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2017/06/06

吉田拓郎、画期的トリビュートアルバム登場 原曲とは一変した世界の味わい / J-CASTトレンド

吉田拓郎、画期的トリビュートアルバム登場原曲とは一変した世界の味わい

タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」

「吉田拓郎」という名前で連想する姿、イメージはどういうものだろう。

例えば、20代から30代だとテレビ番組「LOVE LOVE あいしてる」でKinKi Kidsと共演していたサングラスのお茶目なおじさんで、40代や50代だと、浜田省吾や長渕剛に影響を与えたスーパースターであり、それ以上だと若者文化の旗手で時代を変えたフォークのカリスマ、ということになるのだろう。いずれにせよ世代によってかなり違いがあることは間違いない。

世代によってイメージするものが違うにせよ、70年代以降の日本の音楽シーンで最も影響力があったのが吉田拓郎だということに異論を挟む人はいないのではないだろうか。

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「自分はフォークじゃない」

彼が「イメージの詩」でデビューした1970年は、「演歌の星」藤圭子が爆発的に売れていた年だ。

60年代の後半に登場したフォークソングは、まだメジャーな音楽ではなかった。「長髪の生意気な学生がやっている理屈っぽいアングラな音楽」としか思われていなかった。アングラ、つまりアンダーグラウンドである。

そんな状況を変えたのが72年の拓郎の「結婚しようよ」だった。長髪の若者の結婚賛歌。LOVE&PEACEの歌でもある。それまで無縁だった歌謡曲のチャートでも上位にランクされ、フォークやロックがメジャーな「売れる」音楽になった。ギターを持って自分の言葉で自分の歌を歌う。シンガーソングライターという言葉が広がって行くきっかけにもなった。それでいて、彼は「音楽をちゃんと取り上げてくれない」とテレビの歌番組や芸能週刊誌を拒否し、それが「生意気」とバッシングされ、そのことが彼を新しい世代の旗手に祭り上げて行く。

吉田拓郎が開けた新しい扉はたくさんある。例えば、コンサートツアーもそうだ。それまではリサイタルとか鑑賞団体の公演が主体だった地方公演をツアーという形にした。音響や照明などのチームを組み、北から南まで日本列島を旅して行く。今は当たり前の形態を始めたのが彼だ。なぜ彼だったか。そんなにお客さんが集まる人がいなかったからだ。

野外イベントもその一つである。75年の静岡県掛川市の「つま恋」多目的広場で行われたオールナイトイベントには約6万人が集まった。史上初の大規模なオールナイトイベントだった。

それだけの影響力があったにも関わらず、だ。この20年くらいテレビで放送される「70年代フォークなつかしのリクエスト」のような番組で吉田拓郎の曲が上位に来ることは多くない。

ヒット曲がないわけではない。その逆である。曲のジャンルやスタイルがあまりに多岐に渡っている。例えば「結婚しようよ」や「旅の宿」など自分で歌ったものから森進一の「襟裳岬」やキャンデイーズの「やさしい悪魔」のようなジャンルを超えたヒット曲もある。あの人と言えばこの曲、と言った突出した曲を選べない。そして、吉田拓郎自身が、「自分はフォークじゃない」と公言し、そういう括りに収められていることを拒否しているからでもある。

彼が「フォークじゃない」というのは、頑なになっているとか、照れくさいというような次元ではない。当時から彼の音楽を聴いている人は知っているだろうが、学生時代に最初に組んだのは、ビートルズスタイルのバンドだ。渡辺プロにバンドメンバーと一緒にデモテープを持ち込んだこともある。その後のバンドは、岩国基地で米兵を相手にR&Bを演奏していた。彼は「ライバルはタイガースだったんだよ」と何度となく口にしている。

それらの試みが思うような結果を残せずに、半ば遊びのつもりで広島のフォーク団体を束ねて作ったのが広島フォーク村だった。そこで制作した自主アルバム「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」の中の「イメージの詩が、プロデビューのきっかけとなった。

つまり、たまたま「フォーク」だった。でも、彼の音楽には、ロックもリズム&ブルースもバンドのアンサンブルもある。いわゆるフォークソングではない。

「僕も96年に「LOVE LOVEあいしてる」を一緒にやるまでは、フォークの人なんだろうなという印象を持ってました」

音楽プロデユーサーの武部聰志は、そう言った。

奥田民生からchayまで顔ぶれ多彩

2017年6月7日、彼が企画制作した吉田拓郎トリビュートアルバム「今日までそして明日からも、吉田拓郎 tribute to TAKURO YOSHIDA」が出る。

それだけの存在でありながら、これまでトリビュートアルバムらしいものが殆どない。

なぜかという答えは簡単だ。

彼の存在感が強すぎるからだ。

客席を圧倒する歌の力強さやカリスマ性を超えられない。他の人が歌った時に違う味わいが出せない。吉田拓郎のツアーバンドのリーダーであり、松任谷由実のツアーの音楽監督を30年以上にわたってつとめているキーボーディストならではの解釈とアレンジで、「拓郎メロディー」の新しい魅力を引き出している。「LOVE LOVEあいしてる」の音楽監督も彼だった。

「華やかなものにしたかったんですね。拓郎フォロワーと言われる人たちが歌う男の歌、というアルバムは今までもあったと思うんですが、そうじゃないものにしたかった。鍵盤中心にするとオシャレなアレンジになる。メロディーの持つ繊細さとか、ロマンチックな情感。僕が拓郎さんのライブで演奏する時には、絶対にこういうアレンジではやらないだろうなというアプローチだから良かったんだと思います」

曲は、拓郎マニアでなくても誰もが知っている代表曲。歌っているのは、高校の後輩の奥田民生、90年代生まれのchay、Mrs.GREEN APPLE、弾き語りの竹原ピストル、両親が聞いていたという鬼束ちひろや一青窈らの個性派女性、同世代の井上陽水や高橋真梨子、カバーの大御所、徳永英明、自分で歌いたいと名乗り出た織田哲郎、公私ともに親交のあるTHE ALFEE、やはり広島の後輩のポルノグラフィティ...。

原曲とは世界を一変させてしまったような曲もある。女性が歌う事でメロディーが際だった曲もある。稀代のシンガーソングライター曲から「歌」を外した時に何が見えてくるのか。

メロディーメーカーとしての吉田拓郎。トリビュートアルバムの面白さというのは、こういうことを言うのだと思う。

タケ

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2017/02/23

穏やかさと清々しさが漂うデビュー47年目 70歳「今日までそして明日から」=田家秀樹 サンデー毎日

穏やかさと清々しさが漂うデビュー47年目 70歳「今日までそして明日から」
田家秀樹 サンデー毎日
1970年代から音楽界のトップランナーであり続け、カリスマ的存在でもある吉田拓郎が70歳になった。デビューから47年。彼はどう変わってきたのか、それとも変わらないのか。音楽評論家でノンフィクション作家の田家秀樹氏が、その実像を浮き彫りにする。


こういう吉田拓郎は初めて見るのではないだろうか――。
 去年の10月27日、横浜市のパシフィコ横浜で行われた吉田拓郎のコンサート「LIVE 2016」について、僕は、『毎日新聞』夕刊でのライブ評にそう書いた。
何が初めてだったのか。
 特別な演出があったとか、セットが凝っていたとか、今まで着たことのない衣装だったとか、そういう目に見えることではない。
 ライブ自体は、これまでの代表曲と、今の彼の心境を思わせる曲が心憎いまでの配慮で選曲され、2012年のツアー以降のバンドリーダー、キーボードの武部聡志率いる気心の知れたミュージシャンと呼吸のあった歌と演奏を聴かせるという、オーソドックスそのものだった。
 彼のツアーは14年以来2年ぶりだ。その時よりも声は若い。伸びやかで艶もある。リハーサルに1カ月半も費やしたというバンドサウンドの一体感も一段と心地よい。それらも明らかに前回のツアーを凌(しの)ぐと思わせた要因ではあった。
それに加えて、これまでとは違うものがあったのだ。
“無垢(むく)”と言えばよいかもしれない。
 音楽に対しての無心さ。邪気のなさ。今、こうして音楽をやれていることを心から楽しんでいる。贅肉(ぜいにく)をそぎ落としたような身体ごと、あたかも憑(つ)きものが落ちたかのように音楽に没入している。
 若い頃の野心や闘争心、何かに立ち向かう激しい気迫やエネルギー、聴き手を圧倒する存在感が放つオーラなどとは違う穏やかな清々(すがすが)しさを漂わせていたのだ。温かい拍手を送る客席も、これまでにない温度感に包まれていた。
そういう吉田拓郎を見るのは初めてかもしれない、と思った。
 去年の4月、彼は70歳になった。
 人は誰でも年を取る。
 どんな少年でも若者でも、いつか大人になり、そして老いてゆく。
 ただ、同じように年を重ねていても、その過程での経験は人によって違う。それはミュージシャンであろうとなかろうと変わりはない。漫然とその年を迎えてしまった人と、いつの年齢であっても、その時なりのあり方を刻みながら生きてきた人。吉田拓郎は、明らかに後者だろう。
 1970年のデビュー曲「イメージの詩(うた)」の中の〈古い船を 今 動かせるのは古い水夫じゃないだろう〉という一節は、20歳の頃に書かれたという。彼の音楽人生は、新しい水夫としてその帆を揚げることから始まった。
 70年代に「30歳以上は信じるな」という言葉があったことをご記憶だろうか。
 世代の断絶。お手本なき時代。それが顕著だったのが音楽だった。軍歌や演歌で育った上の世代とは一線を画していた新しい音楽。そのシンボルがビートルズとボブ・ディランだった。彼らに影響された日本の若者達が作り出す新しい音楽の流れ。吉田拓郎は、その最前線にいた。
つまり、矢面である。
 72年に「結婚しようよ」が爆発的にヒットした時、従来のフォークファンから「裏切り者」「帰れ」と投石されたこともあった。テレビに出ない、芸能誌の取材は受けないという姿勢が「生意気だ」とメディアからのバッシングにもあった。
 73年に、今でこそ当たり前になっているコンサートツアーというスタイルを確立したのが27歳、「襟裳岬」で音楽の“フォーク”や“演歌”の壁を超えたのが28歳、初めてミュージシャンが経営するレコード会社、フォーライフレコードを設立、初のオールナイト野外イベント「つま恋」を成功させたのが29歳。「70年代に幕を引く」「生涯最良の日」とした2回目の「つま恋」が39歳。若かった頃に憧れたロサンゼルスのミュージシャンと海外レコーディングを行ったのが49歳。「今までやったことのないことを」と初のテレビのレギュラー番組「LOVE LOVEあいしてる」に出演したのは50歳の時だ。57歳の誕生日に発覚した肺がんを克服、ツアーを重ねてから臨んだ3回目の「つま恋」イベントは60歳だった。
“生身”の拓郎はイメージと違う
 同じ事を繰り返さない。
 それぞれの年代で新しい自分であり続けようとする。
 そんな生き方に、心身ともに満身創痍(そうい)でもあったのだろう。2007年のツアー、09年に組まれた“最後の全国ツアー”は、体調不良もあって、ともに完走できずに終わってしまった。
 ただ、そういう事象を追った語り方に彼は関心を示さない。むしろ「不本意」と言う。09年のインタビューではこんな話をしていた。
「俺には、未(いま)だに分かってもらえてないという不幸があるの。インタビューでも『つま恋』や『フォーライフ』とか、音楽のことよりイベントとかの話ばっかりで。そういうのはミュージシャン、吉田拓郎としては、付録みたいなものであって、40年間歌い続けたということと新曲を作り続けたということだけが財産だと思ってるんだから。自分の作った楽曲だけを評価してくれれば良いんで、イベントとかはどうでもいい」
 初めて彼のライブに強烈な印象を受けたのは1971年に出たライブアルバム「ともだち」だった。くだけた口調での客席とのやりとりは、型破りで痛快だった。こんなに自由なライブがあるのか、こんなに自由な音楽があるのか、というのがその印象だった。
 その一方で「イメージの詩」の歌詞は、学園闘争敗北後、何を信じて良いのか分からなくなっていた僕らの心情そのものだった。あの歌で客席から起きる拍手は、当時の学生集会で掛けられていた「異議なし」という声のように聞こえないだろうか。
 それ以降の活躍は、前述の通りだ。次々と壁を越え、無人の荒野を行くような軌跡に、胸の透くような思いで喝采を送ったのは僕だけではないはずだ。それは、なかなか思うような結果を手にできないその頃の自分の未熟さや不甲斐(ふがい)なさを彼に託そうとしていたのだと、今は思う。
 僕は彼のどこを見ていたんだろう――。
 そう思い始めたのは彼が50代になろうとしている頃からだ。客席やメディアを通して見ていた“吉田拓郎”と、取材や番組などで関わるようになってからの印象はかなり違った。
 50歳の誕生日を迎える時のことだ。
 関係者が勧めるホテルや大会場での記念イベントに彼は頑として同意しなかった。
 理由は「お義理でその日だけ来てくれる業界の人たちより自分の音楽をずっと聴いてくれてきた人たちと過ごしたい」というものだ。
 最終的に、当時担当していたラジオ番組のリスナーのカップル達とハワイでパーティーをするということになった。
 彼は、会場となったホノルルの超一流ホテルの厨房(ちゅうぼう)にまで連絡を取って希望を伝え、バスツアーのガイドを買って出た。現地で笑顔でサインする姿に「ファンは嫌いだ」と公言していた“豪放磊落(らいらく)なカリスマ”像はなかった。
若かったころの自分と戦う
 40歳になる前に彼が書いた「誕生日」という曲に〈誕生日がまたやってくる 祝ってなんかくれるなよ〉という一節がある。55歳に出た「いくつになってもhappy birthday」では、〈誕生日がやって来た 祝おうよ 今日の日を〉〈人生の主役は君〉と歌っている。
 そんなバースデーソングの変化こそ、彼の年の重ね方を物語っていないだろうか。
 吉田拓郎がアマチュア時代に組んでいたのはダウンタウンズというロックバンドだ。彼の音楽の原点にビートルズや岩国の米軍基地で演奏していたR&Bがあると知る人がどのくらいいるだろう。バンドでデビューしたいと渡辺プロの門を叩(たた)いたこともある。デビューのきっかけとなった広島フォーク村を発足させたのはその後だ。彼が未だに「自分はフォークじゃない」と言い続けるのは、そういう成り立ちだからでもある。
 音楽家・吉田拓郎――。
 そんな類い希(まれ)な資質を見せつけられたのは03年からの瀬尾一三率いるビッグバンドのグループとのツアーだった。ストリングスやホーンセクションを加えたミュージシャンは総勢22名。彼は、全員が演奏する音を一瞬にして聞き分ける“天才耳”の持ち主だった。当のミュージシャンですら気付かなかった小さなミスを聞き取ってしまうのだ。「アンサンブルを楽しみたい」という彼が「弾き語りほど音楽的な刺激のないものはない」という根拠を見た気がした。
 06年に3回目の「つま恋」を行った時のことだ。
 1975年の「つま恋」で最後に歌われた曲が「人間なんて」だった。〈人間なんてラララ~〉というフレーズが延々繰り返される、自暴自棄にも似た盛り上がりは、あのイベントの象徴のようになった。
 あれをもう一度やろうというスタッフの意見に対して、彼は、こう言って激しい拒否反応を示した。「いい年をした客が『人間なんて』を歌うのはおぞましくないか」「今、あの時の自分と戦っているんだ。もし、全部の曲が終わった時、客が『人間なんて』を聴きたいと思ったら、俺の負けなんだ」。彼が選んだ最後の曲は新曲「聖なる場所に祝福を」だった。「緊張でほとんど覚えてない」という29歳の吉田拓郎ではなかった。
 人生の肯定――。
 2009年、「最後の全国ツアー」に向けたパンフレットに自らこう書いていた。
〈妻がいなかったら 僕は今歌ってなかったかもしれない〉
〈「いくつになってもhappy birthday」を作った時 素敵(すてき)な曲だとほめてくれた〉
〈吉田佳代と二人で人生を
 私たちなりのペースで続けていく これからも大きなテーマだ〉(一部抜粋)
 愛妻家・吉田拓郎――。
 週刊誌を賑(にぎ)わしたスキャンダラスなイメージはもうどこにもなかった。
 去年の秋の70歳の吉田拓郎のステージを見ていて、やはり2009年のインタビューでのこんな発言を思い出した。
「音楽が大好きで、音楽を人一倍愛してはいるけれど、音楽と一緒に自分が潰れてしまおうとか思わない。今までに音楽に壁を感じたとか、音楽で行き詰まったりしたことがないんだよ。一回もない」
 14年に発表された新作アルバム「AGAIN」に「アゲイン(未完)」という新曲がある。〈若かった頃の事をきかせて〉という始まりは、彼の新境地を感じさせた。ツアーで披露された完成形は、CDになっていなかった新しいこんな歌詞で結ばれていた。
――時がやさしくせつなく流れ
 そっとこのまま振り返るなら
 僕らは今も自由のままだ――
 1978年、32歳の時に発表した「ローリング30」で〈過ぎ去った過去は断ち切ってしまえ〉と檄(げき)を飛ばすように歌っていたのとは、明らかに違う。
〈そっと〉〈振り返る〉のである。過去を抱きしめ、慈しむように今を歌う。それが70歳を迎える彼の心境なのだと思った。
 自由であること。何者にも制約もされず束縛もされない。なぜインタビューを避けるのかという質問をしたことがある。彼は自分を“カメレオン”に例えていた。「人から訊(き)かれた時に、その人の期待に沿うように応えようとするタイプ」というのである。そうやって話してしまったことに後で必ず後悔する。だからインタビューは受けない。
 去年のツアー中に海の向こうから思いがけないニュースが飛び込んできた。
 75歳のボブ・ディランのノーベル文学賞受賞である。
 吉田拓郎は、ツアーの冒頭からディランの話をしていた。思春期にどれだけ彼の影響を受けたか。そんな話をしながら鼻歌のように歌っていた「風に吹かれて」は、受賞のニュース以降は、心持ち改まったようになった。敬愛する年上のアーティストの栄光。パシフィコ横浜の開演前に、異例の新聞記者との囲み取材を自ら希望、ディランについて話をしたのも、何かが変わり始めたように見えた。
「また始まりがやって来る」
 去年のツアーは、「北は大宮から南は横浜まで」5本という限られた規模だった。その最後に「今、俺、いいなあ、5年後に全国展開かな。75か。立ってられるかな。それよりみなさん生きてるのか」と笑顔で口にした冗句はその手応えの表れだろう。
 僕らはどんな風に老いてゆくのか。
 ツアー終了後、彼は自分のブログでこう書いていた。
〈誰もが健康で平和な
日常である事を祈りたい
まだまだ色々な事が待っている
強くなくてもいい
でも負けないで欲しい
誰かが誰かを見つめている
淋しい時哀しい時
祝いの時喜びの時
受け止めて
受け止めて
その先には
また始まりがやって来る〉
 吉田拓郎70歳――。
 今年に入ってブログの更新の頻度も増している。新曲もある。
 誰にでも、そこから始まる自由があるのだと思う。
 いくつになっても、だ。

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2017/01/26

田家秀樹ブログ・新・猫の散歩 1/25 「あらためて、広島フォーク村。」

田家秀樹ブログ・新・猫の散歩 1/25 「あらためて、広島フォーク村。」

そんなに長い原稿じゃないんですけど、書いておりました。もう少しかかりますね。媒体、というのかな。去年、依頼されてそのままになってしまって、お尻に火がつく形でやっております。どこからの依頼だったかというと、広島公文書館。すごいでしょ。

 公文書を集めた広島の図書館。公文書ですよ。アメリカ政府が発行したとか、広島県に残っているとか、そういう類いの文書でしょう。そこが発行する「被爆70年と広島」という本の中に「広島フォーク村」という項目を入れたいので書いて欲しい、ということでした。

 そんな、大それた、と思ったわけです。こんな部外者で良いんでしょうか、と聞いたら、何のつながりもない人で詳しい人が望ましい。中国新聞の連載「小説・広島フォーク村」を読みましたから、ということで納得したわけです。確かに、何のつながりも背景もありませんからね。

 6000字くらいなんで、ボリュームは多くないですけど、プレッシャーはありますよ。何せ、公文書(笑)。おっと、笑っちゃいけない。そのために中国新聞の「小説・広島フォーク村」を読み直してたんですが、結構、面白かった。

 2008年にの連載なんで、かなり忘れてましたからね。自分で言うのもなんですけど、連載のままになってるのが勿体ないという感じでした。まあ、色んな人が現存してお元気なんで、難しいこともあったりします。でも、何とか締め切りは間に合わせられそうです。

 ということで、明日も広島フォーク村。もう少し頑張りましょう。曲ですね。拓郎さん、「いつも見ていたヒロシマ」。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」の特集アーテイスト、2月も拓郎さんになりました。初の二ヶ月連続です。やったね(笑)。FM802の2月のマンスリーアーテイストも拓郎さんです。じゃ、お休みなさい。

♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:

 

J-POP LEGEND FORUM | FM COCOLO

2017/01/30/月  21:00-22:00

1/9 ON AIR分

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