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2015/05/06

矢島 賢さん ロング・インタビュー 7

90tamujin 90年代初期 (撮影 :  田村仁 )

Q  エフェクターもいろいろ試しました?

A  エフェクター · ブックに載るほど使いました。MXRの全製品であるとか、

エレクトロ · ハーモニックスの製品もほとんど使ったり。ただ、こういう仕事

だとあまり使えないものもありましたけどね。マエストロのリングモジュレ

ーターとか。これは使えないでしょうって。とりあえず新しもの好きだった

です(笑)。

Q  フェアライトIIを導入したのは?

A  ワーナーパイオニアでソロ · アルバム「リアライズ」(82年)を作った時に、

よせばいいのにサラウンドで作っちゃったんですよ。ミックスダウンする時に、

ものすごく時間かかって。途中でもうやめてほしいって言われてやめなけれ

ばいけないほど時間かかっちゃったんですけど。これは自分の望みどおり

のことをやるならスタジオ持ってないとダメかなと思って、自分のスタジオを

持つようになったのがきっかけでした。

Q  ー番忙しい時期のスケジュールの込み具合は?

A  朝10時がー番早い時間でそのまま空きがなくて夜中の3時とか。これ、

たまにじゃなくて、そういうー日わりと多かったですよ。

Q  それが毎日続くんですか?

A  そう、毎日。だからもうなんだかわらないみたいな。いつご飯食べたら

いいのみたいな。誰のレコーディングなのかもわからない。まず本人が

来て歌わない。曲のタイトルは書いてあるんだけど、あえてこっちが追求

しないから。

Q  それは何歳ぐらいの時ですか?

A  22歳ぐらいから30歳ぐらいまではずっとそういう生活でしたね。オフは

、レコードメーカーが休みの時。8月のお盆の時と暮れくらいですか。

Q  70年代は1曲どれくらいで録っていたんですか?

A  1時間以内で録り終わっていました。

Q  初見で、1時間で録っちゃうんですよね。それも全員が。

A  そうです。必然的にそんな凝ったことはないですけどね。当然、僕らの

場合は1曲1時間ですから、アルバム1枚1日って平気でやっていました。

Q  矢島さんの世代と矢島さん以降の世代ではレコーテディング方法の

違いが大きそうですね。

A そうですね。コンソール · ルームの中に制作スタッフとスたジオ · ミュー

ジシャンがいるわけですけど、会話をすることがほとんどなかったですから。

一緒に作っているっていう感覚はほとんどなかったです。僕らのあとの時代、

今君や松原君の時代では和気あいあいで、ディレクター にしてもミュージ

シャンにしても、一緒にお茶を飲んだりだして、「こうしようよ」っていう話を決

めたりすると思うんですけど、僕たちの場合は「行って弾いてお疲れ様」って

いう。だから鍛えられたってのもあったし、そういう中で自分が歌謡曲とは

システムの違うニューミュージック関係の仕事に呼ばれていくと、和気あい

あいとしていて「こっちのほうが音楽だよね」って思ったりしていました。

そういった意味では、歌謡曲はスピードはありましたけどね。

Q  ニューミュージックのアーティストのレコーディングのほうが楽しかった

ですか?

A  楽しかったですよね。変な言い方なんですけど、ギターパートがギター

パートでいられるっていうか。さっきの1時間1曲のぺースの時だと、たぶん

これはこういうふうにギター弾いて欲しいんだけど、こういうコード進行だと

無理だよなっていうのがほとんど毎日あって。ニューミュージックのアー

ティストだと、そこはある程度理解されている部分があって、ちゃんと音楽

ができるなっていうのがありました。

  ( 続く )

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