TBSラジオ 69年の「パック」〜「パック」の大改編
TBSラジオ 69年の「パック」〜「パック」の大改編
木曜「北山修パック」 (3月27日〜) ①
「パック」に開けられた風穴
フォーク歌手で在京ラジオ局が放送する深夜番組のパーソナリティーになった
のは 北山修(昭和21生) が初めてである。
北山の登場はフォーク歌手が深夜放送に進出する足場を築いたという意味で
「オールナイト」や「セイ!ヤング」にも大きな影響を 与えた。
高級感の漂うオトナっぽい深夜番組を志向した「パック」は出発の時点から知名
度の 高い男女二人のタレントをDJ、パーソナリティーに起用してきた。
そこにフォーク出身 の医学生(当時22歳)が加わった。
しかも相手役はいない。 2時間半の番組を一人で 切り盛りしなけれ
ばならない。北山パックの誕生は「パック」全体に風穴を開ける変革 と言えた。
■新風を吹き込んだディレクター
私が加藤節男を知ったのは15年ほど前に遡る。砂原幸雄社長の秘書役をして
いる頃、 彼はメディア企画部長だった。 「デジタル革命」という大波が押し寄せ
る海原で、放送 局という船はどう舵を切って行くのか。 彼はそれを考える部署
の責任者だった。 物腰 が柔らかく穏やかな口調を崩さない。それでいて、話す
中身は理路整然としている。 どこかに人間の奥深さを秘めている先輩だなぁ、
という印象を抱いていた。上司の鈴木 隆美(67年入社)を通じて加藤がラジオ制
作部にいたことは知っていた。だが、北山修 の「パック」を起ち上げた張本人で
あるとは全く知らなかった。 入社3年目で「田中信夫·北浜晴子パック」を先輩の
松沢から引き継いだ。そして69年 3月の改編を挟 んで「パック」に関わっていた
制作者の一人でもある。加藤への取材 では、まず「パックにリクエスト」 の改編
に至った事情や制作現場の思いなどについて 聞いてみた。 「僕は田中信夫さん
と北浜晴子さんの「パック」をやっている頃から、もっと若者向けに 変えて行こう
と思っていました。だから、番組でかける音楽についても若者向きのもの に切り
替えて行きました。改編 するという話が出た時、人気の高かった「オールナイト
ニッポン」に対決するには、みんなで、もっと若 い聴取者層を取り込まなきゃい
けない、 という話が出ました。そして、これまでとはパックの色合いを変えた方が
いい、という話 もありました。しかし、実際には、どういう方向性を目指すのか、
路線は今1つはっきり していなかったように憶えています」 それまでの「パック」は
洋楽中心と言っても、ジャズ やビートルズなどがほとんどだった。加藤は、なぜ
フォークで行こうと思ったのだろうか。 「TBSでは、誰もフォークソングをやってい
ませんでした。あの頃は関西系のアングラと いうか、メッセージ性の強いフォーク
が流行り出していました。僕はそういうメッセージ 性のある音楽、フォークソング
の方がいいと思っていたんです」 一つの疑問があった。北山修をパーソ ナリティ
ーに起用した理由である。68年10月に 惜しまれながら解散したフォーク·クルセ
ダーズ(略称:フォークル)には、北山の他に加藤 和彦(1947-2009)と、 はしだのり
ひこ(本名·端田宣彦、昭和20生)の二人がいた。私の 記憶の中では彼らの方が
見た目に華や かさがあるように思えた。なぜ加藤は3人の中 から敢えて北山を
選んだのか。 「北山君は最初から他の二人とはスタンスが違う、と僕は思って
いました。パーソナリ ティーというの はリスナーに直接呼びかけなければなりま
せん。それが上手に出来るか どうかが一番大切なんです。僕は 「パック」の中
で真面目な話やナンセンスな話を若者 達とキャッチボールしてみたいと考え、
彼にはそれが出来ると直感したんです。僕はフォ ークルの「さよならコンサート」
(渋谷公会堂、 68年10月17日)を観に行きました。その 結果、喋りのセンスが一
番いいと確信しました」 (パック・イン・ミュージック 伊藤友治 +TBSラジオ )
伊藤友治 2011年6月からTBSラジオ社取締役編集主幹。 2015年6月退社。
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