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2015/05/02

矢島 賢さんロングインタビュー 3

【長渕剛はー緒にやっていておもしろかった。こっちが全開でギターを

弾いても負けないから。】

Q スタジオ · ワークとして、矢島さんのクレジットのあるー番古いレコードは

井上陽水が72年にリリースした「陽水IIセンチメンタル」ですが、それ以前で

参加していた作品はありますか?

A 天地真理(71年デビュー)、南沙織(71年デビュー)、郷ひろみ(72年デビュー)、

桜田淳子(73 年デビュー)はその前でしたっけ。その辺でも実はギターを弾いて

いるんですよ。あと、ドリフやっていましたよ。「8時だョ!全員集合」のステージで。

キャノンボールを作ったんだけど、最初はそんなに忙しくないわけですよ。

それでたまたま新音楽会っていう会社があって、そこから行ってくんない?って

言われて、週にー回行っていました。

Q 岡本章生とゲイスターズ(「8時だョ!全員集合」の専属バンドで、日本の5大

ビッグ · バンドのひとつ)のメンバーだったんですか?

A メンバーではなくて、サポート参加のような感じでしたね。

Q 南沙織さんはいっ頃からやりましたか?

A 最初の頃からやっていたと思うんですけど、「傷つく世代」(73年)は、

エリック · クラプトン(デレク · アンド · ザ · ドミノス)の「いとしのレイラ」だなと

思って弾いた記憶があります。当時のアレンジャーや作曲家も洋楽をもち

ろん聰いていて、僕らもやっぱり洋楽を聰いていて。弾いていると、「ああ,

あの曲にインスパイアされたな」とかなんとなくわかるんですよ。似たよう

なものを聴いているけだから。当時アメリカで流行っている音楽や機材を、

日本の音楽産業全体が追い求めていた時代だったんで。なので、よりそう

いう流行に対応できるミュージシャンがスタジオに呼ばれる機会が多かった

んだと思います。

(続く)

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