ムッシュが狙って取ったオリコン1位曲「我が良き友よ」・プロデューサー新田和長
「我が良き友よ」プロデューサー新田和長
初めてかまやつさんに会ったのはもうわからないくらい昔なんですが、かまやつさんのいいところは、ロックの対局であるフォークの人達とも仲が良くて、ニッポン放送の「バイタリス・フォーク・ヴィレッジ」なんかもされていて、学生時代からの付き合いです。長い付き合いなんですが、仕事をしたのは「我が良き友よ」が最初なんですよ。
彼は大事な話をする時、顔を寄せて話す癖があるんです。それでツバが飛ぶんですが(笑)、その時もですね、私の顔の近くにきて、「新田さん、 “1着”が取りたいんだ」、と言うんですよ。で、最初 “1着”ってなんの事かなぁって思ってたら、オリコンの1位の事なんです。スパイダース時代、たくさんヒット曲を作ってますから、初めてじゃないと思うんですけど、ソロとして、という意味なんでしょうね。「とにかく“1位”を取りたい」と言うんです。それで私もちょっと自信過剰かもしれないんですが、「やりましょう」という事で受けたわけなんです。だけど私がプロデューサーとはいいながら、かまやつさんはほとんど自分で事前の準備をされていたんですよ。つまり、吉田拓郎にもユーミンにも、南こうせつにも、井上陽水にも、大滝詠一さんにも、あと細野晴臣さんにも、いろんな人に曲を頼んでいたんです。で、彼はご存知の通り人気がありますから、優しいというか友だちが多いですから。みんなが喜んで書いてくれてたんですよ。ですから私はすごくいい仕事を、ラクな仕事をさせてもらったんですけど、その中の1曲が拓郎が書いてくれた「我が良き友よ」だったんです。
拓郎の良いところは、「かまやつさん、気に入らなかったら自分で唄いますからムリして唄わなくて結構だから」という短いメッセージが入ってまして、「自分で唄う」というくらい誰よりも拓郎がこの曲の価値をわかっていたんだと思うんです。自分で唄えばヒット曲になるのがわかっていても、「先輩のかまやつさん、どうぞ唄ってください」と言ってくれてたんです。で、かまやつさんもそれがわかっていたんですね、私の所へ持ってきて、「この歌どうですか?」。やっていいものかどうかって、ご自分はやると決めていたと思うんですが、“私が決めた”、というふうに立ててくれたんですね。そういうみんな、この「我が良き友よ」の一節に、“男らしいはやさしいことだと言ってくれ” ってありますけど、みんな強い人たちだけど、拓郎もそうですけど優しかったですね。「我が良き友よ」は拓郎らしくて、当時の大学のバンカラな感じでかまやつさんらしくないんですが、最初オケが終わったのが夜中の12時頃で、そこから歌入れだったんですが、やっぱり最初かまやつさんちょっと唄いづらかったんです。グルーヴっていうかノリが違ったんですね。僕は思い切って拓郎に、「仮歌っていうかサイドヴォーカルを唄ってくれないか」って頼んだんですよ。それは、当時、専属契約で専属制の厳しい時代でしたから、ソニーの看板アーティストが東芝のスタジオで唄うなんて事は普通はありえないんですけどね。拓郎は「いいよ」って言って、唄ってくれたんです。それで、それをかまやつさんはヘッドフォンで聴きながら数回唄って身につけちゃったっていう。そういうエピソードがあります。
彼は大事な話をする時、顔を寄せて話す癖があるんです。それでツバが飛ぶんですが(笑)、その時もですね、私の顔の近くにきて、「新田さん、 “1着”が取りたいんだ」、と言うんですよ。で、最初 “1着”ってなんの事かなぁって思ってたら、オリコンの1位の事なんです。スパイダース時代、たくさんヒット曲を作ってますから、初めてじゃないと思うんですけど、ソロとして、という意味なんでしょうね。「とにかく“1位”を取りたい」と言うんです。それで私もちょっと自信過剰かもしれないんですが、「やりましょう」という事で受けたわけなんです。だけど私がプロデューサーとはいいながら、かまやつさんはほとんど自分で事前の準備をされていたんですよ。つまり、吉田拓郎にもユーミンにも、南こうせつにも、井上陽水にも、大滝詠一さんにも、あと細野晴臣さんにも、いろんな人に曲を頼んでいたんです。で、彼はご存知の通り人気がありますから、優しいというか友だちが多いですから。みんなが喜んで書いてくれてたんですよ。ですから私はすごくいい仕事を、ラクな仕事をさせてもらったんですけど、その中の1曲が拓郎が書いてくれた「我が良き友よ」だったんです。
拓郎の良いところは、「かまやつさん、気に入らなかったら自分で唄いますからムリして唄わなくて結構だから」という短いメッセージが入ってまして、「自分で唄う」というくらい誰よりも拓郎がこの曲の価値をわかっていたんだと思うんです。自分で唄えばヒット曲になるのがわかっていても、「先輩のかまやつさん、どうぞ唄ってください」と言ってくれてたんです。で、かまやつさんもそれがわかっていたんですね、私の所へ持ってきて、「この歌どうですか?」。やっていいものかどうかって、ご自分はやると決めていたと思うんですが、“私が決めた”、というふうに立ててくれたんですね。そういうみんな、この「我が良き友よ」の一節に、“男らしいはやさしいことだと言ってくれ” ってありますけど、みんな強い人たちだけど、拓郎もそうですけど優しかったですね。「我が良き友よ」は拓郎らしくて、当時の大学のバンカラな感じでかまやつさんらしくないんですが、最初オケが終わったのが夜中の12時頃で、そこから歌入れだったんですが、やっぱり最初かまやつさんちょっと唄いづらかったんです。グルーヴっていうかノリが違ったんですね。僕は思い切って拓郎に、「仮歌っていうかサイドヴォーカルを唄ってくれないか」って頼んだんですよ。それは、当時、専属契約で専属制の厳しい時代でしたから、ソニーの看板アーティストが東芝のスタジオで唄うなんて事は普通はありえないんですけどね。拓郎は「いいよ」って言って、唄ってくれたんです。それで、それをかまやつさんはヘッドフォンで聴きながら数回唄って身につけちゃったっていう。そういうエピソードがあります。
2017.3.3 ニッポン放送より
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75年2月5日発売 75.3.31~75.4.21
4週連続オリコン1位 70.1万枚
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