カテゴリー「燃える38時間 Takuro Yoshida Island Concert in Shinojima」の記事

2005/09/09

燃える38時間 Takuro Yoshida Island Concert in Shinojima

燃える38時間 Takuro Yoshida Island Concert in Shinojima

M1

M2

7/25

東京駅16番ホーム、10時12分発の新幹線「ひかり69号」の発車のベルが鳴り終わった。 まさに、そのドアが閉じようとした瞬間、大あわてで電車に飛び乗った男がいた。 その男こそ、7月26日~27日にかけて愛知県篠島で行われた大イベントのヒーロー吉田拓郎なのである。 

座席に落ち着いた拓郎は瀬尾一三をはじめとするミュージシャン、スタッフたちと一緒に談笑、まだ緊張感はみられず、そこには爽やかな一人の男の笑顔があるだけだった。 新幹線は定刻、12時13分に国鉄名古屋駅に到着した。

M3

7/25 1:00p.m.

拓郎一行は2台のチャーター・バスに分乗し、一路、名古屋港へと向かった。 名古屋港で快速フェリーに乗り替える。 天気は快晴、波は静か。 おかげで船に弱い拓郎も船酔に悩まされずにすんだ。 船内での拓郎はというと、自分で持ってきた愛用のアサヒ・ペンタックスを顔面に固定し、所せましと走りまわっていた。 途中で、映画撮影用のチャーター船に乗っていた山本コータローと出会い、激励を受ける。

7/25 2:00p.m.

拓郎一行は篠島の特設埠頭に到着した。 すでに篠島へ来ていた若者たち(早い者は10日も前から篠島へ来ていたという)が目ざとく拓郎を発見し、拓郎に早くも大声援を送る。 その数、約400人。 拓郎も両手を天に突き出してそれに応えた。 一行はマイクロバスでホテルへ直行した。

7/25 6:00p.m.

予定されていたリハーサルは、準備に時間がかかって7時の開始となった。 島の人たちとの取り決めで午後9時には終わらせなければならなかったので、拓郎の持ち時間は正味1時間しかなかった。 スタッフは時間がないということに焦燥感を抱き、神経をピリピリさせているようであったが、当の拓郎はといえば、虫よけスプレーを全身にかけながらのリラックスムード。 が、しかし、時折みせるその視線の厳しさに拓郎の偽らざる心境がにじみ出ていた。 

M4

7/25 10:00p.m.

旅館の大広間にて大食事大会。 それから翌26日、午前4時頃まで拓郎はミュージシャン連中と酒を飲み続け、メチャメチャに騒いだ。 なんというバイタリティー、なんと恐ろしい男(?)であろうか。

7/26

コンサート当日の昼、瀬尾一三、松任谷正隆、長渕剛、バックのコーラス・ガールたちは海辺行き、海水浴と日光浴をして篠島の夏を楽しんでいた。 拓郎は泳げないためか、精神統一のためか、一人で部屋に閉じこもったまま。 緊張感は確実に高まりつつあった。 自分との闘いはすでに始まっていた。

M5

7/26 Early Morning

会場への客入れが開始された。 前夜から、会場入口付近はすでに長蛇の列であった。

7/26 6:00p.m.

海に向かって建てられたステージが夕陽に映える。 そして、その夕陽が今、赤く染まった三河湾に沈もうとしている。 落陽! 拓郎も16000人の若者達も、いったい何に対してこれからサイコロを転がそうというのだろうか? 会場を吹き抜ける潮風の涼しさを感じるには、まだまだ時間が必要だった。 それを証明するかのような熱気に包まれた会場のあちらこちらから「タクロー!タクロー!」のシュプレヒコールが湧き起こる。 ある者はメガホンを片手に音頭をとり、ある者はギターで拓郎の曲を演奏する。 会場に集まった若者たちは、その時、ステージに登場した「幻のタクロー」をすでにみつめていたのかもしれない。

7/26 6:50p.m.

一台の車がステージ・サイドに乗りつけた。 スタッフに両脇を守られた拓郎が現われた。 その表情をはっきりと見定めることはできなかったが、体中からエネルギーが発散されていた。 ステージにあがる直前自分で自分自身にカケ声をかけている。 気力の集中…。

7/26 7:00p.m.

ステージにその姿を現わした拓郎。 赤いハチマキ、白のスラックス、そして、ピンクのTシャツに浮き出た「TAKUROH '80」の文字に、白のギター・ストラップが鮮やかにクロスしている。 場内はいうまでもなく、興奮のるつぼと化した。 オープニング『ああ青春』のイントロが流れた途端拓郎が叫んだ。 「ヤルゾーッ」 若者たちも、それに負けないような大声で呼応した。 

        生きてる後味悪さ

        胸に噛みしめれば泣ける海

        ああ青春は燃えるかげろうか

若者たちも声を合わせて歌った、「かげろうか」という言葉を自分にぶっつけながら。 オープニングからクライマックスを迎えた感じだった。 しかも、そのクライマックスは、エンディングまで続いたのだ。 壮烈だった。

「みんな篠島へようこそ。 今日の主役は俺じゃない、君たち1人1人だ。 そして、忘れてはならない地元の人たちに拍手!」 場内に拍手の渦が湧き起こる。 それを確認したあと、拓郎は叫んだ。 「朝までヤルゼーッ」

今回のイベントが企画された時、拓郎はこう言った。 「親とか学校とかの社会の縁など考えず、自分というものをみつめるために篠島へ来いよ。 そして、俺たちの手で短い間かもしれないが、俺たちのコミュニケーションを作り出そうよ。 島を選んだ理由も本当の意味での開放感の中で、何事にも縛られずに俺たちの世界を持ちたいと思ったからだ」

篠島へ来た者は、拓郎のその言葉の意味を身をもって知ったことだろう。 拓郎のエキサイティングな魂の息吹きが点滅しているかのように、赤とオレンジのライトが点滅する。 さらに、それに呼応する若者たちの叫びが「ウォン、ウォン」というウネリとなって海に広がっていく。 言葉にならない迫力。 みんなの心臓の鼓動を無視するかのように、拓郎の魂の叫びが若者たち心の中に新たな鼓動を脈づかせ始めたようだった。

M6

7/26 8:00p.m.

拓郎は小休止に入り、ステージからその姿を消した。 その時、前列の観客が拓郎の姿を求めるように立ち上がった。 すぐに後ろの席から「スワレッ!」の大コールが湧き起こり、その騒ぎは収まった。 会場にはすでに一つのコミュニケーションが成り立っているのだということが、この一瞬で確認できた。 会場の秩序も治安も、すべて自分たちで作りあげていた。 一つの世界を作りあげていた。

7/26 8:30p.m.

瀬尾グループをバックに拓郎が再び登場した。 場内を狂ったような叫びが支配した。 「俺は観客が見えなくなると狂ってくるんだよな」 夜の野外の魔力は、拓郎が言うまでもなく、すでに観客をも飲み込んでいた。

「今日は体調がものすごくいい。 お前らはもう、こうなったら客じゃねぇよ、仲良くやろうぜ。 知って曲ならなんでもかんでもみんな一緒にうたおうぜ」 この言葉に観客は全員総立ちとなった。 そして、拓郎と一緒に声をふりしぼってうたった。 この大合唱はエンディングまで続いた。

7/26 11:30p.m.

ステージにギター一本抱えて拓郎が登場した。 再び大歓声が起こる。 観客は次から次へとリクエストを出した。 面白かったのは、リクエストで『旅の宿』が出た時、拓郎が「俺が伴奏するからお前らがうたえ」と言ってギターを弾いたこと。 もちろん観客は何のためらいもなくうたった。 『ポーの詩』『じゅんちゃん』のさわりの部分をうたったり、観客とのコミュニケーションも素晴らしいものだった。

M7

/27 1:30a.m

松任谷グループをバックに拓郎が現われた。 観客の勢いはさらに盛り上がり、その勢いは衰えることがない。 コンサート終了まで、あと3時間弱。 みんなもっとずっと長く、拓郎と一緒にいたいのだ。 時として時間というものは、甘いドラマを作ったりするものだが、この篠島に集まった若者たちも、数々の時間のドラマを作りあげつつあった。 それを感じたのだろうか、拓郎は言った。 「もう、しゃべりで時間をつぶすのはもったいない。 ガンガン続けてうたっていくぞー!」 『知識』から始まって拓郎は狂ったようにうたいまくった。

M8

7/27 2:30a.m.

長旅で疲れたのだろうか、会場のはるか後方の砂地に何人もの人が寝ていた。 ここから見るとステージはマッチ箱のような大きさだ。 そのイルミネーションの変化が幻想的でさえあった。 青白い光、赤からオレンジそして紫と、実に鮮やかだった。 拓郎のボーカルがここからでもハッキリと聞こえる。

M9

/27 3:30a.m.

観客はもう総立ちだった。 みんな疲れを忘れ、いや疲れを知らず必死に拓郎と一緒に叫んでいる。 会場後方で寝ていた若者も、元気をとりもどして、またその群れの中へ入っていく。 上半身裸になり、脱いだ服をうち振る者、ノボリを狂ったように振る者、とにかく、みんな目がギラついていた。

7/27 4:00a.m.

「最後だあー」と拓郎が叫んだ。 「ウォー」という大喚声が轟く。 若者たちの顔が歪む。 泣き出す者が続出する。 みんな最後の力をふりしぼって叫んでいる。 何に対して叫んでいるのか、そんなことはどうでもいい、とにかく篠島へ来て叫んでいるのだ…。 「人間なんて」の大合唱が続く。

7/27 4:24a.m.

東の空が少しずつ白んで来た。 それか合図でもあったかのように拓郎はステージからその姿を消した。 若者たちは拓郎を求めて声の限り叫んだ。 大熱狂の渦はいつまでも場内を包みこんだままだった。 タクロー タクロー……

M10

 - 拓郎は70年の鎮魂歌ではない -      石原信一

ニューミュージックの大規模なフェスティバルが日本列島各地で過熱した1979年夏、   <吉田拓郎・アイランドコンサート・イン篠島>をその一つに加えることはできない。> まったく異質なムーブメントだった。 

1969年の「ウッド・ストック」以来、音楽で連帯する若者の野外コンサートは世界的に燃え広がった。 日本でも「箱根アフロディーテ」 「中津川フォーク・ジャンボリー」と、今は幻となった音楽史的なコンサートが生まれた。 拓郎がかぐや姫と「つま恋多目的広場」に5万人の若者を集めたのは1975年夏、その観客動員数の記録はいまだに破られていない。 頂点だった。 

頂点というのは数字だけでなく、コンサートに参加した若者の参加意識、あるいは熱度であった。 アーティストと観客の間には、お互いに若者文化を作り上げようとする、ただ音楽だけにとどまらない時代への欲求があった。 少なくとも若者は聴かせられる群れではなかった。

だがその若者文化は以後、音楽の部分だけで切り取られ、ニュー・ミュージックという名でメジャーな音楽産業に導入される。 音楽は音楽のためだけのものになった。

<吉田拓郎・アイランドコンサート・イン篠島>は、音楽が再び文化に蘇るかの賭けだった。それは70年代を若者の旗手として走り続けた男が運命としてなさねばならなかった行動なのかもしれない。 時は79年7月26日、多分の危険をはらんでいた。 「つま恋」から4年、拓郎世代と若者の多くは社会人となり、あるいは結婚し、子どもが出来、そして若者文化などというものは時代の幻想だったのかもしれないと思い込み、それぞれが生活するために日常の中で雑多なクビカセを負っていた。 彼等が再び連帯するために熱くなり、コンサートを開くのは難しい状況だった。

そして79年のニュー・ミュージック・シーンを自分達のサウンドとして各地のコンサートに押し寄せているのは、拓郎よりも二、三世代も離れた若者であった。 はたして拓郎を知らない世代が拓郎のために集まるのか!? 例え集まったとしても、コミュニケートは取れるのか!? ただ音楽を聴くためだけに野外を埋め尽くす観客ならば<吉田拓郎・アイランドコンサート・イン篠島>は、むなしかった。

M11

篠島は愛知県知多半島南端の小島である。 名古屋から名鉄で河和まで、そしてバスで師崎まで走り、船で篠島まで渡らなければならない。 オール・ナイト・コンサートが可能な野外地域は少なくなり、やっとみつけた会場ではあったが、地理的にはあまりにも不便すぎた。 「つま恋」は観客が集まっている広場に拓郎が出向いて行った観があった。 今回はこの篠島まで、コミュニケートしたければ出かけてこいというのだ。 強気なコンサートの裏には、本来コンサートとは何であったのかということを問いかけるポリシーと、拓郎の時代は今日存在しうるのかという試行がみえた。

そして幕は上がった。

午後6時45分、大ボリユームの「ローリング30」が4トン車32台分の音響装置からあふれ出した。 拓郎自身の集大成を思わせるこの歌がイントロであった。 篠島の暮れなずむ空に拓郎コールが飛び始めた。 その声はアイドルをむかえるような黄色い悲鳴ではなく、ワォーッと獣が獣に吠えるような若者の野太い声であった。 砂浜の会場には日焼けした男女が2万人も集まっていた。

拓郎は自分より若いその男女の群れを熱くみつめながら、ホテルのマイクロバスわステージ裏につけて飛び降りた。 砂地のためか足がもつれた。 眼が引きつっている。 潮風にカーリー・ヘヤー気味の髪が乱れ、その顔は修羅にもみえた。 緊張していた。 ギターを握りしめると、口に含んだ水を衣装のピンクのインドシャツに吹き付けた。 少しは落ち着いたのか深呼吸をひとつすると、前線に向かう戦士のように勢いよく階段をかけ上った。

そうだ。 まぎれもなく戦いにちがいなかった。 初めて拓郎を目の前にする若者がいる。 彼等に何を歌い何をいえばいいのか!? まだ終わっていないのだと叫んでところでわかってくれるか!?  篠島の地元民達は拓郎をどうみつめるのか!?  そして、ステージ前群がっている報道人達は70年代の終鴛を確認しようとしているのか!? 

すべての観客が、拓郎のステージングひとつで敵にも味方にもなりうる要素を含んでいた。 その2万人はただ拓郎を聴きに来たのではない。 これだけははっきりと感じた。 実に「つま恋」以来4年ぶりに何かが起こりうる危機感と可能性を胸に抱いて、拓郎はステージにすっくと立った。

< 朝までやるからな。 朝までやるぞ! >

2万人の観客に叫ぶというより、自分自身に檄を飛ばしたようにみえた。 「つま恋」の時と同様に、「ああ青春」が最初の歌でありバックも松任谷グループだった。 だが今は確実に79年、「つま恋」の時と変わりがないということは拓郎の自己顕示欲の象徴だったのかも知れないが、その分どこか淋しい孤立感がしないでもなかった。

< 始めからそんなに頑張ると、あとで疲れるぜ。 好きにやんな。>

一曲終わるごとに激しいコールを送る観客に向かい拓郎は苦笑い気味にいった。 若い彼等にはエネルギーがあった。 鋭い刃物のような切り口で迫ってくる拓郎のヴォーカルに、彼等も負けてはいなかった。 精一杯の叫びをステージに投げ込んだ。 若い彼等にとって拓郎は多分に刺激的だった。 グイッと胸をえぐってくる歌の言葉は、ニューミュージックというジャンルには入れたくないほどメッセージ的で煽情的だった。 エレクトリックなサウンドでない生身の荒々しさがあった。 それを懐かしく聴く者と新鮮に聴く者がいて、新鮮に聴いた若い彼等は初めての刺激に煽られた。

日はどっぷりと暮れていた。 ようやく拓郎も観客もコンサート・ペースを掴んだらしくひとつの流れに向かって走り始めていた。 その流れのふち、ステージ・サイドで小さな騒ぎが起こっていた。 仁王立ちになって構えているのは精悍な顔をした地元の漁師だった。 彼は途方もなく大きい祭(コンサート)に興じたあまり、関係者以外立入禁止のエリアまで入ってしまったのだ。 それをとがめた係員と激しくいい争っていた。 

<ここをどこだと思っとる。 ワシらの島じゃ。 出ていけとは何だ! 火をつけてみんな燃やしたろか?! あとは警察にいきゃあいい。 腕に自信があるならこっちへこい!>

拓郎は騒ぎを知らないまま祭をすすめていた。 消防団が間に入ってやっとおさまったが、もしかしたら拓郎に一番すなおに反応したのは、この漁師だったかもしれない。 ちりめんじゃこ漁とたまの海水浴客や釣人のための民宿で生活する2600人の島の人にとって、拓郎という存在はスターというより、祭のみこしだったのではないか。 胸のわだかまりを晴らす起爆剤に拓郎は十分に成りうる男だった。

< 子どもがいたらもう寝かす時間だ。 みんな、そんな人妻がいたら親切にしてやれよ >

瀬尾グループの熱っぽいステージを演じながら、拓郎は観客の中をのぞくようにしていった。 拓郎を懐かしく聴いている者へのやさしさだった。 ゴザの上に3人の男の子を並べて寝かせつけようとしている20代後半の女性がいた。 おばあさんが側で子ども達をウチワであおいでいた。 大阪堺市からやってきた家族だった。 「夫から夏休みをらって、祖母が子どもの世話を手伝ってくれるというから、やっと来れた」と語った。 彼女にいつから拓郎を聴いているのかとたずねたら、静かに笑っただけで答えなかった。 何か想い出でもあるのかと問い直したら、子どもをちらりと見てまたも笑った。 おばあさんはシワだらけの手であいかわらず孫にウチワの風を送っていた。 拓郎の歌と共に自分の人生を、流れをみつめている者があちこちにいるはずだった。

拓郎の妻、美代子夫人は初めて夫のコンサートを照明灯のやぐらの上で見ていた。 < 彼が最後のコンサートになるかも知れないというので、かけつけてきました。>

やはり拓郎には80年を目の前にして自分の時代が果てるかもしれないという危惧感があったのだ。 妻にいったのは正直な気持ちだったろう。 そのつもりで夫人もステージの拓郎を、その眼にしっかり焼きつけようと凝視していた。 だが拓郎からそれを裏切る言葉が次々と発せられた。

< つま恋はもういい。 本当にもういいと思ってるんだ。 今日の篠島をきっかけに俺はまたやるよ! >

いったい拓郎はステージの上から何を見たというのだろう!? 歓声がわき起こった。 この時、したたかな拓郎と観客に手ごたえのあるコミュニケートが生まれた。 誰もがやがて80年代を迎える。 生きている限り。 拓郎は確かに70年代の英雄゛った。 そしてその証明として、4年前の「つま恋」があったような気がする。 だが「つま恋」がいかに素晴らしくても遙かな過去だ。 どこかで切って捨てなければ新しい時代はやってこなかった。 拓郎がコンサートの在り方を「つま恋」の一夜に執着すればするほど、それが真実であっても出口はなかった。 時代をもとへは戻せなかった。 だからこそ、いまこそ拓郎は「つま恋」を捨てた。 そして捨てるに十分な観客を篠島にみたにちがいなかった。 

拓郎は'80の文字が鮮やかなネーム入りのシャツに着がえた。 手拍子がアップ・テンポになった。 拓郎を知らない者も、懐かしむ者も、島の人も、世代を地域を超えて全員が総立ちになって空をあおいだ。 なす色の夏の夜空が東の方から明け始めた。 時は進んでいた。 事実だった。 だから生きなければならなかった。 拓郎は再び歌い始めることで生きようとしていた。 観客もそれぞれが生きようと思った。

生きていく者達の歌「人間なんて」が大コーラスで始まった。 海の水平線がくっきりと朝焼けに浮かび出した。 拓郎は絶叫をその彼方に投げた。 何十回も何百回も。 そして明日がやって来たことを、獅子のような光る眼で確認すると両手を天に突き出した。

時、4時23分。 終わりではなく、始まりだった。   

               人間なんて

M12

● 時間

7月26日(木)PM7時~7月27日(金)午前4時23分。 拓郎は8時間激唱。

● 篠島(愛知県)

知多半島南端、三河湾に浮かぶ周囲6キロ、島民2700人(650戸)の島。

● ステージ

コンサート全製作費6000万円。 機材4トン車32台分。 スタッフ280人。 

篠島を借りるにあたり、8ケ月を要し、ステージ作りは2週間。スタッフはこの日のため全力投入。

● 警備

普段、島の駐在さんは1人。 この日のため所轄半田署から警察官75人、地元消防団員30人、ガードマン40人、アルバイト、スタッフ関係者含め350人。

● トイレ

ベニヤ作りの仮設トイレ、女子用30個、男子用10個、立ちション用2列。 

● ノボリ

「拓郎軍団」、「広島組」、「拓郎を泳がせる会」、「THE拓郎」など色とりどりのノボリが会場内に林立。

● 会場

島の裏側埋め立て地。 広さ約6000坪。

● 売店

会場内45軒。 外18軒。

● 客

その数、約16000人。 7割近くが男性。

● 船便

知多半島突端、師崎から篠島まで4キロ。 平常1日10便。 この日は伊良湖、鳥羽から船を借り集め、ピストン輸送。

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