの弾き語りの曲、『祭りのあと』とか『制服』なんかも僕は好きだし、いいと思うなあ~。
それから、あの頃僕が一番面白かったのは、 拓郎のステージを聞きに行って、自分の歌が初めて聞けるってこと。それが最大の楽しみ だった。例えば僕の書いた詩に、拓郎が目の前で曲をつけていったり、逆に彼のメロディ があって、僕がその前で歌詞をはめていく言葉をいじくりまわす…なんて作業をやっていたら、お互いにつまらないことになっていたと思うンだな。人間だから互いに「ああして くれ、こう変えてくれ」っていうつまらぬ話 になってトラブルも起こったろうけどね。 でも、そういうことを全部飛び越えちゃって、 とにかく歌として完成したものを初めてきく、というのはものすごく快適なことでしたよ。 ほら『七人の侍』という映画があったでしょ。 なんかよくわからないのが七人集まるんだけど、要するに野武士の盗賊を倒すという目的が同じでね。そういうことだと思うんで すよ。我々もお互いに勝手に作業を進めるけど、目的は同じだった、というような…
拓郎 うん、結局ね、岡本ちゃんといい雰囲気で仕事ができるようになったキッカケというか、結びつきは、恐らくLFのあの番組にあったと思うね。番組の合い間のCMを流している間の短い時間に、何か非常に凝縮された話をしていたんだと思うだよ。「岡本ちゃん この頃おもしろくないんだよ」とか、その辺 の一言ふた言の会話が非常に大きかったんじ ゃないかな。どんな話をしていたのかは、もうまったく記憶にないんだけれど、そうでなかったら、「岡本おさみの詩じゃなけりゃ、やんねえよ」なんて話にはならなかったと思うんだけどね。
岡本 確かに、あの番組の時以外に二人で会って、人生について語り合うなんてことはま るでなかったから、他人から見ると不思議な結びつきだったかもしれないね。
【 商品としての歌でなく 作品本位の歌作りだった 】
岡本 でも、僕の側から言うと、どんなものを書いても拓郎は曲にしてくれたからね。それがすごく楽しかった。つまり、例えば長谷 川きよしだと、知り合ってから8年くらいたつけど、出来た曲は8曲しかない。平均1年に一曲というと、もうお産と同じでしょう(笑)。 そして彼に言葉を渡すと、すぐに電話をしてきて「ここのところの意味は?」とか、もう 大変なのね。そうやっているとお互いにベターッとした付き合いになるし、それに彼の場合、字数が一番と二番とまったく同じじゃな けりゃダメなわけ。それだと従来の歌作りと同じでつまらないし、きよしと仕事となると、 すごく体中がかたくなって、縛られた感じに なるんですよ。ところが拓郎との場合は、変な言い方をすると何にも考えなくてもいいっ て感じ。ただ詩の行数くらいは責任として合わせなくちゃいけないという程度で(笑)。
拓郎 そうだね。確かに長谷川きよしのために作った岡本ちゃんの詩を見ていると、きよ しには悪いけど、曲作りの作業としてはずっ と楽だって気がするね。岡本ちゃんもものすごく気を使って作っている感じだもの。でも俺の場合はものすごく気を使ってくれていな い、その辺りでは(笑)。
岡本 それがね、こっちにとってはものすごい快感なわけなんだよ(笑)。
拓郎 それにしても、あの字余り、字足らずをどう処理しろっていうつもりだったの、あなた(笑)。でも一つ言えることは、あれで洋風なメロディに日本語を乗せるってことの難かしさを打破できたと思うんだよ。やっぱりいつまでも七五調の詩にメロをつけていたら、 たとえ曲は向こう風でも詩はいつも日本で,、いい歌はできなかったと思う。日本語をいかに西洋風のメロディに乗せるかが、俺にとっていつも大テーマだったわけだけど、岡本ち ゃんと組んでやったら、それが割と簡単にできちゃったんだよね。
岡本 とにかく評論家の先生みたいに、お互いに難しい話はせずに、自由にやれたから楽 しかったよな。
拓郎 そう、楽しかったね。それで結果的にも売れたわけだけど、例えば『旅の宿』が売れた時でも、別にどうってことないみたいなところがあったし、それはそれで偶然のことみたいなね…。我々はあの頃、商品として歌を作るなんて意識はなかったし、あくまで作品本位に作業していたと思う。
岡本 そういう意味でも、僕が一番感動したのは『おきざりにした悲しみ』の時だった。
拓郎 それは歌を商品として考えたらね、『旅の宿』の大ヒットのあとに、『おきざり」をシングル盤で出すって手はないよ。ある意味でファンの人やレコード会社を裏切ることになるしね。まして『ライブ'73』にいっちゃったら『旅の宿』のイメージなど、どこかへぶ っとんじゃって、どこにもつながってない。 レコード産業はイメージ産業だと言うけれど、 そんなこと全然関係ないって感じでやってい たじゃない。『おきざりにした悲しみ』はいい歌だから、これをシングル盤にしようじゃな いかってことだけだった。今だったら、あの重い歌詩で、あんな重いメロディの曲、まず シングルになんかしないはずだよ。『旅の宿』 のあとだから、もう少しハッピーな、それふうな曲のほうがもっといいだろうとなるのが今の発想だよね。突然「生きてゆくのは, ああ、さみしいね…」で始まる歌を出すなんて、ちょっとキツイよ。
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【 打ち合わせなし・・・ 自由な作業の勝利『襟裳岬』 】
岡本 やっぱりね、僕にとっては『旅の宿』 ができたってことはエポックだった。とにかくものすごくうれしいことだったし、素晴ら しい出来事だった。なんていうのかな、拓郎であろうが誰であろうが、曲を作る人と話しがあって意気投合したといっても、それほ 感動しないし、2~3日もたてばまた喧嘩するみたいなことになるのが普通のことなんです作品を生み出す上ではね…。そういう「昨日は友人、今日ケンカ」みたいなことは日常的なこととしてあったから、あまり信用でき ないわけだけど、作品というのはまぎれもな く作品であって、それまでの人間関係なんて関係ないわけですよ。 やっぱりいい作品ができるとうれしいし、 ものすごく興奮するわけです。だからこそ逆 に、人間的にはずいぶん違っていたのに、よ くもまあ拓郎も何も言わずに我慢して付きあ ってくれたものだと、僕としても感じているところはあるんだけどね。 それはともかく、もうひとつ僕が拓郎に詩を送りつづけてきたのはね、ハッキリ言って、 僕の言葉はわりとベタッとしているんですよ。 なにかコツコツコツコツ歩いているような感じの言葉だと思うんです。そんな言葉に彼が曲をつけると、言葉が急に踊ったり、笑っ たり、泣いたり躍動しはじめる、それがものすごく面白いわけなんです。
拓郎 とにかく二人で相談して作るなんてこ とは一度もなかったね。
岡本 拓郎が曲をつける時に、「字数が少し足らないんじゃないか」とか、自分では気づか なかった部分、つまり詩の内容的におかしなところやミスをおかしている部分に対して、 彼が攻撃してきたり、そのミスをフォローしてくれたみたいなところはあったわけだけれど、それがなんのかんのってベタベタした相談じゃなくて、電話でね「ここのところ、ちょっとおかしいんじゃない」とかいったカラッとしたものだったから、その辺のトラブルはまったくなかったわけですよ。そういう形のコンビネーションが、結果的にみればすごくよかったんじゃないかと思うんです。
拓郎 そういう意味でも、やっぱり電話の勝利だと言えるよね。
岡本 電話ではクール過ぎるんじゃないかという評もあるけれど、作品づくりって、ものすごくクールなものだと思うんだ。
拓郎 とにかく会わないんだよね。絶対といっていいほど会って話したりしないわけ。例えば『襟裳岬』を作った時でも、会って詩のツメをしようとか、歌作りのイメージ統一をしようとか、そういうミーティングなんてまったくやらないわけよ。ましてレコード会社のディレクターを交えて打ち合わせなんて考えもしない。電話一本ですべてが済んじゃう。 それもたまに電話で「岡本ちゃん、ここのと ころ、こんなメロディになったよ」なんて電話を通してテープを聞かせたり、「テレビはア ホらしい、というフレーズはちょっときつすぎるんじゃない。俺が歌うのならともかく、 テレビに年中出演している森進一が歌うものに、そういう言葉はおかしいのじゃないか」 とか、そんな感じでやってきた。そういうやり方って、ハタから見るとすごく軽薄にみえるかもしれないけれど、二人にはそれしかな かったよね。
岡本 そうだ。確かに作る前に打ち合わせだなんだってやらなくちゃいけない仲だったら、 とても一緒の仕事はできなかったろうね。
拓郎 つまり今のレコード業界ってのはさ、 一つの歌を作る場合、まず作詩家と作曲家に ディレクター、宣伝マンなどが一堂に会して 「こんな詩にしませんか」とか「こういった メロディがほしいんですが」なんて、みんなでいろんなアイデアを出しあってから作業に かかるというのが普通のやり方でしょ。でも 我々の場合は、そういうことは一切なし。森 進一の『襟裳岬』の時だって現場のディレク ターなど、まったく介在させなかった。
岡本 それからお互いに相手の領分を絶対おかさなかったと思うんです。例えば僕の方に 先に依頼があって一緒に作ろうという時は、 詩を書き上げるまではこちらに自由に作業さ せて欲しい、それでいい詩だと思ったらやってくれ、悪いと思ったらやめてもいいと、そんなふうに僕は言ってきたし、拓郎の方から歌作りの話が来る時も、ディレクターはこんな注文をしてきたんだけどみたいな話はまったくなかった。お互いに第三者を介入させずに、お互いの領域をおかすことなく、自由に自分の仕事に最善を尽くしてきたから、またうまくいったのじゃないだろうか。
拓郎 逆に言うとね、例えば俺のところに依頼があっても、詩は岡本おさみじゃなけりゃやらないよ、なんてあの頃は本当にそうだったんだよ。二人で作った曲をうたう歌手は誰かなんてことは、極端にいうと誰でもよかっ た。二人が納得して作れればいいというか、 要するにNGを覚悟の上でやるという感じだったわけ。ただあの頃は、没になるような仕事は俺たちのところには絶対依頼してこなかったね。とにかくどんな歌でもいいから二人にお願いしたい、口出しはしません。おまかせします、って感じだった…。
岡本 だけどさ、『襟裳岬』のときだけは初めて拓郎からテープをもらって聞いたとき、本 当にびっくりしたね。拓郎のアレンジしてきたリズムは『結婚しようよ』と同じような軽快なリズムだったんですよ。それで言葉の方は一見重たいような感じのものでしょう。ある音楽雑誌の人にその拓郎が歌っているテー プを聞かせたら「これは絶対ダメだ、売れな い」って言われてすごく不安だったのを今で もよく覚えている。あの曲はアレンジの勝利 だったのかね(笑)。
拓郎 ただアレンジが変わってよくなったと いうのは、俺としては非常に不愉快なわけよ (笑)。俺が自宅でデモテープを録音したときのアレンジってのはキャロル·キング風で、ア レンジャーに渡すときも”キャロル·キング 風にやってほしい“って注文書きを付けたく らいでね。森進一がそんなふうに、ビートのある歌い方をするのもいいんじゃないって思ってね。でも、やっぱり出来上がりは森進一ふうになっていた。まあ、それよりも『襟裳 岬』に関しては、岡本おさみに負けたと思ったし、今でもそう思ってるね
岡本 でも、あれはやっぱり森進一も良かったと思う。あの歌の言葉の中には”暮らしの 匂い“なんてあんまりないわけですよ。比較 的きれいな言葉でね。そんな詩があの人の声 にかかると、パアーッと人間の暮らしが浮き あがって見えてきた。あの辺はすごいですよ ね、やっぱり…。
拓郎 それで俺は自分のLP『今はまだ人生 を語らず』の中で、ささやかな抵抗をした(笑) 。俺のアレンジは最初ああいう感じだったんだってね(笑)。でも、やっぱり小室(等)さんなんかも、森進一のものの方が数段にいいって言うもんね。
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二人だけで直接会って話すのは本当に久しぶりだった。いや正確にいうと10数日前二人は会っているのだが、その時は他にも大勢の人をまじえた席であった。それだけに二人の間には、ある種の懐かしさと共に、緊張感さえただよっているように思えた。話は過去の思い出ばなしからゆるやかに入っていったが、次第に現在あるいは「歌」の話になっていくと熱い炎が二人の間を飛び交いはじめ、時にはぶつかり合い、時にはすれちがい、笑いや共感の輪をつくりだした。そして、それぞれ固有の確固たる世界と信念で生きてきた二人の男の"生きざま"が、相手の世界と鏡のように反射しあいながら、"いま"に生きる男の心情を浮きぼりにしていった。
【 決定的な出会いは『旅の宿』 と「フォーク·ヴィレッジ」 】
まず初めに”歌作り“という部分での二人の出会いの話からでもしていただけますか。
拓郎 岡本おさみの詩ではじめて僕が歌を作ったのは『ハイライト』という曲でね、確かジァンジァンでコンサートをやる少し前だっ たと思う。それを高田渡ふうのブルース進行で歌っていたら、岡本ちゃんが「そんなふうにサラッと歌われたんじゃかなわない、そう いう詩ではないはずだ」って言ってさ、いろ いろ批判されたのをよく覚えている。
岡本 そうそう、ジァンジァンでコンサートをやろうということになって、僕がノートに詩を書いて、拓郎ところに持っていったんだ よね。その中から最初に曲になったのが『ハ イライト』と『花嫁になる君へ』だった。
拓郎 それで『花嫁--』のほうは岡本ちゃんも納得したんだけど、『ハイライト』のほうは気に入らなくてさ。あの歌はオレ、ステー ジで少し茶化して歌っていた。だからお客さんがゲラゲラ笑うわけ。それが当時の岡本お さみには耐えられないことだったんだよね。
岡本 そういう体質なんだよ…。
拓郎 あんなふうに笑われる歌じゃないんだ って盛んに言ってたよ。俺の詩のとらえ方が 岡本ちゃんにとってはまったく感違いにしか思えなかったんだろうけど、俺はあれでいいんだと思っていたから、それで押し通した。 だけど「おまえの解釈は違っているんだ」と 言われて、でも俺は「ちがわねえよ」ってツッぱって、結局当分一緒に歌作りはできないということになり,やらなかったんだよね。 そのあとは、もう『旅の宿』になっちゃう。
岡本 『旅の宿』の前に、それ以外に何もなかったんだっけ…。
拓郎 いや、『こっちを向いてくれ』ってのが あって、ステージではずっと歌っていたけれ ど、レコーディングしたのは『旅の宿』よりあとだった。
岡本 やっぱり「旅の宿』からかな。なんか溶け始めたなって感じになったのは…。
拓郎 そうだね。あの『旅の宿」の詩を電話でさ、いい詩があるから書きとめてくれって言われて受けとった時はね、とにかく最初の "ゆかたの君は、ススキのかんざし…"というところだけで、いや…、これはすごいんじゃないかって体にブルッときたもん。でもまあ『旅の宿』をやるまでは、本当にあんまり 二人は合わないんじゃないかって感じだったよね。ただ当時ニッポン放送の「フォークビレッジ」という番組で一緒に仕事をやってたから、縁が切れなかった。それがその後にい い方向の結果を生んだんじゃないかな。
岡本 そう、僕が構成やって、その上しゃべ らされたりもしていたから、最低限のコミュニケートが拓郎ともできた。
拓郎 一応俺がパーソナリティでしゃべって いたんだけど、その間ずっと岡本ちゃんが目 の前にドーンと座っているわけよ。それでレ コードをかけている合い間に、ああじゃ、こうじゃって、いろいろ話しながら番組を作っ ていた。結局俺と岡本ちゃんというのは、あの番組を通して知り合い、何らかのコミュニケートをしていたんだよね。
岡本 拓郎がしゃべって、僕が番組の構成をやっていたから、実際いやでもマイクをはさんで、必ず定期的に顔を合わせていた。それ があとにつながったと言えるかもね。
拓郎 俺の前にこの番組のパーソナリティをやっていたのが佐良直美で、ジミー時田の時から岡本ちゃんがやっていたというから、この番組の主みたいに当然のごとく岡本ちゃんが LFにいて俺たちも必然的に会うようにな ったわけ。そうやっているうちに『旅の宿』 ができてうまくかみ合うことができた。やっぱりこの曲が決定的な事件だったね。一番最初の『ハイライト』では決定的にやばくなっ たのに、その後うまくいくようになったのは…。
岡本 だけど『花嫁になる君に』が、『ハイラ イト』の危機を救ったようなところがあったんじゃない。
拓郎 それはあったろうね。ただあの頃は、 岡本ちゃんと話をして、歌作りの途中で詩を こう変えようとか、メロディをこう変えよう とか、そういうことはまったくなかったよね。 作られてきた詩にそのままメロディをつけて歌うとかさ、たとえば「拓郎、そこのメロディおかしんじゃないか」とか、岡本ちゃんからもそういう話は全然なかったし、「こういう メロディになったから、岡本ちゃん、ここち ょっと詩を変えてよ」なんて話もまったくな かった。あの頃は、とりあえずレコードになるとか、作品が商品になるんだみたいなこと をまるで考えてなかったからね。とにかくス テージで歌う曲ということだけで作っていた
岡本 『旅の宿』も確かそうだった。シングル盤のレコードになるなんて考えてもなかった。 拓郎がステージでやっていて、すごく反響が 多いから深夜放送かなんかで流したんだよね。 そうしたらたちまちリクエストのトップになったったという話を聞いた。そうきいたとき、僕 としてはどういう歌がみんなに受けるいい歌 なのか、何もわかっちゃいなかったから、ただへエーッって驚いていた。 その後レコーディングのとき、スタジオに 行ったんだけど、ステージでの拓郎の弾き語りばかり聞いていたものだから、どうなるのだろうかって本当に興味深々でしたよ。とい うより実は恐ろしくてね…(笑)。だってダンボール箱をもち出してきて、それを叩いてリ ズムをとっていた。ドラムの音じゃダメだといってね…。なんかわけがわからなかったけれど、それを見てて、やっぱり音楽家っての はすごいなって......(笑)。
拓郎 このレコーディングはどうなるんだって心配そうに言ってたもん。
岡本 だけど、ミュージシャンには、ドラムじゃなくてダンボールを叩くというのが、ある種の感覚的な判断なわけでしょう。最後には、こういうサウンドでまとまるんだってい う構想があったわけでしょう?
拓郎 いや、それがまるでなかった(笑)。
岡本 でも、あの時僕はすごい尊敬したんだよね、ミュージシャンと呼ばれる人たちを。
拓郎 いや、実のところは俺も一体どうなる ことかって思ってた(笑)。アレンジやってい た石川(鷹彦)だって、そう思っていたはずだよ、あの時は……。
岡本 僕はマンドリンの音が入った時に、ワーツすごいと思った。
拓郎 そう、マンドリンを入れて、ハーモニ が入った瞬間に、これはいけるって俺も思 ったよ。
岡本 僕としてはとにかくダンボールを使ったのをみて、まずミュージシャンというのは尊敬に値いする人々だと思ったわけ(笑)それで、もうこれ以上絶対に口だしはしちゃいか ん、自分の領域じゃないと思った。
拓郎 いや ダンボールの中に布切れ詰めこんで、その前にマイクを立てて叩くわけなん だけど、そうするとバスドラの音がするのよ。 でも、あれは感覚的にすすんでたというかキマッてたね。できあがりを聞いた時、これは絶対、間違いなく売れると思った。 でも、それよりも何よりも、あの歌は詩がすごかったよ。詩の勝利だよ。あんな詩はもうなかなかできないんじゃないかな…?
岡本 最近でもないもんな。結局ね、こういうことが言えると思うんですよ。当時、言ってみれば洋風な曲を作りたいっていう気持ち が僕にもすごくあったわけだけど、その辺のところは、今度僕が書いた「旅に唄あり」 という本で、やっと何年かぶりに種明かしし たのだけれど、この数年で僕が旅をしながら見た風景というのは、まさに日本以外の何ものでもなかったわけです。で、拓郎もあの頃 の歌っていうと、ブルースっぽいというか、 そういう感じの歌を多く作っていたけれど、 その中には常に妙に日本的なところのあるものが多かった。『ともだち』という歌にしてもね。で、とにかく洋風のというか、アメリカ やイギリスのレコードを聞いて、それにただかぶれてしまって歌を作るんだ、というのとは違うものが拓郎にもあるということがわかって、それで何かものすごく気軽になったみたいなところが僕にはあった。今だから言うのだけれどね…。
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