本日、11月30日は吉田拓郎の盟友である作詞家・岡本おさみの一周忌 大越正実
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小林旭 熱き心に
たとえば、昭和六十年(1985) に世に出た小林旭の名曲『熱き心に』は、どのような形 で日記に登場するか-その年六月の記述を眺めてみよう。ちょうどこの時期 、阿久さんは新 聞に『ちりめんじゃこの詩』という小説を連載しており、毎日せっせと執筆をつづけている。 そんな合間、上京のおりに東京會舘でAGFマキシムのCMソング打合せ郡家淳氏(マザース代 表·ディレクター)、大森昭男氏(音楽プロデュース)、大瀧詠一氏(作 曲)"小林旭が歌う。 ( 85 . 6 . 6) 大瀧詠一さんと阿久さんが会ったのは、あとにも先にもこの一度だけ。まさに一期一会の会 話が交わされたことになる。右の打合せのあと、六月十五日のページに、「熱き心に」「熱き心にふれもせず」とタイトル案がふたつ、赤インクでしるされている。この時点で構想は胸のな かで固まっていたと推測できる。さらに二十四日、六本木の仕事場で『熱き心に』の詞を書き 上げた。この日はほかに、短いエッセイを11篇と詞を四篇書いている。 日記でうかがえる制作過程はこれだけだ。しかし、この短い記述から、この名曲を産むための阿久悠、大瀧詠一、小林旭という座組を作ったのはレコード会社ではなくCM制作スタッフだったことが明らかになる。詞にどんな思いを込めたのか--作詞家の胸のうちは後年書かれ た文章で知るほかない。 そろそろ世の中、何もかもが等身大になってきていて、しかも、すべてが有視界、夢に しろ、ロマンにしろ、手の届く距離しかあてにしないというのが現実になっていた。その 現実を反映して、歌もまた、電話で探せる範囲のドラマになっていて、ケタはずれのスケ ールとか、とんでもなく大きな男とかは登場させられなくなっていた。仮にそういう歌を 作ったとしても、歌って似合う個性の持ち主が少なくなっていたのである。 しかし、小林旭が歌うとなると話は全く別で、ぼくは、可能な限り美文調をメロディー にあてはめ、日本離れのした風景と、現実離れのした浪漫を書いた。 『愛すべき名歌たち』より この文章で阿久さんは、東京會舘での一期一会の会話についてもすこし触れている。大瀧さんが、クレージーキャッツの歌や初期の小林旭のコミックソング風な歌についてもっぱら語ったので、「ズンドコ節」みたいなメロディーができてきたらどうしようと、少々不安だったと。しかし、後日届けられた曲は朗々と美しく、阿久さんを満足させた。
日記に登場する音楽プロデューサーの大森昭男氏は、阿久さんよりひとつ年上。三木鶏郎が主宰する冗談工房に入社したのを皮切りにCM音楽一筋の人生を歩み、大瀧詠一、山下達郎、 坂本龍一、大貫妙子などを起用し、CMを通じてヒット曲をあまた生んだ方である。そんな人となりをインターネットで調べるうち、田家秀樹著『みんなCM音楽を歌っていた』(徳間書 店)という本に、大森氏と大瀧詠一氏の対談が収められていることがわかった。
大森 その時に「小林旭さんです」と言ったんですけど「やります」ともなんとも言いま せん。返事はすぐにくれなかったですよね。ただ,深い沈黙がありました。
大瀧 沈黙でした? 内心は、そっちで来たかという感じでね。(略)でも、85年になんで小林旭だったんだろう、AGFは。
大森 やっぱり「北帰行」ですよ。朗々と広がりのある歌というんで。ディレクターと演 出家とプロデューサーが「小林旭さんで」と言った時に、これはもう大瀧さん以外,私はやらないと決めてましたからね。
大瀧 それが自信ありげな表情に出ているわけですよ。僕はその時点でこれは天命と受け取ったから、そこで沈黙があるわけですよ。考え始めているんですよ、どのラインにしよ うか。 「さすらい」にしようか「北帰行」にしようか。それで沈黙になったんじゃないですか。(略)あれが夜中に出来た時はインターホーンで女房をたたき起こして「聴け!」って。
一生で1回だけですよ、そういうことしたのは。あんなことそれまでに一回もなかった。 大森 でも、その時点で作詞家は決めていたでしょう。
大瀧 阿久悠さんで決めてました。(略)「松本隆で」という声もありましたね。でも、僕は「小林旭に松本は合わないと思うから」って阿久さんにしたんですよ。
この対談のおかげで、阿久さんに白羽の矢を立てたのがプロデューサーではなく、それまで阿久さんと面識のなかった大瀧さんだったことがわかる。
阿久さんは一種のジョークとして、よく「ぼくと1番相性のいい作曲家は大瀧詠一さん」 と口にしていた。なにしろ組んで作った作品は『熱き心に』ただ一曲。それがヒットし、二十一世紀まで歌い継がれるスタンダード·ソングになったのだから、打率十割、はずれなしーという理屈である。
私自身が大瀧詠一さんに一度だけお目にかかったとき、阿久さんがこのように語っていると 話したところ、大瀧さんはすこし困ったような表情になり、「ぼくもそう思ってます」と応え た。 大瀧さんには松本隆さんとのコンビで数多くの作品がある。たとえば、同じ八○年代に作ら れた『冬のリヴィエラ』(森進一)と『熱き心に』を聴き較べてみると、ともに男のダンディズムが匂う詞なのに、色彩のタッチが明らかに違う。『冬のリヴィエラ』の詞はメロディーに 気持よく溶け込んでいるが、『熱き心に』は阿久さんの詞と大瀧さんのメロディーがぶつかり 合ってできた奇跡的なハイブリッドのような気がする。まさに一期一会の名曲ー 奇跡生まれたのも、小林旭という唯一無二の触媒があったからこそ。
・・・などと、日記を糸口にあれこれ考えながら、私たちはすこしずつすこしずつ、そろりそろりと阿久悠という巨星に近づきたいと思っている。国民学校の校庭で深田公之少年が玉音放送を聴いてから今日までのあいだに、私たち日本人がなにを得て、なにを喪ったのかを、より鮮明に知るために……。
「不機嫌な作詞家・阿久悠日記を読む」三田 完
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吉田拓郎さんの名曲「流星」にのせた『ディーガ』新CM&スペシャルムービー公開
【 TVCM 】
思い出の曲には、忘れられない思い出がある。
遠藤憲一さんをはじめとするオヤジたちの人生の一曲と、それにまつわる忘れ
られない思い出を綾瀬はるかさんが聞き出します。
吉田拓郎さんの名曲と共にお楽しみください。
『ディーガ』は、番組の録画やブルーレイディスクを見るだけでなく、約2,300枚分
の音楽CDがためられて、ミュージックサーバーとして使用することも可能です。
そんな『ディーガ』の新しい楽しみ方を伝える今回のCMは、綾瀬さんがプレゼン
テーターとなり、55歳の遠藤さんを中心にその世代の25名の音楽好きの“オヤ
ジ”たち(平均年齢54.5歳)が、それぞれの“思い出の一曲”にまつわる熱いエピ
ソードを披露する、筋書き無しのドキュメントCM。CMソングには吉田拓郎さん往
年の名曲「流星」を起用しており、誰しもが感じたことのある“音楽の力”を思い
出させる内容となっています。
パナソニック株式会社は、女優・綾瀬はるかさんと俳優・遠藤憲一さんを起用した、
ブルーレイ/DVDレコーダー『ディーガ』の新CMを2016年11月25日(金)より放映
開始致します。また、 『ディーガ』特設ページでは、スペシャルムービーやメイキン
グ映像、綾瀬さん・遠藤さんへの特别インタビューも公開致します。
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吉田拓郎の「ビート・ピッキング革命」87――伝説が生まれた瞬間を捉えた写真 : 蔭山敬吾さんブログ
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■幸ちゃん斉藤哲夫をラジオに引っ張り出す
斉藤 ラジオ久しぶりですね。
坂崎 そうです、この番組自体はちょうど8年ぶりですね。
斉藤 早いね。
坂崎 ね、99年に来て頂いて。
略
坂崎 哲夫さんと親しくお話しするようになつたのはいつだったっけな、キャニオンの時もソニーの時も違うと思うし。僕はBSで「フォーク大全集」とかやってた時に。
斉藤 あの辺だな。小室さんといっしょに「バイバイ」をやってた時に。
坂崎 ああ、そうだ。あれだ。
斉藤 あの辺からだね。
坂崎 そうだ。謎が解けた。そうですそうです。あの番組で絶対哲夫さんをお呼びしたかったってのがあったので。結構あの番組は。
斉藤 小室さんあんまり嬉しそうにやってなかった(笑)
坂崎 難しかったんじゃないですか、小室さんには(笑)そうそう、で、あの番組でね、結構僕は今まで憧れてたけど会ってない人をお呼びする事ができて。ほとんどの人とお会いできて。哲夫さんもそのおひとりで。いっしょに「バイバイグッドバイ」やって。
斉藤 やったよね。君のギター俺、借りたんじゃなかった? マーチン。
坂崎 そうでしたっけ。あの頃って、もう多分14、5年、13年前かな、だと思うんですけど。メインは歌の方ってお休みになってて。あ、そうだ、みんなあれですよ、「哲夫はどうした、哲夫はどうした」っていう風に。「今、あんまり歌やってないぞ」とか「トラックの運ちゃんやってるぞ」とかっていう風に。実は運ちゃんもやってたんですね。
斉藤 うん、もちろん運転手やってましたよ。
坂崎 その頃に僕は斉藤哲夫っていう人にもう一回唄って欲しいなってたいう思いが強くて。
斉藤 そんな大げさな。ライヴはやってんのよ。俺はさ、どっちかっていうと自分の歌を信用しないところあって(笑)絶対売れないだろうなってとこあってさ。未だに。だからいつもこちら側に仕事を持ってるわけよ。
坂崎 ちゃんとした堅気の仕事持ってるわけだ。で、歌は。
斉藤 好き勝手にやってるって感じ。
坂崎 その方がラクですか。
斉藤 ラクだね~。
坂崎 それはいつごろからですか。
斉藤 昔からよ。URC時代から積極的にライヴやった事ないしさ。人前出るの好きじやないもん。
坂崎 プロの歌手っていう感じじゃない。
斉藤 ないよ全然。
坂崎 じゃアマチュア。
斉藤 アマチュアだねどっちかっていうと。
坂崎 それがでもカッコいいんですよね。その頃が多分音楽から一番離れてた頃ですね。
斉藤 うーんと、そのトラックの運転手、またはバッタもん売ってる頃。
坂崎 バッタもん売ってた時期(笑)
斉藤 そうですね。やっぱり生活っていう子どももまだ小さかったしね。
坂崎 お嬢さんが二人。
斉藤 お嬢さんていう感じじゃない。娘が二人。
坂崎 だからそうですね、お父さんとしてはちゃんと仕事しなきゃいけないと。唄ってる場合じやないぞみたいな。
斉藤 そうそう。
略
■業界人にファンが多い斉藤哲夫
坂崎 いや実はですね。斉藤哲夫って人は業界人に人気がある人なんです。この間もチューリップの上田さんに会った時にね、「哲夫さんといっしょにやるんですよ」って言ったら「おお、じゃ行く」って。「哲夫大好き」同い年なんですね。ホントに多いんですよね。隠れファン、隠れちゃってるのかな。隠れないでいいのに。
斉藤 昔ね、チューリップの安部さん(2014年没)、ギターの。彼から電話あってね、どういう電話だったか忘れちゃったんだけど「あなたの歌ステキよ」みたいな事を言われたことある。
坂崎 ああそうですか。「あなたの歌すてきよ」って言われてもねぇ(笑)でもね実際、小田さんもそうでしたもんね。
斉藤 そうですね小田さんもね。
坂崎 「クリスマスの約束」の事もメールでもたくさん来てるんですけど。小田さんといっしょに「悩み多き者よ」と「グッド・タイム・ミュージック」やって。
略
坂崎 で、その小田さんもファンだったと思うんですよ。「秋ゆく街で」っていうライヴアルバムで「悩み多き者よ」やってるんですよね。
斉藤 やってるんですよ。
■拓郎「されど私の人生」カヴァー
坂崎 あと拓郎さんが「されど私の人生」、「よしだたくろうオン・ステージ ともだち」っていうアルバムでね、「されど私の人生」を。僕もあれが最初かなぁ、「悩み多き者よ」ももちろん兄貴がシングル持ってたから。B面「とんでもない世の中だ」ですよね。あの赤い暗いジャケットでしたけど。
斉藤 そうそうそう。
坂崎 「悩み多き者よ」を聞いたのと同時期ぐらいかな、拓郎さんがライヴでとりあげて。
斉藤 ちょうどURCの二枚目のシングルが「されど私の人生」なんだよね。
坂崎 あれが出てからかな。
斉藤 ですです、出てから。
坂崎 哲夫さんは拓郎さんとの面識はあったんですか?
斉藤 全然ないんですよね。その後も二回ぐらいですよ会ったのは。
坂崎 ホントですか。
斉藤 はい。
坂崎 なんか、でも拓郎さんがライヴでねぇ。斉藤哲夫っていう人の歌を。
斉藤 ライヴで唄ってますけどね。
坂崎 会った事なかったんですかほとんど。僕は聴いてた時はお友達なんだろなぁって。
斉藤 全然。
坂崎 全然なんだぁ(笑)
斉藤 あの当時、えと今、泉谷しげるのマネージャーやってる伊藤明夫さん。
坂崎 あ、フォーク村の村長さん。
斉藤 フォーク村の村長さん。村長さんがね、ちょうどあがた森魚とね、怪しい手作りのコンサートやってる時にね、会いに来てね。
坂崎 はい。
斉藤 「うちの拓郎があなたの歌を唄いたいって。許可してください」っていうそんな話で。
坂崎 そん時じゃあ快く。
斉藤 そうですね。
坂崎 へぇ~、そういう事、そういう意味では業界内でもそういう隠れファンがすごく多くて、ねぇ。
以下略
FM NACK5 坂崎幸ちゃんKトラ
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ディランさん、授賞式欠席へ=書簡で「先約あり」―ノーベル文学賞
ノーベル文学賞の選考に当たったスウェーデン・アカデミーは16日、今年の受賞が決まった米シンガー・ソングライターのボブ・ディランさん(75)が授賞式欠席を決めたことを明らかにした。
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富澤 ここにですね拓郎さんの「青春の詩」とい
うファーストアルバムが あるんですが、この中
の「男の子女の娘」という曲で拓郎さんとデュエ
ットしてるんですが、中沢さんの声が世の中に
初めて出たのがこの曲。
中沢 そうですね、はい。
富澤 で、ですね、なぜまた吉田拓郎さんの、
要するに当時のLPですよね、LPの中でデュ
エットするようになったんですか。
中沢 ね~、うふふふ。えーとですね、まず
拓郎さんのプロデューサー、浅沼さんですけど
私が中学の時にね、姉がギター教室に通って
たんですよ。それが浅沼さんのギター教室だ
ったんです。
富澤 浅沼さんのクラシックギターね、すごい
人ですからね。
中沢 ええ。それで私がちょこちょこその教室
について行ってたんです。 でまあ初めて浅
沼さんと出会ったっていうのがそれがきっかけ
なんですけど。それで、まぁ私がギターを弾く
ようになって。そのうちボロボロというかメロデ
ィーが出てくるようになって曲を作るようにな
って、それである時突然、呼び出されたんで
す。「拓郎のレコーディングをするから来てく
れ」と。それでソニーのスタジオだったんです
けど、そこに行って、もう今と違うんですけど
「せーの」で全部いっしょに録るんですよ。
バンドも、あの時マックスっていうバンドだっ
たんですけど。で、拓郎さんがその場でギタ
ーを弾きなが ら曲を教えてくれて。それでホ
ント3、4回唄って、もう「ホンチャン」でっ
ていう事で録ったのがこの「男の子女の娘」
っていう曲なんですね。
ると思うんですこのアルバムね。という事はも
ともとは浅沼さんは拓郎さんのプロデューサー
でもあってモチロンね、エレックレコードの専務
でもあったですよね。ですからその前にギター
の先生って事で知ってたっていう事ね。
中沢 そうなんです、はい。
富澤 偶然ですねそれまた。
中沢 でも私の中では拓郎さんていう人は知
っていたんです。モチロン 「イメージの詩」を
初めて聴いて。で、その人といっしょに唄うって
事になってもう本当に信じられなかったですね。
うーん、自分でもびっくりで。ええ、まだ高校生
だったんですけどね。
富澤 でもあれよく声出てますよ、かなりね。
中沢 ええー。うふふふ、いやいやもう緊張し
て唄ってますね。精一杯。あの時、あれで、
うっふふふ。
富澤 あとね、昔のプロフィールを調べてみ
ますと、中学2年の時にギターを習い始めた
というね。そのあとフォークソングに熱中し
て、森山良子さんのすごいファンだったって
事ですか。
中沢 あー、やっぱりあの、ギターを持って、
えーと唄う女性シンガーっていうことで憧れ
でしたね、うふふふ。
富澤 で、高校1年になるとこれスチューデ
ントフェスティバル、これは入会したってい
う。入会したのかな。
中沢 それは、してないと思う、うん。ただね、
お客さんとして見に行ったってだけですね。
富澤 なるほどね。もともとね、だから良子
さんもステューデントフェスティバル系だか
ら。金子洋明さん所のステューデントフェス
ティバルよく出てましたからね。じゃ、見に
行って、ますますね、憧れて、あんな感
じでいきたいという感じですかね。
中沢 うーん、そうですね。
富澤 あと、当時のフォークコンテストって
いうのは出てたんですか、かなり。
中沢 うん、あのオリジナル曲を作って、
ええいろいろコンテストには出ていました、
はい。
富澤 コンテストはどんな感じだったんで
すか、結構評判は?
中沢 そうですね、わりとコンテスト荒らし
をしていたかな、なんてふふふ。
富澤 いい感じだったのね。
中沢 うーん、そうですね。それなりのお
声を頂いた記憶がありますね、 はい。
・ ・ 略 ・ ・ ・
富澤 そして「男の子女の娘」サブタイト
ルが「灰色の世界Ⅱ」ってなってるんです
ね。なんで「灰色の世界Ⅱ」かって調べた
らこの青春中には「灰色の世界Ⅰ」っつうの
があるのね。歌詞がね一箇所だけ同じ 所
があるの。「孤独をいつしか売りものにして
さびしがりやと勘違いして」ってね。
だからこの「灰色の世界ⅠとⅡ」が裏表に
なってるんだね、きっとね。そういう感じが
したけどね。
中沢 初めて知りました。(笑)
-FM NACK5 富澤一誠 weekend party -
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松任谷正隆「僕の音楽キャリア全部話します1971Takuro Yoshida→
・ ・ ・
人が自分の限界を超えたところに何を見るんだろうー。そんなことも考えましたね。
七万五千人の観客もエクスタシーのようなものを感じていて。それを思うと、
あんなに強 烈なコンサートはない。
・ ・ ・
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阿部寛&天海祐希らが大合唱! 吉田拓郎の名曲が劇中歌に『恋妻家宮本』
一足先に上映された「モントリオール世界映画祭」では、通常エンドロールが
始まるとすぐに席を立ってしまうモントリオールの観客が、全員最後まで席を
立たずに楽しんでいたほど。また、吉田拓郎ファンだという原作者の重松氏は、
実際に楽曲が使用された本作を観て「試写のあとの帰り道、気がつけば、ずっと
口ずさんでいました」とコメントしている。 そんな出演キャスト全員で歌い繋ぐ
「今日までそして明日から」はエンディング、そして吉田さんが歌う「今日まで
そして明日から」は劇中歌として登場する。
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LIVE2016。会場全員でコーラスを唄った「ある雨の日の情景」。
拓郎さんは44年前と同じ気持ちを抱いてくれただろうか。
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