黄金の60年代・「キャンティ」とその時代 ① 川添象郎・ムッシュかまやつ・ミッキー・カーチス①
黄金の60年代、「キャンティ」とその時代
- 2007年 団塊パンチ4 -
川添象郎
ムッシュかまやつ
ミッキー・カーチス
六本木交差点から東京タワーに向かって車を走らせると、飯倉片町の一角に三階建てのレストランが目に飛び込んできます。 「CHIANTI」-「キャンティ」というイタリアンレストラン。
1960年の開店以来、「キャンティ」には、芸術家、芸能人、知識人たちが集まってきて 深夜遅くまで語り合う「溜まり場」でした。 人と人との交流の集積が新しい文化を生みだし,、世界に通じるカルチャーを誕生させてきました。 その「キャンティ」を軸にして或る時、三人の男たちが知り合い、青春を謳歌しました。 ミッキー・カーチス。 ムッシュかまやつ。 川添象郎。 彼らは、シナトラがまだアイドルだった時代からヒップホップの現在まで、 ポップ・ミュージックの最前線で、ミュージシャンおよびプロデューサーとして活躍。 日本の音楽界に多大な功績を残し、肩の力を抜きながらやりたいことをやり、時代をうまく泳いできた、本物の不良たちです。 その三人に、青春の1ページを振り返ってもらいました。 「『キャンティ』、青春の日々」を中心に語られる秘蔵エピソードの数々は、活字化されたことのないものばかりです。 ジャズのインプロヴィゼーションを思わせる言葉の応酬をお楽しみください(以下、敬称略) 。
1960年の開店以来、「キャンティ」には、芸術家、芸能人、知識人たちが集まってきて 深夜遅くまで語り合う「溜まり場」でした。 人と人との交流の集積が新しい文化を生みだし,、世界に通じるカルチャーを誕生させてきました。 その「キャンティ」を軸にして或る時、三人の男たちが知り合い、青春を謳歌しました。 ミッキー・カーチス。 ムッシュかまやつ。 川添象郎。 彼らは、シナトラがまだアイドルだった時代からヒップホップの現在まで、 ポップ・ミュージックの最前線で、ミュージシャンおよびプロデューサーとして活躍。 日本の音楽界に多大な功績を残し、肩の力を抜きながらやりたいことをやり、時代をうまく泳いできた、本物の不良たちです。 その三人に、青春の1ページを振り返ってもらいました。 「『キャンティ』、青春の日々」を中心に語られる秘蔵エピソードの数々は、活字化されたことのないものばかりです。 ジャズのインプロヴィゼーションを思わせる言葉の応酬をお楽しみください(以下、敬称略) 。
【「『象の記憶』は 全部パソコンで書いてるんだ」(川添) 】
川添象郎(以下、川添) まだ二人来てない? (編集長に向かって)スタンガン持ってきましたか。
編集長 え!?
川添 やつら、来たら、暴れまくるから、危険ですよ。いざというとき、黙らせないと。
編集長 ハイ……。
(ミッキー・カーチス、ムッシュかまやつ両名が定刻通り「キャンティ」に到着。 編集部から、川添氏の連載「象の記憶」の掲載されている『団塊パンチ』を 手渡される。熱心に読み出す二人)。
ムッシュかまやつ(以下、ムッシュ) 象ちゃん、よくちゃんと書いたな。
ミッキー·カーチス(以下、ミッキー) これ、ちゃんと書いてるよ。
ムッシュ すごいね。これ一冊にしち やったほうがおもしろい。よく憶えてる
川添 でも最近、一分前に言ったこと、もう忘れてる。
ムッシュ アルツハイマー·グレイト!
川添 俺、自分でパソコンで書いたんだ。
ムッシュ すごい立派な原稿じゃないの。
川添 今日、田邊の昭坊(*2) (現、田 辺エージェンシー社長)に電話して、今回の連載に昭坊も出てくるから、(原稿 を)送っておかないと悪いと思ってさ。 「パソコンで送るから、メールアドレス教えて」って言ったら、「そんなこと、俺ができるわけねえだろう」って威張ってやんの。
ムッシュ 象ちゃんぐらいだよ。メールとかやるの。
川添 ミッキーも、うまいよ。
ミッキー 俺、ミクシィとかバンバン入っちゃってるから。
--ミクシィ、やってるんですか。
ミッキー やってるよ。
【 「カントリーバンドの ほうが金になった」(ミッキー) 】
川添 ミッキーは、和光学園に入ったろ。
ミッキー そうだよ。俺、小、中、高。
川添 俺は幼稚舎、中等部、高校1年までは慶應にいたわけ。で、いきなりラ・サール行ったでしょ。で、いきなり、今度は和光に入れられたわけ。全部親の都合だからね、うちは。
ミッキー 俺もどうやって卒業したのかわかんない。よく卒業できたなあって。 しかも成城(大学)に入れたなあと思って。確かに勉強したんだよ、半年ぐらい。
川添 ほんとに?
ミッキー ちゃんと入ったんだ。
川添 和光には、三枝成彰がいたんだよ。
ミッキー 三枝。俺、殴った。
川添 知ってるよ。三枝、今だって君の顔見たら、すぐ逃げちゃうじゃない。
ミッキー 今でも生意気だもん。
川添 ムッシュはどうしたの、学校は。
ムッシュ 学校はいちおう高校出たよ。 青学。
川添 みんな名門出てんじゃない。
ムッシュ 青学出たけど、三か月遅れぐらいで出た。バンドやってたしね。パン ドのほうが面白いし、金になるし。米軍のキャンプ回り。そっち行っちやったん だね。
川添 進駐軍のところへ行ってエンタ -テイメントやったりしたの、あなた?
ムッシュ そうそう。
川添 ミッキーもやってるんだよね。
ミッキー もちろんだよ、それがメインだよ。
ムッシュ 米軍が撤退して、キャンプが少なくなってきて、渡辺プロも、都内にジャズ喫茶を作ったの。でも日本人の前でやるの、すごくビビッたね。外人は平気だった。
川添 この二人も、僕も同じなんだけど、 1940年代ぐらいから、今日に至るまでのあらゆるポップミュージックをリアルタイムに経験してるよね。
ミッキー 終戦の年からね。 俺たちは、結局カントリーが多かったんだよ。一番、カントリーが金になったんだ。というのは、日本に来るアメリカの兵隊って、百姓ばっかりなんだよ。こっちくるのは、カントリー系ばっかりだから。ジ ャズバンドよりカントリーバンドのほう が儲かった。
川添 マッカーサーとアイゼンハワーの 違いみたいなものだな。
ミッキー マッカーサー......まあ、そういうことだな。
ムッシュ よくわかんねえけど。
ミッキー なんとなくだよ、なんとなく。
ムッシュ それ、1956年ぐらい。でも感心してるんだ、俺。この「象の記憶」 みたいな回想、30代とか40代だった ら書けるけどさ、60過ぎて書くの、大 変だよね。
ミッキー 忘れちやってるんだよね。
ムッシュ だよね。調べるんでしょう、相当。
川添 調べるわけないじゃない。記憶だよ。たまに会ったときに「あれ、どうだったっけ」って尋ねて、書いてるの。
ムッシュ それはすごいって。
川添 それはだって、引っかかってるから訊くわけよ。だって、この記録、残るんだもん。飛鳥新社潰れたって、残るんだから。
ムッシュ そうだよね。
ミッキー 俺、紅茶1杯飲ませてくれる? 悪いけど。
アールグレイの紅茶を頼んだミッキ-。ムッシュは、ミラネーズの横に、バ ジリコを乗せ、とうもろこしを追加したもの。象ちゃんは、フィレステーキにボイルドポテト、ニンジンとインゲン。 1960年、三人は「キャンティ」の開店初日から居たのだから、注文の仕方が様になっている。フォークとナイフの使い方も、洗練というのじゃないけれど、男っぽくて、見ていて、気持ちがい い。「キャンティ」そのものが体に馴染 んでいるのだ。かっこいい!
【 70になるなんて 想像した?(ミッキー) 】
ミッキー 俺、ハーモニカ、一本持って 今でも小一時間(ライヴを)やってるよ。
ムッシュ 小一時間。そのタフな行動力がすばらしいんだよね。
ミッキー うん、俺63からハーモニカ始めたの。飽きないね。これ、死ぬまで やるよ。たぶん、死ぬときに、最期の息がハーモニカなんだ。フ~ンって。
ムッシュ そのサウンドがすごいよかっ たりして。
ミッキー そう。Bフラットだったり。 よくわかんないけど。
ムッシュ ワニがBフラットの音に反応するって話、聞いたことある?
川添 ほんと?
ムッシュ うん.動物園の前で、Bフラ ットの音を出したら、ワニが暴れたから、 ニューヨークのオーケストラを呼んできて、Bフラットの音、全員でブワーッて やったら、大変暴れたんだって。
川添・ミッキー ほんとかよ(笑)
ムッシュ ほんとなんだって。
ミッキー 今、思いついたんだろおまえ。
ムッシュ いやいや。本で読んだんだよ。
ミッキー Bフラット、ワニが。試してみよう。いや、わかんないよ。動物によって違うかも。
川添 ミッキーがビデオ回せっていうか ら、ビデオ、持ってきたよ。
ミッキー ああ、生きてるうちにね。回 しといたほうがいいんじゃないかなって。俺たち三人が集まったいい機会だし。 わかんねえじゃん、明日は。
ムッシュ 俺まだ67だよ。70まで3年あるよ。
ミッキー でもさあ、まさか自分が70になるなんて思った?
ムッシュ あまり自覚して生きてなかったような気がするよね。スルッと来ちゃった感じするよね。
川添 だから、みんな要するに好きなことばっかりやってきた連中じゃない。
ミッキー ムッシュなんて特にな。
ムッシュ あなたたちこそ。
ミッキー おまえが一番好き勝手だよな。
ムッシュ そんなことない。
ミッキー 俺はね、たぶんおまえ(象ち ゃん)が一番勝手だと思う。
川添 いやいや、俺はミッキーを相当勝手だと思うよ。
【「最近の若いやつは イヤホンつけて 席を譲ろうともしない」 (川添) 】
ミッキー でもさ、電車乗ってると、俺 なんかもう席譲ってもらったほうが嬉しいけどね(笑)。
川添 いや、譲らないよ。最近の若いのは。
ミッキー いや、譲るのもいるよ。でも、たいがい譲らないね。
川添 たいがい譲らない。だいたいね、 あいつらシルバーシートの優先席っていうのに座って、イヤホン付けて、目つぶって音楽聴いてるの。お年寄りに席譲 ろうとしない。
ムッシュ 死んだ振りするんだよ。
川添 それ見ると、俺、腹立つから、蹴飛ばすわけ。いきなりドーン! びっくりしちゃう。文句言うの。
ミッキー 言いそうだな。
ムッシュ 象ちゃんは、言いそう。
ミッキー 有名だもん。
川添 捨てゼリフ吐くやつなんかいるわ け、たまに。
ミッキー そうすると、ステッキ出して引っ掛けたりするんだ(笑)。
川添 「何がなんでも、言い方があるだ ろう」と言うんだよ。
ムッシュ こういう性格は、象ちゃんのDNAなんだよ。
ミッキー こういうところ、(後藤)象 二郎からきてるんだよ。きっと。
川添 「無礼者!!」って感じになって追っかけてって。
ムッシュ どうでもいいじゃない、そんなこと。だけど、それやっちゃうっていうのがDNAなんだよね。
川添 (しみじみと)やっちゃうんだよね。でも、この中で人間が一番人間が丸いのは、ムッシュさんじゃないですかね。
ミッキー ね。こいつ、振りがうまいから気をつけたほうがいい。
ムッシュ ピンコロ屋の息子だから、生まれたときから、世の中、こうやっていながら(頭を低くする)生きてきてるから、ある種、せこいのかもね。堂々と生まれてこなかったからね、きっとね。 ミュージシャンとかそういう業種っていうのは。
川添 ごめん!俺、ボキャブラリーわからないんだ。ピンコロ屋の倅って何?
ムッシュ ピンコロ屋っていうのは、つまりバンド屋。
川添 そういうことね。
ミッキー だって、昔だったら、バンド屋って道、真ん中は歩けない。
川添 ......で、今の話の続きだよ。まず、そもそも、俺はミッキーとどこで会ったか全然記憶がないわけよ。
ミッキー 俺は覚えてるよ。
川添 覚えてるのは、ムッシュの家に俺が、一晩、二晩泊まり込んでるときに、ムッシュはもうスターで、追っかけの 女の子がいっぱい。だって、朝っぱらか ら、追っかけの女の子が取り巻いてさ。
ミッキー 覚えてないんだよ、こいつ、全然。もっと前だよ。
川添 ああ、そうだったっけ?
ミッキー なあ。だって、俺がこっちへ来たのは、ジャズ学校だよ。
川添 それは知ってるの。君たち二人のことはいいの。俺が知りたいのは、どこで会ったかということ。
ミッキー 青山ボウリング·センター
川添 ああそう。わかった。じゃあ、それでいいや。
ミッキー たぶん。そう思わない?
ムッシュ ちょっとね。そこんところ、 考えさせてくれる。
ミッキー 青山のボウリング·センターだよ。
ムッシュ 俺、その初めて会った瞬間っていうのが、きちっとは憶えてないんだけど、「キャンティ」のこのへんであることは確か。まだここ(飯倉本店)ができる前だった。象ちゃんが、「今年の暮れに店ができる」とかそういうようなメッセージをくれたんだよね。
川添 その前は、どうだったの僕、君と。
ムッシュ このへんで会ったの。
川添 このへんって言ったって、この店ないんだぜ。
ムッシュ つまりほら、いろいろあった じゃない。
川添 「シシリア」とか。
ムッシュ ああいう店で会ってんだよね、きっと。
川添 会ったって、だって、接点がないのに、なんで友だちに。
ムッシュ いや、顔見知りみたいな感じで。
ミッキー (福澤)幸雄じゃないの。
川添 あっ、幸雄の可能性あるな!
ムッシュ 幸雄? それはあり得るな。 幸雄はね。車を媒介としたグループだった。
--- ミッキーさんとムッシュさんが知り合ったのは、どういう縁ですか。
川添 これはもう簡単。どうぞ、話してください。話せよ。
ムッシュ ジャズ学校。
ミッキー 正確に言いましょう。 1956、7年です。ロカビリーブームは、58年です。その前です。
川添 ミッキーはロカビリー三人男の一角を占めてたわけじゃない? 最初のアイドルだな、言ってみれば。今のアイドルみたいだったの。
【 「CIAとかKGBを集めて、ポーカーやってた」(ミッキー) 】
一 10年くらい前、テレビでミッキーさんが「昔の六本木と今の六本木は違ってた。昔のほうが活気があった」と、おっしゃってました。
ミッキー ああ。
川添 全然違うよね。
ミッキー 今、六本木ってすごい混んで るけど、怖くないよね。昔は人いなかっ たけど、怖かったよね。危険。
川添 だって、撃たれちゃうんだから。
ミッキー 撃たれた。俺、撃たれたもの。
--- ミッキーさんがですか?
ミッキー 撃たれた、撃たれた。『東京 アンダーワールド』っていう本 読みました?
--- はい、読みました。
ミッキー あのときいたんだよ、俺は。 あそこに。あの界隈で撃たれたのよ。当たんねえんだ。俺、「下手くそ!」って 怒鳴ったんだけど。
---- 撃ったのは誰ですか?
ミッキー あのころちょっと、組同士がごちゃごちゃしてたじゃない。あの狭間だったから、何がちょっとどうだったのかわかんないけど。朝鮮戦争からベトナム戦争に流れ込んでいく、ちょうど合間の中途半端な時期。
川添 君を狙ったわけじゃないでしょ。 君と一緒にいるやつを狙ってたんでしょう。
ミッキー そうらしい。
川添 このへんなんか、大使館がいっぱいあって、スパイみたいなやつばっかりだった。
ミッキー みんなスパイ! もう石投げたらスパイに当たるっていうぐらい。
--- それはソ連とか東欧……。
ミッキー そうそう。
川添 全部いるよね。
ミッキー 全部いる。六本木の交差点、石投げりゃ、スパイに当たるっていうぐらい(笑)。そいつら集めて、ポーカーやってなかった? 俺たち。
川添 やってたよ。
ミッキー なあCIAとかKGBとか集めてな。ポーカーやってた。
川添 俺なんか、カモだと思ってやってんだよ。俺がいっつも持ってっちゃうもんだから。おもしろかったよ。ねえムッ シュ、彼らがやってるポーカーなんか見てたら、カードさばきから何から、僕から見れば子どもみたいなもんなわけ。あんた、知ってるでしょ、僕の実力。ラス ベガスに行って、その前に引田天功と、カードやってるくらいだからさ。
ムッシュ 敵なしじゃんね。
川添 六時間とか八時間とかっていう勝 負決めてやるじゃない?八時間のなかで勝負、結果が勝てばいいんだろ。というのは、みんな、一手ずつで一喜一憂するわけよ。だから、だめなわけ。 時間で最終的に勝つ方法っていう考え方で、僕は賭けてるから。最初は小さく賭けて、さっさと動いて、見てて、癖覚えちゃって。そしたら、絶対勝つよ。
ムッシュ 象ちゃんはそうだよね。長いタイムで考えて、配分して、集中するところと、投げ出すところみたいな。だか ら、アルファ ミュージック、創 った。
川添 戦略的に動くわけ、俺は。
ムッシュ そう。だから、アルファは、 ほんとは村井邦彦がやってるのかと思ったもの。そうしたら、あれは象ちゃんが、やっていた。どっちかって言うと、村井がポイント、ポイントで攻撃するタイプなのね、きっとね。
川添 「じゃあ、僕が金持って来るわ」 という話になって。
ミッキー コロムビア(レコード)騙 して。
川添 それで、できちゃった。マッシュ ルーム・レーベル。日本で最初のインディーズだよ。
ミッキー あの会社のマークになったキノコの絵は、別れたかみさん、MIKA が口紅で描いたのを使ってる。俺の乃木坂のマンションかなんかで。
川添 それで,タレントがいないわけ、そのとき。ミッキーとかいるけど、ミッ キーはもうプロデューサーだったし。
【 「アルファレコードは遊びから始まったから 成功した」(ムッシュ) 】
ムッシュ アルファって、結局。一発目 は誰。小坂忠 ? 違う?
川添 一番最初は小坂忠。
ミッキー小坂忠。成田賢。
川添 それで、GAROになっ て、GAROでバーンと売り上げ上げち やった。当時、ミュージカル「HAIR /ヘアー」が終わった局面で、GAROのメンバーが「HAIR」に出てて、僕がオーディションで選んだ、歌の歌えるやつを、ほとんどそこから引っ張 り出してきた。最初のタレントはね。で、小坂忠が、そのとき初めて細野晴臣をうちに連れて来たんだよ。「俺のギターで, なんかちょっとやってよ」って言ったら、いきなり一曲やったんだよ。そのビートには吹っ飛んだね。えらいセンスのいいやつだなあと思って、細野君は、それからの付き合いなんだよ。
ムッシュ ああ、そう。
川添 ユーミンなんかも、そのころ「HAIR」 の楽屋へ、うろちょろ出入りしてたよ。
ミッキー まだ14歳くらい。
ムッシュ 早熟だったんだね彼女もね。
川添 早熟だよ。だって、いきなり俺のところ来て、「私、いい曲書くんですよ」 って聴いたら、すごくいいんだよ。で、 加橋かつみのアルバムの中に、すぐ採用しちゃった。
ムッシュ ああ、そうだよね。
ミッキー 彼女のライブのデビューはね、俺らの前座だった。ツバキハウス。
ムッシュ ツバキハウス。新宿の?
ミッキー そう。
ムッシュ 懐かしいなあ。アルファ・ミ ユージックって、遊びの発想から始まったから、成功したんだね。だから、金のことやなんかから入っていったら、絶対 うまく行かなかったんだよね。あれ、や っぱりフルに自分のアイデアが出たでしょう。
川添 そうそう。
ミッキー 好き勝手にしたからね。
ムッシュ 金儲けしようと思って始めたもんじゃないからね。
川添 僕らの発想は、日本の音楽、なんでこんなダサイの? いくらでもカッコ いいレコード作れるんじゃないの? というものだったの。
【 「この年になると 過去が 追いついてくる」(ミッキー) 】
--- 「リブヤング」というテレビ番組、 高校1年のときたまたま見てたんですよ。愛川欽也が司会やってて。そのときリーゼント大会があって、キャロルがパ ックバンドとして出演していたのを、ミ ッキー.カーチスさんがすぐにスカウト したという伝説の放送日をリアルタイムで見てるんです。
川添 こいつ、早いから。
ミッキー その場ですぐ電話した。
--- あのとき、リーゼントチャンピオン が永ちゃん(矢沢永吉)だったんですよね。愛川欽也が引っ張ってきて。
ミッキー そう。そのときの審査員が(内田)裕也だったんだ。で、裕也が番組終 わったら、キャロルをゲットしようと思 ったらしくて。ところが、俺が番組の最中にもう押さえちゃったから。そこで、なんかすげぇ悔しかったらしいよ。
--- 今、ネットで、キャロルを見たことも聞いたこともなかった若者が、ハマってて、すごいブームになってるんですよ。
川添 うん、ミッキーさんが一番詳しいよ。初期のキャロルは。
ミッキー もうこの年になると、過去が追いついてくるんだ。過去が。
川添 それは言えてるな。俺もそうだも の、今。「象の記憶」書いてみたり。
ミッキー 過去が追いついてきてる。
ムッシュ うまいこと言うな。
ミッキー 追いついてくるんだ。心配するなって。
川添 過去は追いついてくるな。
「ちょっと、コケイン吸いに行ってきま す」
物騒なセリフを残してムッシュがタバコを吸いに退席。
「俺も」
つい最近まで禁煙していたミッキーも、葉巻をとりだしてスパスパ。イタリアンマフィアみたいだ。
ひとり、タバコをやめた象ちゃんが「みんなやめたんじゃないのかよ。おまえら、そんなのやめたほうがいいよ」と吠えている。
話題は、三人が出会った、当時の東京 へと…… 。
つづく
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