矢島 賢さんロングインタビュー2
矢島 賢さんロングインタビュー 2
Q 最初はカントリーのギタリストを目指していたんですか?
A ローディになる時に野口さんとひとつ約束があって、「何も教えないよ」
って言う。「知りたけれぱ自分で勉強しなさいよ」っていうスタンスだったん
ですよ。幸い、僕あんまリカントリー好きじゃなかったんで(笑)。たまたま
いろいろな出会いの中で野口さんと出合って、彼の口一ディになることに
なったので、もともとカントリーのギタリストを目指してということではなかっ
たです。
Q キャノンボール時代には、シングル「夜の紋章のなかで」(71年)をリリース
していますが、キャンプ回りがおもな仕事だったんですね。
A そうですね。一応レコード出しているんですけど、それは縁起ものみた
いで、ちゃんとやってなかったというか(笑)。やっぱりベースキャンプの
演奏のほうが主だったんです。北は稚内の最先端のキャンプでやったり
とか、岩国でやったりとか、もちろん立川とか。戦争が多かったので、全盛
でしたからね。それで、バンドでいろんなキャンプを回っていたんですけど、
将校クラブっていうのがあって,そこは男だけだとよくなくて。じゃあ,ゲスト ·
ボーカルを頼もうっていうので五輪真弓さんにお願いして歌ってもらってい
ました。だから本当にいろんなものやりましたよ。R&B、カントリー、もちろん
ジミへンとかあの辺もやりましたね。だから、そこではすごくいい勉強にな
りましたよ。
Q キャノンボールからスタジオ・ワークへ移行したきっかけは?
A 野口さんのローディをやっていた時に、もう業界の中にいましたから。
その時に、コーディネーターや、メーカーのディレクターに知リ合いが自然
とできたんです。その時に譜面が読めたほうがいいっていうアドバイスを
もらって、とにかく必死になって譜面を勉強しました。なので、キャノンボー
ルの時にはもう譜面が読めたんですよ。それで「譜面も読めるんならスタ
ジオやらないか」って声かけてもらって。
Q 自然とバンドからスタジオ · ワークへ移行したと。
A そうです。でも、当時のスタジオ · ミュージシャンって、自分たちがやりた
いこととは違うというか、みんなあまりやりたがっていなかったんですよ。
でも行くとお金がもらえて、好きなアンプやエフェクターを買ったりできる
んで(笑)。半分嫌だけど、半分好きなことにお金をつぎ込めるからって
スタートした感じです。
Q 一番初めのスタジオ · ワークは覚えていますか?
A どこのメーカーか覚えてないんですけど、着物のメーカーのコマー
シャルだった記憶がありますね。なんで自分が呼ばれるのかわからな
いけど,「とにかく音を歪ませて下さい」って言われてね。「着物なのに
なんだろうな」って思いながらやったのが一番初めての仕事でした。
なんだかよくわかんないですけど(笑)。
Q その当時使ってぃたギターやアンプは何ですか?
A ストラトと、ビンテージじゃなかったけどレス · ポールを使っていました。
アンプはツイン · リバーブでしたね。ツイン · リバーブはツマミ全開でも音
が小さかったので、本当はマーシャルが欲しかったんですけど、当時は
高くてね(笑)。当時で45万円くらいしていましたから。とても手が出なくて、
仕方がないからツイン・リバーブに、エクステンションのスピーカー付けて、
ツマミはとにかくフルテンみたいな感じで弾いていました。レス・ポールを
使うことが多くなるんですが、音色うんぬんよりも、ストラトだとシングル
コイルなのでどうしてもパワーがないじゃないですか。ハムバッキング
のほうが音が大きいからみたいな理由でギターを選んでました。
(続く)
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