検見川廣徳院
検見川廣徳院
拓郎が下り立った京成電鉄千葉線「検見川」駅。駅員一人。
【山本コウタロー著・誰も知らなかったよしだ拓郎より抜粋】
1966年、コロムビア・フォーク・コンテスト決勝「土地に柵する馬鹿がいる」で3位。しかし広島のフォークは低調、そこへ失恋も加わり1965年に次ぐ2度目の上京を決意。
バチェラーズメンバーであり親友藤井のいる千葉は市川の下宿でしばらく世話になった後、検見川廣徳院へ。ここはバチェラーズ時代、広島カワイショップの責任者だった桶谷康二氏の実家である。(バチェラーズ時代、広島カワイショップの責任者だった)
廣徳院での居候生活は約半年。昼頃起きて食事、午後東京へ出かけたり検見川近辺をブラブラ。夕食後、本堂で歌を作るのが日課で、作ったオリジナル曲は30曲近く。
多重録音されたテープをコロムビアのディレクター松井氏の元へ持参したりして音楽界への糸口を掴もうとしていた。長距離トラックの助手、ラーメン屋の出前持ちなどのバイトをしながら曲作りを続けた。
新宿フォーク喫茶「フォーク・ビレッジ」出演をきっかけに東京のバンドに失望、同時に身体の衰弱、さらには広島にいる睦月に「帰れば新バンドの活動ができる」との手紙をもらったこともあり、約半年にわたる廣徳院の生活を終えた。
自ら多重録音したテープをたくさん持って広島へ。帰ると同時にダウンタウンズが結成された。
駅のすぐ裏が広徳院である。どんな方向音痴も迷わずたどり着く。
テレビ「情熱大陸」画像と比較しながら
拓郎の居た部屋
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