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2020年1月

2020/01/30

2020.1.30 フジテレビNEXT石田弘へきくちから

2020.1.30 フジテレビNEXT石田弘へきくちから
1/30(木)20:00~21:00

 

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2020.1.30吉田拓郎さんの「お前、人生を攻めてるか」・放送作家 西川栄二のブログ

2020.1.30吉田拓郎さんの「お前、人生を攻めてるか」・放送作家 西川栄二のブログ

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いよいよ24時を越えて

明日(金)、25年ぶりのお笑いライブです。

ここんとこ、気がつくと

毎朝4時に目が覚めて

あ~だこ~だ考えています。

「57歳にもなって

なにこんなに金にならないことで

苦労してるんだ」‥とも思うけど(笑)、

僕を突き動かす言葉は、

吉田拓郎さんの未発表曲にして

サントリーのCMソング

「ウィスキークラッシュ」の

「お前人生を攻めてるか」という一節。

「お前人生を攻めてるか」は、

僕にとっては、凄く重い言葉にして、

生きる座標みたいなもの。

なんか僕の大切な友人が集結して、

僕の生前葬みたいなイベントに

なりそうなので(笑)、

少しでも興味のある方は是非お越しください。

今日は飲んじゃったから、

明日、ネタ固めなくちゃね。

 

 

 

 

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2020/01/29

中島みゆきは「戦友」 プロデューサー/アレンジャーの瀬尾一三が語る2020/01/29 17:15

中島みゆきは「戦友」 プロデューサー/アレンジャーの瀬尾一三が語る2020/01/29 17:15

 

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日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2020年1月の特集は、「瀬尾一三2020」。今週と来週の2週に渡って、去年、音楽活動50周年を迎えた70年代以降の日本の新しい音楽のプロデューサー、アレンジャーの先駆けである彼の作品集の収録曲を特集していく。今週は収録曲の後半8曲について、田家と瀬尾が裏話をトークしていく。

 

田家秀樹(以下、田家):こんばんは。FM COCOLO『J-POP LEGEND FORUM』案内人の田家秀樹です。今お聴きいただいたのは、中島みゆきさんで「涙 - Made in tears-」。1月8日に発売になりました『時代を創った名曲たち 3~瀬尾一三作品集 SUPER digest~』からお聴きいただいております。オリジナルは1988年のアルバム『グッバイ ガール』収録。今月2020年1月の特集は「瀬尾一三2020」。プロデューサー、アレンジャー、作曲家、音楽監督、シンガー・ソングライター、中島みゆきさんを手掛けるようになって32年です。1月8日に瀬尾さんが手掛けられた曲を集められたコンピレーションアルバム『時代を創った名曲たち 3~瀬尾一三作品集 SUPER digest~』が発売されました。瀬尾さんが70年代から2000年代まで手掛けた全17曲が収録されています。先週と今週は、そのアルバムの全曲紹介をお送りいたします。今週は後半です。

 

瀬尾一三(以下、瀬尾):こんばんは(笑)。
田家:今回の瀬尾さんの特集はですね、内幕をお話すると、4週間分まとめて収録してます。
瀬尾:これ言っちゃっていいんですかね(笑)。おじいちゃん頑張ってます。
田家:なぜ4週分まとめて録ってるかと言いますとですね、1月には中島みゆきさんのラストツアー「結果オーライ」が始まりまして、瀬尾さんもそちらに参加されますし、私も同行させていただくことになっておりまして。体力的には大丈夫なんでしょうかね。
瀬尾:本当ですよね、頑張りましょうね(笑)。
田家:コンピレーションの話もありましたが、2月8日には瀬尾さんの本『音楽と契約した男 瀬尾一三』。が発売されます。先週はこの本の話を最後にして尻切れとんぼになってしまったので、今回は本の話から始めようと思います。スペシャル対談も4組ありまして、萩田光雄さん、松任谷正隆さん、山下達郎さん、亀田誠治さん。どんなお話をされました?
瀬尾:お互いの役割が似ているというか、アレンジプロデュースをやっている方々と個別にお話したんですけど。やっぱり共通しているところもあれば、アプローチが全然違う人もいて、そこを赤裸々に話してくれたので楽しかったですよ。
田家:萩田さんはストリングス、オーケストラが得意な方で、松任谷さんは由実さんと鉄壁のコンビを組まれている、山下さんはアーティスト活動と竹内まりやさんのプロデュースを両立、亀田さんはご自身もベーシストですし、バンドもソロも手掛けられている。
瀬尾:そうですね、それぞれの色がありますね。亀田さんは椎名林檎さんや東京事変もやっていますし。でも皆さん各々自分たちの方法論があって共有してみたりとか、「あるある」の話もあったりとかしてとても熱のある人たちでした。皆ハートがすごい熱いですね。
田家:そういう人たちと話す機会は頻繁にあるんですか。
瀬尾:そうですねえ。そんなに若い人との交流も多くはないので。
田家:亀田さんは以前から瀬尾さんと話したいと言われてましたよ。
瀬尾:そうですね、亀田さんは時々一緒に食事したりするので。奥さんの歌手の下成佐登子さんが、僕がアレンジをしていた方だったりするので。
田家:そうなんですね。本日1曲目は、この本には寄稿という形で参加されている方であります。『時代を創った名曲たち 3~瀬尾一三作品集 SUPER digest~』より10曲目、吉田拓郎と加藤和彦さんで「ジャスト・ア・RONIN」。
1987年、ASKAのソロデビューシングル「MY Mr. LONELY HEART」
田家:1986年公開の映画『幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬』の主題歌。作詞は安井かずみさんで、作曲は加藤和彦さん。これは作品集の1・2には収録されていませんでしたね。でも拓郎さんは瀬尾さんがリーダーだったビッグバンドのツアーでもこの曲をやられていて。そしてこの『音楽と契約した男 瀬尾一三』という本には、吉田拓郎さん、中島みゆきさん、中村中さんからの寄稿。吉田拓郎さんは何を書かれていたんですか?
瀬尾:大笑いの話ですよね。僕も忘れてたのによくもまあそんなこと覚えてたなってなるような(笑)。
田家:あの人覚えてないっていう割に結構しっかり覚えてますからね。
瀬尾:そうなんですよ、僕の大失敗について書かれてますね。
田家:どんな内容かは是非本を手に取ってご覧になってください(笑)。お聴きいただいたのは、『時代を創った名曲たち 3~瀬尾一三作品集 SUPER digest~』より10曲目、吉田拓郎と加藤和彦さんで「ジャスト・ア・RONIN」でした。続いて11曲目です、1986年発売の森川美穂さんで「姫様ズーム・イン」。作詞がちあき哲也さんで作曲が小森田実さん、ミノルタカメラのCMソングにもなっておりました。
瀬尾:(急に笑い出す) 何を笑ってるかと言われますとですね、すいません何も覚えておりません。森川さんは覚えているんですけどね。
田家:でも森川美穂さんはヤマハの方ですもんね、瀬尾さんとヤマハの付き合いは長いですねえ。
瀬尾:そうですね、1番最初はNSPだったんですけどね。
田家:ヤマハといえば先週お話されていたCHAGE and ASKAの世界歌謡祭のアレンジの話とかデビューシングルの話もありましたが、その前にNSPもやられていたんですね。それはどういう経緯で?
瀬尾:もう亡くなってしまったNSPの天野くんからオファーがあって一緒に仕事してましたねえ。そこから次は誰、次は誰っていういう風に決まっていきましたね。
田家:なるほど。ヤマハには音楽シーンの中で新しい音楽に果たした役割が確実にありますよね?
瀬尾:その当時、既成に出来上がっていた会社とは別の動き方ですよね。振興会っていう団体の役割もあったと思うんですけども。
田家:NSPも東北から出て来ましたし、まだ実績もなくルートもない地方の音楽やりたい人にとってヤマハっていうのが最大の入り口になったましたね。
瀬尾:そうですね、九州から北海道、名古屋とかいろいろなところから発掘してくるベースとして振興会を作ったのかもしれませんね。
田家:それは現場でそういうことやってる人たちの中に、新しい音楽を作る、発掘するんだっていう意識があったんでしょうか?
瀬尾:それもあるし、そこの中での競争もあったから皆が探してきたもの、育てたものを中央に持っていくっていう動きもありましたね。
田家:なるほど。この話は次のアーティストの話にも繋がっていきますね。お聴きいただいたのは森川美穂さんで「姫様ズーム・イン」でした。続いて12曲目です。1987年、ASKAのソロデビューシングル「MY Mr. LONELY HEART」。先週の話では、CHAGE and ASKAのデビューシングル「ひとり咲き」も瀬尾さんが手掛けていらして、そのイメージを脱却していくのは苦労しただろうなっていうお話でした。
瀬尾:自分なりにソロっていうことでは考えまして。
田家:色々相談したりもしたんですか?
瀬尾:そうですね、僕の中でもCHJAGEとASKA二人でやるのと一人でやることの区別化を図りたかったっていうのもあって。それでもしかして、CHAGE and ASKAの色をやってしまったら彼のソロでは亡くなってしまうので。彼のソロをどうするかっていうのは結構考えましたね。
田家:これはASKAさんご自身もお話されていましたけど、ソロをやるかってずっと言われていたけど、自分の中でやっちゃいけないんじゃないかと思ってしばらくやっていなかったと。
瀬尾:うんうん、やっぱり二人でしかできないものもあるけども、一人でやってみたいってのもあったと思うんです。ASKAのソロアルバムの中に「蘇州夜曲」っていう有名な曲があって。ああいうのは二人では歌えないから一人でやってみたかったのかなって思いますけどね。本当は今回のコンピレーションにも「蘇州夜曲」を入れて欲しかったんですけどね、大人の事情っていうやつで(笑)。
田家:権利関係とか色々ありますもんね。このコンピレーションアルバムには、CHAGE and ASKAのデビュー曲とASKAソロのデビュー曲も収められていて、そういう意味では時間の流れもあっていい選曲ですよね。
瀬尾:じゃあ選曲した人にそうやって言っておきます(笑)。
田家:でもそういうデビューをサポートしてるっていう感覚はあります? 例えば父親のような感覚。
瀬尾:数年経ってから思ったことなんですけど、デビューに僕が参加させてもらうことは、その人達の人生に自分が果たして関わっていいのかっていうことで。昔はそう思ってなかったんですけど、10年くらい経って責任重大だなっていう思いがふつふつと沸いてきて怖くなった時期もありましたね。
田家:なるほどね。お聴きいただいたのはASKAで「MY Mr. LONELY HEART」でした。
初めてアレンジした中島みゆきの「涙 - Made in tears -」
田家:次の方は人生に関わったというよりは、人生そのものになった方でしょう。1988年、中島みゆきさんで「涙 - Made in tears -」。初めて瀬尾さんがアレンジされた曲で、お互いの人生を決めた曲。
瀬尾:この時はシングルとしては一番最初にレコーディングした曲で、もしかしたらごめんなさいっていう結果になるかもしれませんっていう風にディレクターの方には言って。お互い牙を剥き合って刺しあって終わるかなという感じだったんですが、なんでしょうね、こうして30年も続いてね。
田家:牙を剥き合うという感じがあったんですか?
瀬尾:ありませんでした(笑)。本当にあったら30年もやっていなかったと思います。お互い我慢強くて、まだ牙出してないのかもしれません(笑)。だからいつか牙を出された時には「すいません」って言うしかないですね。
田家:中島みゆきさんをやるって決まった時には周りの人には「大変だよ、辞めた方がいいよ」って言われたということですが、実際に会ってみたらこんなにちゃんと話ができる人なのかと思ったと。
瀬尾:本当に百聞は一見に如かずですよ。まず皆さん、周りのことはあまり信用しない方がいいです、まず会いましょう。初めてそう思ったんですよね、人の噂はこういうものなんだなって。だから直にあって話すっていうことはお互いに誤解なくなるので。
田家:みゆきさんの曲はもう一曲選ばれているので、後ほどまたということで。コンピレーションアルバム13曲目、中島みゆきさんで「涙 - Made in tears -」でした。
田家:続いて14曲目です、長渕剛さんで「とんぼ」。1988年のドラマ『とんぼ』の主題歌でオリコン5週連続1位、年間3位ということですごいですね。この時、長渕さんはデビュー10年目ですね。
瀬尾:この紹介文を見ていて思ったんですけど、さっきの中島みゆきさんの「涙 - Made in tears - 」とこの「とんぼ」、発売日が5日違いなんですよね。なんだこの短い間に(笑)。だからほぼ同時くらいにレコーディングしてたんでしょうね。
田家:でも長渕さんはこのずっと前からやられていたんですもんね。やっぱりこの、大ヒットになった曲で今後の彼の活動の転機になったりとか、新しい何かが始まった感じはありました?
瀬尾:そうですねえ。でも当時彼はドラマに出たりしていましたからね。その相乗効果のような気もしますけどね。だから、うーん……。本当にこう言っては申し訳ないけど、僕の仕事って発売の3カ月~半年前にもう曲を仕上げちゃってるから。だから実際の発売の時期には、正直どうなのかってよく分からないんですよ(笑)。だからヒットしましたっていうのは、僕からしたらずっと前のことで。ヒットしましたって言われても「あ、そうなんですね」っていう感じなんですよね。実感としてよく分からないんで。
田家:2月10日に『音楽と契約した男 瀬尾一三』という本が出るわけですよね。こういう本のインタビューで大体聞かれるのが“ヒット曲を生み出すコツ”という質問でしょう。
瀬尾:あーもうね、それが一番困りますよね。コツがありゃそんなに苦労しないよってことなんですけどね(笑)。
田家:でも何か答えないといけないわけでしょう?
瀬尾:そうですね。そういうものって公式がないから楽しいのであって、これに公式があったらその通りやればいいだけになっちゃうじゃないですか。僕の場合は50年続けられたっていうのは、そういう公式がないからであって、無い公式に近づけるっていうことを考えることが長く続けられる秘策かもしれないですね。
田家:公式や秘策を探そうと思った時はありませんでしたか?
瀬尾:仕事を始めて海のもの山のものと分からない頃は、必死にそういうものを探した時もあったと思います。でも無いってことがわかった瞬間に、この前の中島さんの曲じゃないけど空任せです。
田家:「齢(よわい)寿(ことぶき)天(そら)任(まか)せ」ですね。でも、公式があるって思うことが、自分を縛ることにもなりますよね。
瀬尾:そうですね、だから大体皆のあると思ってるのは柳の下のどじょうですね。
田家:なるほど。14曲目長渕剛さんで「とんぼ」でした。
自分の色だけでやってしまうとアーティストの色は出てこない
田家:1988年の中山美穂さん1stアルバム『angel hearts』より「Sweetest Lover」。これも1988年なんですね。そう考えると、瀬尾さんが中島みゆきさんの「涙 - Made in tears」や長渕剛さんの「とんぼ」、そしてこの曲「Sweetest Lover」、ここで一つ波があったんでしょうね。
瀬尾:全部違う曲調なんですけどね(笑)。もはや多重人格ですよね、でもそうじゃないとアレンジプロデュースってできないですからね。色々な面を見ないと。アーティストを見る目っていうのがないと、自分の色だけでやってしまうとアーティストの色は出てこないので。
田家:しかも公式に当てはめようともしないと。でもある種の飽和状態っていうんでしょうかね、やれることはやってしまった感じになったことはありますか?
瀬尾:ありますあります。もう引き出し空っぽっていう、ゴミも出てこないっていう。でもこれは本当に自由業の特権なんですけど、休めばいいんです。仕事をしなければいいんです。
田家:それはいつごろですか?
瀬尾:それは30代後半くらいですね。80年代後半くらいにそういう状態になって、もう辞めたくなりましたね。
田家:1988年っていうのはそれを抜け出した頃?
瀬尾:そうなんですよ。僕の運が良かったのは、その頃に徳永英明さん、中島みゆきさん、長渕剛さんと出会ってそこで自分の中でも結構変わってきましたね。
田家:そうなんですね、やっぱり出会うべくして出会ったんでしょうね。お聴きいただいたのは15曲目、中山美穂さんで「Sweetest Lover」でした。続いて16曲目です、徳永英明さんの「夢を信じて」。出会うべくして出会った人です。1990年に発売された9枚目のシングルで徳永さん最大のヒット。しかもこの曲は、彼が事務所を立ち上げた時の曲ですね。そういう意味でも彼にとって人生の転機になった曲ですね。
瀬尾:そうなんですね。僕は徳永英明とこの何年か前から一緒に仕事をしていたんですけど、なぜか知らないけど彼とはとても馬が合ったんですよね。育ったのも関西で、近くの高校なので話題が結構あって、しかも吉本観て育ってるんで(笑)。レコーディング中はずっと笑ってましたね。ずっと掛け合いをやってました。
田家:なかなかそういう風には見えない2人ですけどね(笑)。
瀬尾:スタジオの人が笑い転げて疲れるくらいでしたね。
田家:徳永さんの曲は、今回のコンピレーションの1と2には「壊れかけのRadio」と「最後の言い訳」が入ってましたけども。そういう意味では徳永さんの歌のビートっていう意味ではこの曲が一番でしょう?
瀬尾:そうですね、この歌はアニメ『ドラゴンクエスト』の主題歌でもあったので、そういう意識もあって作りましたけども、
田家:そして一番のヒットになったと。
瀬尾:あ、そうだったんですか?
田家:これもやっぱりヒットのこと言われてもわかりませんよって(笑)。でも徳永さんと出会えて良かったことって何かありますか?
瀬尾:プロデューサーという意識をすごく持たせてくれたかな。長渕剛さんとは共同プロデュースっていう形だったんですけど、徳永さんの場合は全面的に任せてくれて信頼もしてくれたので。それがプロデューサーの方にウェイトを持っていこうっていう気持ちにさせてくれたのは徳永さんですよね。その後に中島みゆきさんと会ったので、その時にはプロデューサーメインでやっていこうって思うようになってました。
田家:なるほど。この「夢を信じて」が発売された1990年には中島みゆきさんのイベント「夜会」も始まってました。
瀬尾:1989年でしたからね。
田家:お聴きいただいたのは16曲目、徳永英明さんで「夢を信じて」でした。最後の曲はこちらです。中島みゆきさんの1992年の曲「浅い眠り」。
中島みゆきとの仕事においての「プレッシャー」とは?
田家:1992年に発売された。28枚目のシングルでドラマ『親愛なる者へ』の主題歌で「浅い眠り」でした。初のミリオン超えということですが、まあ一旦セールスのことは置いておいて。
瀬尾:置いておいて下さい(笑)。
田家:でもこういうヒットが出ると、どこかで後々の意識が影響されるっていうことはないんでしょうか。それともそういう意識から排除するんでしょうか。
瀬尾:排除することはないですよ。認めてくださることはとても嬉しいと思いますけど、僕の仕事の内容にはあまり変わりはないですよね。考え方には全く変化はなくて、あまり考えてしまうとプレッシャーの方が強く感じてしまって、怖くなって先に進めなくなると思うので。なので、こういうことは、お祝いとしてありがたく受け取って、皆さんに広まったっていうのは嬉しいことだけど、それは僕がやったということではなくて本人の力なので。そこで俺が俺がって言ってしまったところで、先に来るプレッシャーの方が大きくなって大変だと思うので。あくまで第三者的に「あぁ、よかったですね」くらいで終わってますね。
田家:でも中島みゆきさんとの仕事は年々プレッシャーが増してくるわけでしょう?
瀬尾:まあそう言われるとどう答えたらいいか分かんないんですけど、さっきのプレッシャーと対中島さんのプレッシャーっていうのは別物であって、あくまでクリエイティブな前向きなものじゃないですか。「売れました」っていうプレッシャーは不安になるようプレッシャーだけど、中島さんとのプレッシャーはもっと前に進んで行こうっていうもので別物ですね。
田家:プレッシャーの質の問題ですね。セールスは質の問題じゃないですもんね。この徳永さんと出会ったことで自分に何が良かったかをお伺いしましたが、中島みゆきさんと組んだことで始まったこと、やり甲斐ってありますか? 例えば「夜会」が始まって違って見えたとか。
瀬尾:いやー。僕にとっては一番最初に仕事した「涙 - Made in tears-」が始まりなので、それからずっとある意味で戦いですよ(笑)。30年一緒にやってて、ただすれ違っただけですっていうことにはならないじゃないですか。一緒に仕事してきて、音楽業界の中での戦友なので、戦友は裏切らないようにしないといけないし。ずっと戦友でいたいと思うし、向こうがいらないって言うまでは、老兵ながらツアーとかも足手まといにならないようにしましょうお互い、ハイ。
田家:お聴きいただいたのは、1月8日に発売になりました『時代を創った名曲たち 3~瀬尾一三作品集 SUPER digest~』最後の曲、中島みゆきさんで「浅い眠り」でした。『J-POP LEGEND FORUM』瀬尾一三2020年part.2、70年代以降の日本の新しい音楽のアレンジャー・プロデューサーの先駆け瀬尾一三さんに特集する1カ月。今週はPart4『時代を創った名曲たち 3~瀬尾一三作品集 SUPER digest~』後編でした。今流れているのは、竹内まりやさんの「静かな伝説(レジェンド)」です。そして2月10日に『音楽と契約した男 瀬尾一三』という本が発売になります。萩田光雄さん、松任谷正隆さん、山下達郎さん、亀田誠治さんとの対談、そして吉田拓郎さん、中島みゆきさん、中村中さんからの寄稿もありまして。中島みゆきさんはどんなことを寄稿されているんでしょう?
瀬尾:これも僕との出会いの話をしています。
田家:「涙 - Made in tears-」の時のことですか?
瀬尾:いえ、なぜ彼女が僕を選んだか? 一度もお話したことないことだと思うので、是非読んでください。
田家:この本で一番伝えたいこと、感じ取って欲しいことって何でしょう。
瀬尾:僕は別に人生の終盤を迎えた人の自慢話をしようとも、音楽業界での成功のハウツーを語ろうとしてるわけでもないんです。人に知られていない職業の紹介、音楽という業界で昭和・平成・令和を生きてきた一人の職業を通した生き様を感じてくれればと思ってるだけなんで。
田家:プロデュースとは何か、アレンジとは何かの一つの答えやヒントがある?
瀬尾:あるかもしれませんし、ないかもしれません(笑)。お任せいたします。
田家:受け取る人次第でしょうか。そして、『時代を創った名曲たち 3~瀬尾一三作品集 SUPER digest~』なんですが4作目もあるんでしょうか?
瀬尾:いや、もう勘弁して下さい(笑)。
田家:でもみゆきさんのツアーが終わった頃に、スタッフの方からあれもあります、これもありますという提案が出てくるかもしれません。
瀬尾:かもね。
田家:お互い無事にツアーを終えましょう、よろしくお願いいたします。
瀬尾;こちらこそよろしくお願いいたします。
田家:ありがとうございました!

 

 

 

 

 

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ザ・フォーライフヒストリアル~ペニーレインで雑談を~ 第31話テーマ水谷豊

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当時の担当ディレクター池田雅彦さんから名曲「はーばーらいと」、裏話も交え伺います。


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ザ・フォーライフヒストリアル~ペニーレインで雑談を~ 第30話・小室等 六文銭の過去と最新アルバム「自由」

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4週に渡りご登場いただいた小室等さんSP最終回。
伝説のグループ「六文銭」の過去と最新アルバム「自由」のお話を伺います。

 

 

 

 

 

 

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2020/01/22

松田聖子や吉沢秋絵の曲を手がけた理由 プロデューサー/アレンジャーの瀬尾一三が語る

松田聖子や吉沢秋絵の曲を手がけた理由 プロデューサー/アレンジャーの瀬尾一三が語る

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音楽評論家・田家秀樹がDJを務め、FM COCOLOにて毎週月曜日21時より1時間に渡り放送されているラジオ番組『J-POP LEGEND FORUM』。

日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2020年1月の特集は、「瀬尾一三2020」。今週と来週の2週に渡って、去年、音楽活動50周年を迎えた70年代以降の日本の新しい音楽のプロデューサー、アレンジャーの先駆けである彼の作品集の収録曲を特集していく。今週は収録曲の前半9曲について、田家と瀬尾が裏話をトークしていく。

田家秀樹(以下、田家):こんばんは。FM COCOLO『J-POP LEGEND FORUM』案内人の田家秀樹です。今お聴きいただいたのは、中島みゆきさんで「涙 - Made in tears-」、オリジナルは1988年のアルバム『グッバイ ガール』から。今月2020年1月の特集は「瀬尾一三2020」。プロデューサー、アレンジャー、作曲家、音楽監督、シンガー・ソングライター、中島みゆきさんを手掛けるようになって32年です。1月8日に瀬尾さんが手掛けられた曲を集められたコンピレーションアルバム『時代を創った名曲たち 3〜瀬尾一三作品集 SUPER digest〜』が発売されました。瀬尾さんが70年代から2000年代まで手掛けた全17曲が収録されています。今週と来週は、そのアルバムの全曲紹介をお送りいたします。という話は、去年の1月もしておりまして。実は去年の1月も瀬尾さん特集でございました。ということはですね、新春恒例のじじい放談(笑)。

瀬尾一三(以下、瀬尾):本当ですよね。こんな70歳越した2人でこうして話しててもいいんですかね(笑)。

田家:恒例、高年齢ですよね(笑)。でもそういう年齢にもかかわらず、こうやって毎年1カ月の特集が組めるのはちゃんと作品があるからですよね。

瀬尾:そう言っていただけるのはありがたいですね。

田家:そして『時代を創った名曲たち 3〜瀬尾一三作品集 SUPER digest〜』が発売になりました。

瀬尾:ほんとですよね、なんという……。僕が頼んだわけじゃないんですけどね(笑)。

田家:こういうコンピレーションシリーズって、例えば徳永英明さんとかご自身で歌ってらっしゃる方によるものが多いですけど、瀬尾さんのアルバムは歌ってる人が皆違いますからね。

瀬尾:作品集として出していただけるのも本当に特殊な感じですよね。

田家:曲を選ぶ大変さというのもあるかと思うんですが。

瀬尾:僕は実際、選曲にはタッチしてないんですよ。一作目を出したときに、あるアーティストから「なんで僕の歌が入ってないの?」という声が聞こえてきまして、「いや、僕は選曲にはタッチしてないんだよ」っていう。なので、その辺のことはアーティストの皆さん、文句は言わないでください(笑)。

田家:なぜ今週と来週は中島みゆきさんの「涙 - Made in tears-」から始めるのかと言いますと、瀬尾さんが初めてアレンジを手掛けた曲がこれだったということです。

瀬尾:そうですね、これは1988年に彼女と初めて協力した思い出の曲です。

田家:もう32年も経つわけですね。この曲はアルバムの中に入っておりますが、来週詳しく話そうと思っております。今週は先ずですね、今回のアルバム1曲目に収録されています六文銭で「私の家」からお送りいたします。

田家:1972年に発売された1stアルバム『キングサーモンのいる島』収録の曲ですね。六文銭、小室等さん、原茂さん、及川恒平さん、橋本良一さん、四角佳子さん、色々なアーティストの方がいらっしゃいますね。この曲をアルバムの1曲目に持ってきたっていうのも、選曲されたスタッフの方がこの曲から始めたいということで?

瀬尾:そうですね、小室さんとは以前から親しくさせていただいていたので。これが、べルウッドというレーベルから出た最初の作品で、君もちょっとやってみてくれないかっておっしゃっていただいて。僕も会社から独立してすぐの初期の頃だったので、結構覚えてますね。

田家:1972年にアルファミュージックをお辞めになり、シンガー・ソングライターとしてもデビューなさったその年に。でもこの六文銭は、「インドの街を象にのって」という曲が私はとても好きで。

瀬尾:その曲入れたらよかったですね。まあ僕は選曲に関わっていなくて、文句も受け付けていないので(笑)。

田家:まあ、色々あるでしょう(笑)。お聴きいただいたのは六文銭で「私の家」でした。

猫「各駅停車」

田家:2曲目はこちらです、1974年発売、猫の6枚目のシングル「各駅停車」 。作詞が喜多條忠さん、作曲が石山恵三さんです。これは、猫、変わったなあって思った曲ですね。

瀬尾:そうですね、デビューの「地下鉄にのって」は吉田拓郎さんプロデュースで、拓郎さん色が強かったですもんね。これは僕色がちょっと出てるかもしれませんね、ホーンとか使ってて。

田家:猫は当時、常富喜雄、田口清、内山修という早稲田の学生によるバンドでした。当時から交流はおありでした?

瀬尾:そうですね、元々僕は関西出身なので早稲田の人のことはそんな分からなかったんですけど、僕が東京に来てからは色々な人を通じて知り合って。それで色々と根っこを作って、1枚目は吉田さんが担当したということで、次は任すよって僕が言われて。2枚目のアルバムは僕が全曲担当しました。

田家:このホーンを使うっていうのは、どういうアプローチだったんですか?

瀬尾:僕はよくカテゴライズでフォークっていう風によく分けられるんです、出身はそうですけど僕自身はそういうジャンルに拘って考えていないので。だから、この作品の前にやってた「よしだたくろう LIVE ’73」の時からホーンたくさん入れてR&Bっぽくやってますし。だからそんなに、フォークというジャンルの区分けはあまりないんですよね。

田家:猫のメンバーはどういう反応だったんですか?

瀬尾:どうだったんでしょうね、揉めることは揉めました(笑)。多少は文句を言うメンバーもいましたけど、

田家:これはおれたちの音楽じゃない、フォークじゃないみたいな?

瀬尾:うーん、そういうのはアルバムのこの曲だけだったんだけど、この曲が目立っちゃって。だからまあ、僕の腹の中では「ほらね?」って言う感じでしたね。

田家:アレンジャーを加えるなら、メンバーだけで作った作品とは違う要素が入らないとね。

瀬尾:やっぱり先細りになってしまう可能性もあるじゃないですか。他の要素を入れたら広がりが見えるかもしれないっていうアレンジで、こういうプロデューサー・アレンジャーというポジションでやらせていただきました。

田家:お聴きいただいたのは、『時代を創った名曲たち 3〜瀬尾一三作品集 SUPER digest〜』2曲目、猫で「私の各駅停車」でした。続いては3曲目、1974年かぐや姫で「なごり雪」。

かぐや姫「なごり雪」

田家:かぐや姫の1974年リリースの3枚目のアルバム『三階建の詩』の中の曲で、イルカのカバーでもヒットしました。瀬尾さんのキャリアの中で、かぐや姫は欠かせませんね。

瀬尾:ここで最初のキャリアの礎になったことを色々やらせてもらったので、これ以降は僕は正さん(伊勢正三)のスタッフに入ってしまうんです。南こうせつさんは石川鷹彦さんとか水谷公生さん、正やんは僕が曲を見るという形になって、そのまま「風」まで続いていくんですけどね。

田家:「22才の別れ」と「なごり雪」は、正やんが最初に書いた「三階建の歌」収録の2曲なんですよね。

瀬尾:そうですね、それも僕がオリジナルの方をやって、「風」の方は石川鷹彦さんがやってましたけど。

田家:以前この番組で、正やんの特集をした際にゲストでご本人に来ていただいたんですけど、このアルバムの最後の2曲だけが残っていて「お前が書くんだ」って言われて、しょうがなく書いたって話されていましたね。

瀬尾:でもそれが名曲となって、最終的に皆に愛される曲になって。だから彼もすごいなと思います。残り物に福があるじゃないですけど、最後に任されたのがとてもいい曲だったので。

田家:その時に彼のソングライター・スキルを感じたと。3曲目はかぐや姫の「なごり雪」でした。4曲目はこちらです。石川セリさんの「虹のひと部屋」。

石川セリ「虹のひと部屋」

石川セリの名盤『ときどき私は…SERI』の制作裏話

田家:同時代・同世代の小うるさいじじいのリスナーとして、この曲が収録されていたのは拍手でありました。石川セリさんの名盤『ときどき私は…SERI』の中の1曲「虹のひと部屋」でした。アルバムの中でも特に印象的な曲で、作曲と編曲ですもんね。これはどういう思い出がありますか?

瀬尾:これはですね、当時のフォノグラムレコードっていうところのディレクターの本城さんに書いてみないかって言われて、それで書かせてもらってアレンジしたんです。この時に初めて矢野顕子さんとかともやって、楽しかったですよ。

田家:このアルバムは、松任谷由実さんの「朝焼けが消える前に」とか、下田逸郎さんの「SEXY」とか、この人がこんな曲書くんだっていうものが入ってまして名盤ですね。

瀬尾:この業界にいる小うるさくないおじさんおばさんは好きなアルバムですね(笑)。

田家:やっぱりちょっと違いますよね。

瀬尾:色っぽいいい女ですよ、人妻ですが(笑)

田家:お聴きいただいたのは、『時代を創った名曲たち 3〜瀬尾一三作品集 SUPER digest〜』の4曲目、石川セリさんで「虹のひと部屋」でした。続いては5曲目、大貫妙子さんで「じゃじゃ馬娘」。

大貫妙子「じゃじゃ馬娘」

田家:1978年発売の大貫妙子さんの3枚目のアルバム『ミニヨン』の1曲目。このアルバムのアレンジは瀬尾さんと坂本龍一さん、プロデュースは評論家の小倉エージさん。

瀬尾:これはですね、小倉エージの考えでそうなったんですが、僕がやったのはいわゆるLAサウンド。教授がやったのはヨーロッパサウンドという区別の仕方をして。それでその後の大貫さんが選んだのはヨーロッパサウンドでしたね(笑)。

田家:ですから、その後の大貫さんを聴いてらっしゃる方には意外な曲かもしれませんね。

瀬尾:そうですね、こういうこともあったので大貫さんも自分の行く道が見えたんじゃないでしょうか。

田家:このプロデュースをしている小倉さんは、元々URCのアート音楽出版というところのディレクターで。瀬尾さんはその頃からお付き合いがあったんですよね。

瀬尾:学生の頃から知ってたんですよ。

田家:同じ神戸の音楽シーンで。

瀬尾:輸入盤漁りをしてたんですよ。「これ持ってる?」って訊いて、持ってなかったら優越感に浸るみたいな。持ってなかったら、あっちこっち探しに行ってこれいいよ、あれいいよ知らないの? っていう競争をしていました。

田家:その時から、趣味が近かったんですか?

瀬尾:そうですね、同じようなとこが好きで。あいつが威張ってるのを見るとすごい腹が立ってね(笑)。

田家:で、瀬尾さんはURCからデビューされて、小倉さんはディレクターになると。少しづつ立場が違ってるわけですもんね。

瀬尾:そうですね、最終的に彼はいわゆる評論家になっていって、僕はものつくりの方に移っていって。

田家:その後、プロデューサーとアレンジャーとしてそこで出会って。複雑な何かというのもあるんですか?

瀬尾:そんなことないですよ、それはそれで面白かったんですが、大貫さんにとってこれが良いことか悪いことか分かりません。でもLA、ウェストコーストサウンドっていうものに決別はできたと思います。

田家:お聴きいただいたのは、アルバム5曲目の大貫妙子さんで「じゃじゃ馬娘」でした。続いては6曲目です。1979年CHAGE and ASKAのデビューシングル「ひとり咲き」。

CHAGE and ASKA「ひとり咲き」に芝居的要素を入れたかった

田家:デビューシングルからやってらっしゃる。

瀬尾:そうですね、これは世界歌謡祭に出た時のものだと思います。歌謡祭とレコード用を同じくしたいと言われて、レコーディングを先にやってしまったんですけど。初めて彼らに会った時は素朴な2人で。ASKAがちょっと鼻が詰まった声で、それが魅力的だったんですけど。これは演歌っぽく、情念っぽくしたいなと思ってました。歌舞伎の舞台ではないけど、屋台崩しがあってそこから出てくるみたいなものをイメージして作ってみました。最後に半音上げてるのも、元々そんな曲じゃなかったんですけど。当人たちは何も知らなかったんでびっくりして目が点になってましたけどね。「あれー」みたいな(笑)。

田家:(笑)。でもアレンジによって曲のスケールが何倍にもなってましたね。

 

瀬尾:それは本当に屋台崩しがしたかったんですよ。舞台が上から崩れて、後ろから違うものが出てくるみたいな。それくらいの変化を音で作りたかったんですよ。

田家:あれ、1回目か2回目のツアーで屋台くずしやってませんでしたっけ?

瀬尾:それはちょっと行ったことないんですけど(笑)。

田家:それも瀬尾さんのアイデアなのかと思ってました。

瀬尾:いやいや、僕はそれでこの曲にちょっとこう、いわゆる芝居的要素を入れてみようと思ってアレンジしました。

田家:2作目の「万里の河」はフォーク演歌っぽくアレンジされてますけど、これはちょっと違いますもんね。

瀬尾:そうですね、これはある意味、世界歌謡祭っていう意識もあったので、他のエントリーの人より目立とうっていう僕のスケベ心があったんじゃないでしょうか。

田家:なるほどね、そういう意味ではある意味CHAGE and ASKAの生みの親と言っちゃっていいんでしょうね。

瀬尾:最初の頃はね。でもこのイメージを払拭するのに彼らは大変だったと思いますよ。「SAY YES」までいくのも大変だったと思います。

田家:なるほど。お聴きいただいたのは6曲目CHAGE and ASKAで「ひとり咲き」でした。続いては7曲目です。松田聖子さんで「花一色 ~野菊のささやき~」。

松田聖子「花一色 ~野菊のささやき~」

田家:作詞‎が松本隆で、作曲‎が財津和夫。これは6枚目のシングル「白いパラソル」のB面曲で、A・B面ともにこのコンビで書かれた曲であり、松本さんが初めて書いたシングル曲だった。で、東映映画『野菊の墓』の主題歌だったと。これはどういう経緯だったんですか?

瀬尾:これは財津さんの方からアレンジして欲しいと頼まれて。その時に甲斐祥弘さんに「赤い靴のバレリーナ」だったかな、それも頼まれて。だから、あともう一つ、杉真理さんからも『ピーチ・シャーベット』の3曲も頼まれてて。その時に録りました。

田家:瀬尾さんにとって、聖子さんはどういう風に映ってらっしゃったんですか?

瀬尾:ごめんなさいね、この頃のアイドルさんはね、スタジオに来ないんです。全部仮歌なんです。仮歌の女性がラララって歌いにくるだけだったので、申し訳ないんですけど松田聖子さんと仕事してるっていう認識がなかったんです。M1、M2みたいな感じで来るんですよ。

田家:あー、誰が歌うか分からない感じになってたんですね。去年の特集の時にですね、瀬尾さんはアイドルに対してどういうスタンスだったんですか? って伺った際に「シンガー・ソングライターだけやると決めた」と仰ってたんです。でも、なんでアイドルやらないのかって言えば、今仰ったようなことですよね。

瀬尾:そうですね、結局ご本人がオケ録りにいらっしゃらないので。僕にとってアイドルっていうのは顔のない誰かっていう感じなので、やってるうちに「この曲はどの人のために頑張るんだろう」っていうのが分からなくなってくる。やっぱりシンガー・ソングライターの方が直接話もできるし、意見も聞けるしっていうことで、アイドルから遠のいていくっていうことがありましたね。

田家:それはレコードが店頭に並んだり、テレビで歌ってる時のクレジットを見て「あ、これになったんだ」と気づくみたいな?

瀬尾:それもありますし、飲み屋で飲んでたら「あれ、どっかで聴いたこkとあるな。え、もしかして俺?」ということもありました。でも歌ってるのはこの人じゃなかった、仮歌の子だったようなって。松田聖子さんが悪いんじゃなくて、当時の音楽業界がそうだったってことなんですけどね。

田家:なるほど(笑)。7曲目、松田聖子さんで「花一色 ~野菊のささやき~」でした。続いて8曲目です。稲葉喜美子さんで「ゆりこ」。

強く印象に残った女性シンガー・ソングライター、稲葉喜美子

田家:稲葉喜美子さんは横浜出身で、日本放送のフォーク番組『フォーク・ビレッジ』の出身だったと。

瀬尾:この人は気性の激しい人なんですけど、強い気性じゃなくて。感受性が強い人で、この時も曲が終わってから出てこないから気になって見たら泣いていて。

田家:なんとなくイメージはお酒とタバコって感じでしたけどね。

瀬尾:そうですね、とてもナイーブな人で。女性のシンガー・ソングライターの中でも好きなタイプですね。

田家:この曲はスタッフさんが選んだと思うんですけど、これが選ばれると嬉しいでしょう?

瀬尾:そうですね、「おっ、これ選んだか」って思いましたね。

田家:あまりヒットしたわけじゃなくて、でも個性的な人でしたよね。

瀬尾:やっぱり知って欲しかったし、こういう人もいるって知って欲しかったので。これを選んだ人には心で拍手しました(笑)。嬉しくて。

田家:でもこれ1983年ですよね。中島みゆきさんと出会う5年前。当時って稲葉喜美子と中島みゆきさんって当時のシーンでは重なるところがあったようにも思います。

瀬尾:そうですねえ。内情は違うところがありましたが、もしかしたら女性のシンガー・ソングライターへの、僕の耐性というか。順応できるようになったなと思いますね。

田家:それまでは男性が多くて女性シンガー・ソングライターはあまり手掛けてらっしゃらなかった?

瀬尾:アーティストの中でこういうタイプの人が初めてだったんです。強い人はたくさんいたんですけどね、誰とは言いませんが(笑)。

田家:その中でもこの方は強く印象に残ったと。お聴きいただいたのは稲葉喜美子さんで「ゆりこ」でした。続いて9曲目、吉沢秋絵 with おニャン子クラブで「なぜ? の嵐 」。

田家:いやーこの曲の流れが面白いですね。

瀬尾:そうですね。人間って本当に勝手だと思いますよ、そんなのは嫌だとか言いながらこういうのも時々やってみたくなるっていう人間の性(笑)。

田家:いろいろな曲を手掛けましたという例としては、これほど分かりやすい曲はないですね(笑)。『スケバン刑事Ⅱ-少女鉄仮面伝説-』の主題歌で、作詞が秋元康さん、作曲が山梨鐐平さん。藤岡孝章(元・まりちゃんズ)、板垣秀雄(元・ウィークエンド)と組んだ男性グループ「Do!」の山梨鐐平さんです。長渕さんの曲を書いたことありますもんね。そういうので選んだのかと思いました。

瀬尾:僕は選んでないからね(笑)。でも、それにしてもの並びは面白いですよね。

田家:そうですよね(笑)。河合奈保子さんとか中森明菜さんとか、富田靖子さん、工藤静香さんなども手掛けていたと。

瀬尾:さっきまでの話はなんだったんだってことですよね(笑)。

田家:さっきの話でいくと、この人たちはレコーディングに来てないってことですよね。

瀬尾:河合奈保子さんは来たかな、他は来てないですね(笑)。

田家:言っちゃった(笑)。9曲目は吉沢秋絵 with おニャン子クラブで「なぜ? の嵐 」でした。

田家:J-POP瀬尾一三2020年part2、70年代以降の日本の新しい音楽のアレンジャー・プロデューサーの先駆け瀬尾一三さんに特集する1カ月。今週はPart3『時代を創った名曲たち 3~瀬尾一三作品集 SUPER digest~』前編でした。今流れているのは竹内まりやさんの「静かな伝説(レジェンド)」。今週は前編でしたが、まだ中島みゆきさんが出てきませんでしたね。1作目の時はアイドルとか全然出てこなかったでしょう。それはちょっと、入れないようにしてたっていう……?

瀬尾:まあ僕は選んでないですけどね、でも他に入れたいのがあったんじゃないですかね。別に避けてた訳ではないと思いますね。

田家:この3作目によって全貌が見えてくるっていう(笑)。全貌ということで言うとですね、2月10日に瀬尾さんの本が出版されます。『音楽と契約した男 瀬尾一三』瀬尾一三を知らずに日本の音楽は語れないですね。

瀬尾:そんなことないですよ、宣伝の方が選んでくれたので。

田家:スペシャル対談も4組ありまして、萩田光雄さん、松任谷正隆さん、山下達郎さん、亀田誠治さん。どんなお話をされました?

瀬尾:楽しかったですよ。全員バラバラでやって、彼らもお互いを知ってないから、僕だけが各々を知っているので、各々にコンタクトを取ってOKもらって3時間くらいそれぞれ喋ってましたね。皆やっぱり同じ業種で喋るってことがないみたいで、お互いのあるある話とか、4人ともいろいろなことを結構喋ってくれました。

田家:へえ〜。来週はこの本についても深く掘り下げたいと思います。今週はこの辺りで。

瀬尾一三
1969年フォークグループ「愚」として活動。1973年ソロシンガーとしてアルバム『獏』を発売。同年に『LIVE`73』を吉田拓郎と共同プロデュース。その後、中島みゆきをはじめ、吉田拓郎、長渕剛、德永英明 他、今作品に収録された日本のポップス、ロックシーンの黎明期から現在まで燦然と光輝くアーティストたちの作品のアレンジ(編曲)やプロデュースを手掛け、中島みゆきにおいてはコンサート、『夜会』『夜会工場』の音楽プロデュースも務めている。2017年、自身の作品集第1弾『「時代を創った名曲たち」~瀬尾一三作品集 SUPER digest~』を発売し、好評を博した。2019年に第2弾、2020年1月に第3弾の発売が決定。その同時期に音楽活動50周年のアーカイブ書籍の発売も予定されている。

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソナリティとして活躍中。

 

 

 

 

 

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2020/01/20

153-0051 ・ ラジオ再び

153-0051 ・ ラジオ再び

 

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2020/01/19

田家秀樹ブログ・新・猫の散歩 ・浅川マキさん、10周忌。

田家秀樹ブログ・新・猫の散歩 ・浅川マキさん、10周忌。

 

命日、昨日だったんですね。気が付いたのは今日なんですが、昨日、一日、彼女の曲を聴いてたんです。何でかというと、FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」の特集が日本の音楽プロデユサーの草分け、寺本幸司さんなんです。
裏方ですからご存じない方の方が多いでしょうね。僕らより一世代上。でも、パイオニアの一人。そして、彼がプロデユースした最初のアーテイストが浅川マキさんでした。彼女を寺山修司さんと結び付けたのも彼ですね。
他にもリリイ、イルカ、桑名正博、下田逸郎、木田高介というような人たちをプロデユースしてます。そういう人たちを一週ずつ語って頂こうという一か月。何で、2月にしたかというと、マキさんの10周忌の色んな催しが1月末から2月にかけて開かれてるからですね。
これはほんとに偶然なんですけど、浅川マキさんの出身は石川県。金沢はゆかりの街になるわけで、今、金沢のライブハウスやCDショップ、ロック喫茶、画廊などで浅川マキ展が開かれているようです。寺本さんも行ってたようですね。
マキさんと言えば、カメラマンが田村仁さん、タムジンです。拓郎さんが仁さんに頼んだのはマキさんを撮っていたからですね。拓郎さんの「元気です」のあの横顔ジャケットは浅川マキ風に撮って、という依頼があってのことだったそうです。
タムジンと言えば、みゆきさんも全部彼が撮ってますからね。今、金沢の各地で開かれている浅川マキ展も仁さんの写真が展示されてるはずです。で、明日、みゆきさんのツアーで金沢に行くわけです。ストーリーが出来てるね(笑)。
もっと言えば、みゆきさんのツアーのベースの富倉安生さんは、浅川マキさんの代表アルバム「裏窓」に参加してると思いますよ。彼はトランザムで拓郎さんの「つま恋」にも出てたわけで、色々巡って、彼もみゆきさんで金沢に行くわけです。
ツアーの取材には、そういう面白さもあるんです。とは、いえ、金沢各地のマキさん展に足を運ぶ余裕はないと思いますけど。若い時ならねえ、そういうフットワークもあったんですが、今は、疲れないようにするのが精一杯。ほんとに情けない。
僕もツアー取材がこれでおしまいだろうな、という感覚をひしひしと感じております。でも、そんなに寒くなさそうなのが救いですね。というわけで、浅川マキさん、一日遅れの10周忌。曲ですね。彼女の名作「こんな風に過ぎて行くのなら」を。じゃ、おやすみなさい。

 

🌙 女ともだち[ 4 ] 撮影/吉田拓郎 浅川マキ(文) 1984年月刊カドカワ8

 

 

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2020/01/17

153-0051・ミーティング

153-0051・ミーティング

 

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中島みゆきは進化し続ける「天才」 プロデューサー瀬尾一三が語る

中島みゆきは進化し続ける「天才」 プロデューサー瀬尾一三が語る

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音楽評論家・田家秀樹がDJを務め、FM COCOLOにて毎週月曜日21時より1時間に渡り放送されているラジオ番組「J-POP LEGEND FORUM」。

日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2020年1月の特集は、「瀬尾一三2020」。去年、音楽活動50周年を迎えた70年代以降の日本の新しい音楽のプロデューサー、アレンジャーの先駆けである彼の作品集の全曲紹介と中島みゆき43枚目のアルバム『CONTRALTO』を特集していく。2週目の今回は、前回に続き、中島みゆきのアルバムをピックアップ。

田家秀樹(以下、田家):こんばんは、FM COCOLO『J-POP LEGEND FORUM』案内人、田家秀樹です。今流れているのは中島みゆきさんの「観音(かんのん)橋(ばし) (TV-MIX)」ですね。1月8日に発売になった中島みゆきさんの43枚目のアルバム『CONTRALTO』からお聴きいただいております。アルバムの中に2曲TV-MIXが入ってます。今週の前テーマは、この曲です。今月2020年1月の特集は「瀬尾一三2020」。プロデューサー、アレンジャー、作曲家、音楽監督、シンガーソングライター、中島みゆきさんを手掛けるようになって32年です。先週と今週は中島みゆきさんのアルバムの全曲特集、今週は2週目の後半の曲をご紹介いたします。こんばんは。


中島みゆきアルバム『CONTRALTO』全曲トレーラー


瀬尾一三(以下、瀬尾):こんばんは。よろしくお願いします。

田家:インストゥルメンタルで番組が始まると気分がちょっと違って、先週と今週ゆっくりした気持ちで始まりますね。でもアルバムは最後の曲「進化樹」の後にTV-MIXが2曲入っていて、あの余韻がいいですね。

瀬尾:そう感じていただければ嬉しいです。彼女からアルバムの中に2曲TV-MIXを入れたいっていう要望があって、それで入れました。

田家:瀬尾さんはアルバムの話は他の場所でもお話されているんですか?

瀬尾:初めてですよ。このアルバムについて話すのは今回が初めてです。

田家:瀬尾さんの中で、今回のアルバムで何か今までと違うと思っていることはいくつかあるんでしょうか?

瀬尾:彼女がつけた『CONTRALTO』というタイトルが代表していて。うた歌いとしての本来の姿へと近づくでもなく戻るでもなく、それを確認している感じがしましたね。

田家:なるほど。今回はそんなアルバムの後半をお聴きいただくわけですが、その前にですね、この曲から始めたいと思います。1988年の中島みゆきのアルバム『グッバイ ガール』から「野ウサギのように」。

中島みゆきとの出会い

田家:なんでこの曲で始めたかというと2つ理由がありまして。1つは来週と再来週が、瀬尾さんのキャリアを改めて辿る2週間で、この曲は、瀬尾さんが初めて手掛けたアルバムの中の曲だからですね。で、もう1つは去年の〈夜会VOL.20「リトル・トーキョー」〉の中でこの曲を歌われていました。瀬尾さんとの出会いの30周年記念を2人で祝われているようでした。

瀬尾:いやいや(笑)。そんなことはないですけど、舞台のところのシチュエーションでどの曲を選ぼうかという時に彼女が選んだっていうことはありましたね。

田家:でも彼女の中ではきっと、30周年というのがあったのではないでしょうか。

瀬尾:うーん、人の心は分からないですからね。特に複雑怪奇な人の心は分かりません(笑)。

田家:今年6月頃に〈リトル・トーキョー〉の映画が公開されるんですよね。昨日から始まったツアーが終わった後ですかね。この〈リトル・トーキョー〉は、「夜会はもしかしたらこんなことをやりたかったんじゃないか」っていう内容だったんですよね。

瀬尾:89年から始まったんですけど、僕としては89年にこれに近い形でできれば良かったのになって思ってます。

田家:音楽に寄りながら、エンターテイメントになっていてストーリーもあって。

瀬尾:ずいぶん時間はかかりましたけどね。ある意味、夜会の理想型に近い形ができたのかなって。

田家:これまでで一番楽しかった夜会ですね。

瀬尾:本人も歌って踊ってましたしね(笑)。

田家:これはぜひ映画館で観ていただけると楽しめると思います。「野ウサギのように」でした。
田家:こちらはアルバムの6曲目「観音橋」ですね。アナログ盤で言うとB面の1曲目になるんですけど、これの1個前の収録曲「 齢(よわい)寿(ことぶき)天(そら)任(まか)せ」がオリエンタル風で、「観音橋」は童歌風に。

瀬尾:ちょっと懐かしい感じを出したかったんです。曲のメロディも言葉遣いもちょっと昔話っぽいので、童歌っぽくしてみましたけどね。

田家:先ほど何気なくB面の1曲目と言ってしまったんですが、それも意識されていたんでしょうか?

瀬尾:そうですね、やっぱり僕らってアナログ世代なので、頭のどこかにはA面B面っていう考え方がありますね。

田家:みゆきさんのアルバムは、アナログ盤でも発売されてますもんね。やっぱりアナログの音って違うと思われますか?

瀬尾:先日アナログ盤の試聴をしてきました。僕がアナログに聴き慣れてるだけかもしれないですけど、音質について言うと、アナログでしか出ない音域というか、空気を伝わってくるものがすごく感じられますね。なので、その辺の音の出方のところがアナログならではっていうところがあります。

田家:なるほど。『CONTRALTO』っていうタイトルもそうですが、、どんな風に聴いて欲しいとか、ここを聴いて欲しいというポイントもあるんでしょうか?

瀬尾:僕の中では一種の原点回帰というか。本人も含めた上で温故知新ではないですけど、元をちゃんと見つめてみようっていうのがあるのかもしれません。

田家:この6曲目の「観音(かんのん)橋(ばし)」も『CONTRALTO』的だなあって思って聴いておりました。
中島みゆきの「場所感覚」とは?

田家:このトイピアノって言うんでしょうかね、これはどういうイメージだったんでしょう?

瀬尾:先ほど仰ってた童歌風っていうのもあって、ちょっと僕のイメージではオルゴール風な感じがあります。少し昔話風な感じ、蓋を開けると記憶も戻ってくるみたいな感じで。旧いアルバムの写真を見ているような感じにしたかったんです。

田家:時間の流れもちょっと変わってくるような。「橋を渡らない こちらの異人のままでいる」っていう歌詞に表れる中島みゆきさんの場所感覚といいましょうか。

瀬尾:僕の個人的な感情ですが、幼少期の頃に、父親の仕事の関係で何度も引っ越しや転校を繰り返しておりまして。転校してその地域に慣れるっていうこととか、そういうことが重なって、歌の中の歌詞にもあるように、どこかその見えない結界があってそこに入ることの覚悟とか、馴染む馴染まないっていうこと、相手がどういう迎え方をしてくれるかっていうのは子供の頃からすごく感じていました。なので、とてもこの心情はよくわかる気がします。何か見えない線がありますよね。

田家:これは日本中どこでもあることでしょうからね。そういう人たちに届けばいいなという曲です。中島みゆきさんで「観音(かんのん)橋(ばし)」でした。
田家:続いて、アルバム7曲目の「自画像」です。改めて聴くと、アルバムの10曲の中でも一番バラエティを感じさせる曲ですね。

瀬尾:これを初めて聴いたときは、「いろいろなものに手を出してくるな、趣向を凝らしてくるな」と思ったんですけどね。

田家:これは自画像というだけあって、ご自身のことを重ねたくなりますが。

瀬尾:まあ彼女はクリエイターなのでね。100%彼女のことである必要はないけど、この物語のどこかに彼女が投影されている部分があるかもしれません。

田家:そしてこういうジャジーな曲調。

瀬尾:基本の形はあるけど、あまり形に捉われないようにっていう感じがしますよね。これは言い過ぎかもしれませんが、僕的にはフランク・ザッパ的なことをやりたかった。撮るときには「もうコードとか全部無視して」って言ってたんです(笑)。

田家:それで皆も承知しておもしろがってる感じで?

瀬尾:それはもうツーカーなので、すごい楽です。

田家:さっきの「観音(かんのん)橋(ばし)」との落差がいいですね。それでは、自由で前衛的な「自画像」を聴いてもらいましょう。

瀬尾:最後のあれはね、僕の個人的アイデアで入れてしまったんです。なんていうか独白的です。「このまま行くか行かないか」っていう救われないで終わるよりかは、自分の映っていた鏡を割って次のステップに行って欲しいと思って割ったんです。

田家:なるほど。このデリカシーに欠ける女性が、デリカシーが欠けていることに苛立って。

瀬尾:そうですね、このままの状態でいるというのでなくて。一旦バシャーンって壊してしまいました。

田家:自分に気が付いたんでしょうね。お聴きいただいたのは「自画像」でした。これはあなたかもしれません。
田家:お聴きいただいてるのは8曲目「タグ・ボート(Tug・Boat)」ですね。こういうのが聞きたかったという人が多いだろうなあっていう曲ですよね。

瀬尾:ある意味ショートフィルムになるようなストーリーなので、それを表現できればと思って作ってるんです。

田家:イントロは、霧に煙ってる夜の港っていうのが見えてきますもんね。で、物の見方がみゆきさんらしい。

瀬尾:これは彼女のよく題材にする、”日の当たらない人に日を当てる”っていう。豪華客船とそれを引っ張るタグボートとの比較を寓話的にやっているだけなんですけどね。これは僕の中ではアニメーションなんですよ。擬人化されたタグボートの。曲のリズムも船のエンジンの音とかを意識して作っています。それと、外用に出ていく船と湾内で仕事がないタグボートとの対比がうまく出ればいいなと思っています。

田家:この曲って歌も優しいですもんね。地声っていうか、演技的ではない。
ナレーター的な感覚で歌っている

瀬尾:そういう意味ではね、これは僕の考えだと、中島みゆきはあくまでナレーター的な感覚で歌ってると思うんですよね。だからタグボートでもなく、豪華客船の方でもなく、それを見つめてるナレーターみたいな感じで歌ってると思うんです。

田家:「大いなる人々の水平線」の後の部分ってまさにそれですね。カメラが引いていって、彼女の歌声が大きくなっていって、両方とも澄んでしまうというか。まあでもこの曲が進むにつれて、表情が変わっていくっていうのもアレンジでしょう?

瀬尾:だって世界が変わるんですもん(笑)。だから僕の頭の中では、タグボートにたるや、客船にたるやっていうか。客船は荒波の中に突っ込んでいくし、タグボートは港に戻っていくわで、どうやってまとめようって思った作品ですね。

田家:夕靄の中に帰っていくんですもんね。改めて歌を聴くと、なるほどなと思われると
思います。曲が進むにつれて、映像も変わっていく。まさに見事なアレンジの妙という感じでしょう。そして最後にタグボートって繰り返すところのあどけなさというか、明るさ。

瀬尾:タグボートだからですよ(笑)。そこはタグボートになっているので、自分の引っ張る役目が終わったら帰っていくっていうね。世の中にはいろいろな幸せがあるから、全員が同じところ、日の当たるところを目指すのが本当の幸せなのか? っていうことですよね。だから自分たちなりの幸せを見つけた方がいいっていうことじゃないですか?

田家:途中までは、客船もタグボートも両方視野に置きながら、最後はタグボートになっているわけですもんね。私はやっぱりタグボート寄りっていうか。その視線も「CONTRALTO」だなと思いました。

瀬尾:「私はやっぱりタグボートの方に日を当てたい」っていうのが中島みゆきだと思うので。

田家:私は「タグ・ボート(Tug・Boat)」の人生にシンパシーを感じてるのよっていうね。それが最後の明るさやあどけなさに繋がってると考えたら、また新しい聴き方ができるんじゃないかと思っております。
田家:アルバム9曲目「離郷の歌」ですが、また曲調が変わってきましたね。ワルツのような。

瀬尾:彼女は比較的ワルツな曲が多いんですが、これは出だしでもうやられますよね。「屋根打つ雨よりも 胸打つあの歌は」っていうこの比較の仕方は詩人ですよね。

田家:瀬尾さんがそう言うと説得力ありますよね。故郷を離れてっていうのは、彼女の中で年々流れているひとつのテーマでもあるんでしょうけど。これもドラマ『やすらぎの刻〜道』の主題歌で、倉本さんの書いた脚本と結びつけているものがここにあると思わせてくれますね。

瀬尾:中島みゆきは倉本聰先生が書いた脚本を先に見せてもらってるので、その中にどこかシンパシーを感じて書いてるんだと思うんですけど。

田家:やっぱり脚本があって生まれたアルバムなんですか?

瀬尾:彼女は主題歌を頼まれるとき、脚本やあらすじを読まないと書かないので。僕も回覧板のように脚本を渡されて、アレンジを考えるんですけどね(笑)。

田家:でも倉本聰さんの視点とみゆきさんの視点がすごく出てるなあと思いましたけどね。

瀬尾:そうですね、着眼点ということで言うと彼女はやっぱりものすごいものを持っていますよね。相手の心に入るような視点を突いてきます。

田家:ドラマの方も、人の人生は思うようにはいかないんだっていうことがテーマになっているように思います。この曲もそういうことなんでしょう。
中島みゆきの声・質感で意識したこと

田家:今回のアルバムのみゆきさんの声、質感っていうことで意識されてることはありますか?

瀬尾:うーん、このアルバムタイトルのように音域ですよね。自分が歌うのに一番いいところをもう一度見直してみようみたいな。全体的にこのアルバム以前とは違う印象があると思います。湿った感じはないですよね。中島さんは僕の想像できないところまで物事を考える人なので、たくさん考えて出たのが今回のアルバムだと思います。極端なことを言えば、誰でも歳を重ねていくわけじゃないですか? その中でも「20代みたいな歌い方してください」っていうファンもいますけど、20代の歌い方は20代、30代には30代のっていうことにしてくれないと、20代の歌い方してくれっていうのは無理ですよね。

田家:「離郷の歌」っていうのは、今の歌い方ですよね。

瀬尾:今しかできない歌い方っていうのをファンの方にも大事にしていただきたいんですけどね。

田家:特にそれを感じられる曲でした。
田家:これもドラマの主題歌でした、10曲目「進化樹」。1枚のアルバムに4曲もドラマ主題歌が入ってる。でもサントラアルバムでもないんですもんね。

瀬尾:主題歌に使っていただけるのはありがたいことですけど、でもそれだけにおんぶに抱っこするのも失礼な話だから、アルバムとしての統一を出したいっていうことでこの曲もとても考えましたし、他の6曲も彼女はとても考えてると思います。

田家:その中の最後の1曲が「進化樹」。ずっしりと重い曲ですね。進化樹っていう品種があると思ったんですよ。

瀬尾:彼女は本当にこういう造語を作るのも得意ですよね。家系図的なものを、人間を樹に喩えて、人類は進化したのかどうなのか? っていう問い。これもまた原点回帰なんですけど。

田家:歌ったなあっていう感じでしたね。世代が七つ八つっていうのは一つの時間の流れですし、八つ世代を遡るとどこまで戻るんだろうなあ、江戸時代とかですかね。

瀬尾:いいやもっともっと向こうでもいいんですよ、喩えですから。

田家:それだけ歳が重なって、幾億年歩いても人間は果たして進化しているんだろうかっていう大きな問いですよね。これは最初に聴いた時、どう思われました?

瀬尾:これはもう、全部含めて「中島みゆきだ!」って感じがしました。

田家:ですよね、これぞ! っていう。

瀬尾:根本的に流れる彼女の一本の筋っていうのがずれることなく、ドラマや倉本聰先生の書いた脚本にうまくマッチしてるんだと思います。だから倉本聰先生も彼女に歌を頼むんだと思いますよ。

田家:倉本聰さんもここまでのものが出てくるのかって予想できたのか聞いてみたいですね。

瀬尾:最初出来上がったときに、倉本聰先生だけに聴かせたんですよ。その時に倉本聰先生は「うーん、中島みゆきは天才だな」って言ってましたよ(笑)。

田家:みゆきさんもずっと進化してますよね。

瀬尾:そりゃそうですよ、彼女は進化し続ける天才なので。だからそこに付いていけるように、我々も精進していかないと。それができなかったら、僕なんかとっくに捨てられてると思うし、待ってくださいって言っても待ってくれないから。並走するのだけで必死ですね。待ってくださいって言いたくなる時もありますけど、口が裂けても言わないです(笑)。

田家:年が明けて2020年に今思うこと。僕らは進化し続けているのだろうか? 人間はどこから来て、どこへ向かうのだろうか? そういう永遠のテーマを感じさせる曲です。

瀬尾一三2020年part.2、70年代以降の日本の新しい音楽のアレンジャー・プロデューサーの先駆け瀬尾一三さんに特集する1カ月。先週と今週は中島みゆきさん特集、最新アルバム『CONTRALTO』全曲特集をお送りしました。今流れているのは竹内まりやさんの「静かな伝説(レジェンド)」。アルバムを作って今、改めて思うことはなんですか?

瀬尾:改めてっていうか、次はどんなのがくるのかっていうのが楽しみな反面、当面はラストツアーがうまくいくことだけが頭にいっぱいですね。

田家:昨日から始まりましたラストツアーですね、私も同行取材させていただいているはず。73歳の音楽ジャーナリストの最後の旅だと思っております。

瀬尾:じゃあ僕も72歳の最後の旅ということで。

田家:最後まで無事にっていうのは自分のことでもあります。

瀬尾:そうですよ、僕のことでもあります(笑)。

田家:さっき仰っていた「中島みゆきに付いていくのがやっとだ」ってどういうところなんですかね?

瀬尾:彼女のクリエイトする姿というか、どういうものを彼女が求めてるのか。僕が思っていることが本当に合っているのか。そこに僕がいる資格はあるかっていうとこまでも考えますね。

田家:最後のツアーはどう終わるんでしょうか。来週と再来週は瀬尾さんのコンピレーションアルバム『時代を創った名曲たち3 ~瀬尾一三作品集SUPER digest~』の全曲紹介です。それではまた来週。

 

 

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2020/01/15

ザ・フォーライフヒストリアル~ペニーレインで雑談を~ 第29話 小室等

ザ・フォーライフヒストリアル~ペニーレインで雑談を~ 第29話 小室等
21020/01 /13に公開
“ペニーレインで雑談を”も2年目に突入!21020年1回目は、あの歴史的名盤「プロテストソング(1978)とプロテストソング2 (2017)」を小室等さんから伺います。

 

 

 

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2020/01/14

2020.1.14 伊集院光とらじおとゲスト瀬尾一三

TBSラジオ

2020.1.14 伊集院光とらじおとゲスト瀬尾一三


【タイムフリー】拓郎LIVE '73話&「中島みゆきさんとは絶対合わないし、一緒にやったら刺し違えると思っていたけど、実際一緒にやったら全然違った」伊集院光とらじおと音楽プロデューサー・瀬尾一三さん!2020年1月14日(火)

 

 

 

 

 

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2020/01/13

153-0051・半歩でも前に

153-0051・半歩でも前に

 

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2020/01/06

TYIS 新年のご挨拶

TYIS 新年のご挨拶

 

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謹んで新年のご挨拶を申し上げます。
旧年中は格別のご厚情を賜り、誠にありがとうございます。
2020年が明るく素晴らしい年になりますよう、心よりお祈り申し上げます。

 

スタッフ一同元気に、さらに一層の努力を重ねて業務に邁進してまいります。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

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2020/01/02

153-0051

153-0051


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