矢島 賢さん ロング・インタビュー 5
Q ところで、アリスでも弾かれていましたよね。
A あの頃はアリスが流行っていましたね。「遠くで汽笛を聞きながら」は
僕が弾いています。ツアーもやったりしました。
Q ツアーに出たのはアリス以外では?
A 吉田拓郎、長渕剛ですかね。
95年
Q 杉田二部さんのッアーもやられていたようです。
A ああ,やりました。あと、チャゲ&飛鳥は、田園コロシアムでのライブ
をやったことがありますけど。
Q 沢田研二さんの「思い切リ気障な人生」(77年) では、水谷さんと
ー緒に参加されていますね。
A 参加したのは覚えているんですけど、たぶん、あんまリ弾いてない
と思うんですよ。ジュリーは(井上) 堯之さんが多かったと思います。
あとは、もしかすると松木恒秀君がやっているかもしれない。沢田研二
さんの曲で、東海林修さんがアレンジをしてぃる曲は、わりと松木君
がギターを弾いていたことが多かった気がします。
Q 山口百惠さんの「ロックンロール · ウィドウ」(80 年)は矢島さんで
すね。また、クレジットはないですが、「プレイバックpart2」も矢島さん
ですよね?
A はい、そうです。この頃だったら、僕か芳野藤丸君がよく弾いて
いました。
Q その頃の機材は?
A ラインが流行リ始めの時もあったんですけど、「ロックンロール ·
ウィドウ」が収録されているアルバム「メビウス · ゲームj(80年)に関
しては全部ライン録りなんですよ。グルーヴチューブが出していた
プリアンプと、ダン · アームストロングのコンプと、ボスのディストー
ション · OD-1でほとんど作っていました。
Q ほとんどエフェクターは使わなかったんですか?
A そうですね。ほとんどアンプに近い状況でした。
Q ギターは当時はレス · ポールですか?
A 59年のレス · ポールですね。
Q 「ロックンロール · ウィドウ」も59年で弾いている珂能性はあります?
A あったかもしれないですね。でも今は手放してしまってもうないです、
なんか音が枯れすぎちゃってダメになっちゃった。
Q スタジオで活躍したギターはそのギターが多いですか?
A ですね。
Q 今、59年レス · ポールって致千万円のものもあると言われてい
ますよ。
A えっ、そ人なになっちゃったんですか。初めてニューヨークに行った
時にちょうどレッド · ツェッペリンが流行リ始めの頃で。ニューヨークの
楽器屋でレス · ポールの58年かな。それが置いてあって、2,000ドル
(当時72万円)でしたけどね、その時は(笑)。
Q キャノンボールの頃からストラトはあまり使わなかったんですか?
A 使うこともありましたけれども、なかなか当たりのストラトに出会う
ことがなくて。本当にシングルコイルの音が欲しい時に使っていたくら
いで、あえて思い出のあるストラトっていうのがないですね。ハムバッ
キングのほうが愛着がありました。
Q レス · ポールは何本くらいお持ちだったんですか?
A 当時はいっぱいありましたよ。いいコンディションのものが欲しいって
いうので、探していくうちに手元に4本5本集まってくる。そんな感じでした
ね。使うのはー本でしたけどね。
Q チャゲ&飛鳥のデビューシングル「ひとり咲き」(78年)も矢島さんですか?
A あれは藤丸くんです。名ソロですよね。
Q 同じ時代のスタジオ · ギタリスト同士だと音が似てくることがあ
るんですかね。
A 機材も似た機材というか、いいものを選んでいくとそこにいっちゃう
っていうこともあるし,聴いてる音楽も似たものを聴いているみたいな。
ある程度近くなることはあったと思います。
| 固定リンク
「矢島賢さん」カテゴリの記事
- 矢島賢さんお別れの会(2015.05.18)
- 矢島 賢さん ロング・インタビュー 8(2015.05.09)
- 矢島 賢さん ロング・インタビュー 7(2015.05.06)
- 矢島 賢さん ロング・インタビュー 6(2015.05.05)
- 矢島 賢さん ロング・インタビュー 5(2015.05.05)