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2018/04/10

深夜のラジオっ子 村上謙三久 テレビじゃ、これは伝わらない・田家秀樹に聞く④

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■吉田拓郎は喋りの天才

田家個人はその後、単発的にラジオの構成やインタビュアーをしながらも、編集者・ライタ ーとしての活動を主軸とするようになる。『タイフーン』(飛行船出版)、『レタス』(サンリオ出版)、『DO!』(徳間書店)といった雑誌の編集長を歴任し、甲斐バンド、浜田省吾、吉田拓郎などの書籍や音楽系の関連書を刊行。その物書きとしての活躍が実を結び、2000年代に入ると、構成作家ではなく、喋り手としてラジオ番組に出演するようになる。また、構成を手掛けたドキュメント番組で、民間放送連盟賞ラジオエンターテインメント部門最優秀賞を受賞。 再びラジオ界と接点が生まれた。2001年からTOKYO FMの音楽番組で喋り始め、2005年、深夜1時から放送されるbay fmの『MOZAIKU NIGHT』でパーソナリティを務めることになる。 「辞めた時は「もうこれで俺はラジオに戻らないんだろうなと思って雑誌に行き、そこから物書きになっていったわけで。でも、ラジオは好きなんですよね。時々、ラジオの構成の仕事はやってて、「やっぱりラジオは面白いな」と思ったりしながら、音楽の原稿を書いていて。 だから、またラジオに戻れて、こんな幸せなことはないと思いました。深夜番組の1回目は泣きましたね。総武線でスタジオに向かう時、本当に嬉しくて・・・・。「俺が深夜放送で喋れるんだ!」って」 物書きにもラジオで構成作家を務めた経験が活きた。一番大きな財産は「文章の読みやすさと書く速さ」だという。 「一番最初に台本を書いた時に言われたのが、「お前、これが読めるか?」って。それが大きかったです。「全然関係ないヤツが読むんだよ。こんなに文章が長かったら、読めねえよ」と言われて一番最初にそれを肝に銘じました。だから、今でも原稿は必ず自分で声に出して直接口にしないまでも、書きながら心の中で読んでいます。たぶん活字から入った物書きはそうじゃないんですよね。例えば、氷室京介さんのインタビューを原稿にすると、「読んでいると、氷室さんの声が聞こえてくるんですよ」って言われるんですよ」 未だに田家は自分がパーソナリティだと胸を張って言えないと話す。それはかつて自分が多くの人間の番組に触れてきたからだ。 「僕の中のパーソナリティは、落合さんであり、みのさんであり、土居さんであり、亀渕さんであり・・・。その人たちがどれだけ喋りのセンスがあって、機転が利いて、ギャグもできて、ラジオを支えてきたのか。ずっと目の当たりにしてきたから、僕が名乗るのはおこがましくて、皆さんと一緒には自分でまだなれていないですね。でも・・・・自分で喋る側になった時は放送作家が要らない(笑)。今の放送作家にはちょっと申し訳ないんですけど、自分で台本が書けちゃうんです。当時は台本を書いても、喋り手がその通りにやってくれず、「そうじゃないのになあ」と思うことが結構あったんですが、今は自分でやれちゃうんで、これは幸せなことだと思っています。そのぶん、自分の至らなさを痛感させられるんですけど」 喋り手と構成作家、ラジオで重要な意味を持つ両方を経験した田家が思う素晴らしいパーソ ナリティの条件とはなんだろう? 「自分の言葉を持っている人、それに尽きるかな。自分の言葉を持っていて、世の中を、客観的に、クールに、迎合しないで見ていることができる人っていうか。そして、リスナーの気持ちを察してあげられる人。上から目線にならない人っていうことだと思いますね」 具体名を聞くと、かつて番組を担当した落合恵子、みのもんたの名に続き、意外な名前が出てきた。 「吉田拓郎さんもそうですね。拓郎さんは喋りの天才ですよ。あの人は自分で喋りながら、自分で台本が書ける人なんです。自分で喋りだした時、ある程度の流れはあるにしても、その時 点の言葉は思いつきなんです。でも、その思いつきから、自分で話を作っていって、ちゃんとオチがあるという。そういう意味では、究極は永六輔さんかもしれません。4年前にインタビューさせていただいたことがあって。もう車椅子に乗っていらっしゃって、心許ない感じだっ たんですけど、マイクの前にスタンバイしたら、そこから目の色が変わって……。ちゃんと話のメリハリがあって、オチがあって、もう見事でした。頭が下がるというか、神々しいぐらいで、こういう方を"ラジオの人" って言うんだなって。

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そういう意味では, (ビート)たけしさんもそうですよ。最近で言えば、伊集院(光)さんには頑張ってもらいたいなあって思いますね。ああいう人がいると、やっぱり自分のことをパーソナリティって呼べないなあって思います」 どうしても黎明期の深夜ラジオに携わっていた人間からは、今のラジオに対してネガティブ な声が多い。しかし、田家は「これだけメディアが多様化している中で、当時のように、大手を振って世の中を歩いているみたいな、影響力のあるメディアであると思うこと自体に無理があるんだと思います」と理解を示した上で、今のラジオ界についてこう語ってくれた。 「でも、ラジオにしかできないことは当然あると思うんです。テレビでもないし、ネットでもないし、活字でもない。一対一の関係性とか、情報の温度感とか、誰かが喋っている信頼度とか、それを持っているのがラジオなんですよね。これだけ情報が氾濫している中で、物の見方を含めてすべてを整理して、一つのガイドになるような伝え方ができるのがラジオなんだろうなと。例えば、ラジオから音楽の要素は減っていますけど、有線でもなく、インターネットでもなく、ちゃんと体系立てて音楽を語ることもラジオはできるわけですから。音楽を伝えるメ ディアとしてラジオはもう一回見直される時期が来ると思っています」 コンテンツを制作する技術としてもラジオを高く評価した。 「ラジオ制作のノウハウに、改めて自分たちが自信を持つことも大事だと思います。ラジオの制作者はたぶんテレビも作れると思うんですよ。もちろんネットの番組も作れる。情報の集め方、整理の仕方、その伝え方のノウハウは一番ラジオが持っていると思うので、それを活かすのがラジオの今後の可能性なんだろうなと思いますね」 テレビ中心にシフトする同世代の構成作家が多かった中で、田家はラジオにこだわってきた。 結果的に一旦ラジオ界から離れてしまったが、思いは衰えず、今は喋り手としてもラジオにかかわっている。なぜそこまでラジオにこだわってきたのだろうか。それはテレビとの根本的な 違いが理由だった。 「テレビで音楽番組が増えた時に、実は何度か呼ばれてやったりしたんですけど、スタッフの人数もたくさんいるから、打ち合わせも多いんですよ。技術の人、照明の人、「この人たちはいったい何をしてるんだろう?」という人たちと一緒にやってて、結局番組が終わっても彼らが何者だったかわからないままだったりする。そういうテレビの作り方のむなしさを当時感じました」 しかし、ラジオは違う。「身軽なんですよ。だって、二人いればいいんですから」と田家は言う。 「ディレクターがどんな音楽が好きで、どんな女の子が好みか、全部わかっているわけでしょ。 終わったら二人で飲みに行けるわけですから。リスナーからの反応もあって、リスナーの人となりもわかるわけです。いつもこんな内容を書いてくるねとか、音楽の好みが一緒だよなとか。 そんな風に、ミニマムな形で作られていくことの楽しさ。それがラジオの醍醐味だと今でも思っています。そういう空気は聴いている人にも伝わるんだろうなと思います」 すべての取材を終えたあと、田家から「今は誰でもラジオができる時代ですよね。だから、村上さんもラジオをやったらいいんですよ。やったほうがいいです」と提案された。動揺してすぐに頷けない自分がいたが、その言葉から、編集者、構成作家、パーソナリティの間にある壁を飄々と乗り越えてきた田家の人生を感じずにはいられなかった。

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