小林旭 熱き心に
小林旭 熱き心に
たとえば、昭和六十年(1985) に世に出た小林旭の名曲『熱き心に』は、どのような形 で日記に登場するか-その年六月の記述を眺めてみよう。ちょうどこの時期 、阿久さんは新 聞に『ちりめんじゃこの詩』という小説を連載しており、毎日せっせと執筆をつづけている。 そんな合間、上京のおりに東京會舘でAGFマキシムのCMソング打合せ郡家淳氏(マザース代 表·ディレクター)、大森昭男氏(音楽プロデュース)、大瀧詠一氏(作 曲)"小林旭が歌う。 ( 85 . 6 . 6) 大瀧詠一さんと阿久さんが会ったのは、あとにも先にもこの一度だけ。まさに一期一会の会 話が交わされたことになる。右の打合せのあと、六月十五日のページに、「熱き心に」「熱き心にふれもせず」とタイトル案がふたつ、赤インクでしるされている。この時点で構想は胸のな かで固まっていたと推測できる。さらに二十四日、六本木の仕事場で『熱き心に』の詞を書き 上げた。この日はほかに、短いエッセイを11篇と詞を四篇書いている。 日記でうかがえる制作過程はこれだけだ。しかし、この短い記述から、この名曲を産むための阿久悠、大瀧詠一、小林旭という座組を作ったのはレコード会社ではなくCM制作スタッフだったことが明らかになる。詞にどんな思いを込めたのか--作詞家の胸のうちは後年書かれ た文章で知るほかない。 そろそろ世の中、何もかもが等身大になってきていて、しかも、すべてが有視界、夢に しろ、ロマンにしろ、手の届く距離しかあてにしないというのが現実になっていた。その 現実を反映して、歌もまた、電話で探せる範囲のドラマになっていて、ケタはずれのスケ ールとか、とんでもなく大きな男とかは登場させられなくなっていた。仮にそういう歌を 作ったとしても、歌って似合う個性の持ち主が少なくなっていたのである。 しかし、小林旭が歌うとなると話は全く別で、ぼくは、可能な限り美文調をメロディー にあてはめ、日本離れのした風景と、現実離れのした浪漫を書いた。 『愛すべき名歌たち』より この文章で阿久さんは、東京會舘での一期一会の会話についてもすこし触れている。大瀧さんが、クレージーキャッツの歌や初期の小林旭のコミックソング風な歌についてもっぱら語ったので、「ズンドコ節」みたいなメロディーができてきたらどうしようと、少々不安だったと。しかし、後日届けられた曲は朗々と美しく、阿久さんを満足させた。
日記に登場する音楽プロデューサーの大森昭男氏は、阿久さんよりひとつ年上。三木鶏郎が主宰する冗談工房に入社したのを皮切りにCM音楽一筋の人生を歩み、大瀧詠一、山下達郎、 坂本龍一、大貫妙子などを起用し、CMを通じてヒット曲をあまた生んだ方である。そんな人となりをインターネットで調べるうち、田家秀樹著『みんなCM音楽を歌っていた』(徳間書 店)という本に、大森氏と大瀧詠一氏の対談が収められていることがわかった。
大森 その時に「小林旭さんです」と言ったんですけど「やります」ともなんとも言いま せん。返事はすぐにくれなかったですよね。ただ,深い沈黙がありました。
大瀧 沈黙でした? 内心は、そっちで来たかという感じでね。(略)でも、85年になんで小林旭だったんだろう、AGFは。
大森 やっぱり「北帰行」ですよ。朗々と広がりのある歌というんで。ディレクターと演 出家とプロデューサーが「小林旭さんで」と言った時に、これはもう大瀧さん以外,私はやらないと決めてましたからね。
大瀧 それが自信ありげな表情に出ているわけですよ。僕はその時点でこれは天命と受け取ったから、そこで沈黙があるわけですよ。考え始めているんですよ、どのラインにしよ うか。 「さすらい」にしようか「北帰行」にしようか。それで沈黙になったんじゃないですか。(略)あれが夜中に出来た時はインターホーンで女房をたたき起こして「聴け!」って。
一生で1回だけですよ、そういうことしたのは。あんなことそれまでに一回もなかった。 大森 でも、その時点で作詞家は決めていたでしょう。
大瀧 阿久悠さんで決めてました。(略)「松本隆で」という声もありましたね。でも、僕は「小林旭に松本は合わないと思うから」って阿久さんにしたんですよ。
この対談のおかげで、阿久さんに白羽の矢を立てたのがプロデューサーではなく、それまで阿久さんと面識のなかった大瀧さんだったことがわかる。
阿久さんは一種のジョークとして、よく「ぼくと1番相性のいい作曲家は大瀧詠一さん」 と口にしていた。なにしろ組んで作った作品は『熱き心に』ただ一曲。それがヒットし、二十一世紀まで歌い継がれるスタンダード·ソングになったのだから、打率十割、はずれなしーという理屈である。
私自身が大瀧詠一さんに一度だけお目にかかったとき、阿久さんがこのように語っていると 話したところ、大瀧さんはすこし困ったような表情になり、「ぼくもそう思ってます」と応え た。 大瀧さんには松本隆さんとのコンビで数多くの作品がある。たとえば、同じ八○年代に作ら れた『冬のリヴィエラ』(森進一)と『熱き心に』を聴き較べてみると、ともに男のダンディズムが匂う詞なのに、色彩のタッチが明らかに違う。『冬のリヴィエラ』の詞はメロディーに 気持よく溶け込んでいるが、『熱き心に』は阿久さんの詞と大瀧さんのメロディーがぶつかり 合ってできた奇跡的なハイブリッドのような気がする。まさに一期一会の名曲ー 奇跡生まれたのも、小林旭という唯一無二の触媒があったからこそ。
・・・などと、日記を糸口にあれこれ考えながら、私たちはすこしずつすこしずつ、そろりそろりと阿久悠という巨星に近づきたいと思っている。国民学校の校庭で深田公之少年が玉音放送を聴いてから今日までのあいだに、私たち日本人がなにを得て、なにを喪ったのかを、より鮮明に知るために……。
「不機嫌な作詞家・阿久悠日記を読む」三田 完
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