« 男の子・女の娘(灰色の世界II) 中沢厚子 | トップページ | 拓郎さんとコーラス隊 / タクローと良子ちゃん!谷村新司 SHINJI TANIMURA OFFICIAL SITE »

2016/11/10

木曜第Ⅰ部『たくろうパック』 ① / 伊藤友治

71年『パック』の10月改編
木曜第Ⅰ部『吉田拓郎パック』(10月14日~) ①
 
略(拓郎プロフィール)
 
吉田拓郎は71年10月14日に北山修の後を継いで「木曜パック」第1部のパーソナリティーになる。後に「オールナイトニッポン」や「セイ!ヤング」のパーソナリティーを担当することになるのだが「パック」は拓郎にとって初めてパーソナリティーを経験した番組だった。 拓郎を起用して新たな「木曜パック」に挑んだディレクターは67 年入社組の桝田武宗(同19生)である。
 
■桝田が『パック』の担当になるまで
桝田は、番組を作らせれば名人芸の腕前を発揮するけど、なかなか気難しい男だよ」そんな評判を聞いていたので、取材を申し込む時は少し肩に力が入った。ところが、電話口に出て来た桝田は礼儀正しく丁寧な話しぶりで私の取材を快諾してくれた。 桝田は今も放送に関わる現役である。
TBS放送センターにほど近い場所に事務所を構え、番組の制作会社を経営している。「私の方がTBSに出向きますよ。それから伊藤さん、TBSには『パック·イン·ミュージック』や『ヤ ングタウン東京』の昔のポスターが残っていますか? たぶん残っていないでしょうね。なぜか私の手元に残っているので持って行きましょう。今となっては貴重な物ですからTBSに寄贈します」
約束の日時に桝田は、畳一枚分はある大きなポスターを2枚、筒状に丸めて持って来
た。大柄な体にきちんと背広を着こなし紳士の風格を漂わせている。私と向かい合って座
った彼は眼光鋭く理路整然と話し始めた。桝田さんは新人研修でラジオ·スケッチをやった時のことを憶えておられますか? 「憶えています。今と違ってネットの検索が出来ない時代だったので苦労しました」 私は手始めに46年前の出来事から聞いてみた。
桝田は67年入社組の中で群を抜く優秀な新人とみなされていた、と他の同期生達から聞かされていたからである。 新入社員は10月1日に配属先が決まり、桝田はラジ
オ局の制作部に回された。「そりゃ~落胆しましたよ。入社するまでTBSが兼営局だなんて全く知らなかったのですから。研修中はテレビドラマを制作してみたいと思っていました」 桝田は元々就職しようという気がなかった大学2年の時に米国留学を思い立ったが、渡米の寸前になっ て十二指腸潰瘍を患い断念した。卒業したら米国に留学しようと考えていた。
しかし東大出の厳格な父親は「大学を卒業したら働くのが当たり前」と桝田の希望を受け入れようとしない。二言目には「○○銀行に行け」「□□社に就職しろ」と尻を叩かれ続けた。それでNHKとTBS の採用試験を受けた経緯がある。鬱屈した気分になった。だが、ゴネたり拗ねるのは大人げない。気を取り直して仕事に向き合うしかな かった。それなのに
担当させられた番組は『キンカン民謡のど比べ』だった。
「えっ、民謡かよ・・・と、どん底に落とされたような気持ちになりました。学生時代はジャズをやって いました。民謡なんて興味もなければ聞いたこともない。ズブの素人がどうやって番
組を作れと言うんだ・・・ そんな毎日でした」
そんな桝田に救いの手を差し伸べたのは60年入社の先輩、北山幹雄(同12生)だった。「桝田は洋楽の方が詳しいから別の番組に担当替えさせてやる」 その言葉に桝田は「助かった」と思った。それから洋楽系の番組に移り、湯川れい子と関わるようになった。
 
 
ようやく仕事が面白いと感じてきた頃だった。「北山修が降りることになった。加藤節男と交代して君が次の『パック』を担当してくれ」 制作部長の池田靖から『パック』の担当ディレクターになるように言い渡された。
 
(パック・イン・ミュージック伊藤友治 +TBSラジオ
 

|

« 男の子・女の娘(灰色の世界II) 中沢厚子 | トップページ | 拓郎さんとコーラス隊 / タクローと良子ちゃん!谷村新司 SHINJI TANIMURA OFFICIAL SITE »

たくろうパック」カテゴリの記事