矢島 賢さん ロング・インタビュー 8
【 あんまり好きじゃなかったですから。“今日おもしろかったな”
っていう程度でしたね。】
Q 琵琶法師のおじいさまの影響はどこかにあったりします?
A どっかでそういう影響を受けちゃったのかなとは思いますけど。
音楽を受け取るのが感情なんですよね。だから感情的なギターを
スタジオでも弾いていましたよ。ちょっと譜面に合わせないみたいなね。
そういうのが喜ぱれてよく呼ばれたのかもしれないですね。だから音色
が大事になってきて、必然的に機材が大事になってきて。よくスタジオ
に行くと、こっちから逆に指定しましたもんね。コンプレッサーはどれくらい、
アタックはこれくらいにしてみたいな。
Q 当時の歌謡曲には歌手の意志は入っていたんですか?
A 入っていないです。南沙織や郷ひろみ君のデビューの頃は、レコード
会社に戦略みたいのがあって、まず営業でこの子はこう売り出していこ
うっていう方向がある。その路線上で、アレンジャーやサウンドはこういう
人を集めたほうがいいっていう戦略ができていたんです。そのうちだんだ
んミュージシャンの力が強くなってきて、クロスオーバーやフュージョン
といわれる時代になってくると、もうグチャグチャになってきていました。
昔(70年代前半~中盤)のほうが、レコードを売ることに関しては戦略的
ではありました。プロデューサーも、今でいうサウンド · プロデューサー
という感じではなくて、もっと大きなプロデュース。アーティストをどう
やって育てていこうかとか、そういうような大きなビジョンでプロデュース
していたと思います。
Q 参加した楽曲がヒットした実感はあリましたか?
A 当時自分が弾いたものがヒットした実感は全然なくてね。とにかく毎日
スタジオに入っていたから、あんまリテレビも見ない。ラジオも聞かない。
音楽を聴いているのは,輸入盤屋でかかっているのを聴くくらいだった
ので、あんまりわかってなかったですね。
Q サンプル盤は送られてこないんですか?
A 送られてこなかったですよ。送られてきたらもういっぱいたまっている
と思うんですけど。だんだん、スタジオ · ミュージシャンもジャケットにクレ
ジットされるくらいから、「この間のアルバムです」ってもらったりということ
はありましたけど、それ以前はほとんどなかったです。
Q それについて疑問は?
A あんまり好きじゃなかったですからね。洋楽でジミ ー ・ぺイジや
ジェフ・ベックを聴いているので「どうしてこんな演歌っぽい曲やらない
といけないの」っていう思いもあって。「ああ、終わった」って。
「今日おもしろかったな」っていう程度でしたね。
Q 愛着という感じでもなかった?
A 愛着はあんまりなかった。「おかげさまでヒットしました」って言われる
ことはありましたけど、「ああ、良かったですね。ところで何でしたっけ」
みたしいな(笑)。
Q クレジットがないことについては?
A 過ぎたことは考えないっていうか。それよりもスタジオのセッションに
行って、ギターがいい音していたりとか、いいフレーズ弾けたりとか、そう
いうことのほうが楽しかったですね。
Q 音作りについては、矢島さんに任されていたんですか?
A アレンジャーが指定してくるのは、歪むか歪まないか、あとはコーラス
がかかっているかっていう程度で、プレイヤーに任されていました。その
中で、当時流行っていた音色を出してくれる人が呼ばれるという感じでし
たね。「少女A」の頃だったら、スティーヴ ・ルカサーのような音色に近い
人が呼ばれるという。
Q 自分の音を出すっていう考え方はありました?
A 他の方がどうかわからないですけど、僕はいつも自分がー番いいと
思う音を出していました。だから自分ならではの音色が多かったと思い
ますよ。時代とともに音も変わってくるのでその時でー番いい音を出す
ということを、機材を追求したりしてやっていましたから。だから、こういう
感じの音って言われて音作りをしたことは、ほとんどなかったですね。
Q 音作りへのこだわりは強かった。
A それはもちろん。
Q 大村憲司さんや鈴木茂さんなどと参加されているコンピレーション ·
アルバム「NEWYORKJ(78年)では、レス ・ポールとストラトとムスタング
を使っていますね。中ジャケに記されています。
A ムスタングは、たぶんソロで使ったと思います。
Q このアルバムの参加の経緯はどんな感じでした?
A こういう企画があるんだけど、1曲作ってもらえませんかっていう
感じでした。
Q 最後に、ソロ願望はなかったんですか?
A 一応、矢島賢&ヴィジョンズで「リアライズ」を1枚やりましたけど、
あんまり強くはなかったです。スタジオの仕事がそれなりにクリエイ
ティブな作業だったので、それまでワガママな仕事の仕方をしていま
したから、「こんなのなんで俺に弾かせるの?」って言ったりとか。仕事
だからやらなきゃいけないはずなのにね(笑)。だから、それほどスト
レスもたまらずに每日楽しくやっていましたよ。
( 終)
矢島さんのご冥福をお祈り致します。
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