グレイスランド&蔭山敬吾のブログ 吉田拓郎の「ビート・ピッキング革命」89
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1973年10月に上京し、企画制作部の中曽根ディレクター(天地真理、キャンディーズ、五輪真弓、本田路津子などを担当)のアシスタントになって、毎日必死で東京のサラリーマン通勤、本社勤務、レコーディング……に慣れようとしていた時期だったのに、なぜか、翌年の2月、つまり上京5カ月後に僕はロスに向かっていた。海外旅行など一度も経験していないどころか、飛行機に乗ったこともなかったのに。
「ディランとザ・バンドがいっしょに演奏をするのは今回のツアーのロス公演が最後らしい」という情報を耳にしたことが、ロス行きのきっかけではあったのだが、今考えても不思議なのは、当時の僕は、ディランとザ・バンドの関係にそれほど詳しいわけでもなかったし、彼等のサウンドに夢中になっていたわけでもないのに(ディラン中毒者にはなっていたが、ザ・バンドは地味でポップではなかったので好きなタイプのバンドではなかった)、「ほうか、最後になるんなら、ぜひ観とかにゃーいけんのー。拓郎さんも見に行くらしいけー」と思ってしまったことだ――どんな人間も、上京してしばらくの間は、躁状態か鬱状態のどちらかに陥る、と言われているが、その時の僕は躁状態になっていたのだろう。
**写真は、ロサンゼルスのフォーラムの建物と1974年2月14日のライブの模様。
「ディランとザ・バンドがいっしょに演奏をするのは今回のツアーのロス公演が最後らしい」という情報を耳にしたことが、ロス行きのきっかけではあったのだが、今考えても不思議なのは、当時の僕は、ディランとザ・バンドの関係にそれほど詳しいわけでもなかったし、彼等のサウンドに夢中になっていたわけでもないのに(ディラン中毒者にはなっていたが、ザ・バンドは地味でポップではなかったので好きなタイプのバンドではなかった)、「ほうか、最後になるんなら、ぜひ観とかにゃーいけんのー。拓郎さんも見に行くらしいけー」と思ってしまったことだ――どんな人間も、上京してしばらくの間は、躁状態か鬱状態のどちらかに陥る、と言われているが、その時の僕は躁状態になっていたのだろう。
**写真は、ロサンゼルスのフォーラムの建物と1974年2月14日のライブの模様。
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