拓郎さん、横浜パシフィコ。田家秀樹ブログ・新・猫の散歩
いや、素晴らしかったですね。完璧という感じでした。頭の中でイメージしていた演奏や音や歌やMC、そして、コンサートの流れと全体で伝えようとしていたこと、更に、それを受け止める客席。これがやりたかった、ここに来たかった、このためにやってきた。その全部が見事に集約されてるようでした。
なぜ、自分の詩曲のものだけでやろうとしたのか、とか、なぜ、この曲を選んだのかとか、そして、なぜ、こういうアレンジにしたのか、とかね。自分で「贅肉が取れた」という言い方をしてましたけど何しろ、無駄なこと、過剰なことが全くないように思えました。
そう、全てが「吉田拓郎」だった、というんでしょうか。音楽と彼自身との距離。音楽と彼の存在が一体になっている。「吉田拓郎」という一人の人間を離れた曲というのが一曲もない。つまり、簡単に言うと「ヒット曲」というやつですね。「吉田拓郎」を離れて一人歩きしてしまっている曲が全くない。
自分の詩曲だけでやろうとしたのは、そういうことだったんでしょうね。有名な曲、誰もが聞きたがる曲、というのは、必ずしも彼自身ではないわけで、自分のため、というより聞き手のために演奏したりすることもあるでしょう。それを感じなかったんです。
「自分の歌の世界は狭い」というような言い方をしてましたけど、改めてそう思いましたね。「吉田拓郎」という人はずっと「自分の生き方」を歌ってきた人なんだ、という再認識というんでしょうか。情景がどうとか、ストーリーがどうという客観的な歌じゃない。そういうものを「歌謡曲的」と言うのかもしれません。
これも妙な言い方ですけど、「吉田拓郎」は「歌謡曲」じゃなかったということの再確認。そういう曲が並んでいたように思いました。しかも73歳になって、当時よりはるかにリアリテイや説得力を増していた歌が多かったです。
この年になって分かること。例えば、人はこの世を去って行くこともあるでしょう。書かれた時はアルバムの片隅にひっそりと入っていた曲が、今になって深い意味を持ってくる。この曲で合唱が起きるか、というものありましたしね。曲名、書いちゃっていいのかな。まだ共立講堂があるか。
そうやって生きて来た人なんだなあという感慨もありました。79年の大晦日に「古い歌は歌わない」と宣言したのも、同じような流れにあるのかなと思ったり。つまり、惰性だとか、時と共についた「垢」みたいなものとか、「不純物」的なものを引きずることを良しとしてこなかった。その集大成、みたいな気がしたんです。
さっき終わったばかりですからね、まとまりませんよ。でも、国際フォーラムの時に妙なことをごちゃごちゃ書いていた自分が恥ずかしい、という感じでした。そういう奥歯にものの挟まったような気分は全くありません。清々しいほどの納得、感動でした。
以前、国際フォーラムのことを書いた原稿、消したい(笑)。あの時もそうしようかなと思ったんですけど、書き込みがありましたからね。他の人が書いたことを消す権利は僕にはないな、と思ってそのままにしてあるんですが、笑ってやってください。「これが吉田拓郎だ」と胸を張りたい夜でした、ってお前が胸を張ってどうする(笑)。
でも、ほんとに素晴らしかったです。また機会があれば。曲ですね。「俺を許してくれ」を。年を取って行くということは、そういう後ろめたさを抱えてゆくことなのかもしれません。いい曲だなあと思いました。じゃ、おやすみなさい。
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