2018.1.28 第43回吉田拓郎ラジオでナイト
| 固定リンク
吉田拓郎ラジオでナイト番組ブログ・タクローではなく、よしださーん!
記録的な大雪に寒さ。
東京有楽町では、
まだ道路の路肩の雪がなくなりません。
皆さま、いかがお過ごしでしょうか?
さて、「吉田拓郎ラジオでナイト」も40回を数えました。
ひとつ、お詫びと訂正です。
前回の放送に際し、新聞のラジオ欄に
「吉田拓郎 高校時代/の幻音源をまた発掘/オルガンを弾く拓郎」
と記載してしまいましたが、正確には
高校時代ではなく、
1966年ごろ、
広島でのアマチュアバンド「ダウンタウンズ」で演奏した音源でした。
大変失礼いたしました。お詫び申し上げます。
オルガンを弾く拓郎さんの貴重音源、もう聞いていただきましたでしょうか。
まだの方は、ぜひタイムフリーでお聞きください。
この頃は、拓郎さんが演奏すると女性たちが黄色い歓声を上げたそうですが、
その声が、「タクロー(さーん)」でなく、
「よしださーん」だったとか。(爆笑)
次回の拓郎さんのライブでは、どこからともなく「よしださーーーーん!」
が聞こえてきそうな予感…。
◇◇◇
さて、第40回の放送でご紹介した曲は、こちらです。
◆オープニング
・広島での高校時代、スキーに行ったが、
雪がなくてキャッチボールして帰ってきた。
・ゲレンデが似合わない男・吉田拓郎
・受験時代の思い出
M1 受験生ブルース/高石友也
◆リスナーメール
・リスナーメールにて、受験時代にお世話になったウォークマン
・昔ライブ音源を、バンドメンバーでウォークマンで聴いていると、青山徹に怒られた。
・ユア・フェイバリット・ソング
M2 I Wanna Be Adored/ザ・ストーン・ローゼズ
◆今週のベストテイク
・グルーブ感を出すためにギターを4回多重録音。
・ウォール・サウンドにヒントを得た
M3 朝陽がサン/吉田拓郎
◆「マイフェイバリットソング」
・超貴重!1966年ごろ、
広島でのアマチュアバンド「ダウンタウンズ」で演奏した「青い影」。
・オルガンを弾くのは吉田拓郎
・その音源紹介!
M4 青い影/プロコル・ハルム
PS.
拓郎さんの防寒ニット帽。
【募集中のテーマ】
◆「ユア・フェイバリット・ソング」
「あなたのフェイバリットソング」を紹介しています。
・この曲のここがいい。
・イントロがいい、間奏がいい、
・この歌の、この歌詞、一節がなける。
・この歌詞のこの部分に励まされた。
・この曲がなぜ素晴らしいのか、独自の分析や見解
などなど、あなただけの「音楽、アーティスト」への思い入れを
簡潔に教えてください。
邦楽、洋楽、ジャンルを問いません。
◆「平成ボーイ・平成ガール」
平成のゴールが見えてきました。
そして今年は平成30年。
さて、みなさんからみて平成生まれのお子さん、学生、社会人に
感じることありませんか?
昭和世代から見た平成世代への「?」「!」をお寄せください。
◇
| 固定リンク
吉田拓郎、「ラジオでナイト」 旧友に向かうような口調で「素」の自分を語る 田家秀樹
ラジオと音楽は切っても切れない関係にある。何気なく聴いていたラジオから流れてきた曲に衝撃を受けて音楽に興味を持ったという人は少なくない。ラジオから生まれたヒット曲も数多い。メディア多様化の中で存在感が変わってきたと言われつつも、今でもラジオは他のメディアでは出来ない役割を持ち続けている。
その一つが「アーティストの素顔」を伝えることだろう。曲を聴いたりライブを見たりするだけではないそのアーティストの暮らしぶりや趣味嗜好、作品にまつわる裏話、古くからの友人に向かうかのような口調でのトークはラジオならではだ。
【深夜放送の全局を制覇】
なぜ今更そんなことを書いているかと言うと、ニッポン放送で去年の4月から放送されている「吉田拓郎ラジオでナイト」(日曜・23時半~0時半)は、まさにその見本のような番組だからだ。
吉田拓郎ほど世代によってイメージの異なるアーティストは少ないはずだ。70年代に青春を過ごした人たちにとっては"フォークの貴公子"で80年代に出会った人たちにとっては"ニューミュージックの帝王"だろう。そして、90年代後半以降テレビで彼を知ったという人もいるはずだ。Kinki Kidsの横に座っている、どこか気難しそうな無口なおじさん、だったりする。「吉田拓郎ラジオでナイト」は、そんな様々な世代の持っているイメージを一新してくれるに違いない。
例えば、先週、1月14日の放送は、四つの柱で成り立っていた。一つは、奥様の森下愛子さんが撮影で不在の間の単身生活で見たお勧め洋画3本の話。二つ目は「成人の日」にあわせてリスナーに求めたお題「自分が大人になったと感じた時」で選んだ自分の曲「君のスピードで」、三つめは自分のこれまでの曲を振り返「マイ・ベストテイク」のコーナーで79年のシングル「春を待つ手紙」、四つ目が好きな音楽を紹介する「マイ・フェバリットソング」でローリング・ストーンズのアルバム「ブルー&ロンサム」とブルースについて語るという1時間だった。
吉田拓郎は、史上最もラジオと縁が深いアーティストである。TBSラジオの「パックインミュージック」、ニッポン放送の「オールナイトニッポン」、文化放送の「セイ!ヤング」と深夜放送の全局を制覇しているのも彼だけだ。自由奔放なトークはデビュー当時から定評があった。その後も断続的に番組を持っておりラジオから離れていた時期の方が少ない。
【ロックやR&Bの熱心なファンであることを明かす】
ただ、「吉田拓郎ラジオでナイト」はそうしたこれまでの番組とも少し違う。
何よりも伸び伸びとして明るい。自分の日々の暮らしぶり。どんな毎日を過ごしていて、どんな食生活をしているのかまで、奥様とのやりとりも含めた私生活を語ってゆく。一人しゃべりの心地よいテンポと軽妙なユーモアは独壇場だろう。
そして、最も違うのが音楽についての話が多いことではないだろうか。
これまでの取材やインタビューでも自分の過去の作品について話すことはほとんどなかった。話を振られても「忘れた」「覚えてない」ということで終わってしまう。1月14日の放送では「春を待つ手紙」を書いた経緯や名うてのギタリストが二名参加したレコーディングの様子を、二人のプレイを自分でギターを弾きながら事細かに話していた。
ローリングストーンズのアルバムを題材にしながらのブルースについての解説は、未だに持たれている「フォークの貴公子」や「70年代フォークの巨人」というイメージがいかに的外れであるか、あまりある説得力があった。いかに彼がロックやR&Bの熱心なファンであるのか。どうして今までこういう話をしたがらなかったのだろうと不思議になるほどだった。
それは、自分の作ったものを語ることに潔さを感じなかったこともあるのだろう。世間的にはそうは思われていないのだろうが、人一倍ファンに気を使う気質から、そんな話をしても喜ばれないと思っていたのかもしれない。でも、番組の中で紹介した映画「ファミリーツリー」「ショーシャンクの空に」「しあわせの隠れ場所」を紹介する時もそうだったように、音楽や映画の話をしている時が一番生き生きしている表情が伝わってくるのはラジオなればこそだ。
吉田拓郎ほど世代によってイメージが違うアーティストも少ない、と書いた。
それは、同時にどんな音楽を作って来たのか誤解の度合いも大きいということにつながってゆく。メディアに登場することやインタビューを受けることがなくなってしまったのも、そうしたギャップを埋めることが面倒になってしまったこともあるのだろう。「ラジオでナイト」はそうした周囲のことに捕らわれず「素」の自分を楽しんでいるようにも聞こえるのだ。「時代を動かす男」になる前の彼はこうだったのだろうとすら思えてくる。
俺は飽きっぽいからーー。
これも彼がことあるごとに口にする台詞だ。
去年の4月の放送開始からそろそろ一年。筆者はradikoのタイムフリーと言う新兵器で皆勤聴取中。でも、「飽きる気配」は感じられない。むしろ、長寿番組に向けてここからが本番という印象すらある。「最終章をラジオで締めくくる」という番組開始時の言葉どおりになりそうだ。
2016年の秋に行われた70才になって最初のツアー「LIVE2016」は、心から音楽を楽しんでいるような、これまでにない清々しいステージだった。71才の誕生日直前に始めた「ラジオでナイト」もそんな舞台になっているのに違いない。
吉田拓郎は、今が一番自由なのではないだろうか。
(タケ)
◇
| 固定リンク
| 固定リンク
早いもので、早1月中旬。
第39回「吉田拓郎ラジオでナイト」、いかがでしたか?
この番組でたびたび紹介される
拓郎さんのおすすめ映画コーナー。
以前、「君に読む物語」も反響がありましたが、今回は3本立て!
昨年末、奥様がドラマロケでいらっしゃらなかった時間や、
年末年始で観た映画を紹介していただきました。
「マイ・フェイバリット・ソング」ならぬ、
「マイ・フェイバリット・ムービー」。
あなたの「ユア・フェイバリット・ムービー」が
ありましたら、番組にもぜひ送ってくださいね。
◇◇◇
さて、第39回の放送でご紹介した曲は、こちらです。
◆オープニング
・拓郎さんは海外移住を考えたことありますか?
●ユア・フェイバリット
M1 この素晴らしき世界/ルイ・アームストロング
◆おすすめの映画 この3本
・拓郎さんがおすすめの映画を3本ご紹介しました。
・「ファミリーツリー」
http://www.foxmovies.jp/familytree/trailer2.html
・「ショーシャンクの空に」
https://warnerbros.co.jp/home_entertainment/detail.php?title_id=2502
・「しあわせの隠れ場所」
https://warnerbros.co.jp/home_entertainment/detail.php?title_id=2898/
・拓郎さんがこの曲を作った時に「大人になったな」と感じた曲
M2 君のスピードで/吉田拓郎
◆今週のベストテイク
・空想の中で曲を作るのは楽しい。
・「春を待つ手紙」の音楽的な解説。
M2 春を待つ手紙/吉田拓郎
◆「マイフェイバリットソング」
M3 ライド・エム・オン・ダウン/ローリング・ストーンズ
また番組でお会いしましょう。
◆「ユア・フェイバリット・ソング」
「あなたのフェイバリットソング」を紹介しています。
・この曲のここがいい。
・イントロがいい、間奏がいい、
・この歌の、この歌詞、一節がなける。
・この歌詞のこの部分に励まされた。・この曲がなぜ素晴らしいのか、独自の分析や見解
などなど、あなただけの「音楽、アーティスト」への思い入れを
簡潔に教えてください。邦楽、洋楽、ジャンルを問いません。
◆「受験の思い出」
中学受験、高校受験、大学受験に「お受験」資格試験まで…
受験の思い出をお寄せください。
深夜のラジオ、合格発表の天国と地獄、地方から上京してホテル・旅館に泊まっての受験、自分の受験、こどもの受験…などなど
受験にまつわるエピソードをお寄せください。
| 固定リンク
◇
田中秋夫氏について触れる部分 0分34秒 - 0分35秒
◇
何年か前の話になるが、新宿区三栄町にある新宿歴史博物館で開催された写真展「新宿・昭和40年代~熱き時代の新宿風景」を見に行ったことがあった。
今、あの時代が若い世代に注目されはじめているという。
その時、同会場でノンフィクション作家で音楽評論家としても活躍している田家秀樹君の講演が行われた
「昭和40年代の新宿と若者文化」と題した講演は彼の仕事の出発点だったタウン誌「新宿プレイマップ」を中心に話が展開されたと記憶している。
【新宿とラジオと】
新宿とラジオと
彼との出会いはこの雑誌が創刊される直前の1969年3月頃だった。
当時ラジオ各局は東京オリンピック後のラジオ不況に苦しんでいたが、当時、四谷にあった文化放送はその状況を打開する為に開発部を新設し、社内各部署からユニークな人物が集められ新規事業を次々に打ち出していった。
その第1弾が先輩K氏(故人)の発案による「新宿メディアポリス宣言」だった。
「街をメディア化する」という発想から文化放送が新宿区にあるデパートと商店街に呼びかけて紀伊国屋書店の田辺茂一さんを委員長とする「新宿PR委員会」を組織した。
具体策として新宿駅東口にサテライトスタジオを開設し生放送を実施する他、新人歌手の登竜門となる「新宿音楽祭」を開催することなどを打ち出した。その一環としてPR誌を創刊することを決め、さっそく社内に準備室が用意された。その編集スタッフに応募してきたのが若き日の田家君である。
その年、新宿西口の地下「広場」は連日のフォーク集会が機動隊に排除され「通路」に変えられた。一方東口は若い藝術家が集うサブカルチャーの拠点でもあった。
アングラ演劇、ジャズ喫茶、ロック、フォーク等のライブハウス、サイケ調のゴーゴークラブ等、当時台頭し始めた若者文化のすべてが新宿に集まっていた。
「新宿プレイマップ」と命名された創刊号の巻頭は野坂昭如氏と矢崎泰久氏の対談「焼け跡派のジュク望郷」だった。
やがてこの雑誌はサブカルチャー志向の編集方針が話題となり若者たちに支持されていった。当時新進気鋭の演劇人、作家、イラストレーター、写真家たちが毎号誌面を飾った。
しかし、その編集方針が「街の健全化」を志向する新宿PR委員会のメンバーと次第に対立するようになり、あえなく3年ほどで廃刊という運命を辿る。その結果、田家君は文化放送が新たに創刊する深夜番組「セイ!ヤング」の機関誌編集を担当することになった。
彼はタイトルを「ザ・ビレッジ」と命名し「深夜は若者の解放区」という編集方針を掲げ、時にはヌード写真を掲載するなど大胆な誌面で物議をかもすこともあった。しかし「ザ・ビレッジ」は深夜放送ブームに乗ってリスナーの若者たちに圧倒的に支持された。 彼はこの編集に携わる他、放送作家としても活躍し始める。彼の構成は制作者たちに好評で、多くのレギュラー番組を担当していた。私も彼が構成を担当した音楽ドキュメンタリー番組で連盟賞の最優秀賞をはじめ賞を数回受賞した経験がある。
やがて彼は吉田拓郎、中島みゆき等アーチストのライフストーリーを次々に発表する他、新聞連載の「70年代ノート」等ノンフィクション作家としても注目されるようになっていった。
現在はラジオの音楽DJとして活躍する一方、音楽評論家として日本レコード大賞の審査員も務めている。
昭和が終わり、平成になった。その平成も、あと1年4ヶ月で終わるが、あの頃、ゴールデン街で飲み明かした頃の光景は脳裏に焼き付いている。まだ「新宿解放区」が実感出来た時代だった。
◇
田中秋夫プロフィル
1940年生まれ。一般社団法人放送人の会・理事。元FM NACK5常務取締役。
1964年、文化放送にアナウンサーとして入局、その後、制作部に。「セイ!ヤング」や「ミスDJリクエストパレード」など深夜番組の開発に尽力し、ラジオ界での名物ディレクターとして知られる。1990年にFM NACK5に制作責任者として転籍。ラジオ番組のコンクールでは「浦和ロック伝説」「イムジン河2001」「中津川フォークジャンボリー」等で日本民間放送連盟賞受賞。
◇
| 固定リンク
新年あけましておめでとうございます。
本年も「吉田拓郎 ラジオでナイト」を
どうぞ、よろしくお願いします。
ニッポン放送をお聞きのみなさんには、
新年1発目、12月17日(日)以来の
第38回「吉田拓郎ラジオでナイト」、
いかがでしたか?
さて、今年は平成30年です。
そこで、新しい募集テーマを
またまたはじめます。
題して、「平成ボーイ、平成ガール」。
昨年は、
将棋の藤井聡太4段(15歳)や、卓球の張本智和選手(13歳)
女子卓球平野美宇選手(17歳)、伊藤美誠選手(16歳)など、
10代の活躍が目覚ましい1年でした。
そこで、あなたの周りの゜平成生まれの彼ら、彼女”の
ここがスゴイ、
ここが変、
ここがわからないなど、
あなたの「観察レポート」をお寄せください。
昭和生まれの我々とかれらは
どこが、どのように、なぜ違うのかを
教えてください。
お待ちしております。
◇◇◇
さて、第38回の放送でご紹介した曲は、こちらです。
◆オープニング
・新年あけましておめでとうございます。
M1 20才/森高千里
◆リスナー手紙
・ウチにも拓郎マニアの夫が…
・ギターコードは、AマイナーではなくEマイナーに。
◆今週のベストテイク
・人生をいっしょに歩こうねというラブソング
M2 歩こうね/吉田拓郎
◆「マイフェイバリットソング」
M3 マリア・エレナ/ロスインディオ
◆「ユア・フェイバリット・ソング」
「あなたのフェイバリットソング」を紹介しています。
・この曲のここがいい。
・イントロがいい、間奏がいい、
・この歌の、この歌詞、一節がなける。
・この歌詞のこの部分に励まされた。
・この曲がなぜ素晴らしいのか、独自の分析や見解
などなど、あなただけの「音楽、アーティスト」への思い入れを
簡潔に教えてください。
邦楽、洋楽、ジャンルを問いません。
◆「受験の思い出」
中学受験、高校受験、大学受験に「お受験」資格試験まで…
受験の思い出をお寄せください。
深夜のラジオ、合格発表の天国と地獄、地方から上京してホテル・旅館に泊まっての受験、
自分の受験、こどもの受験…などなど
受験にまつわるエピソードをお寄せください。
(ユア・フェイバリットの募集要項は下記記載)
◇
| 固定リンク
チャンネル銀河『吉田拓郎 & かぐや姫 Concert in つま恋 2006』 『サマーピクニックフォーエバー in つま恋』 『サマーピクニック Love & Peace』放送
『吉田拓郎 & かぐや姫 Concert in つま恋 2006』
1 / 7 (日)19:00 - 23:15
『サマーピクニックフォーエバー in つま恋』
1 / 14 19:00 - 23:15
『サマーピクニック Love & Peace』
1 / 21 19:00 - 22:15
◇
| 固定リンク
2018.1.4吉田拓郎ラジオでナイト(ネット局のみの放送・過去放送の中からベスト・テイク集)
◇
◇
| 固定リンク
小室哲哉は吉田拓郎に憧れ嫉妬し感謝していた
◇
◇
2018年1月3日(水) 21:00~23:30放送
一流の世界で活躍する芸能人やアスリートが、嫉妬した人物を告白する
シリーズの第4弾。嫉妬は自分を高める為のエネルギー。あの超大物が
激白する人物とは
◇
2002.5.6NHK BS2放送時の小室哲哉
◇
| 固定リンク