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2017/07/04

KinKi Kidsの恩人、吉田拓郎 堂本光一(日経エンタテインメント!)

KinKi Kidsの恩人、吉田拓郎 
エンタテイナーの条件 Vol.48 堂本光一(日経エンタテインメント!2017.8)
僕らのデビュー日である7月21日に『LOVE LOVE あいしてる』(フジ系)のスペシャル版が放送されます。この番組で出会った吉田拓郎さんは、KinKi Kidsに多大な影響を与えてくれた方です。
拓郎さんは日本音楽界のレジェンドですが、番組開始当時の僕らはまだデビュー前の17歳(吉田は50歳)。拓郎さんの活躍や人物像は知らない世代です。やんちゃな 人らしいという情報を持ってたくらいでした。
そんな状態で一緒に番組をやると聞いたので、「どう関わっていけばいいの?」と不安もありました。拓郎さんも同じ気持ちだったと思います。当時キンキのレギュ ラー番組がいっぱい始まっていくなかで、スタート時点では一番不安な番組でした。それが結果的には一番ハマって長く続くことになるんですから、不思議なものです。
拓郎さんは、年齢にして僕の両親の3つぐらい上。当時のキンキは・・・『アイドルオンステージ』という番組で司会をしてた中居(正広)くんなり、内海(光司)くん なり、先輩とのからみの中で得た方法しか、テレビにおける年上との接し方を知りませんでした。わざと生意気なことやふざけたことを言って、先輩からのツッコミを待つっていう。それを中居くんや内海くんは大きな心で受け入れてくれてました。
ですからそれと同じような感覚で拓郎さんにも向かっていったところがあります。今考えると恐ろしい話ですね(笑)。
多くの人は「吉田拓郎」というスターに対して気難しいイメージがあり、ビビっちゃうのは分かります。それこそ「僕ちゃん帰る!」ってホントに帰っちゃうような人だから(笑)。だけど素顔はナイーブな、乙女のような人なんです。
■ "困る拓郎さん"が面白くて
怖いもの知らずで飛び込んでいったことが結果的に良かったのでしょう。ゲストトークの最中に「ねっ、拓郎さん!?」っていきなり振って、拓郎さんが困って咳き込む、みたいなのが面白かった。第1回の収録でゲストの安室(奈美恵) ちゃんに「拓ちゃん」って呼ぶようにけしかけたんですが、その時の様子を見て「このノリならいける!」と、勝手に直感した記憶があります(笑)。相手がそこまでガキンチョだと拓郎さんも怒るに怒れない。そうやって日ごとに、それまで見せなかったような一面を出してくれるようになりました。
出演者の心が一つになっていったのは、海外ロケが大きかったと思います。ハワイ収録の時、拓郎さんの奥さん(=女優の森下愛子) も一緒にいらっしゃっていて。僕 らは本名の「佳代さん」って呼んでるんですけど、佳代さんは当時、女優業を休んでたんです。だけど『LOVE LOVE』メンバーの雰囲気を見て「もう1回芸能の活動をしてみようかな」と思い、その後いろんな作品に出るようになった-という話をこの前、拓郎さんから聞きました。
そんなハワイロケは、拓郎さんが「もうスタジオやだ! ハワイ行こう」と言い出したのがきっかけでした。不思議なことに拓郎さんといると、何でもアリなムードに なる。この前のスペシャルの収録でもそれは感じました。面白いことをやろうとしてなくても、「キンキと拓郎さんと篠原(ともえ) の空気感っていいね」と見てる方 が感じる-それがあの番組の最大の魅力だったと思います。
拓郎さんと出会ったことでキンキはク"音楽性"というグループの特徴を決定づけられたので、「ジャニーさん(=事務所社長のジャニー喜多川氏)はキンキの生みの 親、拓郎さんは育ての親」と言われることがあります。 確かに、そこに拓郎さんがいたことがすべての大元であったのは間違いありません。だけど僕の感覚としては、あの番組を取り巻くすべての環境から音楽を学ばせてもらったというほうが正確かな。 拓郎さんは僕らに「次回までに曲を作ってこい」とムチャぶりをしてくる。その宿題に対して僕らは 「えええ!?」って言いながら、現場にいっぱいいた"先生"たちに、細かいことを教わりました。
学ぶにはとにかく最高の場所でした。すべての教育の形がああだったら素晴らしいのにと思うくらい。例えば分からないコードが出てくると、隣を見れば坂崎(幸之 助)さんがいて、鳥山(雄司)さん や中川雅也さんもいる(※1)。 ギターだけでなく、曲をバンド演奏としてどう組み立てるかといったことも、間近で見ていたのです ごく身に付きました。
そんなこんなで、キンキはここをきっかけに2人ともが作詞・作曲をやるグループに育っていきました。僕らは00年に自分たちで作った最初のシングル曲を出してい るのですが(※2)、ジャニーズでは当時珍しいことだったかもしれません。
うーん、でも・・・メンバー本人が 作曲していることって、そんなに重要なんですかね? 僕個人としては音楽活動をする上で、自分が曲を作ることに対してはもっと楽観的で気楽な捉え方です。やりたかったらやる、やりたくない時はやらない。ファンからしたら「いや、もっと作ってよ!」って思うかもしれないけど(笑)、そこは自分の中で義務にしたくないという か。贅沢なことに、それで許される環境なわけですし。そして自分がそんなに才能を持っているとも思わないし。
困ってしまうのは、例えば曲をリリースする際にメンバーという部分を必要以上に大きく押し出されると、曲の良し悪しという本質がボヤけちゃうんじゃないかなということ。自分が書いたということなんて正直二の次だから「solitude~真実のサ ヨナラ~」(※3)の時もペンネ ームを使って隠してました。
■拓郎さんと僕の共通点!?
『LOVE LOVE』は01年に終わりましたが、拓郎さんとは今でもメールのやりとりをよくさせていただいています。キンキはもちろん、僕個人の仕事もちゃんと見守ってくださってて、舞台の時期になると「また始まるんですね、頑張ってください」という言葉を送ってくれたりします。
4年半の番組共演を通して拓郎さんの怖い面は一度も見たことがありません。ものすごく失礼だけど、拓郎さんがよく口にする「ヤだ」は、「嫌よ嫌よも好きのうち」ってやつだと思ってる(笑)。僕とそっくり? アハハ、そうですね! どうせやるんだから黙ってやりゃいいのに、とりあえず「ヤだ」って言いたいだけ、みたいな(笑)。 そういえば後輩のふぉ~ゆ~からは俺、当時の拓郎さんみたいな扱い受けてるな(笑)。
拓郎さんも収録では「お前らバカだなぁ!」なんて言い方しますけど、それは、そうしたほうが場が温かくなることをご存知だからです。でも後日メールでは、「光 一くんは話を引き出すのが心憎いくらいうまいね」って言ってくださって。「あそこのトークバトルが最高でした」とか。本当に優しい。
拓郎さんや山下達郎さんを筆頭に、僕らはすごい才能の方々と若いうちに出会う機会にたくさん恵まれました。こういう超越した方には共通していることがあって、上から目線の人は1人もいません。 相手に目の高さを合わせ、若い後輩の声にも「お~、そんな考え方があるんだ !」って耳を傾ける。 感性が凝り固まってない、いくつになっても向上心があることの証です。そうじゃなきゃ長く続けられないのでしょう。
ステキな大人って、こういう人なんだと思います。僕もそうならなきゃね。
※1

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