サマルカンド・ブルーTAKURO - A magazine filled with essence of sexy guy - September 1986【 拓郎インタビュー ① 】
TAKURO - A magazine filled with essence of sexy guy - September 1986 【 拓郎インタビュー① 】
Alright,if you feel that way we will go for that.
アルバム サマルカンド・フルーについて
聞き手 : 立川 直樹
─ 今度は詩は全く自分では書かなかったの? ─
T: うん、詩は書いてないわ、アレンジには参加してないわ、全部お任せだからね。結局、去年つま恋をやって、終わったという言い方は変だけど、基本的に大体、ひとつ抜けたって気分だから、もうこだわらない! 言葉とか、歌い回しとか、それまでは自分の持ち味といか、いろんなものにこだわっていたし、ステイタスっていうの…、でも音楽なんて好き嫌いだからね。 嫌いな奴がいっぱいになってくれば、それはなくなるんだろうし。今度はKATOの話にのって…、去年だったかな。
─ TONOVANは一昨年ぐらいにもう、僕に“TAKUROに興味があるんだ”って言ってたけどね ─
T: 昨年一緒に飲んでて盛り上がって、やろうって決めたんだ。決めた以上は、もう任せる。 どう転ぶのかはわからないけどね。まあ、今こうしてヴォーカルを入れたりしても、大していいとは思わないんだよ。でもそれは好き嫌いだから、彼らはいいと思ってるんだし、そういういき方もあるんだろうってところかなあ。
─ でも人に任せるといっても、まあメロディーに関しては前のアルバムでも、TONOVANの曲を歌ってるけど、詩となると、いろいろとノリの問題とかであったんじゃない?
T: それは確かにある。
─ そこの部分がとても興味あるんだ ─
T: 俺は自分で言葉を作ってきた人間だろう。だからZUZUももそこのところはすごいプレッシヤーで、もう顔面神経痛になっちゃったくらいなんだ。とにかくZUZUから見れば、俺も詩人なわけ。作詞家だっていうわけよ。"そんな詩は私には書けない。でもTAKUROが歌えるようなものにはもっていきたい"と。まあ音にしても歌い方にしても言葉にしても、こうなのなって気分はあるよ。ただマニアックに俺のことを好きだって奴にやってるつもりじゃないかね。
─ 変な話だけど、デビューの仕方とか、ある種の人間的豪放さとかで、ボブ・ディランと比較されたりしてきたよね。そういう意味は、ボブ・ディランが少し甘めの路線にいったことがあったじゃない ─
T: 「セルフ・ポートレート」か。
─ そう、そう。そしてああいうような意味合いって今回あるのかな? ─
T: 全然ない! あれはまあ、ディランの挑戦だったでしょ。今回は俺、挑戦なんて何もしてないもの。何か自然の流れで"いいんじゃないの。やってみようか"というとで始まったんだよ。
─ ZUZUと詩についていろいろと話をしたの? ─
T: うん、こんな言葉は歌えないとか、こんなことは歌えないとかは言ったよ。それでも……、横文字が多いからね、あの人は。「サマルカンド・ブルー」なんて俺はどこだか知らし……、ネフェル何とかっていったって、わかんないことがいっぱいあるからさ。
─ 音はどうだったの? ─
T: リズムセクションを録ってる時は大不満! ウィリー・ウィークスだろうが何だろうがよくわかんなかったんだけど、ヴォーカルを入れたらよく聴こえるんだね。それが不思議だった。結局インストルメンタルのバックをやってない。ヴォーカルのバックをやってるってことなんだ。歌を入れたらリズムがメチャクチャよく聴こえるんだよ。
─ アンディ・ニューマークなんて典型的なドラマーだよね? ─
T: そう。歌と一緒に聴いちゃうと中々のリズムしてるんだ。驚いたな。それは新発見だね。今まではリズムの段階で気持ち悪いとイヤだったからね。流石だったよ。
─ 今まではTAKUROが全部自分でやってたんだよね。ブッカー・Tとやったのが一枚あったけど……。外に頼んだプロテューサーというのはTONOVANが2人目なわけだけど、ブッカー・Tの時もいい意味で任せるなら任せるみたいに…… ─
T: いや、あの時は口出したよ。今度だけは何も言わなかったな。歌い方だってもう、俺はこういう歌い方しないんだけどっていうのもやったもの。"まあいいや。そう思ってるんならそれでいこう"って。彼らも気持ち良く聴こえるらしいからさ。それなら彼らに任せてみようと……。
Well,I am honor student that is for sure.
─ TAKUROをそこまでさせたものって何なんだろう?ただTONOVANがいっしょにやろうと言ったからだけじゃなかったわけでしょ? ─
T: つまり俺の中では余り興味がないからなのよ。そんなにオオゴトじゃないんだよね。
─ なるほどね ─
T: KATOはオオゴトだよ。彼はもう、燃えまくってるからね。"俺はもう燃え尽きた"って。"当分、他の仕事はできない"なんて言ってたくらいにさ。
─ 確かにそうだね。"2カ月、何も他のことしてない"って昨日言ってた。"少し休みたい"って。でもTONOVANて本当に前から、会うたびに僕にTAKUROのことを話してたよ。きっと自分にないものを見出してるんだろうね ─
T: そりゃそうだよ。
─ あのセンスの良さで、サウンドとかコンセプトを彼が組み立てていった時、いざTAKUROが歌う段になると、歌う獣みたいになっちゃうんだものね ─
T: アハハ、そいつはおかしい。
─ 生き方にしても違うしね ─
T: それはもう、2人の暗黙の了解なんだけど、俺は肉食であいつは草食と、その辺でお互いに割り切ってるんだよ。
─ TONOVANて野菜、嫌いなんだけどね ─
T: そう、あいつは凄く肉を食うんだ。大飯食らいだからな。
─ でもTONOVANとは知り合って、もう随分長いでしょう? ─
T: 一番最初にあいつが来てくれたのは「結婚しようよ」の時、あいつがアレンジしてくれて、その時に松任谷とか後藤とか小原礼とかを連れてきたんだよ。皆んなアマチュアだった……。
─ その後に後藤クンたちと新六文銭て作ったんだよね ─
T: そう、ほんの少しの間ね。
─ 基本的にグループを組むのは体質に合わないのかな? ─
T: そんなことないよ。バンドやってたし、人のバックでギター弾くの好きだよ。だからデモテープに凝っちゃうもの。ほとんどアレンジの段階
で却下されるけどね。瀬尾だけよ、真面目に俺のデモ通りにやってくれるのは。
─ 瀬尾サンも長かったんだよね? ─
T: 長い!
─ そう考えると瀬尾サンもTONOVANも植物的だけど、大体回りはそのタイプになるの? ─
T: うん、タイプとしてはな。でも瀬尾は私生活も知ってるし、割と俺に近しい部分もあるんだけどな。KATOとは違うな。(ソフト・シェル・クラブを口にして)これはうまい!
─ おいしいね ─
T: こればかりはZUZUも感動したもんな。おかわりしたぐらいだもの。(EAT+DRINK)1
─ 今度のは何枚目になるの? ─
T: 知らーん。数えたこともないし……、フォーライフだけだって10枚以上はあるし、ソニーにだって、その前だってだからな。
─ 25枚くらい…… ─
T: そんなもんじゃないかなあ。2枚組とかけっこうあるし。
─ 自分で曲を書く時ってけっこう早いの? ─
T: 早いね。ホテルに入ってパアーっと書く方だからね。とにかく書きだめっていうのはやったことがないんだよ。スタッフの方から5月頃にLPを出したいってなれば"わかった。じゃ、やろう"ってことになって、詩を書いて、曲を作って……、そういう意味じゃ俺は優等生だよ。
─ 書こうと思うとできちゃうという…… ─
T: そう、そう、そう。
─ セルジュ・ゲーンズブールなんて"曲を作るのは宿題みたいなもの。明日までに2曲作れっていったら書けちゃう"と言ってて、一番早いレコードはミックスダウンも含めて6日でできたのもあるんだけど、基本的にはそのノリに近いのかな? ─
T: どうだろうねえ。まあ優等生であることは間違いない。
─ どんどん詩とかメロディーって出てくるの? ─
T: いやあ、絞り出してるよ、当人としては……。言葉の場合はやっぱり絞り出すよ。『現代詩手帖』なんか読んでさ。
There is nothing I can do is an answer to this.
─ やっぱり物を作るっていうのは、初期のうちは蓄積してきたものがあるから、作り始めてもどんどんアイデアって出てくるじゃない。それがある時期から、段々、充電の必要性が出てくるよね。何を見ても詩になったり、メロディーが浮かんだりすると思うんだけど……。─
T: 最初のうちは稚拙な詩でもいいと思ってるわけよ。それが段々大きくなっていくと、チョイスしなくちゃならなくなってくる。昔なんか、これでいいんだという感じでバンバンやってたもの。随分言われたよね。詩が稚拙だって……。今でも稚拙だけどさ。ただ、この頃は書こうと思わないと書けない。それがつらいよ。
─ いつぐらいから、そうやってストックしてあったものがなくなったというか…… ─
T: 一番顕著なのはフォーライフの社長をやった頃だね。あの頃にすべて消えた……、失くなった。
─ 社長は何年ぐらいやってたの? ─
T: 6年ぐらい……、だった。
─ よくアーティスティックなものとビジネス的なものって両立しないと言われるんだけど、やっぱりそうだった? ─
T: 日本ではダメだろうね。基本的にあの、芸能界の環境とか、いろんなことがあるしね。それを変えたかったんだけど、それだけの力もなかったな。とりあえずフォーライフを左前から右前にするしかないと……、もうほとんど仕事のノリ。
─ つらいものがあった ─
T: ………。
─ 去年で一区切りみたいのは、何か思うところがあって言ったの? ─
T: それは別にない。でも去年で大体終わると思ったよ。今、40だろう。あれは39でやったんだけど、相当な労働をやったなあっていうところがあった。まあ、今後、やめられんだろうけどね。
─ ボクシングやプロレスもそうだけど、本当に身体が動かなくなるまで続ける人たちっているじゃない。やっぱりやっちゃうとやめられない魔力のようなものってあるんだろうね。
T: 癖かなあ……、カーッと燃えてとかいうもんじゃないだろうね。他にすることないからっていうのが正解なんじゃない。 (EAT+DRINK)
─ でも、ひとつずつの料理が、きちんと日本のノリになってるね、ここのは ─
T: そうなんだよな。だから、ふと"あれっ、日本にいるんじゃないかな"なんて気になったりするんだよ。 (EAT+DRINK)
─ ステージは、もう、やりたくないんだ? ─
T: うん。事務所はどう思ってるかわからんけどね。
Do whatever you like and make whatever you like.
─ 今までに一番早くできたレコードってどのくらいでできたの? ─
T: ライヴが一番早い!(笑)特に「LIVE'73」なんて音を録って発売までに1カ月なかったもの。
─ 一番最初に自分で作ったレコードはどれくらいで……? ─
T: あれも早かったな。2チャンネルで、御苑スタジオっていう小さな所でね。俺が広島から東京に出てきてすぐの時だった。
─ 今だと機械が発達して24チャンネル、36チャンネル、となってきたよね。70年頃から見ると、2、4、8、16…といった具合いに倍々ゲームみたいな感じもするよね。そんな中で音楽が変わっちゃった人っているじゃない。機械に負けたっていうか……。 そういう意味でTAKUROって今回も変わってないね。TONOVANがプロデュースしてもTAKUROはTAKUROだっていう……。
T: 彼も何かあると思ってるんじゃないかな。変えられないや、それだけはと……。
─ 自分でプロデュースした時に、チャンネル数がどんどん増えていった時、どんな気がした? ─
T: マジに驚異だよ。"エーッ、もっと使えるの"なんて感じさ。うまく利用してとか、そんなんじゃなくて、入れたいものが入れられる……、とにかく俺、最近のPCMとかコンピュータとかいったってわからないんだよ。
─ 最近はレコードにしてもCDとか何とかになってきてるけど、基本的には、安いプレーヤーから流れてきても、いい音楽が一番だよね。─
T: そりゃ当然だよ。でも、そんなこと言っても始まらないらしいから"本当、そうなの"なんて言ってるだけ……。今回、歌を歌ってても、よくわからないところもあるな。一昨日「サマルカンド・ブルー」をやってた時なんだけど、歌の中にバリー・マクガイヤーからジョン・レノンまで、いろいろ出てくるんだ。 ま、俺は俺でしかないんだけど、KATOやZUZUたちは聴いてて"GREAT"とか何とか言ってる。だから俺は替え歌で"何が何やらわからないけど、OK
さえ出ればそれでいい。それだけでいい”とやったんだよ。全然わからないんだ。
─ ZUZUは鳥肌が立つくらいにいいって言ってたよ ─
T: そうか。 (DRINK+EAT)
─ よく聴き手に対して、アーティスト側が、今回はこうだみたいなことってあるじやない。今回は……、そのへんのところは……?─
T: スタッフがやることじゃないの?
─ 何もない……? ─
T: この前、TAMJINに言ったのと同じだよ。勝手に追っ掛けて勝手に作れって…。
─ 40歳になってどうのこうのというようなこともよく言われるだろうけど、特別な感慨みたいなものもないの? ─
T: ないな。でもお前って本職って何なんだ?
─ 何なんだろうね。興味があることはやってるから……。─
T: 雑多にか。
─ 雑多というか、昔から興味があることはちゃんとやりたいと…… ─
T: そうか。面白いね。
─ 野球みたいなものなんだけど、センターの守備位置についてたら、レフトに飛んだ球はレフトに取らせる。そんな風にポジションみたいなことも考えてね ─
T: 面白い!俺の回りにはいなかったタイプだ。書き屋でもね。
I am not here bet to on anything.
─ でも今回のTAKUROみたいに、軽いノリでレコードを出す人っていうのも減ったね。皆んな何かプレッシャーがあったり、考え過ぎたりしてて、そう考えるとTAKUROの"適当なのよ"という一言はとても面白いよ ─
T: あたってるけど言い過ぎたっていうのかなあ…。
─ 宣伝なんかの問題なんか含めてもね ─
T: ほっといてくれ!って感じなんだよな。しばらくほっといてくれっていう……。
─ 皆んな大人になると、いわゆるオッサンみたいになっちゃうよね。でも、今、こうやって飲んでると18、9のガキがたむろしてるのと変わらないノリで……、そう考えると、今の"ほっといてくれ"っていうのは、世の中の流れからほっといてくれってところもあるの? ─
T: 深刻に考えたことはないけど、やっぱり迎合できないというか、合わせられないんだろうな。無器用なんだよ。器用に立ち回っているような振りしてるけど、無器用なんだよ。KATOも無器用だもの。それでシャイで……、個人的なんだよ。
─ ちょうど33から42、3ぐらいまでの年齢の人間に多いね ─
T: 34ぐらいかもしれないな。
─ ちょうどその6、7年ぐらいの人間がそうなんだよ ─
T: 1ドル360円ていう世代だからなあ。
─ 何だかんだ言っても、音楽とか映画とか、アメリカの影響を受けていて、それでビートルズがあってさ ─
T: ビートルズにはショックを受けたなあ。
─ あれにショックを受けなかった奴って、ほとんどいないんじゃない ─
T: そうだねぇ。でも本当にいろんな雑多な奴がいるから、人間て面白いんだよな。たニューヨークは雑多にい過ぎて困っちゃうんだけどなあ。
─ ニューヨークは今回、2回目 ─
T: うん。ただ前は3泊5日だったからねえ。それでも相当参ったね。着いた日は時差で、次の日は24時間起こされてて、半日空いてて、次の日には帰ったんだから。
─ その時は何で……? ─
T: ラジオの取材。
─ ニューヨークは好きじゃない? ─
T: うーん、どうかなあ……、好きなんだろうね。ただ今回のテンションには合わないという……。前回は合ってたもの。
─ 今回のテンションはどういう感じなの? ─
T: もう、最初からニューヨークへ来たくないというのがあったわけよ。ウイリー・ウイークスとアンディを日本に呼んでやっちゃおうよというところもあったくらいでさ。俺が随分ごねて、こっちへ来るのも遅れたくらいなんだ。それでKATOともいろいろ話したら、KATOが"とりあえず任してよ"って言うわけよ。"ゴチョゴチョ言わないで任せてよ"って言うから"わかった。行くよ"っていうことになっちゃった。だから俺が不思議だったのは、非常にスタッフの方が燃えてるっていうか"賭けてるのかな、このLPに"みたいなことも思ったよ。
─ 俺は今日こうしてTAKUROと話すまでは、TAKUROも賭けてるのかと思った ─
T: アハハハハハ! KATOが賭けてるんだよ。(笑)賭けるとか賭けないとかいう
場所に、俺はいないもの。
─ 今後はどうなるの? わからない? ─
T: わからないよね。帰ったら1曲、バンドとレコーディングしてみようかなんてアイデアはあるけどさ。
─ それは今回、TONOVANとやってみて、悪い意味じやなくて反動のようなもので…─
T: 違うよ。ニューヨークに来る前からやってみようと思ってたことだし、そんなに深刻じゃないんだよ。とにかく俺の回りって、物事が深刻になり過ぎなんだよ。
─ それはしようがないんじゃないかな。70年に登場して以来"フォークのプリンス"なんだもの。たとえばディランがラジオで何か1曲好きだって言うと、それがもう、ディランの好きな歌として紹介されてしまうみたいなところがあるんだよ。別にディランに限らず、野球でいえば10年間連続でオールスターに出場している選手や、プロレスで言えば10年間メインエベンターであり続けてるレスラーのように、もうある種の存在になってしまっているんだよ。それはもう開き直るしかしようがない。いくらドサ回りやったって、猪木は猪木でしょう。─
T: そうだな。
─ そのへんが回りは大変なんだよね。どうフォローするか ─
T: わかってんだけどさ。これまではいろいろ回りのことも考えてたんだけど、もう、さっきも言ったように、勝手にやってくれって感じだよ。 ま、そうじゃなかったら自分でプロデュースするよ。本質的には、何でも自分でわかっていたい。そういう人間なんだからさ。
─ なるほどね ─
T: それで今あるのはどうしなくてもいいんじゃないかってことなんだ。でも回りはKATOに任せたこともあって、何か確実にやろうとしてるし、相変わらずうるさく付きまとってるなって感じなんだよ。
─ Part 1 終わり ─
| 固定リンク
« 暮らし | トップページ | サマルカンド・ブルーA magazine filled with essence of sexy guy - September 1986 【 拓郎インタビュー② 】 »