« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »

2008年12月

2008/12/31

検見川廣徳院

検見川廣徳院

拓郎が下り立った京成電鉄千葉線「検見川」駅。駅員一人。

【山本コウタロー著・誰も知らなかったよしだ拓郎より抜粋】
1966年、コロムビア・フォーク・コンテスト決勝「土地に柵する馬鹿がいる」で3位。しかし広島のフォークは低調、そこへ失恋も加わり1965年に次ぐ2度目の上京を決意。
バチェラーズメンバーであり親友藤井のいる千葉は市川の下宿でしばらく世話になった後、検見川廣徳院へ。ここはバチェラーズ時代、広島カワイショップの責任者だった桶谷康二氏の実家である。(バチェラーズ時代、広島カワイショップの責任者だった)
廣徳院での居候生活は約半年。昼頃起きて食事、午後東京へ出かけたり検見川近辺をブラブラ。夕食後、本堂で歌を作るのが日課で、作ったオリジナル曲は30曲近く。

K1

K2

K3

多重録音されたテープをコロムビアのディレクター松井氏の元へ持参したりして音楽界への糸口を掴もうとしていた。長距離トラックの助手、ラーメン屋の出前持ちなどのバイトをしながら曲作りを続けた。
新宿フォーク喫茶「フォーク・ビレッジ」出演をきっかけに東京のバンドに失望、同時に身体の衰弱、さらには広島にいる睦月に「帰れば新バンドの活動ができる」との手紙をもらったこともあり、約半年にわたる廣徳院の生活を終えた。
自ら多重録音したテープをたくさん持って広島へ。帰ると同時にダウンタウンズが結成された。

駅のすぐ裏が広徳院である。どんな方向音痴も迷わずたどり着く。

K4

テレビ「情熱大陸」画像と比較しながら

K5

K6

拓郎の居た部屋

K7

K8

K9

K10

K11

K12

K13

K14

K15

K17

K18

K19

K20

K21

machiブログより移動

|

2008/12/30

difficult to cure

来年は拓郎ライヴで歓喜に浸りたいですね。

|

2008/12/26

たまたま

渋谷でたまたま甲斐バンド武道館ライヴの画像と遭遇。

10月25国際フォーラムに続き2月7日武道館ファイナル参戦。

Kai_3

クリスマスの約束を見た。

Oda_2

|

2008/12/24

諸人こぞりて

01_2

02_2

Xmas

             楽しいクリスマスを!

|

2008/12/22

今度はいったい何回目の引っ越しになるんだろう

「今度はいったい何回目の引っ越しになるんだろう」歌詞に出てくる場所を訪ねようと思いつき、仕事の合い間に写真を撮りに行ってましたがクリスマスイルミネーション画像がありますので、のんびりしてられません。

いつものことながら見切り発車です。(情熱大陸&HIKE OUT 目黒川桜画像以外は自ら撮影)- 12/23追記 -

Kondo_2

熱すぎる季節が 魚藍坂をかけ抜けた

02 01

ジーンズをはきかえて 俺は高円寺へ

09

高輪あたり(泉岳寺で)

Ty3_2 Ty1_3 Ty2

03  02_6

上智の友よ(また逢う時)

02_2 01_2 03_3

赤い夕陽に(ほほをそめて)

肩組みあおう(肩組みあおう)

あわい想い抱いて 

中央線が走る

妙法寺に恋が散り 

妙法寺は大きく立派な寺。 すぐ近くに堀ノ内のマンションが。

Ty2 03_5   10

   ↑情熱大陸より

02 06_2

俺は恵比寿へと

07_3 00 

0001 000

青梅街道(環七から)

左に曲がる(堀ノ内で

堀ノ内マンションは壁を塗り替えて丁寧に使われているという印象。

階段手すりの色が変わっていました。

 07 09 10_4

02_2 11 12 Ty3_3

 07_2 08_2 Ty2_2

落とした夢に(気づいたなら)

微笑みあおう(微笑みあおう)

幸福のピエロは 槍ケ先の交差点で

01_3 02_3

行く先とまどうから 俺は目黒を目指す

04 01 02_3

05  

竹田企画は山手通り沿いのにぎやかな場所に。1区画裏手には目黒川。

 02_4 Hike_2

                    ↑HIKE OUT 2007/04/03画像(目黒川)

代官山を(ながめながら)

01_4

青山抜ける(緑のジャガー)

00  03_2

ざわめく心(とぎれた夜)

ワインあけよう(ワインあけよう)

青空が踊るよ 柿の木坂の午後 

08_2

明日愛に気づいて 俺は碑文谷へ

01_7 08

04_3 07_5  ソックス買ってみたりして ^^;       

自由通りを(公園沿い)

そよぐ風たち(都立大へ)

01_8

心豊かに(心のまま)

流れて行け(流れて行け)

もう一人の誰かが サレジオで泣いてる

01_4 02_4 03_4

雨がやまぬままに 俺は横浜へ

目黒通りを(バスは泳ぐ)

01_9 

マンションを越え(川をよぎり)

木枯らしが見えた(碑文谷前)

03_4

君はいずこに(君はいずこに)

やり直しは新しい たまプラーザから始まる

02_5 03_5

田園線を見送り 俺は東京へ

01_5

高速は東名(川崎から)

渋谷までわずか(ラッシュを避け)

01_12  02_8 03_6

白い壁沿いに(まどろむ影)

永遠はあるか(永遠は見えずに)

終りの旅に また 始まりにしたくて

湘南あたりまで 俺は旅に出る

僕は誰でしょう(WO~)

ここはどこでしょう (WO~)

僕は誰でしょう(WO~)

ここはどこでしょう (WO~)

|

2008/12/20

CMに見るDJとフォーク歌手総点検・拓郎編・72.7深夜放送ファン

1104cdv

クリープを入れないコーヒーなんて・・・じゃないけれど、CMのない放送なんて、なんとも、おもしろ味のないもんだね。妙に固い感じがしたりしてさ。でも、ほんの少し前までCMは番組の付録、日隠者扱いされていたんだ。ところが、最近ではスポンサー側の考え方も変ってきた。番組制作と同様に力を入れ、出演メンバーも、今一番の売れっ子タレントを起用する例が増えてきたんだ。
さて、そこで僕らのDJやフォーク・シンガーはどんなに活躍しているのか、謁べてみよう。
一曲八五万円の拓郎ちゃん?
フォーク界の旗手、拓郎ちゃんは、またCMソングでも抜群の才能を発揮している。拓郎ちゃんが本格的にCMに取り組んだのが昨年の夏。ナショナル・テクニックスの「僕の旅は小さな叫び」がそれ。作曲は「生きがい」等を作った渋谷毅氏。作詞が「青い三角定規」でおなじみの山川啓介氏。ジャズ・ピアニスト渋谷氏とフォークのシンガー&ソング・ライターの拓郎ちゃんの出合い。CMならではのことだ。ここでは拓郎ちゃん歌うばかりでなく、自からアドリブも入れているんだ。三小節目の、「このヘヤは・・・ぼくのうみへ」がアドリブの部分。
拓郎自身が持っている雰囲気をのびのびださせようと思って、アドリブを入れました」と制作者側は説明しているけど、それが好評を博してビッタリ決っている感じ。やはり、拓郎ちゃんというのは、フォークだけじゃなく、音楽の世界全般に卓越した才能を持っているんだね。自分の考えていること、思っていることを、素直に音に表わせる数少い音楽家といえるかも知れないよ。もっとも、拓郎ちゃん自身にいわせると、「あのアドリブは、その揚で、デッチ上げたんだよ。別にどうということはないね。コマソンって結構おもしろいと思った程度かなあ」とおっとりしている。
ところで、今流行っている「結婚しようよ」という曲は今までの拓郎節と一寸違う感じだね。例えば「どうしてこんなに悲しいんだろう」とか、「夏休み」なんかと較べてみれば、よくわかると思うけど、大変明るい曲になっている。そこに注目したのが、富士フィルム。パパママ路線からヤング路線へと宣伝方針を変え、拓郎ちゃんに作詞・作曲を依頼、でき上ったものが「Have a nice day」のフジカラーだ。


1104abc

この辺のいきさつを、もう少し詳しく見よう。まず制作の初めの頃は三人の候補者がいた。村井邦彦氏と森田公一氏、それに拓郎ちゃん。本命はむしろ、拓郎ちゃんを除く二人だった。ところが、スポンサー側の強い要望と、オーディションの結果で、拓郎ちゃんが本命になった訳。いざ、オン・エアーしてみるとたちまち人気上昇。CM以上の効果を発揮している。CM以上というのは、「フジカラーの歌」じゃなく「Have a nice dayの歌」という風に広まっているからだ。「俺なんか、テープにバッチリョ」なんていうヤングはざらにいるし、「レコードにして!」という悲鳴に近い要望がスポンサーに殺到しているんだって。拓郎ちゃんのコンサートでも所望があるから、完全に拓郎ちゃんの歌になった感じだね。さて、このフィルムだけど、画面を見ながら作曲したんじゃないかと思える程、絵と音が一致している。しかし、実際は逆。撮影と作曲は全くバラバラに行われていた。撮影はグァム島で行われたし、拓郎ちゃんは東京で作曲していたという。
「あの曲は一時間もかからなかった。猫の連中とワイワイいってるうちにできちゃった。スポンサーの意向なんか気にしなかったのが、ワリと受けたみたい」とは拓郎ちゃんの弁。スポンサーが聞いたら、胆を冷さんばかりの言葉だけど、一時間もかからずに作ったのには恐れいるね。
ちなみに、このCMの作詞作曲料は一説によると、85万円とか。
君も作曲してみる?

 

1104bbb

 

 

 

|

« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »