週刊平凡1972.8.31 毒蝮三太夫・シリーズおふくろ第34回《よしだたくろうの母 吉田朝子さん》
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■「生きてる限り働かなきゃ・・・・」
広島商科大学2年のとき、たくろうは、コロムビアの第1回全国フォークフェスティバルで3位に入賞。それがきっかけでコロムビアにはいった。だが、4か月め、レコード界の裏面を見て絶望。広島へ帰って復学し、 「おれは実力でプロになってみせる」とその日をねらった。広島商科大学に在籍5年。そして、その夢はついに実現した。
毒蝮 53歳で定年になってからは、お茶とお花を教えて暮らしてこられたわけですね。
おふくろ 芸は身を助くですねえ。いまは心臓も悪いし、足も悪くて、出歩くのに杖をついていますけど、多いときは50~60人のお弟子さんがおりましたから・・・・。
毒蝮 それにしてもも波乱万丈の人生ですね。これからはもう少し楽に、ゆったりしたらどうなんです?
おふくろ 年金もついたし、恩給もありますしね、生活にはこまらないんですけどね。でも人間生きてるかぎり働かなきゃいけないんじゃないですか?
毒蝮 いま、この家で娘さん夫婦といっしょに暮らしてらっしゃるわけですね。 ときどきはたくろう君の新居へも行かれるんでしょう?
おふくろ はい。でも、東京には住めませんね。電話で拓郎に「もう東京には行かないよ」といいましたら、『ガキが生まれたら来いよ!なんて申してました。まだできてはいないようですけど・・・・。
毒蝮 そのうち、『おふくろ、ガキが生まれたら、来いよ!』 なんていう曲を作るんじゃない ですか (笑)
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<妻としてしあわせな人生だったかどうかはわからない。ただ3人の子供たちにとっては、これほどたよりになるおふくろさんはいなかっただろう。
帰りの飛行機の中から、遠くなっていく広島の街の灯をながめながら、ぼくは人生半ばにして突如苦労を味わい、いまなお働きつづけているおふくろさんのことを考えつづけていた>
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息子・よしだたくろうのひとり言。
「おふくろは自分の体も弱いのに、女手ひとつで育ててくれた。 おやじと離れていたから、女のくせに男になんなきゃという意識があったと思う。だから、ひとことでいえば"お父さん" 。
女としては薄幸の人で、昔の話を聞くとかわいそうだ。なんかにすがんなきゃ生きられないのに、なにもすがるものがなかった。だからといって、めんどうみでやろうというと、我が強いからいやだというんだな。 大学のころ、バンドの連中と酒飲んだり、女をひっぱりこんだり、ひどいことをしたけど、 理解があって、おやじみたいにめんどうみてくれた。それはうれしいんだけど、また逆に、女だてらに・・・・と、いやだったね。 親を自慢するのは大嫌いだけど、あえていえば、人間・吉田朝子としては尊敬できる。 おふくろとしては好きじゃないな」
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週刊平凡1972.8.31号
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■「おふくろはフォークの後援会長」
父のもとで、たくろうは鹿児島の小学校に入学。このときの同級生に、西郷輝彦がいる。そして小学校3年のとき、たくろうは、姉(このとき高校生)とともに、広島の母のもとへ移った。 父だけを鹿児島に残してーーー。
◇
毒蝮 たくろう君は、学校の成績はどうだったんですか?
おふくろ よかったですね。小学校も中学も高校もそれこそトップの組でした。ただ病弱でね、ある年なんかは、1年のうち、 90日しか学校へ行けない年もありました。それが高校のころは、 応援団でならしたほど、じょうぶな子になりましたけどね。
毒蝮 お母さんは、この子にはこういうことをやらせたい、という夢はあったんですか?
おふくろ いや、音楽までは考えなかったですねえ。
毒蝮 いまの道を選ぶきっかけは、お母さんがあたえてやったんだそうですね?
おふくろ ウクレレを買ってやったんです。体が弱いから。いつも寝床にばかりいますからね。なんかこう、すわってて楽しめることをと思って、本を買ってやったり、カメラを買ってやったり、鉱石ラジオを買ってやったり・・・・。ラジオは、耳にあてがって、いつも音楽ばかり聞いてました。 ウクレレは中学2年くらいでしたかねえ、それがものたりなくて、1000円のギターを買ったんです。それがきっかけなんです。
毒蝮 そしてフォークのグルー プをつくって・・・・。
おふくろ うちがたまり場なんです。演奏会やればソンばかりしますしね。ソンするたびに私が尻ぬぐいして・・・・。楽器の月賦も、しまいにはグループで払えなくなって、とうとう6~7万円払ってやったり・・・・。
毒蝮 すると、お母さんは、たくろう君の生みの母であり、音楽の母でもあるわけだ。
おふくろ ずいぶん助けました。「おふくろはフォークのマネージャーだ、後援会長だ」なん ていいますよ。(笑)
<おふくろさんは、たくろう君がたくさんお金を稼ぐようになっても、なお手紙の中に、そっと1万円札をしのばせて送ってやったそうだ。たくろう君に 「バカだなあ」といわれながら。 どこまでも子供になにかしてやりたいという、これが親の気持ちだろう。ただこのおふくろさんは、子供にだけではない、夫にもまた同じ気持ちをいだきつづけた女性だ>
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■夫や子供と離れ、単身広島へ
たくろうが3歳になった冬、雪の降りしきる日だった。一家は、ついに大口での生活に耐えきれず、家を出た。べつにあてはなかった。鹿児島市へ出、ある倉庫を借りて、細々と暮らした。そのころ、『ラサール高校(鹿児島の名門校)が創設されたばかりだった。 校長が知り合いだったのでたずねると、ちょうど寄宿舎の舎監を捜しているという話。さっそく話がまとまって、朝子さんは舎監になった。夫や子供と離れ、休みの日だけ家へ帰るという生活。だがこの2年間に、彼女は生徒といっしょに図書室へ通い、栄養士の国家試験にパスした。このとき、朝子さんはじつに43歳。 外地勤務が長かったため、なかなか職にありつけなかった夫 も、このころ、ようやく鹿児島県庁へ就職した。
毒蝮 舎監をやりながら取った栄養士の資格を、こんどは広島で生かすわけですね。
おふくろ ちょうど教育長と知り合いだったもので、長男の大学受験(立教大学)の帰りに広島へ寄ったら、盲学校(在校生200 人)の栄養士の職を世話してただいたんです。
毒蝮 それでまた単身、広島へ 移られたわけでしょう。でもま あ、ご主人や子供たちと離れた生活が多いですね。
おふくろ 宿命なんですね。考てみると、ほんとに主人とは縁の薄い夫婦でした。
毒蝮 ふつうねえ、家庭というと、亭主が働いて、女房は家を守る、ということですけど、そこまでお母さんがしなければならなかったというのは、ご主人の収入じゃやっていけなかったからですか?
おふくろ そうです。県からもらうお金が2万5000円ですからね。郷土史の本を1冊つくるのにいくらという予算があっても、主人は学者肌で、そのなかからもうけようとすることのできる人じゃありませんでしたから・・・・。あとになって、経済大学や短大の講師などやって、月に10万円くらいにはなったんでしょうけど・・・・。. たまに正月なんか家へ帰ってくると、20万、30万とくれました。
毒蝮 盲学校で定年まで10年間、勤められて・・・・。
おふくろ それで53歳で定年になったとき、借金してこの家を建てたんです。(目の前のテーブルをさし)このテーブルがそのとき2000円で買った、たったひとつの家財道具でした。 これが子供たちの勉強机にもなり、食卓にも、応接台にもなったんです。ですから、わが家では記念のテーブルなんです。
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■拓郎を背負って、職捜しに
朝子さんは、明治40年8月3日、朝鮮の京城で生まれた。父が軍人で、朝鮮の陸軍病院に勤務していたためだ。ひとりっ子でなに不自由なく育った。旧制高等女学校を卒業、単身、日本へ渡り、同志社大学に入学。 3年後、朝鮮へもどり、母校で英語の教師を1年間つとめた。
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23歳のとき、朝鮮総督府の役人だった吉田正広氏(当時36歳) と見合い結婚。長男(現在38歳)、長女(現在32歳)が生まれた。終戦の年の12月、おなかの中にいた末っ子のたくろうと2人の子を連れで、命からがら日本ヘたどりつく。夫の郷里、鹿児島県大口へ。 遅れて引き揚げてきた夫と再会したのが21年の1月。たくろうが生まれたのは、それから3か月後、21年4月5日である。 「拓郎の生年月日が22年とか23年とか、いろいろな説がありますが、21年です。母親の私がいうのですから、まちがいありません」
生まれてから娘時代まで、そして結婚してからも、苦労ひとつしたことのなかった朝子さんの人生は、終戦を境に、まったく、明暗、ところを変えた。
「ええ、ええ、あのころが、いちばんつらかったです。長男がリヤカーひいて、私が後から押して、カボチャを売って歩きました。カボチャなんてどこの家にもあったけど、鹿児島弁で、 ぐらしか(気の毒だ)といって、 買ってくれるんです "いままでいい生活してたのに、ああやってカボチャなんか売って、ぐらしかなあ“ っていって・・・ 1 つ、買ってくれるんです。 なんか私にできる職はないかと思って、拓郎を背負いましてね、歩き回りました。ところが私の乳が出ないもんですから、拓郎が乳をほしがって泣くんです。背中で拓郎が泣くと、私も泣く・・・・。 おイモのアメを1つ買ってしゃぶらせて、大口の町を、朝から晩まで、ほんとに足を棒にして、歩いて歩いて職を捜しました。それでも、なんにも、仕事、なかったです。 拓郎は、ものごころつくまで"ぼく体が弱かったの、オッパイがなかったからよねぇ、母ちゃん"といってました。赤ん坊のときのそういう苦労があったせいでしょうね。あの子は、乳房をこうやってまさぐるのが好きでねぇ。中学3年、いや高校の1~2年くらいまで、まだ、こうやってしゃぶってました。 なんにも出ない乳をねぇ・・・・。
主人の実家へ引き揚げたんですけどね、主人は農家の次男坊でしたから、兄嫁たちは財産でもとられると思ったんでしょうね、なにかとつらくあたりましたねえ。16本ある柿の木1本、切らせてくれませんでした。 たまに売りにくるお魚を買って焼いてると、遊んでて魚を食べてる、と近所にふれ回られたり・・・・。 でも私、じっと耐えました。 なにくそという気持ちもありましたし、いつも、先に光明があると信じて生きてきました」
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<なにくそ、という気の強さがたくろう君の血の中にも流れているようだ。 それにしても、向こうっ気の強いたくろう君が、高校2年まで、しなびたおふくろさんのおっぱいをしゃぶってたなんて、楽しくなるなあ・・・・>
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■「第3、第4の恋人もいました」
<ぼくがお母さんに会いに広島をたずねたのが、偶然、8月6日。原爆記念日だった。平和公園へ行ってみたら、もう、記念式典は終わったところ。いあわせた市民の1人にきいたら、実際は"式典"などがあるこの日より、前日の夕方にお参りする広島市民が多いそうだ。
慰霊碑の前で手を合わせ、敬虔な気持ちで、お母さんに会いにいった>
広島市西霞町は駅から車で15分ほど。ひと昔まえまでは、たんぼの真ん中だったそうだが、いまはりっぱな住宅街。2階家の玄関には《吉田宗朝》という看板。お母さんは、いま、この家で、お茶とお花を教えている。
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おふくろ きのう、拓郎へ電話して「あした毒蝮さんが来られるんだよ」といったら、「おっかないぞ、やられんなよ」って。
毒蝮 いやあ、名前だけはひどい名なんですけどね、これは世をしのぶ仮の姿、レツテルです。気はいたってやさしいんですから・・・・。(笑)
おふくろ やっぱりね。拓郎の長い髪のようなもんですね。 (笑)
毒蝮 いま改築中なんですか?
おふくろ さいきん、マスコミやファンのかたがたくさんみえますのでね。拓郎の家が、あんなボロ家だった、といわれるのもあんまりかわいそうですし、少しはきれいにしておきませんとね・・・・。それで応接間を改造しております。
毒蝮 ははあ、こちらをたずねるファンも多いですか。
おふくろ ゆうべも10時ころ、私もう寝てましたら、玄関でゴソゴソ音がするんです。京都からみえた2人のかたでね、「家を見たからもう安心しました」 といって帰っていきました。 壱岐、対島からみえたかたもありましたしね・・・・。
毒蝮 ところで、たくろう君のお嫁さん、いい子じゃありませんか。
おふくろ はい、もう、結婚式のときでもね、メーキャップもなんにもしませんでね、とても清楚なお嬢さんです。
毒蝮 (お母さんが出してくれた古い写真を見ていた彼、高校時代のたくろうの写真の1枚に目をとめる)うん? 《My second lover (第2の恋人)》? すると、第1の恋人もいたんですか?
おふくろ 第3も第4もいたようですよ。(笑)
毒蝮 昔からモテたんですね。
おふくろ モテて、モテて・・・・。
◇
毒蝮 うらやましいね。ぼくみたいに、口ばかりじゃないからね。ああやってうたう人はカッコいいからな。くやしいねえ。
おふくろ でも、なんでも話してくれました。「きょうは、ジュンコと暗室へいっしょにはいった」なんて・・・・。(笑)
毒蝮 それじゃ、結婚しても、モテて、心配じゃないですか?
おふくろ いえ、そういう方面はとてもカタい子です。お茶を長年やってまして免状も持っており、高校生に教えたこともあるものですから、決めるところはきちっと決める男なんです。
毒蝮 モテながらカタい、見習いたいねえ。(笑)
おふくろ 学校時代も、女の子をよく2階の自分の部屋へ上げるんですけどね、帰るときになると、「おまえ、よその家へ上がったら、はきものは、向こうへ向けて上がるもんだよ」とか、ズケズケいうんです。「紅のつけ方が悪い」とかね、うるさい男でした。
<もの静かに話すおふくろさんだ。だがスキがない。うっかり無造作に斬り込みでもしたら、音もなく止めの一撃をくらいそうだ。教養、いままでなめてきた人生の苦労、お茶の求道から得た心、宗教(クリスチャン)・・・・そんなものがひとつになって、そこにすわっている・・・・>
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よしだたくろう( 26歳、本名・吉田拓郎) ---『結婚しようよ』 『旅の宿』 などのヒットで、いまや若者のあいだで、たいへんな人気者"ニュー・フォークの旗手"と目されている。
2か月まえの6月26日、軽井沢の聖パウロ教会で四角佳子 ( 20歳、元《六文銭》のメンバー) と結婚、身内とフォークの仲間だけに囲まれた結婚式は、出席した母親・朝子さん(65歳)をいたく感激させた。
「教会を出ましてから、教会の備えつけの馬車が新婚夫婦を乗せてね、ホテルまで送ってくれるんです。白いお馬でね。 ところが、ふたりは乗れないんですよ、人が多くて。カバンだけ持った学生さんとか、200 ~ 300人が教会の庭につめかけてましたでしよう。それでもう、あぶないからというので、フォークの仲間のかたが、肩車に乗せてつれて行きました。 もう、泣いてましたです、ふたりとも、オン オン・・・。ほんとにうれしかったですねえ。フォークの仲間ってほんとにいい人ばかりですねえ・・・」
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毒蝮 お父さんが生きていらっしゃれば、喜んだでしょうね。
おふくろ 主人は、ことしの1月に亡くなりましたからねえ。
毒蝮 え!?ほんとですが。残念だったでしょう。ひと目見せてやりたかったですねえ。
おふくろ ほんとにそうでした。鹿児島のほうにひとりで暮らしておりまして、県から委託を受けて郷土史の編纂をしておりました。図書館の一室を仕事場にしましてね。脳溢血で、その部屋でペンを握ったまま死んでいきました。
毒蝮 はあ....あと半年、元気でいてくれたらねえ。
おふくろ 仕事もだいたい先が見えてきたので、3月にはこっちへ帰るつもりだったんです。 これまで完成させた著作をぜんぶ送ってまいりましてね、これは家の宝だから、本箱に入れて飾っておきなさいと・・・。帰ってきたら、そこの4畳半を書斎にしてあげよう、日当たりもいいしなんて、楽しみにしてましたのに、ポックリと・・・。
毒蝮 たくろう君も悲しんだでしょう。
おふくろ お葬式のときもね、あれが、いちばん泣きました。 泣いて泣いて、ワンワン・・・・1時間くらい、泣いてました。
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machi blogより
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