よしだたくろうの母 吉田朝子さんその⑤ ・週刊平凡毒蝮三太夫シリーズおふくろ第34回
■「おふくろはフォークの後援会長」
父のもとで、たくろうは鹿児島の小学校に入学。このときの同級生に、西郷輝彦がいる。そして小学校3年のとき、たくろうは、姉(このとき高校生)とともに、広島の母のもとへ移った。 父だけを鹿児島に残してーーー。
◇
毒蝮 たくろう君は、学校の成績はどうだったんですか?
おふくろ よかったですね。小学校も中学も高校もそれこそトップの組でした。ただ病弱でね、ある年なんかは、1年のうち、 90日しか学校へ行けない年もありました。それが高校のころは、 応援団でならしたほど、じょうぶな子になりましたけどね。
毒蝮 お母さんは、この子にはこういうことをやらせたい、という夢はあったんですか?
おふくろ いや、音楽までは考えなかったですねえ。
毒蝮 いまの道を選ぶきっかけは、お母さんがあたえてやったんだそうですね?
おふくろ ウクレレを買ってやったんです。体が弱いから。いつも寝床にばかりいますからね。なんかこう、すわってて楽しめることをと思って、本を買ってやったり、カメラを買ってやったり、鉱石ラジオを買ってやったり・・・・。ラジオは、耳にあてがって、いつも音楽ばかり聞いてました。 ウクレレは中学2年くらいでしたかねえ、それがものたりなくて、1000円のギターを買ったんです。それがきっかけなんです。
毒蝮 そしてフォークのグルー プをつくって・・・・。
おふくろ うちがたまり場なんです。演奏会やればソンばかりしますしね。ソンするたびに私が尻ぬぐいして・・・・。楽器の月賦も、しまいにはグループで払えなくなって、とうとう6~7万円払ってやったり・・・・。
毒蝮 すると、お母さんは、たくろう君の生みの母であり、音楽の母でもあるわけだ。
おふくろ ずいぶん助けました。「おふくろはフォークのマネージャーだ、後援会長だ」なん ていいますよ。(笑)
<おふくろさんは、たくろう君がたくさんお金を稼ぐようになっても、なお手紙の中に、そっと1万円札をしのばせて送ってやったそうだ。たくろう君に 「バカだなあ」といわれながら。 どこまでも子供になにかしてやりたいという、これが親の気持ちだろう。ただこのおふくろさんは、子供にだけではない、夫にもまた同じ気持ちをいだきつづけた女性だ>
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