DJファン投票ベスト30 ・深夜放送ファン1972年8月号
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田家秀樹ブログ・新・猫の散歩 桑田さんのアルバム「がらくた」。
・6年半ぶりのソロアルバム「がらくた」が出ました。9月の「J-POP LEGEND FORUM」は、一ヶ月間「がらくた」特集。色んなゲストが登場して“桑田佳祐とがらくた”という話をしてくれます。明日はその一週目、ゲストが片山敦夫さんと斎藤誠さんです。
・「がらくた」は、殆どの曲を桑田さんと片山さん、マニピュレーターの角谷さん、エンジニアの中山さんというメンバーが中心というこじんまりした作り方のアルバム。斎藤さんは半分の曲でギターを弾いてます。お二人とも桑田さんに欠かせない存在。アルバムの制作エピソードを聞こうと思ってます。
・6年半ぶり。前作は「MUSIC MAN」。制作中に初期の食道癌が発覚して、制作が中断。病気を克服して作り上げたアルバムでした。そして、2015年にはサザンの9年半ぶりのアルバム「葡萄」もありました。もっと言えば、ソロの一枚目「Keisuke Kuwata」からちょうど30年。肩の力を抜いて作り上げたアルバムという印象です。
・彼の言葉を借りれば「小品」。大向こうを意識した大作ではなくて、身の回りのことを歌ったり、好きな音楽を楽しんだりというアルバム。等身大というんでしょうね。背伸びも気負いもなしに作り上げた。温度感もあります。ヒューマンなアルバムです。
・一ヶ月間一枚のアルバムを特集する。あんまりそういう番組はないでしょう(笑)。サザンの「葡萄」の時もそうでしたね。今年の7月か。GLAYのアルバム「SUMMERDELICS」の時もそういう作り方でした。
・理由はあるんですよ。新作を尊重する。今を大切にする。ベテランであればあるほど、ヒット曲も多いわけで、新作が求められなくなる。新曲はいいから昔のヒット曲だけやってくれ、みたいなファンもいたりする。それはアーテイストに死ね、と言ってるようなもんだと思うんですよ。
・新作を創るからこそ現役。だったら、今にちゃんと焦点を当てる。こんなにキャリアのある人が、こんな風に誠実に新しい事をやろうとしている。ヒット曲はCDでもネットでも聞くことが出来ます。僕らがやるべきなのは、そういうことじゃない気がするんですよ。
・というような一ヶ月です。アルバムタイトルは「がらくた」。以前、自分の歌詞集に「ただの歌詞じゃねえか こんなもん」を名付けたのに似てますね。洒落、照れ、ユーモア。その分、自信作ということでしょう。
・そして、明日はインタビューがもう一本。「J-POP TALKIN‘」のゲスト、和楽器バンド。面白そうです。というわけで、桑田さんのアルバム「がらくた」から「オアシスと果樹園」。ハワイがモチーフの曲だそうです。じゃ、お休みなさい。
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・というようなことを書こうとしたんではありませんが(笑)。書き込みの中にニューヨーク在住の方がいらして、つい嬉しくなって話題が変わってしまいました。うーん、ニューヨークに行きたい。え、ハワイじゃないの、と言われるかもしれませんが(笑)。
・ハワイはもちろん行きたい。いつでも行きたい。と言っても、そんなに慌てなくても後何年かしても大丈夫な気もしてるんですよ。ニューヨークはそうは行かない。やっぱり遠い。片道12時間か。腰とかね。そろそろ心配になってきてます。
・ずいぶん、行ってないんです。最後に行ったのは2001年の春。GLAYのレコーデイングの取材でした。その年の秋に9.11が起きて、そこから縁がなくなってしまった。日本の音楽事情が変わって、海外取材なんかとんでもない、という風潮になってしまったこともあります。
・それだけじゃなくて、アメリカに惹かれるものが少なくなってしまった、というんでしょうか。思い上がった言い方をすれば「僕のニューヨークじゃなくなった」みたいな感じかな。もちろん、自分のものだったことなどないですけど。
・最初に惹かれたのは「ウエストサイド物語」かな。中学の頃ですよ。あの摩天楼を舞台にしたミュージカル。コンバースのスニーカーに憧れました。その後は、デイランのアルバム「フリーホイーリン」のジャケットかな。デイランが恋人と腕を組んで歩く、あのシチュエーション。ああやって歩きたいと思いました。
・アメリカ、遠かったですからね。初めて行ったのは80年。90年代半ばくらいまでは、公私を超えて年に一回くらいは行ってました。一番印象的だったのは、甲斐バンドのアルバム「虜」「黄金」のレコーデイングの取材ですね。カメラマンの井出情児とマンハッタン中をロケハンで歩き回った思い出があります。
・その後は、拓郎・陽水・小室等の「ニューヨーク24時間漂流コンサート」。マンハッタンを24時間路上コンサートをするというドキュメント。企画構成が僕でした。TBSラジオの30周年企画かな。お金あったんですねえ。アルバムにもなりました。
・でも、もうあの頃のマンハッタンじゃないよなあ、と思ってたんですが、この間、メジャーリーグでヤンキースタジアムから中継していて、夜景を流してたんです。それを見ていて、急にうずいてしまいました。最後のマンハッタン。後一二年の間かなあという感じです。というようなことを思わせてくれた書き込みでありました(笑)。
・さっき、拓郎さんのラジオ、聴いてました。今もやってますけど、2時間聴かなくて良いかと。ヒットしなかったシングルの紹介。今週と来週ですね。面白いです。こんなにあるんだ、という感じ。やっとこういう話をするようになった、という新鮮さもあります。
・ということで話題変更(笑)。曲ですね。拓郎さんが映画「旅の重さ」に書いてボツになったという曲。「歩け歩け」、だったかな(笑)。良い曲でした。じゃ、お休みなさい。
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2017/08/25残暑は猛暑
天候不順が続いた8月でしたが、
残暑お見舞いのタイミングに迷ったまま後半へ。
しかし今週、久々にやって来ました、東京はきつい猛暑です。
晴れてようやく、残暑お見舞いを申し上げます。
さて夏の終わりと言えば!そろそろでしょうか。
「TYISマガジン 09」となります。来月9月中頃のお届け予定です。
只今、編集作業を進めています。毎年のこの時期、猛暑には負けません(笑)
何卒どうぞ今しばらく、お待ちくださいませ。
そして、この秋には!森下愛子さん出演のドラマが始まります。
2017年10月スタート 火曜よる10時
TBS火曜ドラマ『監獄のお姫さま』
残りの夏をどうぞお元気でお過ごしください♪
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ラジオ広告費の減少によって民放ラジオが経営的に苦戦を強いられている。
4年前のことだ。日本民間放送連盟のラジオ委員会は、ラジオの持つ価値を改めて広く一般社会に訴求する取り組みとして「ラジオ再価値化プロジェクト」を発表し、民放ラジオ100局による特別番組を放送(2013年5月4、5日)したことがあった。
放送内容は、1985年6月15日に国際連合が提唱した「国際青年年」を記念して国際青年年推進協議会と民放ラジオ64社が主催し、東京・国立競技場で行った大規模なコンサート「ALL TOGETHER NOW BY LION」のライブ秘蔵音源を利用した番組だった。このコンサートは国際青年年のスローガンである「参加」「開発」「平和」を社会に広く知らしめることと共に、民放ラジオが結集し、そのパワーを誇示する目的で実施した。
観客動員数63000人という大規模なもので、当時のミュージックシーンに大きな衝撃を与えた、いわば〝伝説のコンサート〟だったと言っても過言ではないだろう。
当時、このコンサートを実施するに当たって、前年から民放連に特別プロジェクトチームが組織され、TBS、ニッポン放送、文化放送の在京ラジオ3局からスタッフが送りこまれた。私も「制作・演出部会」の一員として活動することになった。
しかし、このコンサートの最大の難関は日頃個別の音楽活動を続けてきたビッグアーチストたちが一堂に集まることに同意するか否かという問題であった。
彼らの多くは団塊世代に属し、「群れること」に本能的に強いアレルギーを示す傾向があった。私は各局のスタッフたちと各アーティストの事務所を訪ね、出演の了解をとりつけるべく折衝を重ねた。
アーティストたちはラジオに対しては親近感を示してくれていた。
彼ら全員が1960年代後半から始まった日本のポップスシーンにラジオが大きく貢献してきた事実を認識してくれていた。
その結果、当初は難色を示していたアーチストも次第に協力の意志を表明し始め、コンサートまでには多くの顔触れを揃えることが出来た。
23組のアーティストのセッションに6万人が熱狂
コンサート当日は広大なグラウンドに前夜からの突貫工事で前代未聞の8面の円形ステージが組まれた。何しろ史上最大のイベントである。スタッフの数、使用機材(マイク300本、アンプ200台)総費用などあらゆるものが記録ずくしであった。
参加したアーティストを出演順に紹介すると、吉田拓郎(兼総合司会)、オフコース、アルフィー, 鈴木雅之、アン・ルイス、山下久美子、白井貴子、財津和夫、ブレッド&バター、チェッカーズ、武田鉄矢、南こうせつ、イルカ、さだまさし、松任谷由実、はっぴいえんど(この日の為に15年ぶりの再結成)、坂本龍一、加藤和彦(2009年死去)、佐野元春、サザンオールスターズという23組のアーティストたち。現在でも第一線で活躍している豪華な顔ぶれだった。
これらの出演者たちがそれぞれセッションを組むという画期的なコンサートが展開され、6万人を超える観客たちを熱狂させた。
そして最後はこのコンサートの為に作られた小田和正作詞、吉田拓郎作曲、坂本龍一編曲のテーマ曲「ALL TOGETHER NOW」を出演者全員が大合唱するという感動的なシーンでフィナーレを迎えた。
このコンサートは今振り返っても日本の音楽史上に於いて空前絶後のものだったと思う。ラジオも活気があり、若者文化時代を作ってきた。私は、そんなラジオに関わり、こう言ったコンサートにも関わることが出来たことを今でも幸せだったと思っている。
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第21回!!!放送しました、
「吉田拓郎ラジオでナイト」、いかがでしたか?
さて、前回8月20日(日)と次回8月27日(日)は、
「日の目を見なかった曲たち!誰も知らない?ぼくのうた」
と題して、お送りしています。
先日の放送では、
スタジオに、ニッポン放送のレコード室から
引っ張り出してきたレコードの紙ジャケットが広げられ、
これもあった、
あれもあったと盛り上がりました。
その時の写真が、こちら。
今回判明したのは、
候補曲が多すぎて、2週のスペシャルでも
すべてをオンエアするには時間が足りない、ということ。^^)
次回の放送でも、聴けば「あ、拓郎さんらしい曲だな」と
思う曲がいっぱい出てきますので、
どうぞ、お楽しみに。
さて、第21回の放送でご紹介した曲は、こちらです。
◆オープニング
M1 恋かくれんぼ/富田靖子
M2 今夜は星空/いしだあゆみ
M3 ときめきトリップ/井上美里
M4 ハーモニカの詩/小林旭
M5 砂漠の都会に/真田広之
M6 君住む街/杉田二郎
M7 風の中/井上順
◆「マイフェイバリットソング」
M8 歩け歩け/吉田拓郎
次回の8月27日(日)の放送も、どうぞ、お楽しみに。
そして、そして、
次回「マイフェイバリットソング」のコーナーでは、
「準ちゃん」のオーケストラバージョンを紹介します。
東海林太郎さんばりに、直立不動?で歌う拓郎さんの
超貴重音源、どうぞお楽しみに。
◆募集中テーマ
拓郎さんからの宿題です!起立!^^)
放送でもありましたが、
あなたもレコード会社の宣伝マンになったつもりで、
日の目が当たらなかった曲に「キャッチフレーズ」を
つけてみませんか?
上記の曲、もしくは次回放送の曲の中から、
「これはと思うキャッチフレーズ」をお待ちしています。
え、もう一度、前回の放送を聞き直したい?
あるいは、聞きそびれたという方へ。
◆番組をもう一度
聞き直したいという方へ!起立!^^)
このホームページの右上にある
「前回の放送を タイムフリーで聴く」から入ると、
前回の放送が1週間の期間限定で聴くことができます。
そちらもお試しください。
それでは、今週日曜11時半、
また番組でお会いしましょう。
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MUSIC AIR 9月2日19:30~スティーヴィー・ワンダー:ロック・レジェンズ
グラミー賞受賞24回の記録を打ち立てた世界的シンガー・ソングライター、スティーヴィー・ワンダーのライヴ&ドキュメンタリー
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TBSラジオ8月27日(日)早朝4:00 - 5:00オーディナリーミュージック・「ソー・ロング・ムッシュ」の未放送部分でかまやつさんの楽曲特集
8月27日(日)は、ムッシュかまやつさんが関わった楽曲を特集する特別企画をお送りします。
今年の3月1日に亡くなったムッシュかまやつさんを偲んでTBSラジオでは4月に特別番組「ソー・ロング・ムッシュ」をお送りしました。その一企画として、生前のかまやつさんとお仕事でご一緒し、また大きな影響を受けた、音楽家の小西康陽さん、ライターの北沢夏音さんと曽我部さんの鼎談をお送りしましたが、その未放送部分とともに、話の中で触れたかまやつさんが関わった様々な楽曲をお送りします
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NHK総合9月2日午前5時40分~ 午前5時50分
NHK映像ファイル あの人に会いたい「加藤和彦(音楽プロデューサー)」
昭和22年京都生まれ。大学時代、仲間たちとザ・フォーク・クルセダーズを結成。「帰って来たヨッパライ」「悲しくてやりきれない」などのヒットを連発。解散後も多くのアーティストに楽曲を提供、ヒットメーカーとしての地位を揺るぎないものにした。昭和47年に結成したサディスティック・ミカ・バンドは日本という枠を飛び出し、海外でも高い人気を集めた。斬新でユニーク、遊び心あふれる音楽性で時代の先頭を走り続けた。
【出演】音楽プロデューサー…加藤和彦【語り】柘植恵水
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フジテレビ「Love musicプレゼンツ ~ムッシュかまやつ伝説~」8/27(日)24:30~25:25
8月27日(日)深夜にフジテレビ系の音楽番組「Love music」でムッシュかまやつ特集が放送される。
この特集企画はムッシュの死後に自宅倉庫から貴重な映像や写真が発見されたことを受けて実現したもの。彼のことをもっとも尊敬するミュージシャンだと語る松任谷由実がナビゲーターとなり、ムッシュの歴史を紐解く。
番組ではジャズミュージシャンの父を持つムッシュの誕生から生い立ち、ザ・スパイダースとしての活躍、そしてムッシュと松任谷が「中央フリーウェイ」を歌う40年以上前のレア映像などが公開される。さらに小山田圭吾、KenKen、山岸竜之介の撮り下ろしコメントもオンエアされるのでお見逃しなく。なおVTRのナレーションはムッシュのいとこである森山良子が務める。
松任谷由実 コメント
ナビゲーターを務めるにあたって
ムッシュは亡くなってからさらに評価が高まっていて、生前に少なからず関わりがあったことをますます誇りに思うようになっていました。そんな中、今回の(企画の)お話をいただき、本当にうれしい気持ちで参加させていただきました。(収録をしてみると)シンプルなナビゲーションにも関わらず、いろいろと映像がよぎって胸が熱くなりました。事前にVTRを見せていただいたのですが、本当にかっこよく、日本で最初のロックバンドをけん引していたのだということを改めて認識し、足を向けて寝られないと思いました。13歳の時から個人的にムッシュを見知っていましたが、頭の中で思い描いていた姿と、実際にこのようにファイルされた映像とは良い意味でかなり違っていましたね。
番組のみどころ
ムッシュがフォークの世界に飛び込んだ時というのが、デビュー曲をプロデュースしてもらってからしばらく親交が途絶えていた時期だったので、ムッシュのその変わり身に当時はついていけないところがあり、節操が無い人だと思った時期も正直ありました。ですが、こうして時間がたってみると、それさえも革新的なことだったのだと改めて思いましたね。また、「中央フリーウェイ」は結婚前にムッシュのために書いた曲だったので、思い出にあふれていますし、ムッシュが保管していた映像が編集されたものではなく、松任谷(正隆)さんが映っていないムッシュと私の二人きりのアングルのものだったのが、くすぐったかったです(笑)。
松任谷由実にとってムッシュかまやつとは
中学生の時に出会ったとはいえ、長年の間に私も成長したにも関わらず、よく男と女の関係にならなかったなと思います(笑)。ものすごく洗練された、デリカシーのある、希有な男と女の友情だったんです。
フジテレビ系「Love musicプレゼンツ ~ムッシュかまやつ伝説~」
2017年8月27日(日)24:30~25:25
<出演者>
ムッシュかまやつ / ミッキー・カーチス / ザ・スパイダース / 堺正章 / 井上順 / 井上堯之 / Char / 吉田拓郎 / 小山田圭吾 / KenKen / 山岸竜之介 / and more
ナビゲーター:松任谷由実
ナレーション:森山良子
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つま恋の朝、"これまでのオレ"は、死ぬんだ
トータル·アレンジャーに瀬尾一三を起用し、さ らにドラムとベースを全面的にコンピューターの打ち込みでレコーディングされたニューアルバム『俺が愛した馬鹿』を6月5日にリリースする吉田拓郎。 拓郎ファンのみならず、全国の音楽ファンを興奮の渦に巻き込んでいるイベントまで、もう秒読みとなった音楽界の孤高の巨人に、話題の新作のこと、そしてイベントについて、インタビュー!!
SJ まずカセットをいただいて、もちろんそれには作詞・曲とかは書いてないわけですね。で、事前に加藤(和彦)さんの作曲が2曲と、岡本(おさみ)さんの作詞が1曲あるってうかがってたんで、それはどれかなって考えながら聴かせていただいたんです。
拓郎 岡本っちゃんのなー、あいかわらずだよな、ホント(笑)。マイッタ(笑)。
SJ というのは?
拓郎 いやー、得意の字余り!(笑) 面白かった。無理を承知の岡本っちゃん! ハハ!
SJ なるほど(笑)。それと、加藤さんの曲なんですけど、B④の「男の交差点」は、すぐ見当が付いたんです。でも、Aⓛの「抱きたい」は、判らなかった。拓郎さんにピッタリはまってた。
拓郎 いや、こないだも加藤に会ってさ「うたいにくかったなあ」って言ったの。そしたら「そうお? 拓郎っぽく書いたんだよ」って言っていたけどね。やっぱり他人のメロディーってうたいにくいもんだな。『ぷらいべえと』以外では初めてだからさ。
SJ あ、そうですよね。で、加藤さんの作曲であることを知って、よく聴いてみると 「ナルホド、『あの素晴らしい愛をもう一度』みたいな・・・」
拓郎 ニュアンスがな。
SJ ええ。あの、瀬尾(一三)さんと、アルバムごと組もうというのは? アルバム全てをひとりのアレンジャーの方に担せるというのは随分久しぶりのことですが。
拓郎 今度は、最初から決めてた。奇しくもユイの田口(注:元・猫のメンバーで、現在原田真二他のディレクター)の結婚式で瀬尾ちゃんと会ってさ、あの地獄の結婚式で(笑)。 で、その後また飲んで話したりして、やろうと。で、瀬尾とは付き合い長いけどさ、スタジオでは一回も一緒にやったことないんだよな、これが。
SJ あ、そうですね。ライブ・レコーディングでは数々の名コンビ作品がありますけど。
拓郎 そう。ライヴでは『ライヴ'73』とか、つま恋や篠島でやってるけどね。だからっていうわけじゃないけど、一回、スタジオ・ア レンジで組もう、やろうや、と。それとオレが遅まきながらたまたまコンピューターとかに興味持って、で、「誰か打ち込みでできるヤツいねーか?」って話してたら、瀬尾ができ るっていうんで、じゃあピッタリだと。彼はすごい闘争心あるし(笑)。
SJ 打ち込みで、っていうのは、まず拓郎さんから?
拓郎 そう。今度のレコーディングで一番最初にあったことは、まず「バンドを取っ払う」っていうことだったんだ。で、取っ払った後、じゃあ誰とやるかっていう時に、最初のコミュニケーションからやり始めるのは面倒だし、コンピューターにしようって。
SJ 今までのレコーディングとは、まるで逆のアプローチ。相変わらず拓郎さんらしくて、思い切りがいい・・・極端というか(笑) 。
拓郎 うん(笑)、 まあ、コンピューターも、知らんよか知ってる方がいいだろうぐらいだけど。
SJ アルバムの前の、シングル(「ふざけんなよ」)のレコーディングの時も、かなり難行されてましたよね?
拓郎 うん。
SJ ラジオの取材(本誌5月号)でスタジオにうかがった時も電話で「やりなおし!」 とか言ってらしたんでーーーしかもシングルも打ち込みだと言うことをうかがってたんで、 あ、これは拓郎さんはやっぱりうたえないのではないか、と。人間が叩くドラムでないとって思って、みんなで「さすが拓郎さんだ」って話してたんですけど、そうではなく・・・。
拓郎 ハハハ! あん時はそういったものだけではなかった。ただ、コンピューターのリズムにのってうたい切れない歯がゆさっていうのは、今回のレコーディングの当初、かなりあったね。人間が叩こうが、コンピューターが打ち出そうが、音楽なわけだし、気持ちよければいいわけだから、その気持ちいい音になんでのってうたえないのかって、自分にね。だからあん時(スタジオに)来てくれるなって言ったわけ。
SJ ええ。
拓郎 ほんと、コンピューターが嫌とかでは全くなくて、自分に対して情けなかった。それと、不勉強さね。ああいうのでアメリカとかロンドンとかのヤツらは、平気で気持ちいい音楽作ってんだから、こりゃオレは相当遅れてるな、と。ま、そんなのほっといて自分だけの音楽やってリアゃいいんだけどさ、勉強しといて損はないからね。勉強だよ、今は勉強。シンガーとしての勉強。作曲したり詞を書いたり、アレンジしたりとかは自分のスタイルってあるけど、歌をうたうことに関しては、まだまだ足りない。もっと歌うまくなりたい。瀬尾からも言われたんだ、「あんた歌下手だね」って、ハッキリと(笑)。
SJ そうなんですか。
拓郎 ウン。ショックだったけど、嬉しかったな。
SJ そういえば「ふざけんなよ」もそうですけど、「風になりたい」を改めて聴いて、うたってみて、「こりゃ難しい歌だなあ」って。
拓郎 難しいねー。他人にうたわせといて(笑)、あの娘(川村ゆう子)よくうたったね。
SJ サビに行くまでが・・・。
拓郎 そう。間がもたない(笑)。でも、川村ゆう子のは、いいなあ、今頃(笑)。
SJ あの、レコーディングではドラムとベースはシンセの打ち込み、と。で、他の楽器の方たちも、ここ数年とはかなりメンバーが違ってますけど、それも瀬尾さんの。
拓郎 そう。まず、できるだけオレと瀬尾ちゃんのふたりだけでやろう、間に入る人数を少なくしよう、と。で、後は瀬尾ちゃんに担せたわけさ。そういうのあって今回、生まれて初めてミックス・ダウンも行かなかった。
SJ そうなんですか。僕ら周囲の人間の習性として、前作の『FOREVER YOUNG』は、その前のアルバムの作りと違って、かなり綿密なアレンジとスタジオ作業をして創った、と。で、今回は、そのラインをもっと発展さ せて・・・ (拓郎がニヤリと笑う) ・・・なんて考えがちですけど、拓郎さんの場合は違うんです よね。
拓郎 無いって、オレにラインなんて(笑)。 そうしたかったから。理由と言えばせいぜい一度バンドをレコーディングに関しては解散しようと。あと、每週オレのところにロスからFMのテープが届くんだけど、コンピューター使ってみんなうまいことやってんだよな オレにもできるんじゃないかと、相変わらず "遅ればせ"だけどさ(笑)、それだけよ。あとは勢い。あとはどう聴いてもらおうと、オラ知らね(笑)。
SJ (笑)えー、僕のベスト・フェイバリッ ト・テイクは「抱きたい」「俺が愛した馬鹿」「誕生日」・・・あと「風になりたい」も、やっぱり。
拓郎 マニアはみんなそうなんだ(笑)。こないだ(武田)鉄矢のマネージャーに会ったらさ、いきなり「セレクトしていいですか?」って、同じ曲言ったよ。で、ダブレコで置き換えて録ってやんの。しかも「この中の3曲は武田の持ち歌になるでしょう」だって(笑)。
SJ いかにも"らしい"(笑)。アルバムが出来たばっかりで・・・というか、この本が出る時にはまだ発売もされてないんですけど、今までのお話をうかがうと、今後はバンドでセーノ! のレコーディングではなく、誰かアレンジャーと組んでの作業が続きそうですね。
拓郎 うん、そういう意味でのラインは、有りだな(笑)。瀬尾とももう一回やりたいし、松任谷(正隆) ともしっかりやりたい。それと、すごい一緒にやりたい、と言うより、やんなきゃいけない男もいるし・・・・・最底あと3枚はアルバム出るな、ウン。
SJ それ、書いてもいいです?
拓郎 いいよ、全然(笑)。
SJ よかった(笑)。いや、イベントのニュースが新聞で出て以後、編集部の方に「拓郎さん、イベントやったらもう活動やめちゃうんじゃないか」っていう質問が沢山きてたから。
拓郎 やめさすなよ、勝手に(笑)。3枚は創る、絶対に。それも・・・何と言うかな、他人から動かされてやる・・・言葉は変だけどね、言ってる意味、判る?
SJ 判ります、なんとなく。
拓郎 だから言ってるのは、今度のつま恋で自分から動くイベントは終り、と。他人から来た話で、面白くて、何かできそうならやりたいよ、いくらでも。どこでも飛んで行く。
SJ 読者の中には、胸をなで下ろして、も一回なで上げてる人も多いと思います(笑)。
拓郎(笑)。
SJ あそうか、今は、その御自分から仕かけるイベントと、他人から請われてやるイベ ント (6月15日の国立競技場のイベント)が重なってるから・・・。
拓郎 メチャメチャなわけ。もー、クルクルパーだよ(笑)。他にもチョコチョコと酒の席で約束しちゃったやつがあってさ。ただ、そういうふうにオレを、ていうか、ミュージシャンをインスパイアしてくれるプロデューサーなり、アレンジャーって、いねーなあ。ホ ントいない。だからなんとなくいつまでも貧しいんだ。で、もっと言っちゃえば、そういう人間がいねーから、バンド・エイドやUSA for AFRICAみたいなスカッとしたイベントができないんだよ。今度の民放連(6月15 日のイベント)のだって、やっぱイマイチだ もんなあ・・・。 USA for AFRICAとか見てて思ったのはさ、やっぱなんつうの、フロンティア・スピリットっていうか、ゴールド・ラッシュなんだよな。黄金を掘りにいく、あの感じなんだ。でも日本はなんとなく株っていうかさ(笑)、そのあっけらかんとした感じとジメジメした暗さの差だよな。
SJ なるほど(笑)。でも今度の民放連のは、そういうところではかなり・・・、
拓郎 ウン、ま-な(笑)。でも、そういうアプローチとかさ、オマエらみたいな雑誌がもっと、なんつーの提唱してきゃあいいんだよ。
SJ ええ・・・、でもそれより拓郎さんがどんどん・・・、
拓郎 オラやんねえ(笑)。そういうのは一切。オレが何かやるとすぐ"女を犯した"とかそうこと言うヤツがいるから(笑)。ま、それは別にしてもさ。
もちろんこの日も、吉田拓郎は他にも様々なことを話し、そして、こちらの質問に応えてくれた。その中でも特に鮮明に胸に残っているのは、夏のイベントについて語ってくれた次のような言葉だ。
「今度のイベントが終ってその後の記事でさ、例えば"吉田拓郎、健在!"だとか"吉田拓郎の新しいナントカカントカ"なんていうのが出たら、オレは今度のイベントは失敗だと思ってる。悪意に満ちててもいいから、"吉田拓郎は終った" と、"ヤツは死んだ"と、書かれたいね。もう、今までのオレは、いいよ。」 そして、言葉を区切って、こう続けた。 「じゃなきゃ、前へ進めねえ。新しいことできねえよ」
背筋がゾクリ。 どんなイベントになるのか、どんな夜になるのか、どんな朝を迎えられるのか・・・。 全ての"予想"を廃して、真白な心で"その時”を迎えよう。そして、あるがままを体 に浴びよう、全てを胸で抱きしめよう。 それは決して、ひとり吉田拓郎のみだけでなく、そして、多くの拓郎ファンにとってのみのことではなく、日本の音楽の巨大な歴史の中の、巨大な"節目"である。願わくはその日、天が我々に心からの祝福の太陽をささ げてくれんことを・・・。
"俺たちが愛してやまないひとりの大馬鹿" と、彼に負けず大馬鹿の数万人の、もしかす ると"人生で一番長い日"は、もう、秒読みだ!
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第20回!!!放送しました、
「吉田拓郎ラジオでナイト」、いかがでしたか?
さて、番組も20回を超える中、
次回8月20日(日)と8月27日(日)の2回にわたり、
スペシャル企画を実施します。
今回は、
「日の目を見なかった曲たち!誰も知らない?ぼくのうた」
と題して、2回にわたりお送りします。
拓郎さんには、
「襟裳岬」「我が良き友よ」「やさしい悪魔」などなど
人に提供して大ヒットした楽曲がたくさんある一方で、
実は、
・日の目を見なかった曲
・箸にも棒にも引っかからなかった
が「それなりにある」と、ご本人。
そこで、そういう楽曲を改めて探してみたら、
あるわ、あるわ‥‥で、
1週だけじゃおさまらない、2週連続でやろう
ということになりました。
選曲リストには
ニッポン放送のレコード室にも存在しない楽曲もオンエア予定。
そういう意味では、
今回も「秘蔵音源」だらけの特別企画です。
さて、突然ですが、ここで問題です。
下の写真、どなたかわかります?
拓郎さんが、過去「ある曲」を提供したアーティストです。
すぐ回答できた方は、相当な?拓郎マニア。
(クイズの答えは、番組または来週のこのHPで)
次回、この方に提供した曲も含め、続々レア曲が流れます。
あなたは、何曲知っていますか?
ぜひ、今週、来週の放送で確認してみてください。お聞き逃しなく。
さて、第20回の放送でご紹介した曲は、こちらです。
◆オープニング チンチンに冷えたビールが好き
M1 夏休み/鬼束ちひろ
◆手紙&メール
M2 オールディーズ/吉田拓郎
◆ラジオでナイトクラブ
・今振り返る、つま恋、フォーライフ設立。なぜできた?
◆「マイフェイバリットソング」
・「We are the world」のメイキングビデオに映った
スティビー・ワンダーとボブ・ディラン
M3 心の愛/スティービー・ワンダー
◆募集中テーマ
あなたが知っている 拓郎さんのうた
さあ、2回にわたり実施するスペシャル企画。
あなたもリクエストに参加しませんか?
拓郎さんが人に提供し、
あまり日の目を見なかった曲、
こんなの知っていますという曲を教えてください。
なぜ、その曲を知っているのか、など
その頃のエピソードを交え、教えてください。
お待ちしています。
それでは、今週日曜11時半、
また番組でお会いしましょう。
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ご存知ですよね。70年代に最も活躍したキーボーディスト。もちろん今も現役です。明日、初めてインタビューします。FM COCOLOの「J-POP LEGEND FORUM」。URC特集の三週目。一週目が評論家の小倉エージさん、二週目がフォークシンガーの中川五郎さん。三週目が柳田ヒロさんです。
実は初めてお会いするんです。インタビューももちろん初めて。7月からURCのアナログ盤が復刻シリーズが始まってるんですが、彼のソロアルバム「HIRO」が、秋に復刻されます。そのアルバムを聞きながら、彼のキャリアを辿ってみようというインタビューです。
色んな話がありますよ。はっぴえんどの母体となったバンド、エープリルフールのこと、日本で最初のスーパーバンドだったものの、成功しなかったフードブレイン、岡林さんのバック、そして、拓郎さんのバック、更に新六文銭。そして、数々のセッション。70年代のアーテイストで彼の世話になってない人の方が少ないでしょう。
それだけ活躍していながら、自分は表に出てこない。従って、インタビューする機会も多くなかった。彼が関わったミュージシャンは、一通りお会いしているのに、という感じです。もう一つの日本ロック史という話になるかなあと思ったりしてます。
URCというのは、69年に発足した会員制の自主レーベル。アングラ・レコードクラブ。そもそも、高石友也さんの事務所が中心でしたからね。関西フォークの拠点だった。柳田ヒロさんは、東京ですよ。細野晴臣さん、松本隆さんと一緒だったわけですからね。
何でURCからソロが出てるんだろうというのが最初の素朴な印象でもありました。ま、岡林さんのバックだったこともあるんでしょうけど、その頃のことを根掘り葉掘りしてみようと思います。もっと語られてもいいミュージシャンであることは言うまでもありません。
浜田さんのプロデユーサーでもある水谷公生さんとは、60年代後半からの盟友ですよ。一緒にバンドをやっていたこともあります。話はそこまでいけないかもしれませんけどね。色々調べていて楽しかったです。というわけで、拓郎さんのアルバム「伽草子」は彼ですね。タイトル曲「伽草子」。好きな曲なんです。じゃ、お休みなさい。
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2012年12月21日坂崎幸之助K's TRANSMISSION ゲスト 柳田ヒロ
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70's80's JUKEBOX ~カテゴリ別 名曲プレイリスト~
2017年08月14日(月) 深夜 0:30〜深夜 1:30
#18 吉田拓郎 かぐや姫 コンサート イン つま恋 1975
♪あゝ青春/吉田拓郎
♪今日までそして明日から/吉田拓郎
♪人生を語らず/吉田拓郎
♪夏休み/吉田拓郎
♪旅の宿/吉田拓郎
♪結婚しようよ/吉田拓郎
♪襟裳岬/吉田拓郎
♪黄色い船/かぐや姫
♪うちのお父さん/かぐや姫
♪なごり雪/かぐや姫
♪加茂の流れに/かぐや姫
♪妹/かぐや姫
♪僕の胸でおやすみ/かぐや姫
♪あの人の手紙/かぐや姫
2017年08月15日(火) 深夜 0:30〜深夜 1:30
#19 吉田拓郎 かぐや姫 コンサート イン つま恋 1975
♪たどり着いたらいつも雨ふり/吉田拓郎
♪新しい朝/吉田拓郎
♪雪/吉田拓郎
♪人間なんて/吉田拓郎
♪我が良き友よ/Takuro Yoshida&LOVE2 ALL STARS
♪岬めぐり/山本コウタローとウィークエンド
♪赤ちょうちん/かぐや姫
♪アビーロードの街/かぐや姫
♪神田川/南こうせつとかぐや姫
♪22才の別れ/風
♪風の街/山田パンダ
♪旅するあなた/南こうせつ
♪幼い日に/南こうせつ
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吉田拓郎ラジオでナイト番組ブログ更新・Kinkiにもらった扇子
第19回!まで放送しました、
「吉田拓郎ラジオでナイト」、いかがでしたか?
さて、今回の写真は、拓郎さんが
収録に持ってきた扇子。
持っているは、爪がきれいな拓郎さんの手。
扇子をよく見ると、持ち手のあたりに
「K」の文字。
そう、Kinki Kidsとの共演時に
頂いたもののようです。
スタジオを出て、エレベーターに乗った時に、
この扇子をサッと取り出し、
今回のアップ写真用にパチリ。
猛暑まだまだ続きます。
みなさんもお体お大事に。
さて、第19回の放送でご紹介した曲は、こちらです。
◆オープニング ショッピング
・もてなかった広島時代 山に行こうと誘った話
M1 メランコリー/一青窈
◆手紙&メール
・ラブレター
◆ラジオでナイトクラブ
・デビュー前の吉田拓郎が語ったこと
「ジャンルにしばられない、『うた』なんです」
◆「マイフェイバリットソング」
M2 夜霧よ今夜もありがとう/石原裕次郎
浜口庫之助メドレー
・僕は泣いちっち/守屋ひろし
・涙くんさよなら/ジョニー・ティロットソン
・バラが咲いた/マイク真木
・夕日が泣いている/スパイダース
・みんな夢の中/高田恭子
さてさて、8月20日(日)、27日(日)に
またスペシャル企画を準備中です。
詳しくは、こちらのホームページをチェックしてくださいね。
◆募集中テーマ
「ラブレター」
・あなたが書いたラブレター、はがき?手紙?どんな便箋?何かを同封した?
いつ書いた、どのように届けた?下駄箱?ポスト?
相手の返事は???
・あなたに届いたラブレター、誰から、どんなことが書かれていた?
あなたの返事は???
・その手紙をいまも持っていますか?
などなど、「ラブレター」にまつわるエピソードをお待ちしております。
◆募集中テーマ
「電話で愛の告白」
・自宅に1台しかない黒電話へ電話する勇気
・遠距離通話の苦労
など、男と女の’電話にまつわるエピソード’をお待ちしています。
それでは、また番組でお会いしましょう。
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■聞きなれないグループのうた
「レコードというのは、もともと音楽を聞く目的でつくられたものだけど、自分たち仲間が参加して、そして、そこでプレーできるレコードはなかったと思う。ボクたちは、そんな仲間の音楽をつくりたいと考えたわけさ。その第一弾が、<若者の広場と広場にかける橋>なんだ。 とにかく聞いてくださいよ。感じるよ」 と強調するのはフィーチャーズ ・サービスの斎藤功クンだ。
◇
フィーチャーズ・サービスというヘンテコリンなグループがある。上智大学闘争のとき、不本意にも大学側から処分を受けた連中が集まって、なんかやろうじゃないか、と結成されたグループだ。メンバーは、男七人に、かわいい女のコ一人の八人編成。いずれおとらぬ筋金入りだが、70年闘争に疲れきって、気分転換に、金もうけでもしようかと活動をはじめた。
その彼らが考えたいちばん最初の仕事が、<若者の広場と広場にかける橋>というわけだ。 このLP、A・B両面に九曲入っている。うたっているのは広島フォーク村という聞きなれないグループ。作詞、作曲から、演奏まですべて自分たちでやっている。そのユニークさと新しさに目をつけたのがフィーチャーズ・サービスなのだが、全共闘運動のOBたちが初仕事に、なぜこのグループを選んだか。彼らの運動を継続させるための一手段とも考えられないことはないが、広島フォーク村の中心人物、よしだ・たくろうクンの才能にほれたことも理由の 一つ。そのへんをフィーチャーズ・グループの代表格の斎藤クンにきいてみるとー。
「このLP、ユーゲント・レコードっていうレーベルなんですよ。ユーゲントはドイツ語で若い、ってイミです。 資本主義社会でもうけていくには、全体主義的でなければならないでしょ。そうなるとやはり、ドイツです。そういうイミでのユーゲント、ということにもなるんですが・・・。それはともかく、ボクはよしだクンのうたに感じちゃいましてねぇ」
◇
広島フォーク村。
広島のイメージというと、原爆であり、東洋工業であり、三菱重工というのが、すぐに思い浮かんでくるものだ。
「広島というのは、音楽的レベ ルの高い土地なんです」というのは、ミュージック・ディレクターの浅沼勇さんだ。その説によると長調の民謡のある土地は明るくて音楽的にもズバ抜けたものを持ってる所が多い。 「日本全国に民謡は二万曲ほどありますが、長調のものはごくわずかです。会津磐梯山、安来節、大原節なんかそうです。これらの土地は民謡だけじゃなく、どんな音楽をやっても、しつこいネバリがあるんですね。 広島にはとりたてて、これといった民謡はありませんが、長調の土地です。豊富なタンパク質と酒も原因しているかな」
この広島に生まれたのが、広島フォーク村だ。浅沼さんが三年ほど前、ヤマハ・ライトミュージック・コンテストで広島を訪れ、広島の音楽性の高さを認識した。その後、広島のフォーク好きの連中がなんとなく集まって、一年ほど前から、今のような形になった。この広島フォーク村、これといった組織はないのだ。大学生を中心に、二、三百人の仲間がいるだけだ。月に一、二回、演奏会を開き、自分たちのオリジナルを中心にプレーする。これが広島フォーク村の活動の、ほとんどすべてなのだ。
こういったグループをさがしていたのが、フィーチャーズ・サービスというわけ。代表格の斎藤クンが浅沼さんにユーゲント・レコードの企画を話し紹介してもらったのが広島フォーク村。斎藤クンはすぐ広島に行き、彼らと行動をともにした。
「音楽のことはよくわからないけど、フィーリングに訴えるものがあるんだ。これだと思ったな。惚れたわけです」ということで、広島フォーク村のオリジナル九曲をLPレコード<若者の広場と広場にかける橋>に収めることに決定したのだ。
◇
(全共闘より金もうけ? フィーチャーズ・サービス)
■古い船をいま動かせるのは……
◇
よしだたくろう、二十三歳。
広島フォーク村の中心人物。彼の作詞した<イメージの詩>から。
これこそはと信じられるもの
がこの世にあるだろうか
信じるものがあったとしても
信じないそぶり
悲しい涙を流している人は
きれいなものでしょうね
涙をこらえて笑っている人は
きれいなものでしょうね
男はどうして女を求めてさまよってるんだろう
女はどうして男を求めて着飾ってるんだろう
いい加減な奴らと口をあわせて
おれは歩いていたい
いい加減な奴らも口をあわせ
ておれと歩くだろう
戦い続ける人の心を
だれもが知ってるなら
戦い続ける人の心は
あんなに燃えないだろう
傷つけあうのがこわかった
昔は遠い過去のこと
人には人を傷つける力があったんだろう
古い船には新しい水夫が
乗りこんでゆくだろう
古い船をいま動かせるのは
古い水夫じゃないだろう
なぜなら 古い船も新しい船のように
新しい海へ出る
古い水夫は知っているのさ
新しい海のこわさを
◇
浅沼さんの話。「このうた、メロディーが斬新です。よしだクンは、こういううたの頂点にいけるんだと思いますね。まず自作自演の強み。それに声がいいです。R&Bに倒傾していたということで、アフター・ビートがきいています。
最近クローズアップされはじめたニューフォークの歌、といっていいでしょう。私には、ボブ・ディランの先をいっているんじゃないかとさえ思えます。よしだクンは、コマーシャル・ベースに乗っても、じゅうぶんいけるものを持っていますね」
◇
よしだクンの話。「ボクは別にうたをつくっているって感じは持ったことないです。街を歩いてたり、酒を飲んでいたりして、偶然に何かを見つけるんです。意図しなくても、うたになっちゃう。こうやってつくるんだ、という方法はなにもないです」
◇
よしだ・たくろう。広島商科大学四年。
「高校に入った当時は、歌謡曲ふうの曲をつくってました。文化祭で発表したりしてね。大学に入ってからは、ドラムとエレキギターをやった。それでR&Bをうたってた。それと平行して二年ほど前から、フォークをやったけどボクのつくるものはどんなジャンルにも分類されません。要するに、うたなんです」
◇
浅沼さんの話。「音楽には二つの流れがあります。一つはマスコミ向けのもので、もう一つは、自分たちで楽しむものだ。 後者がマスコミ受けしない理由は、リーダーとなる人がいないからです。聞くのではなくプレーする音楽、これは五年前だったらダメだったと思う。日本のレコードは聞く音楽のために買われているのです。売れるレコードというのは、いわばジュリーやショーケン。これ以外のレコードがなかったのですね。しかし、これからは、仲間でつくって、仲間でプレーするレコードがノシてくるでしょう。そのトップを切るのが、よしだクンだと思います」
◇
<若者の広場と広場にかける橋>の構成が変わっている。A 面四曲、B面五曲。その曲と曲の間に、昨年十月二十一日の国際反戦デーに新宿西口広場に結集したフォーク・ゲリラと、全共闘の集会のもようがダビングしてあるのだ。そして、日大芸闘委系の<情況の眼>のグループが撮影した日大闘争の写真が、三十葉収められているのも、このLPの特徴の一つだ。このハデさとまったく対照的に、広島フォーク村のうたは静かで、すんでいる。全九曲のうち、よしだクンの作詞、作曲は三曲ある。 よしだクンが作曲したうたは百二十曲ほど。その代表作。<イメージの詩> <マークⅡ> <青春の詩> <自殺の詩> <にいちゃんが赤くなった> <おろかなるヒトリゴト> <土地に柵するバカがいる> <好きになったよ女のコ> <知らない街で> <ニワトリの小さな幸福> <チノー> <悪い女> <ああ、いやだ> <なんとかならないかよ女のコ>
◇
よしだクンの話。「ことばでしゃべるのはむずかしい。ボクのは、既成の作曲家から、うたではないといわれた。ボクは自分のやってることが、うただと思う。演歌だとかなんだとかいうけれど、それは自己満足にすぎない。だいたい、そんなこと、きめつけることはおかしい。ポクは自分のうたに、歌謡曲だとか、フォークだとかジャズだとか、積極的にこれはなんだとは区別したくない。うたにフォーク歌謡とか、ポップ歌謡と名前をつけることはイミがないんだ。花が出てくると日本ではフォークになっちゃうけど、<花と蝶>という例もあるなあ」
◇
■一年のかせぎ七万五千円?
◇
広島フォーク村のリーダー格は全員、ラクダイの経験者だ。 別にラクダイをしていないと広島フォーク村ではハバがきかないってこともないけれど、よしだクンも1回経験している。 よしだクンは、そんなに金はほしくないけど、レコードが出て、最低七万五千円はほしいという。広島商科大の授業料が七万五千円だからだ。「一年で、これだけかせげればいいです」
◇
よしだクンの話。「うたをつくるとき、詩と曲が同時にできることはないです。詩として考えると価値のないものもずいぶんあります。つくるときのイメージがそこにあればいいのです。それをメロディーにのせる。 曲を整えようとすると、いろいろ手を加えなければならないけど、粗雑なものでも、イメージがあればいいと思ってます。自 分でつくってて、どういうイミだかわからなくなる時がありますけどね。ボクは自分から出てくるものをうたにしてるのです。自分のうたについて、人がどう思おうと、全然かまいません。自分じゃよくわからない」
◇
(広島フォーク村のラクダイ生たち)
◇
レコードは三千枚プレスする予定だ。その売り方についてよしだクンは、おもしろいアイデアを持っている、これがうただ、というものは、ないのだから、これは何でしょうか? ということで売ったらどうだろう、というのだ。「こんな売り方もおもしろいし、ボクの場合ピッタリくるところがある」
◇
よしだクンのうたには恋のうたが多い。百二十曲中、五十曲は恋のうただ。 「ボクはよく失恋するんです。 別にお茶を飲みながら話をすることもないような、見るだけの恋にもよく失恋します。一回の失恋で、二、三曲はうたができ ますね。失恋っていうのは、いちばんうたにしやすいんです。 恋とか愛とかは、しゃべりにくいけど、うたにしやすいですね。 好きな女優は、梓英子。東京に来ると、なんだか近くに来たなって感じがします。ふだんは 遠くにおいときたい存在ですけど。ボクのうたをうたう人ですか。そりゃ、自分のうたは、自分でうたうのがいちばんいいのですが、もしうたってもらえるのなら、都はるみさんが、ピッタリだと思っています」
◇
ニッポン放送のディレクター亀淵昭信氏
「<イメージの詩>っていいですね。アレンジがうまい。それと楽器の使い方がきれいで新鮮だな。ボクはフォーク・ロック的な感じがおもしろいと思った。 山上路夫さんなんかがやってるんですけど、新しい日本語を使った詩が最近は多くなってきました。よしだクンの詩にも、やや見られますが、これからはもっとふえてくるでしょう。 フォーク・ロックがこれからの主流でしょうが、ロック調が復活してきたのは、フォークの音にあきたらなくなってきた結果でしょうね。ボブ・ディランが再デビューしてきたときは、エレキギターを持ってましたからね。フォークが単純とすればロックは複雑というわけですが、これはくり返しています。 それから、これは、よしだク ンの詩にかぎらないのですが、最近は、どうでもいい感じの詩もふえてきていますね。お経のように、なんとなくとなえていればいい、といった感じです。 よしだクンのうたを聞いてていちばん感じたことは、彼、これらのうたを、ジョーダンでつくったんじゃないか、ということです」
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この週かかった曲、すごかったですねー。
村田英雄、森繁久彌、伊藤きよ子、坂本九。(笑)
10代のリスナーの皆さん、ついてこれましたでしょうか。
(ときどき10代のリスナーの方からもメールを頂きます。
引き続き、10代の方からの感想メールなど、お待ちしております)。
さて、将棋のハナシの中で、
いまでも拓郎さんと井上陽水さんが「将棋について」
メールでやりとりしているそうです。
藤井くんの影響力が「ココ」まで届いている。スゴイですね。
がんばれ10代!
さて、第18回の放送でご紹介した曲は、こちらです。
◇オープニングトーク 将棋ブームについて
M1 王将/村田英雄
◆君の手紙
M2 妻をめとらば(人を恋うる歌)/森繁久弥
◆ラジオでナイトクラブ
M3 花と小父さん/伊藤きよ子
◆「マイフェイバリットソング」
M4 上を向いて歩こう/坂本九
◆新テーマ
「ラブレター」
・メールにラインなど、デジタルコミュニケーションが当たり前の時代ですが、
今一度、「ラブレター」の記憶に戻ってみましょう。
・あなたが書いたラブレター、はがき?手紙?どんな便箋?何かを同封した?
いつ書いた、どのように届けた?下駄箱?ポスト?
相手の返事は???
・あなたに届いたラブレター、誰から、どんなことが書かれていた?
あなたの返事は???
・その手紙をいまも持っていますか?
などなど、「ラブレター」にまつわるエピソードをお待ちしております。
◆新テーマ
「電話で愛の告白」
・これもデジタルも携帯電話もない時代、異性に電話するのも大変でした。
・自宅に1台しかない黒電話へ電話する勇気
・遠距離通話の苦労
・最長長電話自慢
など、男と女の’電話にまつわるエピソード’をお待ちしています。
◆「私と映画 ~映画にまつわる、私の思い出」
・はじめて異性と見た映画
・映画館の思い出
・忘れられない’この一本’
・あの俳優、あのセリフ、あの場面が忘れられない
そんなエピソードを、思い出たっぷりに書いてください。
◆「私の思い出の先生」
皆さんの記憶に残る「先生」のこと、教えてください。
・熱血先生
・とにかく怖い先生
・同窓会でいまだに交流のある先生
・美人な姉ちゃん先生
そんな先生たちとの、ユニークなエピソード募集します。
あなたからのお手紙、メールをお待ちしています。
さて、今回の
拓郎さん私物マル秘写真は、
いつもギター教室?などで演奏を始めるときに使うギターにつけている
ピックです。
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8/4 21:00-23:00FM NACK5 坂崎幸ちゃんK's TRANSMISSION
J-pop Schoolは6月に亡くなったケメこと佐藤公彦さんを偲んで
夏フェスタの感想メッセージもお待ちしています♪
どの世代のリスナーが聴いても楽しめる音楽エンターティメント番組。
「(有)坂崎商店」では、趣味人<坂崎幸之助>がカメラ・骨董・熱帯魚・は虫類・両生類の事をプロ顔負けでレクチャー。
常にギターを抱え生歌もたっぷり披露します。
目玉コーナー「J-pop School」ではJ-popの歴史を作ってきたアーティストやイベントを、時代背景と共に考察し、マニアックな選曲でご紹介しています。金字塔を打ち立てた偉大なアーティストもゲストとして登場!
ゲストの曲を、坂崎さんの方が詳しくて、ご本人がビックリする事もしばしば!
週刊坂崎
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