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2019/07/11

拓郎さん、神田共立講堂。 田家秀樹ブログ・新・猫の散歩

拓郎さん、神田共立講堂。 田家秀樹ブログ・新・猫の散歩

昨日、間違えて書いてましたね。文京公会堂とかって書いてました。あっちは、はっぴいえんど(笑)。何を考えてたんでしょうね。と言って最近は珍しくない。思ってることと話していることが違ってたりするのも日常茶飯事。自分じゃ神田共立と言ってるつもりなのに違う場所を口走ってたりするんです、って威張るな(笑)。
神田共立。久しぶりに行きました。以前、「神田共立講堂最後の日」というのを見た記憶がありますね。あれは何で「最後」だったんだろう。改修したのかな。その時は泉谷さんのライブでした。もううっすらとしか思い出せませんが、岡林さんが出たんじゃなかったかな。という話じゃありませんね。
ツアーの一環でありつつニッポン放送でやっていた番組「ラジオでナイト」のスペシャルライブ。良かったですよ。貴重なものを見た、という感じでした。神田共立、あんなに小さかったかなと思ったのは他の大きいところを見慣れたせいでしょうね。
ツアーメンバー、拓郎さん入れて10名か。ステージに載りきらないでかなり窮屈な感じ。距離も近い。表情もよく見える。穏やかで落ち着いていた、しみじみしているように見えました。色んな事を噛みしめたり味わったりしながら歌っていたんでしょうね。
基本はツアーのメニューでしたけど、ラジオ番組発のスペシャル選曲が二曲。「フォークビレッジ」のテーマと「やさしい悪魔」のボーカルバージョン、というのかな。普通は”コーラス”として紹介される”ボーカル”4人がメインのアレンジ。洗練されててかっこ良かったです。
この日のためにツアー中もリハーサルしていた、と言ってましたけど、楽しそうでした。この後、彼らと一緒にスタジオに入るという話もしてましたけど、そういうアルバムが聞けるんでしょうか。でも、”コーラス”と言わずに”ボーカル”という。同じステージに立っている人たちへの気遣いでしょうね。

でも、あのラジオ番組の功績は大きかったなあ、としみじみ思いました。ラジオ番組を一人でやる、というところから全てが始まってるわけですからね。自分でも最初はなかなか打ち解けなかった、と言ってましたけど、聞いていてもだんだん気持ちが開かれてゆくのが分かりましたもんね。

ツアーの一曲目を、とか、最後の曲を、とか、メンバー紹介の曲を考えてくれというのもありましたよね。「嫌いな曲」というリクエストはこれまでだったらありえなかったでしょう。その中で「この曲やろうか」みたいな会話もあったわけですから。
自分の詩曲のものだけにしようというのもラジオをやりながら決めた、とも言ってましたからね。一人で番組をやっている時間が、そういう「素」に目覚めさせる過程になっていったのかもしれません。実際に採用していた曲もありました。ラジオ番組から生まれたツアー。ニッポン放送、ありがとう、です。
ファイナル、打ち上げ、という解放感もあったんでしょうけど、声も出てましたし、リラックスしているようにも見えました。どう見てもこのままライブをやめてしまうとは思えなかったんですが、本人の感覚は僕らには計り知れません。またやるだろう、とか安易に思われるのも不本意なんでしょうね。
というわけで、音楽に対してどんどん純粋になってゆくように見える拓郎さん。こっから始まる、という印象を強くしたツアーであり今日のスペシャルコンサートでした。で、全然話が違うのがジャニー喜多川さんの訃報。これから業界は大変だろうな、と他人事のように思ってます。
でも、ジャニーさんの日本のポップミュージック、エンターテインメントへの貢献度はそれこそ計り知れません。アメリカ文化に追いつけ追い越せで始まった戦後の歴史が完全に終わった、という気がしました、というようなことはここで書かなくてもいいか。
曲ですね。何でしょうね。こんなに似合う曲が残ってたんだ、と思った曲。拓郎さん「私の足音」を。新バージョンでの発売を願ってます。名曲です。じゃ、おやすみなさい。

 

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