10/31 HIKE OUT STAFF VOICE
diary27
お疲れさまでした。
最終公演の翌日から(心が!?)寒くなりましたが、
週末は、少しの晴れ間に外のテラス席でお茶タイム。
今年最後のアイスコーヒー!ですかね。
夢中でライブが終わったら、街はハロウインで。
すっかり晩秋の景色に変わっていました。
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diary27
お疲れさまでした。
最終公演の翌日から(心が!?)寒くなりましたが、
週末は、少しの晴れ間に外のテラス席でお茶タイム。
今年最後のアイスコーヒー!ですかね。
夢中でライブが終わったら、街はハロウインで。
すっかり晩秋の景色に変わっていました。
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3年前に終わっていても月曜日になると時々思い出すのが
幸拓オールナイトニッポンGOLD。
毎週がムリなら月イチでもいいからまたやって欲しい。
(拓郎、幸ちゃん二人による「幸拓オールナイトニッポン番宣集5分15秒」)
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Welcome to GRACELAND & Keigo Kageyama's LABEL
・ ・ ・
その暑さに負けず、集中力を切らさないために、拓郎さんとバンドのメンバーは
、室温を22度に設定して頑張っているのだ。
・ ・ ・
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2010..4.1所ジョージのANN GOLD・幸拓ANN GOLD宛のお便りを
勝手に読むコーナー8分24秒
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Welcome to GRACELAND & Keigo Kageyama's LABEL
昨日(19日・水)の東京国際フォーラムでの拓郎さんのライブの後に、
「『風に吹かれて』がすごくよかった」と言う人が多かった。
・ ・ ・
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SUNTORY BEER SOUND MARKET '83
1983年6月8日 大阪 大阪球場
1 イメージの詩
イエィ!イエィ!イエィ!
2 友と呼べれば
大阪のニイちゃんネエちゃん元気かよお!ニイちゃんネエちゃん元気かい。
タコ焼き食べたかよ元気かい。武田鉄矢をもう1回呼ぼう。
3 唇をかみしめて 唄/武田鉄矢
4 落陽
5 外は白い雪の夜
6 お前が欲しいだけ
7 王様達のハイキング
8 アジアの片隅で
6月10日東京公演は、開演後に突然の豪雨と雹の為、拓郎の出演前に中止された。
このコンサートの告知TVCMが「あいつの部屋には男がいる」のプロモビデオの一部を使用して制作され放映された。(関東・関西地区共)
◇
◇
【真夏の夜の悪夢】 武田鉄矢がステージでマイクの調子を見ている。アルフィーの三人はリハーサルを終えてステージ下で時間を持てあましている。 十五年前の夏、大阪球場。最後に僕が簡単な音合わせを終えると、鉄矢が「ホテルへ戻って皆で中華でも食べますか」と、よいアイデアを出してくれた。まだ午前十時。 本番は午後六時からだ。 「たっぷり時間があるな。よし、皆、ホテルの中華店へ集合しよう」 このとき誰一人、その夜の悪夢を予想してはいなかった。 多くのアーティストが1か所に集まるのも久しぶりだ。つい話ははずみ、「1杯だけ」 のビールも数杯を超える。せっかくの豪華料理である「一杯だけ」の紹興酒に誰も反対はしない。1時間も店にいただろうか、午後1時、「さあ、皆、各自部屋に戻って本番までゆっくりしよう」と解散した。 これで万事OKのはずだった。僕の当時のバンドは、この「ギョーカイ」で悪名高き飲んべえバンドだった。「人生は酒と女と音楽だ」が合言葉で、音楽は三番目に位置していた。 部屋で横になっていると、ベースのTが電話してきた。 「タクちゃん、まだ時間はありますネ。特にあなたは出番も最後だから、他の人より一時間以上ゆっくり会場へ行けばいいでしょう。その部屋で軽くやりませんか」 こういう時、僕はまったく理性のなくなる男だったので、「よしきた。アルフィーや鉄矢も呼ぼう。お酒はウイスキーとバーボンがあればいいよね」と自ら率先してしまう始末なのだ。 僕のスウィートルームはいきなり七~八人のパーティー会場になる。武田鉄矢は司会もあるからと一人早めに切り上げたのだが彼のマネージャーKは、いよいよメートルを上げていく。 アルフィーの高見沢は、それはえげつない、いわばヘビメタのステージ衣装のままで軟弱に酔っているし、坂崎、桜井両君は、音楽とは何の関係もない下手なギャグを連発して、ただのコメディアンになってしまった。 僕のバンドは全員どこかの屋台で飲んでいる気分で、酒のつまみ不足にグチをこぼすのだ。
が、ここはホテルのスウィートルームである。何回も何回も水割り用のミニボトルや氷を運んでいるうちに、ボーイ氏も「こいつらナンヤネン」的になってきている。 僕はといえば、そういう体質であるから(正確にはあったから)、他の誰よりもにぎやかに明るくほとんど我を忘れ、夜のステージを忘れて飲んでいる。 主催者サイドから「予定どおりやります。アルフィーは五時に、拓郎さんは七時前には会場楽屋にスタンバイしてください」との連絡が入り、「タクローさん、僕達かなり酔っちまったみたいだから、この辺で切り上げて早めに会場へ行きます。向こうで酔いを覚まさなくちゃあ」とアルフィーの三人が三時ごろ立つのを合図に、「なあ、君達もやっぱり少し部屋で休んだ方がいいよ」とバンド他をうながして遅ればせながら僕も酔いを覚まそうとぬるま湯につかってみるがさっぱり効果がない (酔い覚ましにフロという説を、僕は以来信じない)。何だか余計にまわってくるみたいなのだ。 時計は午後四時。いけない。完全に酔っている。すこぶる機嫌がよい。必要以上に明るい気分なのだ。こうなったら僕も早めに会場へ行って皆とワイワイ言ってれば何とかなるだろうと、大阪球場へ向かう。 アルフィーが元気いっぱい (に見える)のステージを終えて楽屋に入ってくる。 「いやー、まいりましたよ。途中でポワーッとしてきて、歌詞が浮かんでこなくなったり、お互いの目が酔ってるんですから。タクローさん、頑張ってくださいよ」 僕は今まさに吐きそうな、そうでないような、言葉を発したくないのだ。そのままトイレへ飛び込み、ややホッとした状態で扉を開けると、「はじめまして。ヤガミジュンコです」と、これまた元気のいい娘さんが笑顔であいさつ。 「あ、どうも。ウッ......」 さあ、いよいよ本日の最後の出演者、吉田拓郎サンの出番である。あたりはすっかり暗くなって、七時三十分、会場も異常な興奮状態だ。 僕はスタッフに、「何でもいい、ウーロン茶でも麦茶でも水でもその辺にある冷たいものを俺の頭からぶつかけてくれ。とにかくこの酔いを覚ますんだ」 これからステージで歌う人とは思えない光景だったろう。司会の武田鉄矢があおる。 「ヨッシダァータックロオーでぇーす」 僕は本番に強い男である。昔からここ一発の勝負に勝ってきた男なのである。いつ だって「ここぞの時に力を発揮すればよい」が生き方だったのだ。 ジャンジャンジャジャーン、1曲目のイントロをさっきまで一緒に飲んでいたパン ドが鳴らし始めた。
「あいつらやるな、かえって今夜はテンションが高いみたいだなー。ようし負けてられないぞ」 僕は例によつて両手を広げ、満面の笑みを浮かべてステージへ駆け上がった。 「オーイ、大阪のニイチャン、ネエチャン、タコヤキ食ってっかーァ」 僕は本番に弱いのだ。 僕は酒に飲まれるのだ。 僕は友人がこわいのだ。 僕はこの日の事が忘れられない。しかし、この日ステージで何をしゃべり、何を歌ったのか覚えていないのである 十五年前の真夏の夜の夢であった。
(自分の事は棚に上げて)
◇
広島フォーク村そらまめさんの詳細なレポート(修道大除幕式では炎天下、会場案内、整理お疲れ様でした。お世話になりました。)
◇
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Welcome to GRACELAND & Keigo Kageyama's LABEL
・ ・ ・
明後日、拓郎さんのコンサート後、広島フォーク村メンバーが中心
になっての食事会があるのだが、まだ、下欄の写真のような絵柄
にはならないとは思うけれど、やがて私たちもこうした絵柄になる
ことだろう。
・ ・ ・
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10/17 HIKE OUT STAFF VOICE diary21
先週末は気持ち良い秋晴れ、陽射しも燦燦♪
10月になっても黄色いハイビスカス、
まだまだ元気に咲いてます。
グッズスタッフのフェイスブックも、
快調に更新中、各種グッズ情報をお届けしています。
只今、PORTER製のカードケースをご紹介していますが、
使い易さがわかりやすくて、温かさが伝わってきますので、
ご覧になれるようでしたらぜひ。覗いてみてください。
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Welcome to GRACELAND & Keigo Kageyama's LABEL
吉田拓郎の「ビート・ピッキング革命」81――ロスの拓郎さんのギャグ写真2
・ ・ ・
ディランがノーベル賞を受賞したというニュースが飛び込んできたので、
拓郎さんのこの写真を掲載するタイミングは今しかないだろうと思え、
引越しのダンボールの山の中から、1974年のロスのアルバムを引っ張
り出してきて撮影した。
・ ・ ・
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ボブ・ディラン、ノーベル賞受賞に驚いた人に
明日10/15(土)放送『どこかでラジオが』(23:00-23:59)のお知らせ
僕のFB友達の多くが僕の放送を聞いてくれていないことがハッキリ判った。
何度掛けたでしょうね。
『風に吹かれて』『時代は変わる』『Forever Young』。
その前振りに何度言ったでしょうね。 ディランはノーベル賞候補に何度もなってるんだけど、と…。
授賞に驚くんじゃねえ、時代を変えた人、世界を動かした人、が対象なんだからディランでしょうよ。
だったら、春樹より谷村の方が早い、という話が出てるそうで笑ったワ。『昴』や『サライ』や『チャンピオン』『群青』が世界を変えたと思ってる人がいることに。
ま、FMさがみというコミュニティラジオでは、何を叫んでも、あまり伝わらん、という悔しさを込めての戯れ言だと許してちょうだい。
明日の「かぜ耕士の昭和史」は1989年(昭和64年)。つまり、「平成元年」だワ。
昭和最後の思い出はフランク岩本、ローズ岩本夫妻の皇居参拝。アメリカ移民、ペルー移民の夫妻の皇居参拝にはどんな思いがあったのだろうね。
そして、東西冷戦を終結させたゴルビーの英断。
ベルリンの壁崩壊、チャウシェスク射殺。
何かが終わって何かが始まる時代の足音。
曲は
①悩み多き日々(タマ伸也)
②遥かなるアラモ(ブラザース・フォア)
③サンライズ・サンセット(映画『屋根の上のバイオリン弾き』から)
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江戸時代を代表する俳人、小林一茶の半生を描いた映画「一茶」に福島県
下郷町の大内宿が登場する。一茶の故郷の宿場町・柏原宿(現長野県信濃
町柏原)の設定で、来年6月に全国公開される。
吉田拓郎さんが主題歌を提供する。(今日までそして明日から)
原作 藤沢周平
監督 吉村芳之
主演 リリー・フランキー
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昨日11日は大宮ソニックシティ公演、
拍手喝采、大ホールに響き渡る大歓声の中で、
無事終演いたしました。
もう最高でした♪
本当に幸せでした♪
嬉しかったーまだ夢の中にいるようです♪
たくさんのHappy!!の声が届いています。
たくさんのご声援を賜り、ありがとうございました。
寂しくなるから、あと2公演とか言いません。
さあ!次は19日東京国際フォーラム・ホールAへ。
再びの東京、元気に向かいます!
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10/7 HIKE OUT STAFF VOICE diary19
今週は気温32度との日があったかと思いきや、
ようやく朝晩はひんやりした風が吹き始めた東京です。
この3連休が明けると、いざ大宮ソニックシティ・大ホール!
夢のような、最高に素敵なライブが続いています。
気温差がはげしいので体調などお気をつけ下さい。
皆様のご来場を心よりお待ちしています。
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Welcome to GRACELAND & Keigo Kageyama's LABEL
拓郎さんのコンサートチケットは、毎回、広島の仲間に依頼していて、
今回もそうさせてもらった。
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木下さん登場(電出かも)
★午後2時から「サンデーマナブくん」
「つま恋とは何かをマナブくん」。
「つま恋」に関するエピソードや疑問&質問 募集中
http://www.tbsradio.jp/nichiyou/
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時を超えて語り継がれるライブがある。意義や時代に残した足跡、
その後の音楽シーンに与えた影響について、音楽評論家の田家秀樹
さんが1970年代から振り返る。
僕もみなさんも、よく生きて来られました――。
吉田拓郎は、9月26日に千葉県・市川市文化会館で行われた2年ぶり
のツアーの初日にそう言ってはにかんだように笑った。
4月に70才の誕生日を迎えたばかり。“若者文化”の象徴的存在だった
彼ならではの感慨もあったのだろう。歌いながら涙ぐむような場面もあった。
70年代、日本の音楽シーンは劇的に変わった。
その一つが“ライブ”である。従来の“リサイタル”“演奏会”に代わり“ライブ”
や“フェス”“イベント”という言葉が使われるようになった。
プロ・アマ結集
日本のコンサート史上、最初の野外イベントが、岐阜県中津川市の
椛(はな)の湖畔で69年から始まった「全日本フォークジャンボリー」。
同じ年にアメリカで行われ約40万人を集めたウッドストックより約1週間早い。
高石ともやや高田渡らのフォークシンガーにアマチュアも参加、舞台
もスタッフの手作りという素朴な祭り。1回目の観客約3千人、2回目、
約8千人、伝説となった3回目は約2万5千人。岡林信康、はっぴいえんど
らフォーク・ロック系のアーティストが勢揃いした中に初参加、デビュー2年目
の吉田拓郎がいた。
彼が出たのは、2カ所にあったサブステージの一つ。演奏中に電源が落ち
てしまうトラブルにもかかわらず「人間なんて」を延々歌い続けたことで脚光
を浴びた。その後、テレビ撮影などに反発、“商業主義粉砕”を叫ぶ教条主
義的なフォークファンによりメインステージが占拠され、イベント自体が中断
したまま終わってしまった。
70年代の野外イベントのほろ苦い結末。74年8月に福島県郡山市の開成山
公園陸上競技場で開かれた“ワンステップフェスティバル”は最たるものだ。
「つま恋」6万人
主催は郡山のブティックのオーナー、佐藤三郎。研修旅行でアメリカに
行った時に見た映画「ウッドストック」に感動、私財をなげうった1週間に
わたるイベント。オノ・ヨーコや沢田研二、キャロル、サディスティック・ミカ
・バンドら、国内外のロック系アーティストが集結。“街に緑を、若者に広場
を”というスローガンは、今のテーマ型フェスの原型だろう。全員ノーギャラ
でありながら膨大な赤字を残して終わった。
フォークもロックも市民権を持ち得なかった状況を変えたきっかけが吉田拓郎
だった。彼の72年の「結婚しようよ」の大ヒットはメディアや業界の認識を変えた。
「拓郎の歌を聴きたい」とコンサートを企画していた全国の学生が、今、イベン
ターと呼ばれる会社の創業者達だ。自前の照明や音響のスタッフとともに旅を
しながら歌う“コンサートツアー”が始まった。
テレビには相手にされずラジオの深夜放送とライブに支えられた活動。70年代
に5枚のライブアルバムを出しているアリスは、74年に303本ものコンサートを
行っている。
75年8月、静岡県掛川市の「つま恋」多目的広場に約6万人を集めたオール
ナイトコンサート「拓郎・かぐや姫・コンサート・イン・つま恋」は、そんな時代の
分水嶺となった。
78年に岐阜県鈴蘭高原で野外イベントを行ったチューリップは、自分達を
旅芸人一座に例えていた。76年日比谷野外音楽堂、77年日本武道館、78年
には後楽園球場のステージに立った矢沢永吉はロックの伝道師のようだった。
79年7月、拓郎が、愛知県篠島に約2万人を集めたオールナイトコンサート
は前代未聞の野外離島ライブだった。
拓郎は「生意気だ」とメディアから叩(たた)かれ、矢沢永吉は「危険だ」とツアー
の会場拒否に遭っている。
断絶の70年代だった。
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残間さん、公式ブログにたくさんの拓郎関連記事をありがとうございます
残間里江子のブログ「波乱万丈雨アラレ」
【10/3】私も「越えなければならないこと」が、まだ沢山あることに
・ ・ ・
過去拓郎関連記事
2009 6/21(日)拓郎の「今日まで」そして「明日から」
2012 9/6(木)夜明けに吉田拓郎を聴きながら......。
2013 1/24(木)2020オリンピックの10年後......。
2014 7/27今宵は、拓郎の「純情」を聴きながら、「独りワイン」を楽しみます。
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