カテゴリー「大いなる人・拓郎×岡本おさみ対談」の記事

2005/08/07

77年大いなる人・拓郎×岡本おさみ対談⑦ 「オレがやらねば誰がやる」 といつも俺は思っている

128b

拓郎  岡本ちゃんには幸せな部分が一つあると思うんだ。ライバルがいないということね。 ということは、あいつに勝とうとかそういう ことがないだろうからね。まあ、そういう情況に自分を置いているからかもしれないけど。 それが岡本おさみの人生にとって、結果的に いいか悪いかもわからないけれどね。
岡本  そういうことは気にしないって自分で思い込んでいるだけかもしれないしな。
拓郎  まあ時として、泥まみれ汗まみれの仕事をしていることは事実なんだけど…。それ はそうとまた『旅の宿』みたいなもの書いてよ。いや、みたいなってのは大変失礼な言い方だけど(笑)。
岡本  でも、そういうふうに言われると、俺はそれを意識しすぎちゃって、多分駄作しか書けないと思うんだよね。
拓郎   あの曲みたいな歌を作ってよ、なんて言ってくるディレクターとか、一番失礼なヤ ツなんだよね。そう言われるのが一番不愉快だしね。
岡本  それは本当に不愉快だね。
拓郎  そういうヤツがまた多いんだよ。そう いうヤツに限って曲なんて簡単に作れるもの って思っているんだな、また…。
岡本  話は変わるけど、久しぶりにこの間会った時感じたんだけど、相変わらず闘争心旺 盛だね。それから多少権力志向も出てきたような気がした。
拓郎  そうかねえ…。権力志向が出てきたなんて言われたら、もう返す言葉もないんだけ ど…。
岡本  いや、言葉ではどこがどうゆうふうにって説明できないんだけど、僕みたいに現場 からずっと離れていた人間と、時には殺ばつとした現場にずっといて、闘ってきた人間の 違いがね、そう感じさせたのかもしれないんだけどね。
拓郎  まあ生意気な言い方をすればさ、常に俺がやんなきゃいかん。俺がやんなきゃ誰に できるかっていう自負心とか義務感が、俺には人一倍あるわけ。義務感とか正義感だけで 仕事しちゃいかんと思うけどね。でも、ここは一発、俺が踏んばらなきゃいかんという気持ちがいつもあって、寝る前に必ず毎日、その日一日にあったことや話したことなんかを考えるんだけど、結論としてはいつも「よ し、もうちょっと頑張らなきゃいかんな」っ てことになるんだよね。その辺は以前とまったく変わってないわけよ。エレックにいた時 も、CBSソニーにいた時も、フォーライフであってもね。 CBSソニーには大賀さんという社長がいたわけだけど、俺にとってはや っぱり俺のソニー“だったし、たとえ今フ オーライフの社長でなくても、フォーライフ にいたら、"俺のフォーライフ“になるんだよ。 音楽そのものにしても、音楽あってのさじ ゃなくて”オレの音楽、オレの音楽情況“な んだよ。つまり,まず俺が先頭に立ってやっ ていかなきゃいかん、というところは一貫し て変わってないと思うんだ。それはもう、性格としかいえないのかもしれないけれど…。
岡本  だから僕が感じたものはさ、そこに1つの肩書きがついた、その分だけ違うんじゃないかって思ったせいかもしれない。こっちは非常に気楽な風来坊でいたし…。でもさ、社長になって、雑用がふえて、その分だけマイナスになっちゃダメだと思うんだけどね。
拓郎  まあ、雑用も今はよしとしているわけよ、やらにゃならんという気もしているし。それはまあ、さっきいった棟方志功ですよ(笑)。 雑用もちゃんとやれないようだったら、なんかゴチャゴチャえらそうなこと言う資格もないって気がするんだな。ただ雑用をいっぱいやっていると、半分は敵で、半分は味方って ことになってしまうのは相変わらずで、人間 関係で迷わされることが多いね。非常にコミュニケーションがむずかしい。でも、それは仕方ないとして、そういう中で頑張ってやっていくしかない。それが俺の性格、俺の生き方だからね……。
岡本  でも、来年はアーチストとしても、いろいろやるんでしょ?
拓郎  やるよ!
岡本  そりゃいいな。もう一度”つま恋“ク ラスのコンサートやるんだってね。必ずまた見に行くよ。
拓郎  場所はどこになるかまだわからないけど、あの規模のもので、あれ以上にね、お客 さんが燃え上がれるような情況をつくってみせるから、期待していてください。
  (終)

|

2005/08/06

77年大いなる人・拓郎×岡本おさみ対談⑥ 歌謡大賞のこと フォーライフの新人のこと

Fullsizerender_54_3

【 歌謡大賞のこと フォーライフの新人のこと 】

拓郎  ところで話は変わるけれどさ、さる高名な役者が、あの『襟裳岬』は『マイ·ウエイ』 よりいい。日本には『マイ·ウェイ』のような歌がなかったけれど、『襟裳岬』はそれをはるかに凌ぐ傑作だって言ってるのを聞いたんだよ。非常にあの時はうれしかったね。 でも、岡本ちゃんの詩って批判されたことってあまりないでしょ…。

岡本  うん,そうかもしれないけど、『襟裳岬』 というとね、こういうことがあった。イラストレーターの和田誠さんの本に「日曜日は歌謡曲」っていうすごく面白い本があるのよ。 その本を読んでいたら『襟裳岬』という歌は二つあるが、島倉千代子さんのものは古いパターンの歌謡曲である。その点森進一の方は 大変新鮮であるかわりに、詩がなんのことかわからない。一体誰が”悩んで“誰が”老い ぽれた“のかわからないって書いてあったわけ。そりゃ、その歌の言葉を吐いた作詞家の僕に決まってるじゃないかってね、今度出した『旅に唄あり』って本にチクリと書いたんだけど…。

吉田  ここに呼んで来い、岡本おさみにかわって俺が教えてやる(笑)"それから『襟裳岬』 というと、岡本ちゃん、歌謡大賞のときテレビに出たじゃない。あれどうして出たんだ っけ?

岡本  あの時の事情とか理由は、『旅に唄あり』 に書いてあるじゃない。おまえ、本読んでく れてないな(笑)。

拓郎   いや、読んだよ。で、本音かね?

岡本  本音だよ。

拓郎  もう一回行かない?賞とってさ。

岡本  なんかもうレコード大賞とか、歌謡大賞ってのはおもしろくないよ。

拓郎   いや、おもしろいって。つまりさ、一 回じゃおもしろくないけど、二回とってもういらないよっていうのはいい。二回も俺たちに賞をくれやがって、バカじゃないと言ってやめるのが一番いいね(笑)" 一回はまぐれってこともあるけど、二回となると評価とか賞としての信憑性もずっと出てくると思うよ。

岡本  じゃぁ、もらうか(笑)それはそうと、 拓郎が今すごく好きな流行歌の歌手っている。

拓郎  歌い手ではいないな。俺はさ、いま棟方志功さんって言われるくらい裏方志向だか らね。だから発想が非常に裏方的になってい るわけよ。「この歌い手はいいなあ、手がけてみたいなあ」とはならなくて、「この人、ダメになったなあ」と思うと、その歌い手をなんとかしてあげたいなあって気になるのね、良く言うと。悪く言うと、そいつでひと山あてようっていう…(笑)。

岡本  フォーライフには、新人でいい歌い手はいないみたいだね?

拓郎  いるじゃない。小出正則とか小林倫博、それに原田真二。いや、この秋の新人三人はいずれも素晴らしいよ。

岡本  小出君だけはステージも見たけど、それほどでもなかったよ。

拓郎  それはね、岡本ちゃん、今のこの世界の情況だけを基準にして考えちゃいかんのよ。 俺だって最初はひどかったし、関西フォーク の雄、岡林信康とかいってたけどさ、俺も彼もギターもあまりうまくなかったし、音程は悪いし、歌もヘタだったしね。それに比べれば最近の連中は平均してギターも歌もうまい。 ただ何が足りないかといったら、やっぱり説得力とかバイタリティ-が足りない。その辺がおしなべてドングリの背比べなのは確かだけど、個性はわりとあるよ。その個性を説得力になかなか結びつけられないだけでね。

岡本  僕はね、音楽性とかいう以前に、ステ ージに出ただけでさ、例えば立ち姿がいいと か、なにかこう、どこから出てきたヤツだろ うとハッとさせられるような歌い手に、そろそろまた出会いたい。

拓郎  そりゃあ、もうあなたが歌うしかない。 オレ、岡本おさみのLPだったら出すよ。売れなくても、それくらいの器量はあるよ。

岡本  じゃあ1年がかりでやるか。でも、そうすると他の詩が書けなくなっちゃう…。   

 

| | トラックバック (0)

2005/08/05

77年大いなる人・拓郎×岡本おさみ対談⑤ 吉田拓郎の闘争と挑戦だった 『今はまだ人生を語らず』

Fullsizerender_53_4

【 吉田拓郎の闘争と挑戦だった 『今はまだ人生を語らず』  】

拓郎  それはともかく、俺たちには少くとも感情的なトラブルは何ひとつなかったもんね。 あの野郎、許せないとかいったさ。もちろん、 さっき言ったように岡本ちゃんとは今は仕事やりたくないよとか、今の岡本おさみの詩は俺は買えないよとか、そういうことはあったけどね。

岡本  そういうのは、トラブルでも何でもな いからね。例えば拓郎のその時その時の環境 とか心境とかが変わったり、僕と違ってしまったら、僕の詩を全部放棄されたとしても、 それはそれで仕方ないし、かまわないってこ となんですよ。もともと僕らは、そういう約束事というか前提のもとに仕事を始めていた し、そういうめぐり逢いをしていたのだから。 例えば最近一緒に作った『もうすぐ帰るよ』 にしても、もう3年くらい前に書いたものだ し。

拓郎  まあ思い起こすにさ、岡本ちゃんとは 面白いめぐり逢いだったと思うよ。あの番組の30秒間のCMタイムにね、すべての発端があったような気がする。あの頃二人とも新婚だったし共通の話題もあって「オレ、こう思 うだけど、どう思う」なんて話もしていたん だと思う。その間で十分意志の疎通もできて いたんじゃないかな。だから、例えばr話してはいけない』なんて詩も、そういうところから生まれて俺もすごく納得したんじゃないかな。俺もああいう詩が書きたかった。だ けど、あの頃の俺はメロディ作りとステージの仕事に翻弄させられていて、詩を書けないでいるうちに、書きたいと思っていたテーマをみんな岡本ちゃんが先に書いてきてしまう。 そんな感じだったもん。書きたかったものは全部同じ。それをとりあえず岡本おさみがすべて先にやるわけよ。だからあの頃いつも俺は不愉快だった(笑)。だからまたね、俺としては自分で作った詩のような錯覚にもおちいれたし、『旅の宿』にしても『ライブ'73』に収録されている歌にしても、詩も俺が書いたも のと思っているやつがまだいっぱいいるわけ。 で、ある時期その辺のくやしさというか、いつも先を越されるみたいなところから脱皮するためには:岡本ばなれをしなくちゃいけ ないって真剣に考えはじめたわけ。『今はまだ人生を語らず』を作ろうとした時は、俺も本当にそろそろ自分で詩を書かなきゃいかん、 そうでないと、いつまでたっても岡本おさみにしてやられる(笑)って思った。そろそろ書 かないと印税は持っていかれるし(笑)。

岡本  オレ、拓郎との歌作りがなかったら、 暮らせなかったよ(笑)。

拓郎  こちらとしてはとりあえず岡本ちゃんの力を借りないで『--人生を語らず』は作ろうと思ったわけ。何とか岡本ばなれをしようと...。岡本おさみに影響されたとかいうん じゃなく、先に詩を持ってこられる作業をね 一度断ち切りたかった。それが一番つらいこ とだったし…。

岡本  まあ、影響ってのはないだろうけど、 その辺は拓郎の闘争心だから、すごくいいこ とだったんじゃないかなあ~。

拓郎  そう、負けてなるものかってわけだ。 それで,ある時期になると「そろそろ次のLP作ろうか」って話がレコード会社からくるわけ。で、じゃあやるかということになると,今度は自分で詩を書くか、それとも岡本おさみに頼むかってことを必ずディレクター がきいてくるわけよ。俺は「自分で書くよ」 って一応いつも言ってたんだけど、書こうと身構えて考えてみると、でも、このテーマは岡本ちゃんが既に書いているしな、なんて問題にぶちあたる。表現の仕方は違っても、テ ーマというかルーツが同じだというものを先へ先へと書かれてしまっている。そうするともうダメ、書けなくなっちゃう。そういうこ とが『元気です』『伽草子」「ライブ'73』とず っと続いてきたともいえるね。いつも俺の書きたかったテーマを半歩先きに書かれてしまっていたという感じだ。

岡本  その闘争心ということで言えばね、こ っちは字数のことなんか考えないで書いて それを拓郎がどんどん曲にしちゃったみたいなところがあったでしょう。つまり、そうするとぼくの言葉が拓郎のメロディの中にポコ ッと呑み込まれちゃったみたいになってね、 その辺がとにかく面白かったのだけど、逆にそれが僕の言葉の中での闘争心にもなってい ったわけですよ。じゃあ、どんな言葉を書いたら拓郎がうまく呑み込めるかとか、彼の考 えや趣味嗜好が読めたとかいうのじゃなくて、 恐らく拓郎がさっきから何度か言ってるように、LFで毎週会っていたから、その時チラッチラッと話していた言葉のはしばしから、何かをつかみとっていたんだと思う。

拓郎  本当にそう思うよ、俺も…

岡本  それからね、例えば『祭りのあと』という歌に関して言えばね。僕はちょうどその頃 オフクロを亡くし、彼はオヤジを亡くして, お互いに「つらいな」ってまいっていた時にね、生まれた歌だったんですよ。でも、それがそのまま"悲しいね"というような言葉の歌になったら、多分彼としては曲にしてなか ったと思うんだ。そういう拓郎自身の心情は、 ちゃんと自分で「オヤジの唄』という詩に書 いているし。それが僕の言葉で『祭りのあと』 みたいに、ちょっと違った方向にもっていか れたでしょう。だから「オヤジの唄』はやは り歌っていて、彼も滅入っちゃうこともあっ たろうけど、『祭りのあと』なら、音楽としてものすごく快感を覚えながら、歌えたんじゃ ないかって気がするな。

拓郎   そういう感じで、きっと岡本おさみに俺は読まれていたんだろうね…。で、話はま た戻るけど、『伽草子』というLPもほとんど岡本おさみかあるいは他人の詩なんだけど、 あの中に一つだけ『新しい明日』という、俺の書いたものがあるのね、それであのLPを 聞いた人がみんな言うんだよ。『新しい明日』 の詩だけぐっとレベルが落ちるなって…。こ れがものすごく苦痛だったね。

岡本  そりゃ、腹も立つよな。

拓郎  でも、しょうがないんだよ、大多数のヤツがそう言うのだから。それだけ俺は負けてるんだなと納得するしかなかった。で俺は、LPの中に一つか二つ自分の詩を入れても、やっぱり負けるだろうなと思ってさ。『ライブ '73」の時はもう「書かないぞ」って言ってね、 全部まかせてしまった(笑)。それで次の『今はまだ人生を語らず』では、岡本ちゃんの『襟裳岬』と『世捨人唄』の2曲以外はすべて自分で詩を書いたわけ。そうやって作ってみて、 やっと俺は岡本おさみに勝ったとか、負けたというのじゃなく、違う方向にむかっているなって気がしたんだよ。

岡本  僕もそう思った。あのLPみたいな感 じの詩は、僕にはちょっと書けないなって感 じたもんね。

拓郎  『三軒目の店ごと』っていう歌はどう思った?

岡本  あれは、いいねぇ~。

拓郎  実は岡本おさみには、あんな詩は書けないだろうという自負とてらいがあった(笑)。

岡本  あれはもう酒飲みとさ、酒を飲めない男のさ、どうしようもない違いだよ。でも、あれはとにかくいい。

 

|

2005/08/04

77年大いなる人・拓郎×岡本おさみ対談④ 惰性や栄光を断ち切った コンピ空白期のこと…

【 惰性や栄光を断ち切った コンピ空白期のこと・・・  】
それはそうと、ここ数年、まったく二人のコンビの歌が聞けない時期が続きましたが、 何か理由でもあったのですか?
岡本  それはね、特別のはっきりした原因があったわけじゃないと思う。例えば、ボクサーとトレーナーがいてある時期は二人のコ ンビでものすごく燃焼して、チャンピオンにもなったけれど、その結びつきが惰性になったり、同じ作業の繰り返しになったら、とてもつまらないと思うんですよ。つまり栄光が日常になっちゃったら、やはりつまらないで しょう。だから離れる時には離れることも必要だと思うんです。再び新鮮な出会いの可能 性を残しておくためにも…。
拓郎  まあ、あの頃の俺の心境を正直にいう と、岡本ちゃんは旅ばかりしていたじゃない。 それも使命感で旅をしているみたいに俺にはみえたわけで、俺は、旅っていうのは使命感でするものじゃないって思っていたから、 もし本当にそうなっているのだったら、岡本おさみと俺とは随分遠い違った所へお互いに行っちゃったんだなって感じた。どっちがいい悪いじゃなくてね。とりあえず『ライブ'73』を一緒に作った頃の接点は、歌の世界にもないだろうし、話してみても仕方ない。会って話せば喧嘩になるだけだろうって発想がすごくあったんだよ。まあいい、それなら岡本おさみは岡本おさみでやりなさい、俺は俺でやるからって気になってね。それが男の心情というものじゃないの。
岡本  それはそうだったろうね。でも、僕があの頃年中旅をしていたのは、それはそれなりの下世話な理由もあったわけですよ。例えば『襟裳岬』のあと、家の電話が1日に50回 も鳴るみたいな状態になってね、大部分が仕事の依頼なんだけど、中には、ある流行歌の作曲家なんだけど「ぼくが曲を書いてあげる ということは、あなたにとって素晴らしいことなんだ」みたいなことを平然と電話で言ってきたりね。もう、そういうセリフを聞くとものすごく腹が立つわけ。もう一つは喧嘩に疲れたっていうところもあった。つまり仕事の依頼を断わるっていうのは喧嘩ですからね。 そうやってほとんど断っていたのだけれど、 例えば僕が以前ものすごく世話になった人の紹介とかで、仕事を頼まれたりすると、やはりちょっと断われないな、みたいなことも多 多あってさ。もう、そういうしがらみが面倒 臭くなって、そこから逃れるために旅に出たってところもあった…。
 
拓郎  確かにあの時期の岡本おさみは、大変な売れっ子の作家だったろうから、依頼の量もすごかったと思う。でも俺には、旅をしながらじゃなくちゃ詩は書かん、というのが岡本おさみの姿勢みたいにみえたわけよ。もち ろん、それはそれで男の生き方、生きざまだからさ、そのことはとやかく言えないと思ったけど、ただ自分とはサイクルが合わなくなってしまった、とそう感じた。岡本ちゃんがどこへ旅をしようと、俺は東京で根をはやし て、東京でやりつづけるんだって考えていたから。
岡本  でも、あの頃旅の途中、1か月に1度 は必ず帰ってきていたでしょう。そういう時に必ず拓郎の新しいレコードを聞いたりして いたのね。『今はまだ人生を語らず』とか『明日に向って走れ』とかさ。そうして聞いてみると、彼はもう自分で自分の言葉を吐いている。あのLPにしろ、もう自分の言葉だけで、 キチッと自分のトータルな世界を作りあげていると思ったのね。だからそれはもう詩集と同じもので、そこに余分なものが入るということは、全体の調和を乱すこと以外の何物でもない。そこにはもう絶対に関与できないし、 しちゃいけないと思った。だから、もし僕の方があの頃詩を書いて持っていったとしても、 拓郎は受けつけなかったんじゃないかな。 それからかまやつひろしが歌った『我が良 き友よ』 あの歌は特にすごいと思ったな。 『旅の宿』と同じくらい良かった(笑)。
拓郎  そういえばあの歌をね、旧制高校の時代のことを何も知らないで、よくあんなパン カラふうの詩を書けるもんだ。あれはまったく実感じゃないはずだから、要するに"作られた歌"であるみたいな批評をしている評論家がいたよ。
岡本  それはつまらない批評だね。僕はね、あの歌は「旅の宿』の延長線上にある、拓郎 の本質の一面が表現として出てきたものだと思うんですよ。彼にはものすごく日本的な部 分、日本酒的な部分があるし、かつて大学の応援部にいたというようなバンカラな一面も あると思うからね。それに詩人というか、詩を書いているような連中はみんな風来坊でし よ。じゃあ風来坊には、働いている人の歌を書けないかというと、そうは言えない。まあ そういうことはとても小さなことなんですよ。 要するに作品がいいか悪いかだけのことのはずなんです。

|

2005/08/03

77年大いなる人・拓郎×岡本おさみ対談③言葉とメロディの真剣勝負 二人の頂点『ライブ'73』

Fullsizerender_53_2

【 言葉とメロディの真剣勝負 二人の頂点『ライブ'73』 】

拓郎  ところで、二人でいろんな曲を作ったけど『ライブ'73』(拓郎のライブアルバム)が 最大の勝利だったと思うね。メロディも詩も対等で、五分五分の勝負をしているし、とにかくあれはすべての面ですごいLPだったと思うよ。 特に『落陽』なんて最高、俺は今でも何度きいても酔いしれるね。

岡本 あれは本当に短期間で作ったよね。ものの1か月かそこいらだった。

拓郎  詩がパーッとできて、それにワーッとメロディつけてさ。そうやってものの一か月で作った曲ばかりなんだけど、俺はあのLP の中の曲ってすべて気に入っているね。ちょっとまずかったなと思うのは『望みを捨てろ』 という曲ぐらいだ。

岡本  その辺はまったく同感だね。

拓郎  それから『晩餐』なんて詩は、最初歌になるかかどうか心配だった。テーマは気に入 ったんだけど「岡山で戦車が......」なんていう詩のところは、一体メロディになるだろうかって思った(笑)。岡本ちゃんの詩だと、あの頃は何でもメロディにできたって感じ。あの時はそれに乗っていたしね…。 で、昨日俺はたまたま小林倫博(フォーライ フの新人)と一日一緒にいたのね。彼が詩を、 俺がそれに曲をつけていま太田裕美のLPを作ってるわけ。で彼の詩の中に”ニュース" という言葉があった。「小林、悪いけどこのニュースって言葉はメロディに乗らないよ。ニュースって言葉自体がもうメロディじゃないんだよ。そこ変えてくれないか」なんて言ったんだけど、考えてみると、俺は平気でニュ ースなんて言葉にもメロディをつけて歌っていたんだよね。それから”積極的“という言葉もあったわけ。今の俺にはその言葉もメロディにならないと思った。まあ、俺が歌うのならともかく、太田裕美の歌でしょ。「積極的、 積極的、積極的」って三つにするんだったら、 彼女にも歌えると思うんだけど、一つだけだったらフレーズとして、裕美にはちょっとキ ツイんじゃないかって気がして「変えてよ」 って要求したんだよ。だけど俺だったら歌っちゃっていたもんね。自分ではそういう言葉を書かなかったろうけど、やっぱり岡本ちゃんの持って来た詩なら、歌っちゃったという 時期が確かにあったよ。 で、話は戻るけど『ひらひら』なんて歌も最高の傑作だと思うし、『野の仏』もすさまじ い曲だしさ、あのLPはすごいよ。とにかくあのLPの頃の岡本ちゃんの詩は、すさまじ くいいよ。メロディともピタッと合っていると思うし、俺としても最大の自信作のひとつ だね。だから、あの辺の作品をとやかくケチ つけるやつがいたら、ブッ殺してやるみたいなところさえある(笑)。

岡本  でも、その少し前あたりの弾き語りの曲、『祭りのあと』とか『制服』なんかも僕は好きだし、いいと思うなあ~。

それから、あの頃僕が一番面白かったのは、 拓郎のステージを聞きに行って、自分の歌が初めて聞けるってこと。それが最大の楽しみ だった。例えば僕の書いた詩に、拓郎が目の前で曲をつけていったり、逆に彼のメロディ があって、僕がその前で歌詞をはめていく言葉をいじくりまわす…なんて作業をやっていたら、お互いにつまらないことになっていたと思うンだな。人間だから互いに「ああして くれ、こう変えてくれ」っていうつまらぬ話 になってトラブルも起こったろうけどね。 でも、そういうことを全部飛び越えちゃって、 とにかく歌として完成したものを初めてきく、というのはものすごく快適なことでしたよ。 ほら『七人の侍』という映画があったでしょ。 なんかよくわからないのが七人集まるんだけど、要するに野武士の盗賊を倒すという目的が同じでね。そういうことだと思うんで すよ。我々もお互いに勝手に作業を進めるけど、目的は同じだった、というような…

拓郎  うん、結局ね、岡本ちゃんといい雰囲気で仕事ができるようになったキッカケというか、結びつきは、恐らくLFのあの番組にあったと思うね。番組の合い間のCMを流している間の短い時間に、何か非常に凝縮された話をしていたんだと思うだよ。「岡本ちゃん この頃おもしろくないんだよ」とか、その辺 の一言ふた言の会話が非常に大きかったんじ ゃないかな。どんな話をしていたのかは、もうまったく記憶にないんだけれど、そうでなかったら、「岡本おさみの詩じゃなけりゃ、やんねえよ」なんて話にはならなかったと思うんだけどね。

岡本  確かに、あの番組の時以外に二人で会って、人生について語り合うなんてことはま るでなかったから、他人から見ると不思議な結びつきだったかもしれないね。

【 商品としての歌でなく 作品本位の歌作りだった 】

岡本  でも、僕の側から言うと、どんなものを書いても拓郎は曲にしてくれたからね。それがすごく楽しかった。つまり、例えば長谷 川きよしだと、知り合ってから8年くらいたつけど、出来た曲は8曲しかない。平均1年に一曲というと、もうお産と同じでしょう(笑)。 そして彼に言葉を渡すと、すぐに電話をしてきて「ここのところの意味は?」とか、もう 大変なのね。そうやっているとお互いにベターッとした付き合いになるし、それに彼の場合、字数が一番と二番とまったく同じじゃな けりゃダメなわけ。それだと従来の歌作りと同じでつまらないし、きよしと仕事となると、 すごく体中がかたくなって、縛られた感じに なるんですよ。ところが拓郎との場合は、変な言い方をすると何にも考えなくてもいいっ て感じ。ただ詩の行数くらいは責任として合わせなくちゃいけないという程度で(笑)。

拓郎  そうだね。確かに長谷川きよしのために作った岡本ちゃんの詩を見ていると、きよ しには悪いけど、曲作りの作業としてはずっ と楽だって気がするね。岡本ちゃんもものすごく気を使って作っている感じだもの。でも俺の場合はものすごく気を使ってくれていな い、その辺りでは(笑)。

岡本  それがね、こっちにとってはものすごい快感なわけなんだよ(笑)。

拓郎  それにしても、あの字余り、字足らずをどう処理しろっていうつもりだったの、あなた(笑)。でも一つ言えることは、あれで洋風なメロディに日本語を乗せるってことの難かしさを打破できたと思うんだよ。やっぱりいつまでも七五調の詩にメロをつけていたら、 たとえ曲は向こう風でも詩はいつも日本で,、いい歌はできなかったと思う。日本語をいかに西洋風のメロディに乗せるかが、俺にとっていつも大テーマだったわけだけど、岡本ち ゃんと組んでやったら、それが割と簡単にできちゃったんだよね。

岡本  とにかく評論家の先生みたいに、お互いに難しい話はせずに、自由にやれたから楽 しかったよな。

拓郎  そう、楽しかったね。それで結果的にも売れたわけだけど、例えば『旅の宿』が売れた時でも、別にどうってことないみたいなところがあったし、それはそれで偶然のことみたいなね…。我々はあの頃、商品として歌を作るなんて意識はなかったし、あくまで作品本位に作業していたと思う。

岡本  そういう意味でも、僕が一番感動したのは『おきざりにした悲しみ』の時だった。

拓郎  それは歌を商品として考えたらね、『旅の宿』の大ヒットのあとに、『おきざり」をシングル盤で出すって手はないよ。ある意味でファンの人やレコード会社を裏切ることになるしね。まして『ライブ'73』にいっちゃったら『旅の宿』のイメージなど、どこかへぶ っとんじゃって、どこにもつながってない。 レコード産業はイメージ産業だと言うけれど、 そんなこと全然関係ないって感じでやってい たじゃない。『おきざりにした悲しみ』はいい歌だから、これをシングル盤にしようじゃな いかってことだけだった。今だったら、あの重い歌詩で、あんな重いメロディの曲、まず シングルになんかしないはずだよ。『旅の宿』 のあとだから、もう少しハッピーな、それふうな曲のほうがもっといいだろうとなるのが今の発想だよね。突然「生きてゆくのは, ああ、さみしいね…」で始まる歌を出すなんて、ちょっとキツイよ。

|

2005/08/02

77年大いなる人・拓郎×岡本おさみ対談② 打ち合わせなし・・・ 自由な作業の勝利『襟裳岬』

Fullsizerender_54_2

【 打ち合わせなし・・・ 自由な作業の勝利『襟裳岬』 】 

 

岡本  やっぱりね、僕にとっては『旅の宿』 ができたってことはエポックだった。とにかくものすごくうれしいことだったし、素晴ら しい出来事だった。なんていうのかな、拓郎であろうが誰であろうが、曲を作る人と話しがあって意気投合したといっても、それほ 感動しないし、2~3日もたてばまた喧嘩するみたいなことになるのが普通のことなんです作品を生み出す上ではね…。そういう「昨日は友人、今日ケンカ」みたいなことは日常的なこととしてあったから、あまり信用でき ないわけだけど、作品というのはまぎれもな く作品であって、それまでの人間関係なんて関係ないわけですよ。 やっぱりいい作品ができるとうれしいし、 ものすごく興奮するわけです。だからこそ逆 に、人間的にはずいぶん違っていたのに、よ くもまあ拓郎も何も言わずに我慢して付きあ ってくれたものだと、僕としても感じているところはあるんだけどね。 それはともかく、もうひとつ僕が拓郎に詩を送りつづけてきたのはね、ハッキリ言って、 僕の言葉はわりとベタッとしているんですよ。 なにかコツコツコツコツ歩いているような感じの言葉だと思うんです。そんな言葉に彼が曲をつけると、言葉が急に踊ったり、笑っ たり、泣いたり躍動しはじめる、それがものすごく面白いわけなんです。

拓郎  とにかく二人で相談して作るなんてこ とは一度もなかったね。

Fullsizerender_53

岡本  拓郎が曲をつける時に、「字数が少し足らないんじゃないか」とか、自分では気づか なかった部分、つまり詩の内容的におかしなところやミスをおかしている部分に対して、 彼が攻撃してきたり、そのミスをフォローしてくれたみたいなところはあったわけだけれど、それがなんのかんのってベタベタした相談じゃなくて、電話でね「ここのところ、ちょっとおかしいんじゃない」とかいったカラッとしたものだったから、その辺のトラブルはまったくなかったわけですよ。そういう形のコンビネーションが、結果的にみればすごくよかったんじゃないかと思うんです。

拓郎  そういう意味でも、やっぱり電話の勝利だと言えるよね。

岡本  電話ではクール過ぎるんじゃないかという評もあるけれど、作品づくりって、ものすごくクールなものだと思うんだ。

拓郎   とにかく会わないんだよね。絶対といっていいほど会って話したりしないわけ。例えば『襟裳岬』を作った時でも、会って詩のツメをしようとか、歌作りのイメージ統一をしようとか、そういうミーティングなんてまったくやらないわけよ。ましてレコード会社のディレクターを交えて打ち合わせなんて考えもしない。電話一本ですべてが済んじゃう。 それもたまに電話で「岡本ちゃん、ここのと ころ、こんなメロディになったよ」なんて電話を通してテープを聞かせたり、「テレビはア ホらしい、というフレーズはちょっときつすぎるんじゃない。俺が歌うのならともかく、 テレビに年中出演している森進一が歌うものに、そういう言葉はおかしいのじゃないか」 とか、そんな感じでやってきた。そういうやり方って、ハタから見るとすごく軽薄にみえるかもしれないけれど、二人にはそれしかな かったよね。

岡本  そうだ。確かに作る前に打ち合わせだなんだってやらなくちゃいけない仲だったら、 とても一緒の仕事はできなかったろうね。

拓郎   つまり今のレコード業界ってのはさ、 一つの歌を作る場合、まず作詩家と作曲家に ディレクター、宣伝マンなどが一堂に会して 「こんな詩にしませんか」とか「こういった メロディがほしいんですが」なんて、みんなでいろんなアイデアを出しあってから作業に かかるというのが普通のやり方でしょ。でも 我々の場合は、そういうことは一切なし。森 進一の『襟裳岬』の時だって現場のディレク ターなど、まったく介在させなかった。

岡本   それからお互いに相手の領分を絶対おかさなかったと思うんです。例えば僕の方に 先に依頼があって一緒に作ろうという時は、 詩を書き上げるまではこちらに自由に作業さ せて欲しい、それでいい詩だと思ったらやってくれ、悪いと思ったらやめてもいいと、そんなふうに僕は言ってきたし、拓郎の方から歌作りの話が来る時も、ディレクターはこんな注文をしてきたんだけどみたいな話はまったくなかった。お互いに第三者を介入させずに、お互いの領域をおかすことなく、自由に自分の仕事に最善を尽くしてきたから、またうまくいったのじゃないだろうか。

拓郎   逆に言うとね、例えば俺のところに依頼があっても、詩は岡本おさみじゃなけりゃやらないよ、なんてあの頃は本当にそうだったんだよ。二人で作った曲をうたう歌手は誰かなんてことは、極端にいうと誰でもよかっ た。二人が納得して作れればいいというか、 要するにNGを覚悟の上でやるという感じだったわけ。ただあの頃は、没になるような仕事は俺たちのところには絶対依頼してこなかったね。とにかくどんな歌でもいいから二人にお願いしたい、口出しはしません。おまかせします、って感じだった…。

岡本  だけどさ、『襟裳岬』のときだけは初めて拓郎からテープをもらって聞いたとき、本 当にびっくりしたね。拓郎のアレンジしてきたリズムは『結婚しようよ』と同じような軽快なリズムだったんですよ。それで言葉の方は一見重たいような感じのものでしょう。ある音楽雑誌の人にその拓郎が歌っているテー プを聞かせたら「これは絶対ダメだ、売れな い」って言われてすごく不安だったのを今で もよく覚えている。あの曲はアレンジの勝利 だったのかね(笑)。

拓郎  ただアレンジが変わってよくなったと いうのは、俺としては非常に不愉快なわけよ (笑)。俺が自宅でデモテープを録音したときのアレンジってのはキャロル·キング風で、ア レンジャーに渡すときも”キャロル·キング 風にやってほしい“って注文書きを付けたく らいでね。森進一がそんなふうに、ビートのある歌い方をするのもいいんじゃないって思ってね。でも、やっぱり出来上がりは森進一ふうになっていた。まあ、それよりも『襟裳 岬』に関しては、岡本おさみに負けたと思ったし、今でもそう思ってるね

岡本  でも、あれはやっぱり森進一も良かったと思う。あの歌の言葉の中には”暮らしの 匂い“なんてあんまりないわけですよ。比較 的きれいな言葉でね。そんな詩があの人の声 にかかると、パアーッと人間の暮らしが浮き あがって見えてきた。あの辺はすごいですよ ね、やっぱり…。

拓郎  それで俺は自分のLP『今はまだ人生 を語らず』の中で、ささやかな抵抗をした(笑) 。俺のアレンジは最初ああいう感じだったんだってね(笑)。でも、やっぱり小室(等)さんなんかも、森進一のものの方が数段にいいって言うもんね。

|

2005/08/01

77年大いなる人・拓郎×岡本おさみ対談① 決定的な出会いは『旅の宿』 と「フォーク·ヴィレッジ」

Fullsizerender_54

二人だけで直接会って話すのは本当に久しぶりだった。いや正確にいうと10数日前二人は会っているのだが、その時は他にも大勢の人をまじえた席であった。それだけに二人の間には、ある種の懐かしさと共に、緊張感さえただよっているように思えた。話は過去の思い出ばなしからゆるやかに入っていったが、次第に現在あるいは「歌」の話になっていくと熱い炎が二人の間を飛び交いはじめ、時にはぶつかり合い、時にはすれちがい、笑いや共感の輪をつくりだした。そして、それぞれ固有の確固たる世界と信念で生きてきた二人の男の"生きざま"が、相手の世界と鏡のように反射しあいながら、"いま"に生きる男の心情を浮きぼりにしていった。

【 決定的な出会いは『旅の宿』 と「フォーク·ヴィレッジ」 】

まず初めに”歌作り“という部分での二人の出会いの話からでもしていただけますか。

拓郎  岡本おさみの詩ではじめて僕が歌を作ったのは『ハイライト』という曲でね、確かジァンジァンでコンサートをやる少し前だっ たと思う。それを高田渡ふうのブルース進行で歌っていたら、岡本ちゃんが「そんなふうにサラッと歌われたんじゃかなわない、そう いう詩ではないはずだ」って言ってさ、いろ いろ批判されたのをよく覚えている。

岡本  そうそう、ジァンジァンでコンサートをやろうということになって、僕がノートに詩を書いて、拓郎ところに持っていったんだ よね。その中から最初に曲になったのが『ハ イライト』と『花嫁になる君へ』だった。

拓郎  それで『花嫁--』のほうは岡本ちゃんも納得したんだけど、『ハイライト』のほうは気に入らなくてさ。あの歌はオレ、ステー ジで少し茶化して歌っていた。だからお客さんがゲラゲラ笑うわけ。それが当時の岡本お さみには耐えられないことだったんだよね。

岡本  そういう体質なんだよ…。

拓郎  あんなふうに笑われる歌じゃないんだ って盛んに言ってたよ。俺の詩のとらえ方が 岡本ちゃんにとってはまったく感違いにしか思えなかったんだろうけど、俺はあれでいいんだと思っていたから、それで押し通した。 だけど「おまえの解釈は違っているんだ」と 言われて、でも俺は「ちがわねえよ」ってツッぱって、結局当分一緒に歌作りはできないということになり,やらなかったんだよね。 そのあとは、もう『旅の宿』になっちゃう。

岡本  『旅の宿』の前に、それ以外に何もなかったんだっけ…。

拓郎  いや、『こっちを向いてくれ』ってのが あって、ステージではずっと歌っていたけれ ど、レコーディングしたのは『旅の宿』よりあとだった。

岡本  やっぱり「旅の宿』からかな。なんか溶け始めたなって感じになったのは…。

拓郎  そうだね。あの『旅の宿」の詩を電話でさ、いい詩があるから書きとめてくれって言われて受けとった時はね、とにかく最初の "ゆかたの君は、ススキのかんざし…"というところだけで、いや…、これはすごいんじゃないかって体にブルッときたもん。でもまあ『旅の宿』をやるまでは、本当にあんまり 二人は合わないんじゃないかって感じだったよね。ただ当時ニッポン放送の「フォークビレッジ」という番組で一緒に仕事をやってたから、縁が切れなかった。それがその後にい い方向の結果を生んだんじゃないかな。

岡本  そう、僕が構成やって、その上しゃべ らされたりもしていたから、最低限のコミュニケートが拓郎ともできた。

拓郎   一応俺がパーソナリティでしゃべって いたんだけど、その間ずっと岡本ちゃんが目 の前にドーンと座っているわけよ。それでレ コードをかけている合い間に、ああじゃ、こうじゃって、いろいろ話しながら番組を作っ ていた。結局俺と岡本ちゃんというのは、あの番組を通して知り合い、何らかのコミュニケートをしていたんだよね。

岡本  拓郎がしゃべって、僕が番組の構成をやっていたから、実際いやでもマイクをはさんで、必ず定期的に顔を合わせていた。それ があとにつながったと言えるかもね。

拓郎  俺の前にこの番組のパーソナリティをやっていたのが佐良直美で、ジミー時田の時から岡本ちゃんがやっていたというから、この番組の主みたいに当然のごとく岡本ちゃんが LFにいて俺たちも必然的に会うようにな ったわけ。そうやっているうちに『旅の宿』 ができてうまくかみ合うことができた。やっぱりこの曲が決定的な事件だったね。一番最初の『ハイライト』では決定的にやばくなっ たのに、その後うまくいくようになったのは…。

岡本  だけど『花嫁になる君に』が、『ハイラ イト』の危機を救ったようなところがあったんじゃない。

拓郎  それはあったろうね。ただあの頃は、 岡本ちゃんと話をして、歌作りの途中で詩を こう変えようとか、メロディをこう変えよう とか、そういうことはまったくなかったよね。 作られてきた詩にそのままメロディをつけて歌うとかさ、たとえば「拓郎、そこのメロディおかしんじゃないか」とか、岡本ちゃんからもそういう話は全然なかったし、「こういう メロディになったから、岡本ちゃん、ここち ょっと詩を変えてよ」なんて話もまったくな かった。あの頃は、とりあえずレコードになるとか、作品が商品になるんだみたいなこと をまるで考えてなかったからね。とにかくス テージで歌う曲ということだけで作っていた

岡本  『旅の宿』も確かそうだった。シングル盤のレコードになるなんて考えてもなかった。 拓郎がステージでやっていて、すごく反響が 多いから深夜放送かなんかで流したんだよね。 そうしたらたちまちリクエストのトップになったったという話を聞いた。そうきいたとき、僕 としてはどういう歌がみんなに受けるいい歌 なのか、何もわかっちゃいなかったから、ただへエーッって驚いていた。 その後レコーディングのとき、スタジオに 行ったんだけど、ステージでの拓郎の弾き語りばかり聞いていたものだから、どうなるのだろうかって本当に興味深々でしたよ。とい うより実は恐ろしくてね…(笑)。だってダンボール箱をもち出してきて、それを叩いてリ ズムをとっていた。ドラムの音じゃダメだといってね…。なんかわけがわからなかったけれど、それを見てて、やっぱり音楽家っての はすごいなって......(笑)。

拓郎   このレコーディングはどうなるんだって心配そうに言ってたもん。

岡本  だけど、ミュージシャンには、ドラムじゃなくてダンボールを叩くというのが、ある種の感覚的な判断なわけでしょう。最後には、こういうサウンドでまとまるんだってい う構想があったわけでしょう?

拓郎   いや、それがまるでなかった(笑)。

岡本  でも、あの時僕はすごい尊敬したんだよね、ミュージシャンと呼ばれる人たちを。

拓郎   いや、実のところは俺も一体どうなる ことかって思ってた(笑)。アレンジやってい た石川(鷹彦)だって、そう思っていたはずだよ、あの時は……。

岡本  僕はマンドリンの音が入った時に、ワーツすごいと思った。

拓郎  そう、マンドリンを入れて、ハーモニ が入った瞬間に、これはいけるって俺も思 ったよ。

岡本  僕としてはとにかくダンボールを使ったのをみて、まずミュージシャンというのは尊敬に値いする人々だと思ったわけ(笑)それで、もうこれ以上絶対に口だしはしちゃいか ん、自分の領域じゃないと思った。

拓郎   いや ダンボールの中に布切れ詰めこんで、その前にマイクを立てて叩くわけなん だけど、そうするとバスドラの音がするのよ。 でも、あれは感覚的にすすんでたというかキマッてたね。できあがりを聞いた時、これは絶対、間違いなく売れると思った。 でも、それよりも何よりも、あの歌は詩がすごかったよ。詩の勝利だよ。あんな詩はもうなかなかできないんじゃないかな…?

岡本  最近でもないもんな。結局ね、こういうことが言えると思うんですよ。当時、言ってみれば洋風な曲を作りたいっていう気持ち が僕にもすごくあったわけだけど、その辺のところは、今度僕が書いた「旅に唄あり」 という本で、やっと何年かぶりに種明かしし たのだけれど、この数年で僕が旅をしながら見た風景というのは、まさに日本以外の何ものでもなかったわけです。で、拓郎もあの頃 の歌っていうと、ブルースっぽいというか、 そういう感じの歌を多く作っていたけれど、 その中には常に妙に日本的なところのあるものが多かった。『ともだち』という歌にしてもね。で、とにかく洋風のというか、アメリカ やイギリスのレコードを聞いて、それにただかぶれてしまって歌を作るんだ、というのとは違うものが拓郎にもあるということがわかって、それで何かものすごく気軽になったみたいなところが僕にはあった。今だから言うのだけれどね…。

|

その他のカテゴリー

かぜ耕士「どこかでラジオが」 '09ツアー '79Super Jam 120曲のニューフォークを創った"日本のボブ・ディラン" 平凡パンチ1970.3.30 1972年1月21日吉田拓郎「結婚しようよ」がリリース~「闘う歌」から「暮らしの歌」への大転換となった歴史的な一曲・執筆者:鈴木耕 2006秋ツアー 2007ツアー 2009 TOUR 2014.7.6AMラジオ・由紀さおり「ルーム・ライト(室内灯)」を語る 2014.7.6AMラジオ・由紀さおり「巨匠・吉田拓郎」・「ルーム・ライト(室内灯)」を語る 2014LIVE 2015.11.22当時ユイ責任者川口勇吉さんが語る"'79篠島"エピソード・東海ラジオ田家秀樹J-POPタイムカプセル1975(別垢より移動) 2018.5.17ビリオンラジオ・「出発の歌~吉田拓郎·中津川フォークジャンボリー伝説の真相~名曲神田川の秘密」 2019.12.13吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD 2019吉田拓郎 ライブ'73 2020.1.14 伊集院光とらじおとゲスト瀬尾一三 2020.1.16中島みゆきは進化し続ける「天才」 プロデューサー瀬尾一三が語る 2020.1.30 フジテレビNEXT石田弘へきくちから 2020.1.30吉田拓郎さんの「お前、人生を攻めてるか」・放送作家 西川栄二のブログ 2020.2.21吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD 2020.2.3梓みちよさんが死去 音楽評論家の田家秀樹氏「明るくて色っぽい歌声が印象的でした」 2020.4.14吉田拓郎のラジオ番組を聞き終わった後で、鬱々とした日々に希望がもたらされたことに気がついた・ 2021.4.24堂本 剛とFashion & Music Book・拓郎への想い 2022.4.17東京新聞 「つま恋」「全国ツアー」「フォーライフ」……。吉田拓郎、本紙に語る 2022.6.25&7.2吉田拓郎×篠原ともえラストアルバムを語る 2022.7.2 「読売新聞朝刊・週刊エンタメ」にて吉田拓郎独占インタビュー 4/10日曜日のそれ(ニッポン放送)■掲載中■ 7月15日 産経新聞 拓郎 愛と絆のラストTV 7月3日「究極セレクトアルバム拓郎」 東京中日スポーツ ALL TOGETHER NOW ANN GOLD番宣 Bob Dylan CMに見るDJとフォーク歌手総点検・拓郎編・72.7深夜放送ファン DJファン投票ベスト30 ・深夜放送ファン1972年8月号 FM COCOLO J-POP LEGEND FORUM FM NACK5 FM NACK5 拓郎・幸ちゃん THE ALFEEは拓郎の命の恩人 FM東京フォーエバーヤング FM特番■デビュー20周年記念番組■ 元気です!」■全35回掲載中■ From T FTBの帰国を前に・・・吉田拓郎君へ いったい俺は何を目ざしているのか・・・内田裕也 Happy 74th Birthday Happy Birthday HIKE OUT HIKE OUT STAFF VOICE IMPERIAL J-POP LEGEND FORUM J-POP MAGAZINE J-POPの歴史「1980年と1981年、劇的だった80年代の幕開け」 J-POPの歴史「1984年と1985年、ニューミュージックから新世代へ」田家秀樹 J-POPの歴史「1986年と1987年、新しい扉が開いたロック元年」 田家秀樹 John Lennon__ K's Transmission KinKi Kids KinKi Kidsの恩人、吉田拓郎 堂本光一(日経エンタテインメント!) Kトラゲスト猫2005.11.18 LIVE 2012 LIVE 2014 Live 73 years_ Live at WANGAN STUDIO 2022 LIVE2012 LIVE2016 LOVE LOVEあいしてる LOVELOVEあいしてる MUSIC AIR Live Lab.#21:青山純Super Sessions LIVE! feat.今剛×伊藤広規×KAZ南沢×エルトン永田×Mac清水_ MUSIC FAIR - 2月22日土曜日夜6時 2020年アニバーサリーセレクション MUSIC Sketch Book最終回 吉田拓郎 1983週刊FM2.23→3.13号 My Tube New Album 「ah-面白かった」 NHKショータイム吉田拓郎 NHKラジオ深夜便 NHK青春プレイバック吉田拓郎ゲスト NY24時間漂流コンサート SATETO・日清パワーステーション SONGS SOUND MARKET '83 T's-R Takuro FOR YOU-2 Takuro NEVER SHRINK BACK AND ALWAYS SURE MESSAGE FROM 小倉エージ_ TAKURO YOSHIDA CONCERT TOUR 1989 TAKURO YOSHIDA TOUR 1989 - 90 人間なんて TBSドラマ゛しあわせ戦争」 TBSラジオ復刻・拓バカになった みうらじゅん×えのきどいちろう TBS水曜劇場 ドラマ おはよう The Musician's GuitarVOL.2 吉田拓郎 シンプジャーナル1984.8 TOKYO MOTOR SHOW 2017_ TOUR 1978 ~大いなる人~ TY INFO TY メッセージ TY-ONLINE SHOP TYIS TYIS CD「 From T」8月29日発売 TYIS magazine TYIS NEW ALBUM 「From T」ジャケット初公開 TYIS OFFICIAL GOODS TYIS4月より、「吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD」の出演が決まりました。 Tセレクション「The STACの腕時計」 Welcome to GRACELAND & Keigo Kageyama's LABEL・グレイスランド&蔭山敬吾のブログ・吉田拓郎の「ビート・ピッキング革命」まとめ読み WOWOW YO-KING、曽我部恵一、MOROHAが居酒屋で弾き語る「スズコウ★ナイト2・野の仏(吉田拓郎) / YO-KING YOKOSO ■青春のフォーク 南 こうせつ24・【真夜中のロックンロール】 時代の証言者・読売新聞2017.8.26朝刊 ■青春のフォーク 南 こうせつ・【つま恋が地響きに】 時代の証言者・読売新聞2017.8.24朝刊 ◇新譜ジャーナル'82.11偉大な先輩、素晴らしき後輩に乾杯 8月12日坂崎幸之助のオールナイトニッポン: 吉田拓郎・アルフィー誌上放送 「URC50thBEST 青春の遺産」 50年前の若者たちの「どう生きるか」タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」 「ジャケットイラストは音楽への恩返し」江口寿史の最新イラスト集 「俺たちが音楽の流れを変える!〜フォーライフ 4人の冒険〜」 「十年目のギター」が残したものは? ・新譜ジャーナルベストセレクション'70s 1980 「吉田拓郎」 ぼくの音楽人間カタログ 山本コウタロー著 「夏休み」歌碑除幕式 「音楽と契約した男 瀬尾一三」 吉田拓郎の寄稿文も収録 『今はまだ人生を語らず』、『COMPLETE TAKURO TOUR 1979』2作品が完全復刻 名曲「ペニーレインでバーボン」も収録 『漁港の肉子ちゃん』主題歌「イメージの詩」MV / 稲垣来泉 【5/18】田村正和さんとの思い出。・残間里江子のブログ 【東映チャンネル】影の軍団 服部半蔵 2018/11/9(金)11:00~13:30 ‬森下愛子出演 【第16回輝く日本レコード大賞(1974年)】CS296 12/01 11:00~12:50_ あぁ青春のアヘアヘ物語 あいみょん あなたとハッピー! あなたに影武者がいたらどうする? / 1980.6明星 おすすめサイト お喋り道楽 お知らせ かぐや姫 かもめ児童合唱団 かれが殺した驢馬 このブログの人気記事ランキング この唄を君に贈ろう■連載中■ ごめんね青春 じゅんの恩返し・拓郎編 すばる・吉田拓郎ロングインタビュー 2010・3 たくろうのお正月 たくろうのともだち / よしだ・たくろうの世界 たくろうの気ままな世界 たくろうパック たくろう旅の顔・ヤング・ギター'73.2 × ヤング・ギター・クロニクルVol.1吉田拓郎これが青春 ちちんぷいぷい歌碑ものがたり ~吉田拓郎編~2014.11.7 つぶやき つま恋 つま恋2006 はっぴいえんど ぼくの靴音/堂本剛  愛しています みうらじゅん よしだたくろうLIVE '73 よしだたくろうの母 吉田朝子さん・週刊平凡毒蝮三太夫シリーズおふくろ第34回 よしだたくろう・まんが履歴書=黒鉄ヒロシ アルバム サマルカンド・ブルー拓郎インタビュー アルフィー イメージの詩 イルミネーション エレックの時代Ⅱ萩原克己 エンケン オールナイトニッポン オールナイトニッポンGOLD カセットテープ・ミュージック ・ 第25回「吉田拓郎の歌詞が好き ガガンボン日記・拓郎編 キャンディーズへの手紙 吉田拓郎 クリスマス ケメ コンサート サマルカンド・ブルー REPORTAGE FROM NYC FROM THE STUDIO サマルカンド・ブルー安井かずみ・加藤和彦・立川直樹 対談 ザ・フォーライフヒストリアル~ペニーレインで雑談を ザ・フォーライフヒストリアル~ペニーレインで雑談を~ 第27話 名盤「クリスマス」 ザ・フォーライフヒストリアル~ペニーレインで雑談を~ 第28話 小室等 フォーライフ設立 ザ・フォーライフヒストリアル~ペニーレインで雑談を~ 第29話 小室等 ザ・フォーライフヒストリアル~ペニーレインで雑談を~ 第30話・小室等 六文銭の過去と最新アルバム「自由」 ザ・フォーライフヒストリアル~ペニーレインで雑談を~ 第31話テーマ水谷豊 ザ・フォーライフヒストリアル~ペニーレインで雑談を~ 第32話テーマ水谷豊「カリフォルニア・コネクション」 ザ・フォーライフヒストリアル~ペニーレインで雑談を~ 第33話・水谷豊 シンプジャーナル1984.11海外特写&レコーディング吉田拓郎 ジュリー×たくろう対談・ぼくたちすっかり酔っちまってね・ スティーヴィー・ワンダー チェリスト友納真緒さんのブログ・9/8つま恋! チャンネル銀河・中島みゆき特集 テレビ・ラジオ テレビ番組 ドラマ 時間ですよ第3シリーズ ドラマ『監獄のお姫さま』 ニッポン放送 全ての医療従事者への感謝・応援キャンペーン ニッポン放送のってけラジオ ニッポン放送アナウンサー ニッポン放送垣花アナウンサー拓郎にフルフールのゼリーを贈る バレンタインデー 吉田拓郎 ビートルズが教えてくれた 拓郎×岡本おさみ対談 ビート・ピッキング革命 フォークソングの東京・聖地巡礼 1968-1985 金澤 信幸 フォーク・ルネサンス フォーク村 ボブ・ディラン ポーの歌 ミニ情報 ムッシュかまやつ ムッシュかまやつ_ ヤングフォーク ヤングフォークNo.1 1972.初夏号 ユーミン ライヴ情報 ラジオDJ広場・サタデーナイトカーニバル 1980.6明星 ラジオでナイトブログ ラジオの青春 ラジオ深夜便 ラジオ番組 世界まるごとHOWマッチ 中國新聞・女性セブン 中島みゆき 中島みゆきが寄り添いエールを送る名曲集トレイラー公開 中島みゆきは「戦友」 プロデューサー/アレンジャーの瀬尾一三が語る2020/01/29 17:15 中川五郎 中沢厚子 久保利英明(弁護士) 亀渕さんの愛聴歌は拓郎のファイト!_ 二流の人 海援隊 井上陽水のベストパフォーマンスがここに! 『GOLDEN BEST』映像版が登場 人間研究・第3回《吉田拓郎》リタイアしない青春だからこそ 月刊明星1980.6 今夜は星空 いしだあゆみ 今日は何の日 今日までそして明日から 今日までそして明日から・大越正実 シンプジャーナル 1990.3 会員様限定 ハッピーセット販売のお知らせ 会員様限定ポスター販売のご案内 伝説のコンサート“わが愛しのキャンディーズ 作詞家・松本隆(71)の活動50年記念ライブ 僕の旅は小さな叫び 僕らの音楽 加藤和彦 南こうせつのオールナイトニッポン 南こうせつ・ニッポン放送のってけラジオ  原由子 吉田拓郎 吉田拓郎 '80~'81激走つづける男のスタイル 構成・文/こすぎじゅんいち 写真/山㟁正良 吉田拓郎 1982.7.27・Tour Final in 武道館 誌上完全再録 新譜ジャーナル'82.10 吉田拓郎 2019 -Live 73 years- in NAGOYA / Special EP Disc「てぃ~たいむ」とうちゃこ 吉田拓郎 アーチの向こう側(ツアー"人間なんて"・新作「176.5」) 文・石原信一 撮影・大川奘一郎 新譜ジャーナル1990.2月 吉田拓郎 ライブでナイト 2019 in 神田共立講堂 吉田拓郎 ・緑の新居 さらに飛翔への砦!'82.2 明星 吉田拓郎 今、更なる戦線布告・平凡パンチ1980.4.28 吉田拓郎1981年夏・新譜ジャーナル1981・10 吉田拓郎90年代へ・・・・・。・パチパチ読本 1990年_ 吉田拓郎INTERVIEWつま恋の朝、"これまでのオレ"は、死ぬんだ / '85.7シンプジャーナル 吉田拓郎LONG INTERVIEW 今、再び荒野をめざして 新譜ジャーナル'82.5 吉田拓郎×久保利英明弁護士(For Life1976創刊春号) 吉田拓郎×岡本おさみ対談 前後編 新譜ジャーナル1984年6月7月号 吉田拓郎×岡本おさみ対談1984 新譜ジャーナル_ 吉田拓郎×岡本おさみ対談 後編・ 新譜ジャーナル1984年7月号 吉田拓郎、「ラジオでナイト」 旧友に向かうような口調で「素」の自分を語る 田家秀樹 吉田拓郎、新ライブ映像 長く新しい「人生のアウトロ」・田家秀樹「誰も知らないJ-POP」 吉田拓郎、最新ライブ映像作品でオリコン週間ランキングTOP10入り最年長記録を樹立20191107 吉田拓郎さん「夏休み」JR谷山駅の到着メロディに2019.10.23 吉田拓郎さんのメッセージ 吉田拓郎と愛の歌 ('82オールナイト・ニッポン 最終回より)  吉田拓郎の「ビート・ピッキング革命」 吉田拓郎のオールナイトニッポン 吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD 吉田拓郎のオールナイトニツポンGOLD番宣 吉田拓郎の唄 吉田拓郎インタビューあなたとハッピー 吉田拓郎インタビュー・2005年8月20日(土)FM NACK5 J-POP MAGAZINE 田家秀樹 吉田拓郎インタビュー・新譜ジャーナル1977.10 吉田拓郎オフィシャルサイト 吉田拓郎クリスマス 吉田拓郎コンサート2019 吉田拓郎ドラマ曲 吉田拓郎ラジオ 吉田拓郎ラジオでナイト 吉田拓郎ラジオでナイトMyTube 吉田拓郎ラジオでナイトブログ 吉田拓郎・ムッシュかまやつ 吉田拓郎・男のライフスタイル / 平凡パンチ1984.3.19号 吉田拓郎夜のヒットスタジオ 吉田拓郎新居でご満悦 吉田拓郎死亡事件・1981年3月13日(金) オールナイトニッポン 吉田拓郎氏寄稿「広島という季節がその時そこにあった」 吉田拓郎詩集BANKARA 吉田町の唄YOSHIDA「若者共和国の120日」 地球音楽ライブラリー 坂崎幸之助 堀越のり、7年間の活動休止の真相は“がん闘病”だった 堂本光一SHOCKに拓郎 夏休み歌碑 大いなる人・拓郎×岡本おさみ対談 大野真澄 夫人へのプロポーズは吉田拓郎の「結婚しようよ」‥ノーベル賞の吉野教授 奈緒のANN 奈緒のオールナイトニッポン 奈緒インスタ 奥田民生と山口智充シンシア(吉田拓郎&かまやつひろしカバー) 女ともだち[ 4 ] 撮影/吉田拓郎 浅川マキ(文) 1984年月刊カドカワ8 安井かずみ 富澤一誠の「俺が言う 」 小室等 岡本おさみ 岡本おさみ・かまやつひろし対談 ビートルズが教えてくれた 岩崎宏美 島倉千代子『LOVE SONG』25年ぶりにリリース 幕末青春グラフィティ 坂本竜馬 広島フォーク村40周年記念同窓会&ライブ 広島フオーク村 広島修道大学「吉田拓郎歌碑除幕式」 微熱少年 心に残る歌を、あともう一曲 喜多條 忠インタビュー・聞き手/残間里江子 恋・酒・家出・喧嘩・なにをやってもまるでボンボンみたいなタクロウちゃん・・・!guts'72.5 所ジョージ・吉田拓郎 拓ちゃんCM 拓ちゃん小ネタ 拓郎、テレビで歌う・1972.4.23(日) PM5:00~ リブ・ヤング! 拓郎、東京キッド・ブラザースに歌を語る(かれが殺した驢馬) 拓郎カレンダー 拓郎・おケイ 6月26日の朝 72.7.18週間プレイボーイ 拓郎中国文化賞受賞 拓郎出演テレビ番組 拓郎展 拓郎新譜 拓郎関連ブログ 斉藤哲夫 / されど私の人生 新六文銭 新日本風土記年末スペシャル 新聞 新聞記事・拓郎 旅する詩人・岡本おさみの歩いた'70年代/BE-PAL2007.10月号 旅に唄あり 岡本おさみ / 襟裳岬 旅に唄あり 岡本おさみ_ 旅の重さ 日常 映画「恋妻家宮本」 映画「漁港の肉子ちゃん」 映画「結婚しようよ」 映画「結婚しようよ」佐々部清監督死去 映画・甘い暴力 普賢岳災害救済 スーパーバンド 曽我部恵一と後藤まりこ、「結婚しようよ」をカバー 月刊牧村 夏期ゼミ#2 『東京から世界へ』その1 PA界の先駆者'チョーさん'・自腹で吉田拓郎のツアーに参加 木村拓哉 村上“ポンタ”秀一さん 東京FM 松任谷正隆×吉田拓郎・ちょっと変なこと聞いてもいいですか 松任谷正隆 松任谷正隆「クルマとトイレ」 松本隆「外白」を語る 松田聖子や吉沢秋絵の曲を手がけた理由 プロデューサー/アレンジャーの瀬尾一三が語る 桑田佳祐 梓みちよんを偲んで 梓みちよメランコリーを語る・喜多條忠メランコリーを語る(ラジオ) 森下愛子 検見川廣徳院 椿町ロンリープラネット14・やまもり三香 歌謡ポップスチャンネル 残間里江子さん 残間里江子・加藤和彦 Interview 江口寿史さん『RECORD』 江口寿史さんレコジャケ 集 『 RECORD 』 ( 河出書房新社刊 ) 吉田拓郎さんからの寄稿も収録 江口寿史氏『RECORD』 河北抄(5/21) 街を出てみよう。シンガー・ソングライターの吉田拓郎さんは1970年の作品『こうき心』で、こう呼び掛けた。 泉谷しげる 泉谷しげる、90年代以降から「阿蘇ロック」に至るまでを振り返る 深夜のラジオっ子 村上謙三久 テレビじゃ、これは伝わらない・田家秀樹に聞く 深夜放送ファン 満島ひかり 瀬尾一三 火曜ドラマ「監獄のお姫さま」(通称 プリプリ) 燃える38時間 Takuro Yoshida Island Concert in Shinojima 特別番組『吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD』12月13日 玉城ちはる 王様達のハイキング 田中秋夫 田中秋夫が語るラジオ局が結集した〝伝説〟のコンサート 田家秀樹 田家秀樹 Kei's BAR__ 田家秀樹『Music Timeline~音楽年表~』 田家秀樹ブログ・新・猫の散歩 田家秀樹ブログ・新・猫の散歩 ・浅川マキさん、10周忌。 甲斐バンド 矢島賢さん 石川鷹彦さん 秋元康氏とユーミンに共通するクリエイターの感覚 竹田企画 篠原ともえ×奈緒 2022.8.6東京プラネタリー☆カフェ 紅葉 / 島倉千代子 純情 -なぜか売れなかった ぼくの愛しい歌 - 阿久 悠 自分の事は棚に上げて 芸能界でコーヒー・ブレイク 吉見佑子-吉田拓郎編- 菅田将暉 落合恵子のちょっと待ってMONDAY 落陽 / 旅に唄あり 岡本おさみ 蔭山敬吾さんブログ 蔭山敬吾のブログ 蔭山敬吾ブログ 襟裳岬 訃 報 記念日 諸人こぞりて / 街を片手に散歩する 諸人こぞりて・街を片手に散歩する 貧乏学生の胃袋を支えてくれた目黒区「ダイエー碑文谷店」の思い出 過去ログ 遠藤賢司 重松清 阿久悠 雑誌 青春のフォーク 南 こうせつ27・【あの頃にタイムスリップ】 時代の証言者・読売新聞2017.9.4朝刊 青春のフォーク 南 こうせつ27・【大雨の「サマーピクニック】 時代の証言者・読売新聞2017.8.30朝刊 音楽 音楽と契約した男 瀬尾一三 瀬尾 一三とうちゃこ 音楽プロデューサー・瀬尾一三が手掛けた作品集第3弾が発売!中島みゆき、吉田拓郎、徳永英明らの名曲収録 音楽番組 駅に流れるメロディー 名曲訪ねて九州一周してみた 高田渡&よしだたくろう - '70年9月16日 ライブ 黄金の60年代、「キャンティ」とその時代 川添象郎・ムッシュかまやつ・ミッキー・カーチス