よしだたくろうの母 吉田朝子さん・その① ・週刊平凡1972.8.31毒蝮三太夫シリーズおふくろ第34回
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よしだたくろう( 26歳、本名・吉田拓郎) ---『結婚しようよ』 『旅の宿』 などのヒットで、いまや若者のあいだで、たいへんな人気者"ニュー・フォークの旗手"と目されている。
2か月まえの6月26日、軽井沢の聖パウロ教会で四角佳子 ( 20歳、元《六文銭》のメンバー) と結婚、身内とフォークの仲間だけに囲まれた結婚式は、出席した母親・朝子さん(65歳)をいたく感激させた。
「教会を出ましてから、教会の備えつけの馬車が新婚夫婦を乗せてね、ホテルまで送ってくれるんです。白いお馬でね。 ところが、ふたりは乗れないんですよ、人が多くて。カバンだけ持った学生さんとか、200 ~ 300人が教会の庭につめかけてましたでしよう。それでもう、あぶないからというので、フォークの仲間のかたが、肩車に乗せてつれて行きました。 もう、泣いてましたです、ふたりとも、オン オン・・・。ほんとにうれしかったですねえ。フォークの仲間ってほんとにいい人ばかりですねえ・・・」
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毒蝮 お父さんが生きていらっしゃれば、喜んだでしょうね。
おふくろ 主人は、ことしの1月に亡くなりましたからねえ。
毒蝮 え!?ほんとですが。残念だったでしょう。ひと目見せてやりたかったですねえ。
おふくろ ほんとにそうでした。鹿児島のほうにひとりで暮らしておりまして、県から委託を受けて郷土史の編纂をしておりました。図書館の一室を仕事場にしましてね。脳溢血で、その部屋でペンを握ったまま死んでいきました。
毒蝮 はあ....あと半年、元気でいてくれたらねえ。
おふくろ 仕事もだいたい先が見えてきたので、3月にはこっちへ帰るつもりだったんです。 これまで完成させた著作をぜんぶ送ってまいりましてね、これは家の宝だから、本箱に入れて飾っておきなさいと・・・。帰ってきたら、そこの4畳半を書斎にしてあげよう、日当たりもいいしなんて、楽しみにしてましたのに、ポックリと・・・。
毒蝮 たくろう君も悲しんだでしょう。
おふくろ お葬式のときもね、あれが、いちばん泣きました。 泣いて泣いて、ワンワン・・・・1時間くらい、泣いてました。
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machi blogより
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