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2015/05/05

矢島 賢さん ロング・インタビュー 6

Q  80年には篠塚満由美さんの「Turning Point」に井上鑑さん、

クマ原田さん、リチャード · べイリー(元ゴンザレス、ジェフ · ベック。

後にインコグニート)と参加、同じメンバーで竹下景子さんの「私の

中の女たち」(80年)にも参加しています。

A  これはたぶん、井上鑑君にそいう話が行って、当時鑑君ともよく

ー緒に仕事をしていたんで、呼ばれた感じです。行ったらドラムが

リチャード · べイリーだっていう感じだった。ベイリーは、あんまり

譜面を読めなかったから、「そこはあと4小節あるから」とか、そう

いうノリで録音していました。

Q   中森明菜さんの「少女A」(82年)もクレジットがありませんが

矢島さんですか?

A  これも僕が弾いていますね。

Q  アレンジでのギターは、書き譜が多かったですか?それとも

ほとんどアドリブですか?

A  半々くらいです。書き譜であっても、ギター・プレイヤーが書いた

譜面じゃないから、自然なフレースじゃないって変えちゃう場合も

ありますね。「少女A」の間奏はアドリブです。

Q  TOM★CATの「ふられ気分でRock’n’Roll」(84年)なんかでも

弾かれています?

A  弾いていますね。
Q  TOM★CATのバンドのメンバーは演奏していないんですか?

A  やってないですね。あとは,チエッカーズでも弾いています。

誰なのか知らずに、呼ばれて入って「ギター弾いて下さい」って言

われて。ダビングなんですけどね。6曲くらいまとめて録って,

「何なんだろうなこれは」って思って、あとでチエッカーズって

わかったんですよ(笑)。

Q  河合奈保子さんの「さよなら物語」(84年)は?

A  これもやっていますよ。マキ(夫人でキーボーディストの矢島マキ。

旧姓は田代マキ、現在は嶋マキ) がキーボードを弾いて,オケは

フェアライトで打ちこんで、ギターは僕で。ほかは誰も弾いていません。

Q  堀ちえみさんの「ジャックナイフの夏」(86年) も矢島さんのギター

ですか?

A  そうですね。80年代の初めくらいにフェアライ卜llを買って、その

あとフェアライトⅢも導入したんですよ。これはフェアライトで打ち込んで、

そのあとギターを弾いてといった作業でした。

   ( 略 )

Q  美空ひばりさんともレコーディングされたんですか?

A  やったことあります。最後のアルバム「川の流れのように

~不死烏パートⅡ~」(88年)はやっています。

Q  石川さゆりさんとの共演のきっかけは?

A  たまたま知り合いのプロデューサーがやっていたんで、

「ちょっとー回手伝ってくれ」って言われて。「できるかな俺に演歌」

って思ったんですけど、入ってみたら,あまり演歌じゃなかった(笑)。

歌が上手なのはあたり前なんですけど、エネルギーがあるんですよ。

【 朝10時から始めてそのまま夜中の3時までとか。そういうー日は

わりと多かったですよ。】

Q  年代ごとの使用ギターはどんな感じですか? テスコのあとが

ストラトですか?

A  そのあいだにモズライトがあります。

Q  アマチュアの頃ですか?

A  そうですね。アマチュアの頃に月賦で買って。たぶん64年頃かな。

出来が悪くて反っちゃってダメになって。それからES-175になったん

ですよ。とりあえず仕事にしたいと思っていたんで、ある方に話をし

たら「いろんなことをできたほうがいい」って言われて。「まずジャズだな」

って言われて、ジャズだったらこういうギターかなって思って、神田商会

に行って買ったんです。

Q  スタジオ · ミュージシャンになってからは?

A  最初がストラトですね。ストラト弾いていてボリュームをもっと出したい

と思ってハムバッキングになって。その頃からスタジオの仕事がくるよう

になって、レス · ポールになってその次にSGになったんです。SGは何本

か使いましたね。3ピックアップのものとか。しばらくしてハムバッキングの

テレキャスターのシンラインになって。あれはなかなかいい音していました

けど。それで、またレス · ポールかな。いろいろ使ってみたんですけど、

335も使ってみたし、345も。ムスタングはだいぶあとですかね。

Q  アンプについては?

A  当時は、スタジオ・レンタルのアンプなんかなかったので、全部自分

で運ぶしかなくてね。アンプを何台も運ぶわけにはいかなくて。当然持ち

運べる量も限られてしまうので、その中でなんとか自分の音を出すのが

毎日戦いでしたね。当時はツイン · リバーブ、いわゆる通常売っている

銀パネです。でも、イマイチ気に入らなくて。ブラックフェイスのほうが音

がよかったんですよ。それで、たまたま成毛滋が使っていたブラック

フェイスを譲ってもらって、それをしばらく使っていました。そのあと、

高中正義と同時期くらいにブギーを使い出しましたね。そして、

マーシャルJCM800、ブギー。フェンダーのチャンプとデラックスが

いっも車に置いてあってケース・バイ · ケースで使い分けていました。

Q  アンプを持ち込んで音作りですか?

A  うん。でも時間がなかなかなくて。ギターって、実はいい音させるの

に時間がかかるので。マイクの角度とかもね。スタジオの仕事では、

それとの戦いでした。

Q  譜面を咀嚼する時間と音色を作る時間が必要だった。

A  そうですね。それを瞬時にやれないとね。あとでゆっくリダビング

っていう状況ではなかったですから。とりあえずその場で、完璧にで

きないといけないというのがあったんで。

Q  時代ごとに新しい機材がいろいろ出てきましたが、その都度興味

を持ちました?

A  「Guitar Player」って雑誌を、時どき輸入本員に行って買ったんで

すけど、だんだん機材を紹介するべージが増えてきて、よくチェック

していたんですよ。今はなくなったけど、渋谷にヤマハがあって、

そこで載っていた機材を見かけると買って、そのままその日の

セッションで使うことも多かったです。

  ( 続く )

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