カテゴリー「たくろうパック」の記事

2016/11/14

たくろうパック④ / 伊藤友治

  ④
 
■投書の葉書から生まれた「春だったね」
アルバム『元気です。』 ( 72年7月、 CBSソニー) A面の1曲目に「春だったね」という曲が収められ ている。実は投書の葉書から生まれた歌だと桝田が明かした。 「放送で読む葉書や手紙は全て私が選んで拓郎に手渡すことにしていました。番組に葉書を送ってくる常連のリスナーは結構大勢いました。田口淑子さんという女性も、そういう常連組の一人だったのですが 葉書に「春だったね」という題名の詩を書いてきたことがありました。読んでみると、なかなか良く出来ている。これ、読んでみる? と差し出したら、彼はざっと目を通し、その詩がとても気に入ったようでした。それから間もなくしてからです。拓郎は田口さんの作った詩に曲を付けて歌にしました。 彼女は、それがきっかけとなってプロの作詞家になりました」 拓郎パックの中で生まれた歌や曲は他にもある。桝田が作曲の舞台裏を明かす。
 
「拓郎に会って話がしたい」という夜間高校の生徒をゲストとしてスタジオに招いた時のことである。 ひと通りの話が終わった後、拓郎は「君もがんばれよ。激励のために僕が1曲プレゼントする」と言って、 突然ギターを弾き出した。予め用意していた曲ではない。その場で閃いた旋律とリズムを刻んで新しい曲 に仕上げた。青年は思いがけないプレゼントに大喜びで帰って行った。
(注: 歌詞中の「心の中に傘をさしてはだしで歩いてる」は「たどりついたらいつも雨ふり」に使われた)
■放送中のスタジオで乱舞した拓郎
若き日の拓郎はお世辞にもお行儀のいい人間とは言えなかった。大の酒好きで酔うと手がかかる。
ところが、彼の中にはやんちゃ坊主と恥ずかしがり屋の少年が同居している。だから憎めない。年上の兄貴分達から弟のように可愛がられた所以でもある。 「僕は吉田拓郎というアーティストのファンだったのです」 私の取材に対し、小室はそういう言い方で拓郎と親密な関係にある理由を説明した。そして幼い少年の ように無邪気で素朴な拓郎の一面を物語る逸話を披露してくれた。
「拓郎は知る人ぞ知る、プロレスの大ファンでした。そんな拓郎をビックリさせてやろうと1計を案じて実行したことがあるんです」 小室が語るビックリ大作戦の一部始終はこうだ。 その当時、アントニオ猪木は女優の倍賞美津子と結婚して東京·港区六本木のマンションに住んでいた。 その1階下にはジャズ奏者、渡辺貞夫の住まいがあり、彼と親しく付き合う猪木夫妻は入り浸っていた。 「世界のナベサダ」の部屋を訪れていた小室とTBSテレビのディレクター、高橋一郎はそこで偶然猪木夫妻と出くわした。丁度、水曜から木曜日に変わる深夜であり、今夜は『拓郎パック』がある。妙案を思い付いた小室はナベサダの口添えを得てアントニオ猪木を誘い出すと、自分の車に乗せ、午前1時過ぎ に赤坂のTBSに向かった。 スタジオでは拓郎がマイクロフォンに向かって喋っている。頃合いを見計らってそこに乱入する計画だ。 副調整室にいた桝田は前ぶれなしの来訪者に驚いた。 「とてもデカイ男がスタジオの入り口に立っていました。顔を見ると、なんとアントニオ猪木さんなん です。小室さんが連れて来たことは直ぐにわかりました。彼らはスタジオに入る気満々のようでした。特に止める理由もないし、笑って「いいよ」、と合図を送りました」 何が起きたのか。拓郎は一瞬きょとんとした表情になった。だが、猪木の巨体を視線に捕えると「 あっ、 アントニオ猪木だ。猪木さんが来た。本物のアントニオ猪木さんがいる」と叫ぶが早いか、猪木に抱き付いて喜びを全身で表した。よほど嬉しかったのだろう。拓郎は生放送のことなど忘れたかのようにスタジオ内をぐるぐる駆け回った。その時の拓郎は完全に無邪気な少年に戻っていた。 拓郎にまつわる逸話を桝田から幾つも聞いた。彼は拓郎のことを話す時、弟を気遣う兄のような優しい 顔になる。私はそう感じた。  

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2016/11/12

たくろうパック③ / 伊藤友治

③ 
略(第3回全日本フォークジャンボリー説明)
■1971.10.7きたやまおさむパック最終回
 
北山 という事で吉田拓郎君が来週から木曜パックを担当なさるというわけですが。さてこれからの抱負みたいな、どういうふうなパックにしていくかだって。
拓郎 ええ、これですね、まったく皆目見当がつかないわけでして。ボクはパックインミュージックってのはあまり聞いてないんですよ、正直な話として。どんな事やってるかっていうのは知らないんですよ。たまにコータローに会って話してるんですけどね。
北山 なるようにしかならない。
拓郎 そうですね。
 
■『木曜パック」  拓郎の世界
10月14日午前1時。スタジオでギターを弾き語る拓郎の歌声が夜空を駆け巡った。 「初回は何を歌ったんでしょうね。私の記憶に残っていないんですよ。番組のオープニングは必ず拓郎 のギターの弾き語りで始める。そう二人で決めました。歌う曲は拓郎が選ぶんです。放送が始まる前から 弾き語りを始め、番組がスタートした時には、もう歌の途中になっている、そんな感じでやってもらいました」
番組の終了間際にはいつも同じ曲がかけられた。余り耳慣れない曲だった。
あれは何という曲だったのですか? あれは桝田さんの趣向だったのですか?
「『避暑地の出来事』という曲です。拓郎がどうしても使って欲しい と言うので、その通りにしてい ました。なぜ、その曲なのか、特に理由は聞きませんでした」
 
『避暑地の出来事(原題: A Summer Place)』は59年(昭和34 )に米国で制作された映画である。スローン・ウィルソンによる同名の小説をワーナー・ブラザーズが映画化した。テーマ音楽はマックス・スタイナーが作曲した。その後パーシーフェイスのカバー曲「夏の日の恋(原題: Theme from A Summer Place) 」として発売され全米で大ヒットした。
 
略 (映画説明)

 

Fullsizerender_104_3 桝田と拓郎

 
■自由奔放な喋りと、熱気溢れるスタジオ
 
拓郎の自由奔放なトークはやはり面白かった。聴取者を掴むコツをちゃんと心得ている。下積み時代に 培ったライブ公演やコンサートの経験が十分に活かされている。桝田の観る目は確かだった。案の定と言うべきか、 『拓郎パック』は直ぐに人気番組になった。 毎週、スタジオにはフォークシンガーやアーティストが入れ代わり立ち代わりゲストとしてやって来た。それが『拓郎パック』の魅力の一つでもあった。
「もちろん拓郎の人脈もありましたが、スタジオの中はいつも賑やかでしたね。みんなでフォークを盛 り上げ、パックを支えて行こうという熱気に満ち溢れていました。憶えている名前を挙げてみましょうか。 南こうせつでしょう、 RCサクセション、五輪真弓、あがた森魚・・・切りがありませんね。月に1度、最後の週だけ小室等が遊びに来ていました。彼は一足先に世に出てお金もあったんでしょうが、拓郎や井上陽水が売れる前から兄貴のように面倒を見ていました。食事代から酒代まで支払っていましたよ。拓郎や陽水は恩義を感じてか、
小室等の言うことはハイハイとよく聞いていました」
 
 

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たくろうパック② / 伊藤友治


略 (拓郎プロフィール)
 
■吉田拓郎か、別のフォーク歌手か?
桝田は前々から吉田拓郎の存在を知っていた。 「広島のフォーク村に、ちょっと面白い歌
手がいるのよ」 湯川れい子のひと言がきっかけになった。まだ売れていないフォークシンガーの拓郎が「古い船を~」 のアルバムを出していることを知った。
「拓郎の歌は七·五調の定型があり、やたらに長いんです。字余りソングの草分け的なシンガー·ソング ライターですね。私にはそれが画期的なことのように思えました。また彼には独特のカリスマ性がありました。彼の曲がかかると、アッと言う間に拓郎ワールドが出来上がってしまう。そんなフォーク歌手はいませんでした」
拓郎に対する桝田の評価はすこぶる高い。しかし、実際のところは「木曜パック」のパーソナリティ に起用してみたいと思う別のフォーク歌手がいた。関西を中心に活動していた加川良である。
 
略(加川良プロフィール)
吉田拓郎か加川良か。桝田は思案に暮れた。歌や曲はともかく二人がどんな喋りをするのか、自分の目と耳で確かめてみるしかない。まず拓郎のライブ公演に行った。どの歌も字余りソングばかりで面白いと思った。特に弾き語りの合間に喋る話が爆笑ものだった。これじゃ、まるでフォーク漫談じゃないか。そう思えるほど楽しめた。それに対し、加川の喋りは面白味に欠けた。下手ではないにしろ、上手いと言えるほどではない。結論は出た。あとは
拓郎と出演条件を巡る交渉次第である。
■出演(起用)の条件
実際に拓郎さんに会ってみて、桝田さんはどういう印象を持たれたのですか?私は桝田の語る「拓郎論」に興味津々だった。矢継ぎ早に質問を繰り出した。
「拓郎は私より2歳年下です。自分の弟のようなものなんですが、器の大きな人物だなぁ、というのが第1印象でした。しかし、主張すべきところははっきりと主張する。その半面、シャイで恥ずかしがり屋な面も持ち合わせている。この男となら一緒に番組をやって行けると思いました」
出演の条件を巡っては、どんなやり取りをされたましたか?
「まず拓郎は、こんな風な言い方をしました」桝田はその時に拓郎と交わしたやり取りを再現してくれた。
[拓郎] 「やってみたいとは思いますが、TBSという会社の企画に当て嵌められるのは僕にとって大変きついんです。それは、どうなんですか?」
[桝田]  「毎週、放送は2時間ある。そのうち1時間半は君にやる。君の好きなようにやってもらって構わない。何を、どう喋ろうが君の自由だ。その代わり残る30分だけは僕によこしてくれ」
[拓郎]  「わかりました」
[桝田] 「もう一つ、僕の方から条件がある。
番組の中でかける曲は全て僕が選ぶ。君には口を出させない」
[拓郎]  「それもわかりました。桝田さんの条件に従います」
[桝田] 「最後に確認だけど、君は番組で何をやっても構わないが、ラジオは情報を伝えるものだ。そのことは絶対に忘れないでくれ」
桝田の再現するやり取りの中で、気になる箇所が1か所だけあった。「30分だけは僕によこせ」という件がありました。それは、どういう意味ですか?
彼は苦笑いしながら「よくぞ聞いてくれた」という表情になった。「当時のTBSには東大や一橋、早稲田、慶應など一流大学出のインテリがゴロゴロいました。確かにみな勉強家で博識なんです。私は学習院大学を卒業したのですが、先輩達からすれば、頭の悪い新米にしか見えなかったんでしょうね。
「お前はマルクスの資本論を読んだことがあるのか」、「もっと勉強しろ」と散々しごかれました。それで自分なりにテーマを見付けようと思い、沖縄問題に取り組むようになったのです。自分の担当する「パック』では、 30分だけ自分のテーマについて放送しようと考えていました」
 

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2016/11/10

木曜第Ⅰ部『たくろうパック』 ① / 伊藤友治

71年『パック』の10月改編
木曜第Ⅰ部『吉田拓郎パック』(10月14日~) ①
 
略(拓郎プロフィール)
 
吉田拓郎は71年10月14日に北山修の後を継いで「木曜パック」第1部のパーソナリティーになる。後に「オールナイトニッポン」や「セイ!ヤング」のパーソナリティーを担当することになるのだが「パック」は拓郎にとって初めてパーソナリティーを経験した番組だった。 拓郎を起用して新たな「木曜パック」に挑んだディレクターは67 年入社組の桝田武宗(同19生)である。
 
■桝田が『パック』の担当になるまで
桝田は、番組を作らせれば名人芸の腕前を発揮するけど、なかなか気難しい男だよ」そんな評判を聞いていたので、取材を申し込む時は少し肩に力が入った。ところが、電話口に出て来た桝田は礼儀正しく丁寧な話しぶりで私の取材を快諾してくれた。 桝田は今も放送に関わる現役である。
TBS放送センターにほど近い場所に事務所を構え、番組の制作会社を経営している。「私の方がTBSに出向きますよ。それから伊藤さん、TBSには『パック·イン·ミュージック』や『ヤ ングタウン東京』の昔のポスターが残っていますか? たぶん残っていないでしょうね。なぜか私の手元に残っているので持って行きましょう。今となっては貴重な物ですからTBSに寄贈します」
約束の日時に桝田は、畳一枚分はある大きなポスターを2枚、筒状に丸めて持って来
た。大柄な体にきちんと背広を着こなし紳士の風格を漂わせている。私と向かい合って座
った彼は眼光鋭く理路整然と話し始めた。桝田さんは新人研修でラジオ·スケッチをやった時のことを憶えておられますか? 「憶えています。今と違ってネットの検索が出来ない時代だったので苦労しました」 私は手始めに46年前の出来事から聞いてみた。
桝田は67年入社組の中で群を抜く優秀な新人とみなされていた、と他の同期生達から聞かされていたからである。 新入社員は10月1日に配属先が決まり、桝田はラジ
オ局の制作部に回された。「そりゃ~落胆しましたよ。入社するまでTBSが兼営局だなんて全く知らなかったのですから。研修中はテレビドラマを制作してみたいと思っていました」 桝田は元々就職しようという気がなかった大学2年の時に米国留学を思い立ったが、渡米の寸前になっ て十二指腸潰瘍を患い断念した。卒業したら米国に留学しようと考えていた。
しかし東大出の厳格な父親は「大学を卒業したら働くのが当たり前」と桝田の希望を受け入れようとしない。二言目には「○○銀行に行け」「□□社に就職しろ」と尻を叩かれ続けた。それでNHKとTBS の採用試験を受けた経緯がある。鬱屈した気分になった。だが、ゴネたり拗ねるのは大人げない。気を取り直して仕事に向き合うしかな かった。それなのに
担当させられた番組は『キンカン民謡のど比べ』だった。
「えっ、民謡かよ・・・と、どん底に落とされたような気持ちになりました。学生時代はジャズをやって いました。民謡なんて興味もなければ聞いたこともない。ズブの素人がどうやって番
組を作れと言うんだ・・・ そんな毎日でした」
そんな桝田に救いの手を差し伸べたのは60年入社の先輩、北山幹雄(同12生)だった。「桝田は洋楽の方が詳しいから別の番組に担当替えさせてやる」 その言葉に桝田は「助かった」と思った。それから洋楽系の番組に移り、湯川れい子と関わるようになった。
 
 
ようやく仕事が面白いと感じてきた頃だった。「北山修が降りることになった。加藤節男と交代して君が次の『パック』を担当してくれ」 制作部長の池田靖から『パック』の担当ディレクターになるように言い渡された。
 
(パック・イン・ミュージック伊藤友治 +TBSラジオ
 

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