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2008/01/10

旅する詩人・岡本おさみの歩いた'70年代/BE-PAL2007.10月号

旅する詩人・岡本おさみの歩いた'70年代/BE-PAL2007.10月号

 

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上:故郷の島根県米子市道笑(どうしょう)町。有人踏切。 旅の夢を運ぶ夜行列車が通り過ぎた鉄路。
  「開かずの踏切でした。」

下:'05年に消滅した新潟県下田村(:現・三条市)に存在した字、大江。今はダムの底。 
  囲炉裏端のひとこまは、歴史の地層に埋もれている。

 

B3

上 名曲「都万の秋」を生んだ隠岐諸島に、なんどか訪ねた人がいた。「久見地区の漁師のお爺さん。 亡くなってからは息子さんとの交流が始まった」

中 先生ひとり、生徒ひとりという分校の話を聞き、大江を訪ねた。 積雪は3~4m。 先生は生徒の家に下宿し、ふたりで毎朝学校に向かう。

下 撮影場所不詳。旅はいつも列車で。駅からは歩き、目についた宿屋や、知り合った人の家に泊めてもらった。
  70年代の旅とはそういうものだった。

 

「落陽」「襟裳岬」「旅の宿」・・・。
旅心にグッと来る言葉を紡ぎ出してきた、岡本おさみ作品。 根っからの旅人でもある岡本さんに、旅のスタイルと歌詞
作りの秘密を聞いた。

「放送の仕事をやっているころは、飛行機で移動していたんですけど、自分の旅をするときは、列車がいいなと思っていました。 北海道へ行くのも、郷里の米子に帰るのも、すべて列車。 距離感がいいんですよ。 まだ、そのころは青函トンネルがないでしょう。 連絡船で着くと、ああ、ようやく北海道だな、という感じでした」

岡本さんは大学卒業後にラジオの構成作家になり、吉田拓郎との出会いから歌詞も手がけるようになるなど、時代の最先端で忙しい生活を送っていた。

「原稿をスタジオや家で書く生活が何年もあって、海の匂いのような肌にふれるリアルさから遠ざかっていた。 それで仕事を辞めて3か月くらい旅に出ようと思っていたら、結局4年近く旅を続けることになったのです。

「落陽」でうたわれた博打好きなお爺さんや、「風の館」の建物がなかった頃の「襟裳岬」、蔦温泉がモデルの「旅の宿」など、先に挙げた歌の歌詞はみんな、この旅の経験が生んだものだ。

「初めはちょっとのつもりが長くなったのは、コンクリートの街の中にいるよりも、野原にいたり海のほうが気持ちがいい、生活の実感があるということだと思う。 実家の裏には川が流れていて、中学校くらいまでは時間があれば川遊び。 フナやコイ釣り、仕掛けを作ってウナギやナマズを獲ったり、まさに川ガキそのものだった。 自分の感覚は、今も生まれ育った環境がもとになっているんでしょうね。」

   -列車旅の魅力は地元の肌触りがわかる速度にある-

岡本さんの、そのころの列車旅はこんな感じだ。「岡山から米子へ抜ける伯備線に江尾という駅があります。その町を巡る用水路には津和野のようにコイが泳いでいる。こんな素敵なところがあるなら他のところにも何かあるかもと思い、伯備線の全駅で降りてみたり。 北海道の標津(しべつ)線沿線を旅したときは、保線作業員たちと仲良くなって、作業車に乗せてもらいました。そうそう、僕は滅多に旅館には泊まらなかった。例えば酪農家の友人宅に何日か泊めてもらうと、また紹介してもらって別のお宅へ行く。そうしないと、人々の生活の中に入っていけない、単なる旅行者になってしまうから」

当時全盛期だつたユースホステルや、野宿の旅とも違う、こんな”旅の宿”のスタイルは、旅と、旅行の違いを分かつものだろう。 人も風景も様変わりした今、当時の岡本さんのような旅は、もう難しいのだろうか。

「何かを吸収したいというよりは、自分の好奇心の向いている方向に行けばいい。 ここに行けたらいいな、とかおもしろそうだなと思えればいいんです。 青春を追いかける旅というなら、家族旅行のくびきからひととき離れ、ひとりで旅をしてみる。
やり残したことのある場所、思い出の場所をもう一度訪ねてみる。 そのときには、地元の人たちの肌触りに、ちょっとでもいいから触れてみることですね。

  -「つま恋」世代にけじめをつけ、次の旅が始まる-

先頃岡本さんは「旅の宿」のモデル、蔦温泉を再訪した。 ここは岡本夫妻の新婚旅行先、思い出の地だ。 地元の人の案内で歩いた奥入瀬渓流や蔦沼に写る星。乱舞するホタルなどのモチーフから「旅の宿」の続編ともいうべき「歩道橋の上で」が生まれた。
吉田拓郎の新しいアルバムに収録予定だが、発売が延期され、現在行われているツアーで聞けるかどうかは拓郎の選曲次第だ。 35年前の青春を追いかけ続けて、やっと今の自分に追いついて青春が終わる、そんなうたなんだろうか。

「ある程度歳をとってからの旅は、もっと遠くへってわけにはいかない。 ’06年のつま恋に来てくれた人たちは年齢的にも仕事的にも、そんなに旅してばかりはいられない。 でも、ちょっとした車での遠出や、仕事仲間と酒を飲みながら過ごしているひとときだって、旅のひとつと思いたい。 そんなうた、「空に満月、旅心」も拓郎に書きました」

懐かしいニッポンに会えるレールは、心の中にも延びている。

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