矢島 賢さん ロング・インタビュー 6
Q 80年には篠塚満由美さんの「Turning Point」に井上鑑さん、
クマ原田さん、リチャード · べイリー(元ゴンザレス、ジェフ · ベック。
後にインコグニート)と参加、同じメンバーで竹下景子さんの「私の
中の女たち」(80年)にも参加しています。
A これはたぶん、井上鑑君にそいう話が行って、当時鑑君ともよく
ー緒に仕事をしていたんで、呼ばれた感じです。行ったらドラムが
リチャード · べイリーだっていう感じだった。ベイリーは、あんまり
譜面を読めなかったから、「そこはあと4小節あるから」とか、そう
いうノリで録音していました。
Q 中森明菜さんの「少女A」(82年)もクレジットがありませんが
矢島さんですか?
A これも僕が弾いていますね。
Q アレンジでのギターは、書き譜が多かったですか?それとも
ほとんどアドリブですか?
A 半々くらいです。書き譜であっても、ギター・プレイヤーが書いた
譜面じゃないから、自然なフレースじゃないって変えちゃう場合も
ありますね。「少女A」の間奏はアドリブです。
Q TOM★CATの「ふられ気分でRock’n’Roll」(84年)なんかでも
弾かれています?
A 弾いていますね。
Q TOM★CATのバンドのメンバーは演奏していないんですか?
A やってないですね。あとは,チエッカーズでも弾いています。
誰なのか知らずに、呼ばれて入って「ギター弾いて下さい」って言
われて。ダビングなんですけどね。6曲くらいまとめて録って,
「何なんだろうなこれは」って思って、あとでチエッカーズって
わかったんですよ(笑)。
Q 河合奈保子さんの「さよなら物語」(84年)は?
A これもやっていますよ。マキ(夫人でキーボーディストの矢島マキ。
旧姓は田代マキ、現在は嶋マキ) がキーボードを弾いて,オケは
フェアライトで打ちこんで、ギターは僕で。ほかは誰も弾いていません。
Q 堀ちえみさんの「ジャックナイフの夏」(86年) も矢島さんのギター
ですか?
A そうですね。80年代の初めくらいにフェアライ卜llを買って、その
あとフェアライトⅢも導入したんですよ。これはフェアライトで打ち込んで、
そのあとギターを弾いてといった作業でした。
( 略 )
Q 美空ひばりさんともレコーディングされたんですか?
A やったことあります。最後のアルバム「川の流れのように
~不死烏パートⅡ~」(88年)はやっています。
Q 石川さゆりさんとの共演のきっかけは?
A たまたま知り合いのプロデューサーがやっていたんで、
「ちょっとー回手伝ってくれ」って言われて。「できるかな俺に演歌」
って思ったんですけど、入ってみたら,あまり演歌じゃなかった(笑)。
歌が上手なのはあたり前なんですけど、エネルギーがあるんですよ。
【 朝10時から始めてそのまま夜中の3時までとか。そういうー日は
わりと多かったですよ。】
Q 年代ごとの使用ギターはどんな感じですか? テスコのあとが
ストラトですか?
A そのあいだにモズライトがあります。
Q アマチュアの頃ですか?
A そうですね。アマチュアの頃に月賦で買って。たぶん64年頃かな。
出来が悪くて反っちゃってダメになって。それからES-175になったん
ですよ。とりあえず仕事にしたいと思っていたんで、ある方に話をし
たら「いろんなことをできたほうがいい」って言われて。「まずジャズだな」
って言われて、ジャズだったらこういうギターかなって思って、神田商会
に行って買ったんです。
Q スタジオ · ミュージシャンになってからは?
A 最初がストラトですね。ストラト弾いていてボリュームをもっと出したい
と思ってハムバッキングになって。その頃からスタジオの仕事がくるよう
になって、レス · ポールになってその次にSGになったんです。SGは何本
か使いましたね。3ピックアップのものとか。しばらくしてハムバッキングの
テレキャスターのシンラインになって。あれはなかなかいい音していました
けど。それで、またレス · ポールかな。いろいろ使ってみたんですけど、
335も使ってみたし、345も。ムスタングはだいぶあとですかね。
Q アンプについては?
A 当時は、スタジオ・レンタルのアンプなんかなかったので、全部自分
で運ぶしかなくてね。アンプを何台も運ぶわけにはいかなくて。当然持ち
運べる量も限られてしまうので、その中でなんとか自分の音を出すのが
毎日戦いでしたね。当時はツイン · リバーブ、いわゆる通常売っている
銀パネです。でも、イマイチ気に入らなくて。ブラックフェイスのほうが音
がよかったんですよ。それで、たまたま成毛滋が使っていたブラック
フェイスを譲ってもらって、それをしばらく使っていました。そのあと、
高中正義と同時期くらいにブギーを使い出しましたね。そして、
マーシャルJCM800、ブギー。フェンダーのチャンプとデラックスが
いっも車に置いてあってケース・バイ · ケースで使い分けていました。
Q アンプを持ち込んで音作りですか?
A うん。でも時間がなかなかなくて。ギターって、実はいい音させるの
に時間がかかるので。マイクの角度とかもね。スタジオの仕事では、
それとの戦いでした。
Q 譜面を咀嚼する時間と音色を作る時間が必要だった。
A そうですね。それを瞬時にやれないとね。あとでゆっくリダビング
っていう状況ではなかったですから。とりあえずその場で、完璧にで
きないといけないというのがあったんで。
Q 時代ごとに新しい機材がいろいろ出てきましたが、その都度興味
を持ちました?
A 「Guitar Player」って雑誌を、時どき輸入本員に行って買ったんで
すけど、だんだん機材を紹介するべージが増えてきて、よくチェック
していたんですよ。今はなくなったけど、渋谷にヤマハがあって、
そこで載っていた機材を見かけると買って、そのままその日の
セッションで使うことも多かったです。
( 続く )
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