« 2020.4.10吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD | トップページ | 153-0051 ・ メール »

2020/04/14

2020.4.14吉田拓郎のラジオ番組を聞き終わった後で、鬱々とした日々に希望がもたらされたことに気がついた・【連載】佐藤剛の「会った、聴いた、読んだ」 vol.138

吉田拓郎のラジオ番組を聞き終わった後で、鬱々とした日々に希望がもたらされたことに気がついた・【連載】佐藤剛の「会った、聴いた、読んだ」 vol.138


0414a

昨年12月と今年2月にオールナイトニッポンの特番を実施してきた吉田拓郎は、新年度に入った4月から満を持して、月1回のレギュラー放送を始める予定だった。
しかしコロナウイルスによる自粛の影響で、4月10日に始まった「吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD」の第1回は、本人の発案により初の試みとして、自宅からテレワーク収録で行われたという。

ぼくはどんな具合になったのかが気になって、翌日にradikoのタイムフリーで聴いてみた。

するといつも仕事と勉強のために使っている部屋のせいか、途中で愛用のギブソンJ-45を手にして唄ったりするなど、終始リラックスした気分が伝わってきた。

オープニングから始まったのは中島みゆきのラストツアーに関連して、実は「悪女」のバックにさりげなく登場して、内緒でギターを弾くことを音楽監督の瀬尾一三に頼むつもりでいたという、意外で面白い話だった。

しかしコロナウイルスによる不測の事態が発生したことで、当分はコンサートが実現不可能になってしまったと残念がっていた。

吉田拓郎は年内はあきらめるしかないと語りながら、そのまま自分自身のラストコンサートにおける演奏曲目へと、話題をスライドしていく。

ファンに別れを告げるラストコンサートについては、「ボクも元気でやるし、君たちみんなもいつまでも元気でね、幸せを祈ってるよっていう意味の最後のライブっていうのかな」と、昨年のツアーに続いて計画していることも明らかにした。

いつの時代も音楽活動を積極的に発信してきた吉田拓郎らしく、ツアーのメンバーとも早く会いたいと語るなど、前向きの姿勢がひしひしと伝わってきた。

自分ではセットリストのために43曲まで選んだとも述べていて、これまで以上に頼もしかったと思う。

話はそこからウディ・アレン監督の映画『女と男の観覧車』への感想に変わっていったのだが、ベテランらしくよどみのない流れだった。

ところでラジオの深夜放送でパーソナリティにフォーク歌手を登場させたのは、TBSの「パックインミュージック」が最初だったと思う。

1969年4月から1972年年3月まで、北山修はリスナーとのやり取りで3年間、きっちり熱い対話を持続してから学問の道に進んだ。

それを引き継いだ吉田拓郎は「結婚しようよ」と「旅の宿」がヒットしていた4月から9月までを担当し、その期間に人気が沸騰していった。

10月から1974年3月までは南こうせつ、4月から1975年9月は小室等が受け持ったので、毎週木曜日にフォーク歌手の枠を確立する形になった。

その当時は世界が激しく動いていたために若者のカウンターカルチャーと、メインカルチャーがしばしば衝突する現象が起きていた。

そしてサイケデリックやニューロックといった海外の新しいムーブメントに刺激されて、日本の音楽にも新しい息吹として反映されたのだ。

吉田拓郎は後半に入ってから、最近になって注目しているアーティストとして、番組のリスナーに教えてもらったカミラ・カベロの「ハバナ」を聴いてて以来、とても気に入ったという話から、海外の女性シンガーソングライターについて言及していった。

アリアナ・グランデ、テイラー・スイフト、最近ではビリー・アイリッシュについて、目が離せない存在だと述べた。

その理由は言葉や歌詞の新しさに関心があるからだと、自分の興味のポイントを説明した。

「ぼくは彼女たちの書く詞の世界、言葉が非常に斬新なので、すごく刺激的な印象がある」

そこからテイラー・スイフトの「We Are Never Ever Getting Back Together(わたしたちはぜったいにぜったいにヨリをもどしたりしない)」の歌詞を紹介しながら、年齢層が高い自分のリスナーにも過去に安住することなく、新しい音楽を聴くことを勧めたのである。

しかもその後には、まだ日本でもコアなファン以外にはほとんど知られていない、ピアノ連弾の姉妹ユニット「Kitri(キトリ)」がとてもいいので、ぜひCDなどが出たら聴いてみてほしいと紹介し始めた。

それは自分が楽曲を提供したなかでもとくに気に入っているメロディーだった、キャンディーズの「アン・ドゥ・トロワ」をKitriがカバーしたので、そのデモ音源を聴いたところ夫人ともども、「すばらしい」と思ったからだったという。

そして発売予定も知らない状態のままに、デモ音源の一部をオンエアしてくれたのである。

また喜多条忠が書いた歌詞が「うるおいに満ちたバラードなんだなぁ」ということも、Kitriがカバーしたことで初めて気がついたと、吉田拓郎は素直に驚きを口にしていた。

すでに役割を果たしたと思っていた歌謡曲に、新しい命を注いでくれた若いアーティストのKitriとプロデューサーの大橋トリオに対して、大先輩のソングライターでもある吉田拓郎は、なんとも率直に感謝の意を表した。

ぼくは鬱々とした日々が続くなかで、吉田拓郎というアーティストの外に向かって開かれた意識の持ち方に、明るい日差しの輝きを感じることができた。

そしてこれからやってくるであろう困難な時代に、どう立ち向えばいいのかについても、元気とヒントをもらったように思えたのだった。

 

 

 

|

« 2020.4.10吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD | トップページ | 153-0051 ・ メール »

2020.4.14吉田拓郎のラジオ番組を聞き終わった後で、鬱々とした日々に希望がもたらされたことに気がついた・」カテゴリの記事