追悼 矢島賢さん ロングインタビュー1
Guitar magazine 2013年11月
矢島 賢さんロングインタビュー 1
インタビュー・文・コラム ガモウユウイチ 撮影 植田山月
1970年代や80年代の邦楽を聰いてきた世代なら無意識のうちに
彼の演奏を耳にしてぃることだろう。
山口百恵、沢田研二,井上陽水,吉田拓郎,オフコース,アリス,
南沙織,野口五郎,西城秀樹,郷ひろみ,桜田淳子,天地真理,
太田裕美,長渕剛,チャゲ&飛鳥,松田聖子,河合奈保子,
近藤真彦,中森明菜,チエッカーズなど,時代を代表するアーティスト
のレコードで印象的なギターを弾いていたのが矢島賢だった。
1970年代や1980年代といえば,歌謡曲やニュー・ミュージックの黄金期。
いわば、日本のポピュラー・ミュージックの全盛期の屋台骨を第一線
で支え続けてきたギタリストでありながら、裏方であるためその実態
はあまり知られていない。今改めて、彼のプレイやサウンド · メイキング
に注目して当時の歌謡曲やニューミュージックを聰き直してみれば、
海外の音楽にも負けないほどのスキルとオリジナリティを持っていた
ことを実感できるだろう。
【スタジオ · ミージシャンってみんなあまりやりたがっていなかったんですよ。】
Q もともとの音楽的ルーツを教えて下さい。
A 生まれは1950年,群馬県前橋市です。ちょっと変わっていたかもしれ
ないけど、祖父が琵琶法師だったんですよ。
Q 弾いてぃるのを見ました?
A もちろん。ちっちゃい頃は怖いなと思いなと思いました。
自分の音楽のスタートは中学三年くらいにベンチャーズの
ノーキー・エドワーズに関心を持ったのが初めです。それですぐさま、
テスコのギターとグヤトーンのアンプとエフェクターを買ってね。
Q 当時はどんなエフェクターがあったんですか?
A ハニーっていうメーカーのファズとか、モズライ卜が出していた
ファズライトっていうファズがありました。他には、新栄電機のユニヴァイブ
や、ハニ一のハニービーっていうビブラート ·・エフェクターとファズと
トレモロが一緒になっている、小さなラック式のマルチ・エフェクター
のようなものがあって、それを使っていました。
Q 当時はどんな活動をされていたんですか?
A ダンスパーティというか、クリスマスの時にパーティをやったり、当時
エレキ合戦みたいなコンテストがあって、片っ端から出場してコンテスト
荒らしをしてみたりとか(笑)。
Q その後、キャノンボールでデビューされますが、どういった経緯で?
A 高校を卒業して、とりあえず前橋にはいたくないっていう思いがあって。
たまたまツテをたどっていったらカントリーのギタリストである野口武義氏
に出会って、彼のもとを訪ねて。うちのおふくろが、「一年間だったら
面倒見てあげる」っていう約束してくれて東京に出てきたんです。
そこから板橋の四量半のアパートに住んで。自分にとってはー年って
いうリミットがありましたからね、もう必死でしたよ。それで、野口氏
のもとでー年問ローディをやっていたんです。そこでいろいろなことを
教えてもらったりしてー年くらいたった時に、バンドを組まないかって
いう話があって。在日米軍の横田基地や立川のクラブで演奏する
バンドが必要なんだけど、やらないかってのがあって始めたのが
キャノンボールだったんです。
(続く)
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