たくろうのともだち / よしだ・たくろうの世界
■僕とフォーク・ソングちゃん
フォーク ソングなんて、今さら僕には、どうでもいい。 僕の歌っているのは『僕の歌』でしかなく、それは、フォークなどと 言う、何やら、まやかしがったものでもないような気がするし.....。
そも、フォークシンガーとは、何ぞ? などと聞かれる毎に「僕はフォークシンガーではないでしょうネ」とか答えるみ。「では、お主の職業は?」「ハイ、プロの歌手ではないでしょうか。」ここにつきるのである。どうしようもないよな。そして、まあエエではないの! プロとか歌手とか、色々、あってもヨカンベー!! と、こうなってしまう。
であるからして、この際、その種の話は、やめにしたいのである。 さて、この、まやかし(どうも、あまりいい言葉ではないが)がかったフォークソングとか言うものを、僕が初めて、耳にしたのは、高校2年の時、一級下の女の子に失恋した頃の事だ。友人の貸してくれたテーブに、とにかく、変な声? たいした事無いギター? これでいいのかネと思いたくなる様なハーモニカ? (その頃、僕はホントニ、そう思った)のボブ・ディラン殿の『風に吹かれて』が入っていて……。ウン、あれが最初だと思う。まあ、ひとつもいいとは思わなかったけど、その友人語るところによるボブ・ディラン ストーリーには、正直言って、あこがれた。そのうち、どこからか、ハリガネを見つけて来て、写真を見ながら、あのハーモニカホルダーを、必死になって作ったものだ。(当時は、まだ市販されていなかった) 『風に吹かれて』を練習したなー。 ギターも、歌い方まで、ディランの 真似をしたっけ。そう言えば、やみつきになるにしたがって、何とかディランみたいに生きたいと言う気持がエスカレートして、大学1年になって、家出まで真似してしまった。2週間で、帰ったけど。 大学2年になって、2度目の家出 (これは、親を説得して、合法的 ? なものであったが)約半年、千葉の検見川という所にある、広徳院とか申す、お寺にイソウロウ。
とにかく広い墓地のソージなどしながら、 「ウーン、せつないのー」などと、タメ息をついていたものだった。この頃から、エレキギターに魅せられて、栄養失調気味で広島へ帰ると、すぐ、グループを作った。 思い切って、R&B風と言うか、それ臭い音を出すグループにしよう!!と、キンクス、ローリングストー ンズ、スペンサー・デイビス・グルー プetc. などのレパートリーに取り組んだ。まだソウルブームなど日本では、考えられもしなかったが、除々に、R&Bというものが広まりつつあった事は確かだ。『ハングオンス リーピー』で、ライトミュージックコンテスト中国五県1位になり、翌年、ホールドオンで再び1位、グランブリでは惜しくも入賞を逸したが、これは審査員の感覚の問題で、『あれは、まさしく、我々が優勝していたのだ !』と今でも、あの頃のグループのリーダーはボヤイている。その時、1位になったのが、例のマックスで、彼等とは、その後、一緒にレコーディングしたりステージ活動をやったりする事になるのだが……。 エレキを弾きながらも、やっぱり、ディランのレコードだけは、忘れ難く、時ある毎に、フォークのステー ジへも立っていた。フォークのコンテストでも全国大会で3位に入賞したり、(やっぱり僕は才能があったのであろう???)、まあ、賞金稼ぎとしては、割と優秀な方だった。 そんなワケで、僕は、アマチュアの時代(今をプロとして)色々な音楽をやっていた事になり、別にフォークと呼ばれるものばかり、やっていたワケでもないし、『ブラ・フォー』 などは、むしろ、好きでない方に属していたのだから、今さら、 『フォ ークとはネー』とか『フォークシンガーちゅうもんは』など、言えたぎではないのである。 そうなんだ、あの高2の時、作った曲から今日まで、それは、『僕の歌』であり、また、 『僕の歌』でしかないのである。スクナクトモ 『フォークシンガー様』にはなりたくないな。今のところ。
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■僕とギターちゃん(略)
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■僕と浅沼ちゃん
ライトミュージックのコンテストが毎年あるが、広島へよく審査員として来る男がいた。見るからに、やさしい顔つきで、 (顔だけ見ると今でも、とても30代には見えないネ) 笑うと、すごく可愛いい男だった。 こいつが、とんだ毒舌で、僕のグル ーブと言えば広島はおろか中国、四国、北九州、あたりにも、名の届く、名実共に、最高のバンドで、どのパーティーにも、 G・G・クラブ、あるいは岩国の米軍キャンプetc.から引っぱりだこだ。 その、僕等に対して、ボロクソに言った男が、浅沼勇、現エレックレ コード専務他雑用である。しかも, 広島では、アマチュアグループの教祖的存在にある我々を、ステージでコケにした罪は重い。 僕は、ものすごーーーく頭に来た。 『何でー、あの野郎、R&Bをワカッテネーんだな』とフテクサレなが ら帰ったものである。ちょうど、しかも、そのステージと言うのが、我々のグループの全国グランプリ出場壮行会だから、たまらない。それに、おまけつきで、2位になったグループを、ベタほめだ。 まったく、ケシカラン奴なんだ。 その男と、奇しくも、今度はフォーク (あの時はロック) とやらの世界で逢おうとは、思ってもみなかったし、思いたくもなかった。 しかし、やっぱり、なるようになっていたのかも知れないな、運命と いうやつでサ。 今度は逆だった『浅沼の言ってるフォークだ何だは、終ったよ』と、僕の方が、態度もでかく出たもんな今回は。
浅沼サンという人は、とてもじゃないが、はかり知れない男だ。それが、何故か、僕には、時々、すごく頼りになる人であったり逆に、全々、バカにしてみたくなる様な人であったりスル。 結構コワイ男と、もっぱらのウワサだけど、僕は全々コワクない。 なぜなら、彼は現在、精神的に年令が逆行しているかの如く見えるからである。とても可愛いいのだな。 パンタロンを気にしたりetc、クラシックや、チェット奏法などでは、一 級品のくせに、たくろう流のギターにかかると、手も足も出ない(言いすぎではないのだ)そんな、この頃なんだからネ。『ウッドストック』 を8回、『プレスリーオンステージ」 を10回以上、見に行った男、浅沼勇とは、あの広島以来、そして誰かの歌じゃないが、「明日からもこうして……」長いつき合いになりそうで ある。お互いに、ケナシ合いながらも。早く、子供作れよ!!余談だが、彼の妻(奥さんと呼ぶには、子供っぼく、ムジャキな女性なので)は、僕と同じ年らしく、実にチャーミングな、可愛いい女である。一度、酔っ払って(ムロン僕が)『オイ!浅 沼!今度、お前の女房貸せ!』と言 ったそうだが、どうも、デッチ上げ の臭いがするぜ。
(新譜ジャーナル別冊よしだ・たくろうの世界)
カテゴリー「吉田拓郎」より分離独立
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