カテゴリー「燃える38時間 Takuro Yoshida Island Concert in Shinojima」の記事

2005/09/09

燃える38時間 Takuro Yoshida Island Concert in Shinojima

燃える38時間 Takuro Yoshida Island Concert in Shinojima

M1

M2

7/25

東京駅16番ホーム、10時12分発の新幹線「ひかり69号」の発車のベルが鳴り終わった。 まさに、そのドアが閉じようとした瞬間、大あわてで電車に飛び乗った男がいた。 その男こそ、7月26日~27日にかけて愛知県篠島で行われた大イベントのヒーロー吉田拓郎なのである。 

座席に落ち着いた拓郎は瀬尾一三をはじめとするミュージシャン、スタッフたちと一緒に談笑、まだ緊張感はみられず、そこには爽やかな一人の男の笑顔があるだけだった。 新幹線は定刻、12時13分に国鉄名古屋駅に到着した。

M3

7/25 1:00p.m.

拓郎一行は2台のチャーター・バスに分乗し、一路、名古屋港へと向かった。 名古屋港で快速フェリーに乗り替える。 天気は快晴、波は静か。 おかげで船に弱い拓郎も船酔に悩まされずにすんだ。 船内での拓郎はというと、自分で持ってきた愛用のアサヒ・ペンタックスを顔面に固定し、所せましと走りまわっていた。 途中で、映画撮影用のチャーター船に乗っていた山本コータローと出会い、激励を受ける。

7/25 2:00p.m.

拓郎一行は篠島の特設埠頭に到着した。 すでに篠島へ来ていた若者たち(早い者は10日も前から篠島へ来ていたという)が目ざとく拓郎を発見し、拓郎に早くも大声援を送る。 その数、約400人。 拓郎も両手を天に突き出してそれに応えた。 一行はマイクロバスでホテルへ直行した。

7/25 6:00p.m.

予定されていたリハーサルは、準備に時間がかかって7時の開始となった。 島の人たちとの取り決めで午後9時には終わらせなければならなかったので、拓郎の持ち時間は正味1時間しかなかった。 スタッフは時間がないということに焦燥感を抱き、神経をピリピリさせているようであったが、当の拓郎はといえば、虫よけスプレーを全身にかけながらのリラックスムード。 が、しかし、時折みせるその視線の厳しさに拓郎の偽らざる心境がにじみ出ていた。 

M4

7/25 10:00p.m.

旅館の大広間にて大食事大会。 それから翌26日、午前4時頃まで拓郎はミュージシャン連中と酒を飲み続け、メチャメチャに騒いだ。 なんというバイタリティー、なんと恐ろしい男(?)であろうか。

7/26

コンサート当日の昼、瀬尾一三、松任谷正隆、長渕剛、バックのコーラス・ガールたちは海辺行き、海水浴と日光浴をして篠島の夏を楽しんでいた。 拓郎は泳げないためか、精神統一のためか、一人で部屋に閉じこもったまま。 緊張感は確実に高まりつつあった。 自分との闘いはすでに始まっていた。

M5

7/26 Early Morning

会場への客入れが開始された。 前夜から、会場入口付近はすでに長蛇の列であった。

7/26 6:00p.m.

海に向かって建てられたステージが夕陽に映える。 そして、その夕陽が今、赤く染まった三河湾に沈もうとしている。 落陽! 拓郎も16000人の若者達も、いったい何に対してこれからサイコロを転がそうというのだろうか? 会場を吹き抜ける潮風の涼しさを感じるには、まだまだ時間が必要だった。 それを証明するかのような熱気に包まれた会場のあちらこちらから「タクロー!タクロー!」のシュプレヒコールが湧き起こる。 ある者はメガホンを片手に音頭をとり、ある者はギターで拓郎の曲を演奏する。 会場に集まった若者たちは、その時、ステージに登場した「幻のタクロー」をすでにみつめていたのかもしれない。

7/26 6:50p.m.

一台の車がステージ・サイドに乗りつけた。 スタッフに両脇を守られた拓郎が現われた。 その表情をはっきりと見定めることはできなかったが、体中からエネルギーが発散されていた。 ステージにあがる直前自分で自分自身にカケ声をかけている。 気力の集中…。

7/26 7:00p.m.

ステージにその姿を現わした拓郎。 赤いハチマキ、白のスラックス、そして、ピンクのTシャツに浮き出た「TAKUROH '80」の文字に、白のギター・ストラップが鮮やかにクロスしている。 場内はいうまでもなく、興奮のるつぼと化した。 オープニング『ああ青春』のイントロが流れた途端拓郎が叫んだ。 「ヤルゾーッ」 若者たちも、それに負けないような大声で呼応した。 

        生きてる後味悪さ

        胸に噛みしめれば泣ける海

        ああ青春は燃えるかげろうか

若者たちも声を合わせて歌った、「かげろうか」という言葉を自分にぶっつけながら。 オープニングからクライマックスを迎えた感じだった。 しかも、そのクライマックスは、エンディングまで続いたのだ。 壮烈だった。

「みんな篠島へようこそ。 今日の主役は俺じゃない、君たち1人1人だ。 そして、忘れてはならない地元の人たちに拍手!」 場内に拍手の渦が湧き起こる。 それを確認したあと、拓郎は叫んだ。 「朝までヤルゼーッ」

今回のイベントが企画された時、拓郎はこう言った。 「親とか学校とかの社会の縁など考えず、自分というものをみつめるために篠島へ来いよ。 そして、俺たちの手で短い間かもしれないが、俺たちのコミュニケーションを作り出そうよ。 島を選んだ理由も本当の意味での開放感の中で、何事にも縛られずに俺たちの世界を持ちたいと思ったからだ」

篠島へ来た者は、拓郎のその言葉の意味を身をもって知ったことだろう。 拓郎のエキサイティングな魂の息吹きが点滅しているかのように、赤とオレンジのライトが点滅する。 さらに、それに呼応する若者たちの叫びが「ウォン、ウォン」というウネリとなって海に広がっていく。 言葉にならない迫力。 みんなの心臓の鼓動を無視するかのように、拓郎の魂の叫びが若者たち心の中に新たな鼓動を脈づかせ始めたようだった。

M6

7/26 8:00p.m.

拓郎は小休止に入り、ステージからその姿を消した。 その時、前列の観客が拓郎の姿を求めるように立ち上がった。 すぐに後ろの席から「スワレッ!」の大コールが湧き起こり、その騒ぎは収まった。 会場にはすでに一つのコミュニケーションが成り立っているのだということが、この一瞬で確認できた。 会場の秩序も治安も、すべて自分たちで作りあげていた。 一つの世界を作りあげていた。

7/26 8:30p.m.

瀬尾グループをバックに拓郎が再び登場した。 場内を狂ったような叫びが支配した。 「俺は観客が見えなくなると狂ってくるんだよな」 夜の野外の魔力は、拓郎が言うまでもなく、すでに観客をも飲み込んでいた。

「今日は体調がものすごくいい。 お前らはもう、こうなったら客じゃねぇよ、仲良くやろうぜ。 知って曲ならなんでもかんでもみんな一緒にうたおうぜ」 この言葉に観客は全員総立ちとなった。 そして、拓郎と一緒に声をふりしぼってうたった。 この大合唱はエンディングまで続いた。

7/26 11:30p.m.

ステージにギター一本抱えて拓郎が登場した。 再び大歓声が起こる。 観客は次から次へとリクエストを出した。 面白かったのは、リクエストで『旅の宿』が出た時、拓郎が「俺が伴奏するからお前らがうたえ」と言ってギターを弾いたこと。 もちろん観客は何のためらいもなくうたった。 『ポーの詩』『じゅんちゃん』のさわりの部分をうたったり、観客とのコミュニケーションも素晴らしいものだった。

M7

/27 1:30a.m

松任谷グループをバックに拓郎が現われた。 観客の勢いはさらに盛り上がり、その勢いは衰えることがない。 コンサート終了まで、あと3時間弱。 みんなもっとずっと長く、拓郎と一緒にいたいのだ。 時として時間というものは、甘いドラマを作ったりするものだが、この篠島に集まった若者たちも、数々の時間のドラマを作りあげつつあった。 それを感じたのだろうか、拓郎は言った。 「もう、しゃべりで時間をつぶすのはもったいない。 ガンガン続けてうたっていくぞー!」 『知識』から始まって拓郎は狂ったようにうたいまくった。

M8

7/27 2:30a.m.

長旅で疲れたのだろうか、会場のはるか後方の砂地に何人もの人が寝ていた。 ここから見るとステージはマッチ箱のような大きさだ。 そのイルミネーションの変化が幻想的でさえあった。 青白い光、赤からオレンジそして紫と、実に鮮やかだった。 拓郎のボーカルがここからでもハッキリと聞こえる。

M9

/27 3:30a.m.

観客はもう総立ちだった。 みんな疲れを忘れ、いや疲れを知らず必死に拓郎と一緒に叫んでいる。 会場後方で寝ていた若者も、元気をとりもどして、またその群れの中へ入っていく。 上半身裸になり、脱いだ服をうち振る者、ノボリを狂ったように振る者、とにかく、みんな目がギラついていた。

7/27 4:00a.m.

「最後だあー」と拓郎が叫んだ。 「ウォー」という大喚声が轟く。 若者たちの顔が歪む。 泣き出す者が続出する。 みんな最後の力をふりしぼって叫んでいる。 何に対して叫んでいるのか、そんなことはどうでもいい、とにかく篠島へ来て叫んでいるのだ…。 「人間なんて」の大合唱が続く。

7/27 4:24a.m.

東の空が少しずつ白んで来た。 それか合図でもあったかのように拓郎はステージからその姿を消した。 若者たちは拓郎を求めて声の限り叫んだ。 大熱狂の渦はいつまでも場内を包みこんだままだった。 タクロー タクロー……

M10

 - 拓郎は70年の鎮魂歌ではない -      石原信一

ニューミュージックの大規模なフェスティバルが日本列島各地で過熱した1979年夏、   <吉田拓郎・アイランドコンサート・イン篠島>をその一つに加えることはできない。> まったく異質なムーブメントだった。 

1969年の「ウッド・ストック」以来、音楽で連帯する若者の野外コンサートは世界的に燃え広がった。 日本でも「箱根アフロディーテ」 「中津川フォーク・ジャンボリー」と、今は幻となった音楽史的なコンサートが生まれた。 拓郎がかぐや姫と「つま恋多目的広場」に5万人の若者を集めたのは1975年夏、その観客動員数の記録はいまだに破られていない。 頂点だった。 

頂点というのは数字だけでなく、コンサートに参加した若者の参加意識、あるいは熱度であった。 アーティストと観客の間には、お互いに若者文化を作り上げようとする、ただ音楽だけにとどまらない時代への欲求があった。 少なくとも若者は聴かせられる群れではなかった。

だがその若者文化は以後、音楽の部分だけで切り取られ、ニュー・ミュージックという名でメジャーな音楽産業に導入される。 音楽は音楽のためだけのものになった。

<吉田拓郎・アイランドコンサート・イン篠島>は、音楽が再び文化に蘇るかの賭けだった。それは70年代を若者の旗手として走り続けた男が運命としてなさねばならなかった行動なのかもしれない。 時は79年7月26日、多分の危険をはらんでいた。 「つま恋」から4年、拓郎世代と若者の多くは社会人となり、あるいは結婚し、子どもが出来、そして若者文化などというものは時代の幻想だったのかもしれないと思い込み、それぞれが生活するために日常の中で雑多なクビカセを負っていた。 彼等が再び連帯するために熱くなり、コンサートを開くのは難しい状況だった。

そして79年のニュー・ミュージック・シーンを自分達のサウンドとして各地のコンサートに押し寄せているのは、拓郎よりも二、三世代も離れた若者であった。 はたして拓郎を知らない世代が拓郎のために集まるのか!? 例え集まったとしても、コミュニケートは取れるのか!? ただ音楽を聴くためだけに野外を埋め尽くす観客ならば<吉田拓郎・アイランドコンサート・イン篠島>は、むなしかった。

M11

篠島は愛知県知多半島南端の小島である。 名古屋から名鉄で河和まで、そしてバスで師崎まで走り、船で篠島まで渡らなければならない。 オール・ナイト・コンサートが可能な野外地域は少なくなり、やっとみつけた会場ではあったが、地理的にはあまりにも不便すぎた。 「つま恋」は観客が集まっている広場に拓郎が出向いて行った観があった。 今回はこの篠島まで、コミュニケートしたければ出かけてこいというのだ。 強気なコンサートの裏には、本来コンサートとは何であったのかということを問いかけるポリシーと、拓郎の時代は今日存在しうるのかという試行がみえた。

そして幕は上がった。

午後6時45分、大ボリユームの「ローリング30」が4トン車32台分の音響装置からあふれ出した。 拓郎自身の集大成を思わせるこの歌がイントロであった。 篠島の暮れなずむ空に拓郎コールが飛び始めた。 その声はアイドルをむかえるような黄色い悲鳴ではなく、ワォーッと獣が獣に吠えるような若者の野太い声であった。 砂浜の会場には日焼けした男女が2万人も集まっていた。

拓郎は自分より若いその男女の群れを熱くみつめながら、ホテルのマイクロバスわステージ裏につけて飛び降りた。 砂地のためか足がもつれた。 眼が引きつっている。 潮風にカーリー・ヘヤー気味の髪が乱れ、その顔は修羅にもみえた。 緊張していた。 ギターを握りしめると、口に含んだ水を衣装のピンクのインドシャツに吹き付けた。 少しは落ち着いたのか深呼吸をひとつすると、前線に向かう戦士のように勢いよく階段をかけ上った。

そうだ。 まぎれもなく戦いにちがいなかった。 初めて拓郎を目の前にする若者がいる。 彼等に何を歌い何をいえばいいのか!? まだ終わっていないのだと叫んでところでわかってくれるか!?  篠島の地元民達は拓郎をどうみつめるのか!?  そして、ステージ前群がっている報道人達は70年代の終鴛を確認しようとしているのか!? 

すべての観客が、拓郎のステージングひとつで敵にも味方にもなりうる要素を含んでいた。 その2万人はただ拓郎を聴きに来たのではない。 これだけははっきりと感じた。 実に「つま恋」以来4年ぶりに何かが起こりうる危機感と可能性を胸に抱いて、拓郎はステージにすっくと立った。

< 朝までやるからな。 朝までやるぞ! >

2万人の観客に叫ぶというより、自分自身に檄を飛ばしたようにみえた。 「つま恋」の時と同様に、「ああ青春」が最初の歌でありバックも松任谷グループだった。 だが今は確実に79年、「つま恋」の時と変わりがないということは拓郎の自己顕示欲の象徴だったのかも知れないが、その分どこか淋しい孤立感がしないでもなかった。

< 始めからそんなに頑張ると、あとで疲れるぜ。 好きにやんな。>

一曲終わるごとに激しいコールを送る観客に向かい拓郎は苦笑い気味にいった。 若い彼等にはエネルギーがあった。 鋭い刃物のような切り口で迫ってくる拓郎のヴォーカルに、彼等も負けてはいなかった。 精一杯の叫びをステージに投げ込んだ。 若い彼等にとって拓郎は多分に刺激的だった。 グイッと胸をえぐってくる歌の言葉は、ニューミュージックというジャンルには入れたくないほどメッセージ的で煽情的だった。 エレクトリックなサウンドでない生身の荒々しさがあった。 それを懐かしく聴く者と新鮮に聴く者がいて、新鮮に聴いた若い彼等は初めての刺激に煽られた。

日はどっぷりと暮れていた。 ようやく拓郎も観客もコンサート・ペースを掴んだらしくひとつの流れに向かって走り始めていた。 その流れのふち、ステージ・サイドで小さな騒ぎが起こっていた。 仁王立ちになって構えているのは精悍な顔をした地元の漁師だった。 彼は途方もなく大きい祭(コンサート)に興じたあまり、関係者以外立入禁止のエリアまで入ってしまったのだ。 それをとがめた係員と激しくいい争っていた。 

<ここをどこだと思っとる。 ワシらの島じゃ。 出ていけとは何だ! 火をつけてみんな燃やしたろか?! あとは警察にいきゃあいい。 腕に自信があるならこっちへこい!>

拓郎は騒ぎを知らないまま祭をすすめていた。 消防団が間に入ってやっとおさまったが、もしかしたら拓郎に一番すなおに反応したのは、この漁師だったかもしれない。 ちりめんじゃこ漁とたまの海水浴客や釣人のための民宿で生活する2600人の島の人にとって、拓郎という存在はスターというより、祭のみこしだったのではないか。 胸のわだかまりを晴らす起爆剤に拓郎は十分に成りうる男だった。

< 子どもがいたらもう寝かす時間だ。 みんな、そんな人妻がいたら親切にしてやれよ >

瀬尾グループの熱っぽいステージを演じながら、拓郎は観客の中をのぞくようにしていった。 拓郎を懐かしく聴いている者へのやさしさだった。 ゴザの上に3人の男の子を並べて寝かせつけようとしている20代後半の女性がいた。 おばあさんが側で子ども達をウチワであおいでいた。 大阪堺市からやってきた家族だった。 「夫から夏休みをらって、祖母が子どもの世話を手伝ってくれるというから、やっと来れた」と語った。 彼女にいつから拓郎を聴いているのかとたずねたら、静かに笑っただけで答えなかった。 何か想い出でもあるのかと問い直したら、子どもをちらりと見てまたも笑った。 おばあさんはシワだらけの手であいかわらず孫にウチワの風を送っていた。 拓郎の歌と共に自分の人生を、流れをみつめている者があちこちにいるはずだった。

拓郎の妻、美代子夫人は初めて夫のコンサートを照明灯のやぐらの上で見ていた。 < 彼が最後のコンサートになるかも知れないというので、かけつけてきました。>

やはり拓郎には80年を目の前にして自分の時代が果てるかもしれないという危惧感があったのだ。 妻にいったのは正直な気持ちだったろう。 そのつもりで夫人もステージの拓郎を、その眼にしっかり焼きつけようと凝視していた。 だが拓郎からそれを裏切る言葉が次々と発せられた。

< つま恋はもういい。 本当にもういいと思ってるんだ。 今日の篠島をきっかけに俺はまたやるよ! >

いったい拓郎はステージの上から何を見たというのだろう!? 歓声がわき起こった。 この時、したたかな拓郎と観客に手ごたえのあるコミュニケートが生まれた。 誰もがやがて80年代を迎える。 生きている限り。 拓郎は確かに70年代の英雄゛った。 そしてその証明として、4年前の「つま恋」があったような気がする。 だが「つま恋」がいかに素晴らしくても遙かな過去だ。 どこかで切って捨てなければ新しい時代はやってこなかった。 拓郎がコンサートの在り方を「つま恋」の一夜に執着すればするほど、それが真実であっても出口はなかった。 時代をもとへは戻せなかった。 だからこそ、いまこそ拓郎は「つま恋」を捨てた。 そして捨てるに十分な観客を篠島にみたにちがいなかった。 

拓郎は'80の文字が鮮やかなネーム入りのシャツに着がえた。 手拍子がアップ・テンポになった。 拓郎を知らない者も、懐かしむ者も、島の人も、世代を地域を超えて全員が総立ちになって空をあおいだ。 なす色の夏の夜空が東の方から明け始めた。 時は進んでいた。 事実だった。 だから生きなければならなかった。 拓郎は再び歌い始めることで生きようとしていた。 観客もそれぞれが生きようと思った。

生きていく者達の歌「人間なんて」が大コーラスで始まった。 海の水平線がくっきりと朝焼けに浮かび出した。 拓郎は絶叫をその彼方に投げた。 何十回も何百回も。 そして明日がやって来たことを、獅子のような光る眼で確認すると両手を天に突き出した。

時、4時23分。 終わりではなく、始まりだった。   

               人間なんて

M12

● 時間

7月26日(木)PM7時~7月27日(金)午前4時23分。 拓郎は8時間激唱。

● 篠島(愛知県)

知多半島南端、三河湾に浮かぶ周囲6キロ、島民2700人(650戸)の島。

● ステージ

コンサート全製作費6000万円。 機材4トン車32台分。 スタッフ280人。 

篠島を借りるにあたり、8ケ月を要し、ステージ作りは2週間。スタッフはこの日のため全力投入。

● 警備

普段、島の駐在さんは1人。 この日のため所轄半田署から警察官75人、地元消防団員30人、ガードマン40人、アルバイト、スタッフ関係者含め350人。

● トイレ

ベニヤ作りの仮設トイレ、女子用30個、男子用10個、立ちション用2列。 

● ノボリ

「拓郎軍団」、「広島組」、「拓郎を泳がせる会」、「THE拓郎」など色とりどりのノボリが会場内に林立。

● 会場

島の裏側埋め立て地。 広さ約6000坪。

● 売店

会場内45軒。 外18軒。

● 客

その数、約16000人。 7割近くが男性。

● 船便

知多半島突端、師崎から篠島まで4キロ。 平常1日10便。 この日は伊良湖、鳥羽から船を借り集め、ピストン輸送。

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・新譜ジャーナルベストセレクション'70s 1980 「吉田拓郎」 ぼくの音楽人間カタログ 山本コウタロー著 【東映チャンネル】影の軍団 服部半蔵 2018/11/9(金)11:00~13:30 ‬森下愛子出演 【第16回輝く日本レコード大賞(1974年)】CS296 12/01 11:00~12:50_ あぁ青春のアヘアヘ物語 あいみょん あなたに影武者がいたらどうする? / 1980.6明星 おすすめサイト お喋り道楽 お知らせ かぐや姫 かれが殺した驢馬 このブログの人気記事ランキング この唄を君に贈ろう■連載中■ ごめんね青春 じゅんの恩返し・拓郎編 すばる・吉田拓郎ロングインタビュー 2010・3 たくろうのともだち / よしだ・たくろうの世界 たくろうの気ままな世界 たくろうパック たくろう旅の顔・ヤング・ギター'73.2 × ヤング・ギター・クロニクルVol.1吉田拓郎これが青春 ちちんぷいぷい歌碑ものがたり ~吉田拓郎編~2014.11.7 つぶやき つま恋 つま恋2006 はっぴいえんど ぼくの靴音/堂本剛  愛しています みうらじゅん よしだたくろうLIVE '73 よしだたくろうの母 吉田朝子さん・週刊平凡毒蝮三太夫シリーズおふくろ第34回 よしだたくろう・まんが履歴書=黒鉄ヒロシ アルバム サマルカンド・ブルー拓郎インタビュー アルフィー イルミネーション エレックの時代Ⅱ萩原克己 エンケン オールナイトニッポン オールナイトニッポンGOLD カセットテープ・ミュージック ・ 第25回「吉田拓郎の歌詞が好き ガガンボン日記・拓郎編 キャンディーズへの手紙 吉田拓郎 ケメ コンサート サマルカンド・ブルー REPORTAGE FROM NYC FROM THE STUDIO サマルカンド・ブルー安井かずみ・加藤和彦・立川直樹 対談 ザ・フォーライフヒストリアル~ペニーレインで雑談を シンプジャーナル1984.11海外特写&レコーディング吉田拓郎 ジュリー×たくろう対談・ぼくたちすっかり酔っちまってね・ スティーヴィー・ワンダー チェリスト友納真緒さんのブログ・9/8つま恋! チャンネル銀河・中島みゆき特集 テレビ・ラジオ テレビ番組 ドラマ 時間ですよ第3シリーズ ドラマ『監獄のお姫さま』 ニッポン放送のってけラジオ ニッポン放送アナウンサー ニッポン放送垣花アナウンサー拓郎にフルフールのゼリーを贈る バレンタインデー 吉田拓郎 ビートルズが教えてくれた 拓郎×岡本おさみ対談 ビート・ピッキング革命 フォークソングの東京・聖地巡礼 1968-1985 金澤 信幸 フォーク・ルネサンス フォーク村 ボブ・ディラン ポーの歌 ミニ情報 ムッシュかまやつ ムッシュかまやつ_ ヤングフォーク ヤングフォークNo.1 1972.初夏号 ユーミン ライヴ情報 ラジオDJ広場・サタデーナイトカーニバル 1980.6明星 ラジオでナイトブログ ラジオ深夜便 ラジオ番組 世界まるごとHOWマッチ 中島みゆき 中川五郎 中沢厚子 久保利英明(弁護士) 亀渕さんの愛聴歌は拓郎のファイト!_ 二流の人 海援隊 井上陽水のベストパフォーマンスがここに! 『GOLDEN BEST』映像版が登場 人間研究・第3回《吉田拓郎》リタイアしない青春だからこそ 月刊明星1980.6 今夜は星空 いしだあゆみ 今日までそして明日から 今日までそして明日から・大越正実 シンプジャーナル 1990.3 僕の旅は小さな叫び 僕らの音楽 加藤和彦 南こうせつ・ニッポン放送のってけラジオ  原由子 吉田拓郎 吉田拓郎 '80~'81激走つづける男のスタイル 構成・文/こすぎじゅんいち 写真/山㟁正良 吉田拓郎 1982.7.27・Tour Final in 武道館 誌上完全再録 新譜ジャーナル'82.10 吉田拓郎 2019 -Live 73 years- in NAGOYA / Special EP Disc「てぃ~たいむ」とうちゃこ 吉田拓郎 アーチの向こう側(ツアー"人間なんて"・新作「176.5」) 文・石原信一 撮影・大川奘一郎 新譜ジャーナル1990.2月 吉田拓郎 ライブでナイト 2019 in 神田共立講堂 吉田拓郎 ・緑の新居 さらに飛翔への砦!'82.2 明星 吉田拓郎 今、更なる戦線布告・平凡パンチ1980.4.28 吉田拓郎1981年夏・新譜ジャーナル1981・10 吉田拓郎90年代へ・・・・・。・パチパチ読本 1990年_ 吉田拓郎INTERVIEWつま恋の朝、"これまでのオレ"は、死ぬんだ / '85.7シンプジャーナル 吉田拓郎LONG INTERVIEW 今、再び荒野をめざして 新譜ジャーナル'82.5 吉田拓郎×久保利英明弁護士(For Life1976創刊春号) 吉田拓郎×岡本おさみ対談 前後編 新譜ジャーナル1984年6月7月号 吉田拓郎×岡本おさみ対談1984 新譜ジャーナル_ 吉田拓郎×岡本おさみ対談 後編・ 新譜ジャーナル1984年7月号 吉田拓郎、「ラジオでナイト」 旧友に向かうような口調で「素」の自分を語る 田家秀樹 吉田拓郎、新ライブ映像 長く新しい「人生のアウトロ」・田家秀樹「誰も知らないJ-POP」 吉田拓郎、最新ライブ映像作品でオリコン週間ランキングTOP10入り最年長記録を樹立20191107 吉田拓郎「女ともだち」浅川マキ 吉田拓郎さん「夏休み」JR谷山駅の到着メロディに2019.10.23 吉田拓郎と愛の歌 ('82オールナイト・ニッポン 最終回より)  吉田拓郎の「ビート・ピッキング革命」 吉田拓郎のオールナイトニッポン 吉田拓郎の唄 吉田拓郎インタビュー・2005年8月20日(土)FM NACK5 J-POP MAGAZINE 田家秀樹 吉田拓郎インタビュー・新譜ジャーナル1977.10 吉田拓郎クリスマス 吉田拓郎コンサート2019 吉田拓郎ドラマ曲 吉田拓郎ラジオ 吉田拓郎ラジオでナイト 吉田拓郎ラジオでナイトMyTube 吉田拓郎ラジオでナイトブログ 吉田拓郎・ムッシュかまやつ 吉田拓郎・男のライフスタイル / 平凡パンチ1984.3.19号 吉田拓郎夜のヒットスタジオ 吉田拓郎新居でご満悦 吉田拓郎死亡事件・1981年3月13日(金) オールナイトニッポン 吉田拓郎詩集BANKARA 吉田町の唄YOSHIDA「若者共和国の120日」 地球音楽ライブラリー 坂崎幸之助 堀越のり、7年間の活動休止の真相は“がん闘病”だった 大いなる人・拓郎×岡本おさみ対談 大野真澄 夫人へのプロポーズは吉田拓郎の「結婚しようよ」‥ノーベル賞の吉野教授 安井かずみ 富澤一誠の「俺が言う 」 小室等 岡本おさみ 岡本おさみ・かまやつひろし対談 ビートルズが教えてくれた 岩崎宏美 広島フォーク村40周年記念同窓会&ライブ 広島フオーク村 広島修道大学「吉田拓郎歌碑除幕式」 心に残る歌を、あともう一曲 喜多條 忠インタビュー・聞き手/残間里江子 恋・酒・家出・喧嘩・なにをやってもまるでボンボンみたいなタクロウちゃん・・・!guts'72.5 所ジョージ・吉田拓郎 拓ちゃんCM 拓ちゃん小ネタ 拓郎、テレビで歌う・1972.4.23(日) PM5:00~ リブ・ヤング! 拓郎、東京キッド・ブラザースに歌を語る(かれが殺した驢馬) 拓郎カレンダー 拓郎・おケイ 6月26日の朝 72.7.18週間プレイボーイ 拓郎出演テレビ番組 拓郎展 拓郎新譜 拓郎関連ブログ 斉藤哲夫 / されど私の人生 新六文銭 新聞 新聞記事・拓郎 旅に唄あり 岡本おさみ / 襟裳岬 旅に唄あり 岡本おさみ_ 旅の重さ 日常 映画「恋妻家宮本」 映画「結婚しようよ」 映画・甘い暴力 普賢岳災害救済 スーパーバンド 曽我部恵一と後藤まりこ、「結婚しようよ」をカバー 松任谷正隆 松任谷正隆「クルマとトイレ」 松本隆「外白」を語る 桑田佳祐 森下愛子 検見川廣徳院 椿町ロンリープラネット14・やまもり三香 歌謡ポップスチャンネル 残間里江子・加藤和彦 Interview 江口寿史さんレコジャケ 集 『 RECORD 』 ( 河出書房新社刊 ) 吉田拓郎さんからの寄稿も収録 泉谷しげる 深夜のラジオっ子 村上謙三久 テレビじゃ、これは伝わらない・田家秀樹に聞く 深夜放送ファン 満島ひかり 瀬尾一三 火曜ドラマ「監獄のお姫さま」(通称 プリプリ) 燃える38時間 Takuro Yoshida Island Concert in Shinojima 玉城ちはる 王様達のハイキング 田中秋夫 田中秋夫が語るラジオ局が結集した〝伝説〟のコンサート 田家秀樹 田家秀樹 Kei's BAR__ 田家秀樹ブログ・新・猫の散歩 甲斐バンド 矢島賢さん 秋元康氏とユーミンに共通するクリエイターの感覚 竹田企画 紅葉 / 島倉千代子 純情 -なぜか売れなかった ぼくの愛しい歌 - 阿久 悠 自分の事は棚に上げて 芸能界でコーヒー・ブレイク 吉見佑子-吉田拓郎編- 菅田将暉 落合恵子のちょっと待ってMONDAY 落陽 / 旅に唄あり 岡本おさみ 蔭山敬吾ブログ 襟裳岬 訃 報 記念日 貧乏学生の胃袋を支えてくれた目黒区「ダイエー碑文谷店」の思い出 過去ログ 遠藤賢司 重松清 阿久悠 雑誌 青春のフォーク 南 こうせつ27・【あの頃にタイムスリップ】 時代の証言者・読売新聞2017.9.4朝刊 青春のフォーク 南 こうせつ27・【大雨の「サマーピクニック】 時代の証言者・読売新聞2017.8.30朝刊 音楽 音楽プロデューサー・瀬尾一三が手掛けた作品集第3弾が発売!中島みゆき、吉田拓郎、徳永英明らの名曲収録 音楽番組 高田渡&よしだたくろう - '70年9月16日 ライブ 黄金の60年代、「キャンティ」とその時代 川添象郎・ムッシュかまやつ・ミッキー・カーチス