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2017/03/10

【追悼】ムッシュかまやつさん ジャンル超えJポップに集大成 音楽プロデューサー・武部聡志

Kamayathu00

膵(すい)がんのため1日、78歳で死去したグループサウンズ「ザ・スパイダース」元メンバーでミュージシャンのムッシュかまやつさん。かまやつさんのバックバンドでキーボードを務めて以来、約40年の親交がある音楽プロデューサーの武部聡志さん(60)は「さまざまなジャンルの音楽をJポップとして根付かせた」とその功績をたたえた。

                   

アマチュアバンドのメンバーとして東京・渋谷のリハーサルスタジオに出入りしていた音大生時代にムッシュと出会いました。「僕のバンドでやってみませんか?」と誘われたのがプロの世界に入るきっかけ。初めて一緒に演奏させてもらったのは「あの時君は若かった」です。僕をプロの道に導いてくれた恩人です。

ザ・スパイダース時代は「バン・バン・バン」などのヒット曲を連発してグループサウンズブームを牽引(けんいん)し、その後も吉田拓郎作詞・作曲の「我が良き友よ」を歌ってフォークソングブームにも一石を投じました。ロカビリー、グループサウンズ、ロック、フォーク…。さまざまな音楽を日本のポップスとして根付かせた一人だと思います。

音楽もそうですが、あらゆることに“壁”を作らない人でした。誰に対しても敬語を使い、年下の僕のことも「武部さん」と呼んでいました。かといって他人行儀な印象を与えない、絶妙な距離感がありました。

ムッシュの古希を祝って「記念のアルバムをプロデュースさせてほしい」と申し出たときも、「武部さんにお任せします」と敬語で言われたことが記憶に残っています。

平成21年に完成したアルバム「1939~MONSIEUR」には、時代の波をとらえ続けた音色を次世代に受け継ぎたいと思い、若い人とのデュエットも入れました。例えば、今井美樹との「ノー・ノー・ボーイ」、トータス松本との「どうにかなるさ」、一青窈との「バン・バン・バン」…。さまざまな世代のアーティストと交わり、本当に楽しそうな笑顔でした。

くしくも亡くなる2日前の2月27日、僕の60歳記念のライブ「武部聡志 オリジナル・アワード・ショー」を東京国際フォーラムで行い、ムッシュがデビューシングルをプロデュースした松任谷由実らと「ムッシュかまやつメドレー」を披露しました。

ライブ直前に、いとこで歌手の森山良子さんがムッシュからの手紙を託してくれました。

「僕たちはグルグルグルグル仕事をしましたね。これからもグルグルグルグルやっていってほしいと思います」

文字を書くのも困難な状態だったはずなのに語感が面白くて、遊び心を大切にしていたムッシュらしい内容だと思いました。

訃報を聞いたときは悲しかったけれど、心の中にはいつもムッシュがいる。だから、この世からいなくなったなんて思えない。どんな共演者に対しても敬意を払うミュージシャンの生き方を、受け継いでいきたいと思います。(談)

                   

【プロフィル】武部聡志

 たけべ・さとし 昭和32年、東京生まれ。国立音楽大在学中にムッシュかまやつさんのバンドに参加。58年から松任谷由実のコンサートツアーの音楽監督を担当。ライブ「武部聡志 オリジナル・アワード・ショー」が26日午後6時からWOWOWライブで放送。

 

 

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