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2007年1月

2007/01/23

T's-R 

T's-Rの拓郎画像が変わりました。

ますます精悍な感じに。 アルバム製作の意欲を感じる表情に見えます。

月刊 Forbes日本版 2007年3月号 (現在発売中)に【プロジェクトを追う「吉田拓郎&かぐや姫 つま恋コンサート」を陰で支える】という特集があります。 立ち読みしてしまいました。 目次はでっかいのですが、ずぅ~っと後ろの後ろの方にやっと記事を見つけました。(王様達のピクニック 主宰のなるさんから教わりました。感謝です。)

ANAの国内線オーディオ・プログラム 9ch「歌のアルバム」にて「人生を語らず」が選曲されています。 森進一が歌う「襟裳岬」も。(君に会ってからというもの僕は・・・主宰のsimpleさんから教わりました。感謝です。) 

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2007/01/16

拓郎ヒストリー

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拓郎ヒストリー が届きました。 拓郎本人がT's-Rに「係わっていない」と表明していましたが、ファンとしてはやはり「初DVD化映像」が含まれていますと観てみたいと思うわけです。

続きを読む "拓郎ヒストリー"

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2007/01/11

拓郎ヒストリー・ストリーミング

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コムチャンさんの きまま日記 に1月17日発売の 拓郎ヒストリー ストリーミング配信の記事があります。 行ってみてくださいネ。

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2007/01/10

地球音楽ライブラリー・吉田拓郎

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TOKYO FM出版 地球音楽ライブラリー が届きました。 引っ越しを繰り返す間に前回のは紛失しています。 拓郎関連の物は当たり前のように購入するのですが、買ったら安心してしまいよく読まない、きちんと仕舞わない(子どもか)ので、何がどこにあるのかがわからなくなっちゃうんですね、これがまた。(ダメじゃん)

そうそう、90年に発売されました '79-'90(5本組のビデオね)に付いてたヒストリーブックだったかも行方不明です。

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地球音楽ライブラリーにもどりまして、田家秀樹氏監修。 前回の記憶が曖昧なのですが、ライヴ・データが昨年の秋ツアーの分まで出てます。 DVD情報も「つま恋2006」まで掲載。 アルバム写真がカラーになってます。 (既に記憶が曖昧です)

そうそう、「ペニーレイン」の表記も大丈夫でしたョ。(笑)

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恋・酒・家出・喧嘩・なにをやってもまるでボンボンみたいなタクロウちゃん・・・!guts'72.5

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1 出生
昭和21年4月5日 、鹿児島県大口市で 、父吉田正広さん ( 今年76才で物故 ) 母朝子さん ( 65 ) の次男として生まれる 。 現在兄哲郎 さんは38 才、姉宏子さんは32 才。家族は北京からの引揚者 。 当時、拓郎は母親のお腹 の中にいた末っ子 で 、甘えん坊 。 おまけに 小児ぜん息で身体も弱く「いつも女の子に泣かされていた 」 という 。 鹿児島の谷山小学校時代は半分くらい欠席 。 「 それでも成績 は学年でも1、2 を争うくらい優秀だった 」 ( 本人談 )

2 父と母
父親は典型的薩摩男児の上 、郷土史の研究などで知られる学究 。 厳格な人だった 。
「 一度 、木の苗を一本ぬいて怒られ 、豚小屋にとじ込められたことがあってね 。 いや 、その時は死ぬほど怖かったですよ 。 それ以来、父親といえば恐ろしい存在で 、やさしいと思ったことは一 度もなかったな 」 その父も今年の1 月10日脳出血で倒れ 、不帰の 人となった 。 享年76才だった 。 父親の霊前 で 、さすがの拓郎もすざまじいほどの勢い で 、号泣した 。「 長い間鹿児島に住み 、広島の母とはなればなれに暮していた親父です が 、死期を感じたのでしょうかね 。 荷物を まとめて 、広島に来ようとしていた直前に倒れたんですよ 。あの時はホントに泣けて泣け て 、1 週間ぐらい ボーッとしてましたよ 」 意識の中で 、いつも父親に反抗していた自分 が 、いまは悔まれてしょうがない・・・と拓郎はいう。
父にくらべて 、母親は広島で茶道 の教室を開くなど、いつも若い人に囲まれているせいか、とびぬけて気が若く、明るい人だ 。 「 若者に理解があるというか、音楽なんかも好きでね。広島のぼくのファンクラブの会長などと称し、コンサートの切符を売ったり、レコードを売ったり 、ひとりで宣伝していますよ 」 と拓郎は実にウレシそうに話してくれ た 。

3 高校時代
中学までいつも病気がちだった拓郎も 、高校 に入った頃から見違えるよう に 、たくましく 成長していった 。 「 広島県立皆実高校時代 は 、演劇部と写真部と応援部と 、3 つのクラブ に入ってましてね。 軟派だったんだけど 、喧嘩ばかりして たよ 」 「 といっ ても 虎の威をかるキツネで ね 。高校の番長格の 男に 、ギターなど教えてやって仲良くして いたんですよ 。その頃から 、世渡りがウマ かったのかなあ・・・。きっとみんなに恨ま れているハ ズですよ 。 」
その番長にそそのかされて、高校時代から、マンモス・バーなどに出入りし、酒を飲むようにもなった 。

4 酒
拓郎の酒好きは、もはや有名な話だが、本格 的に飲みはじめたのは、大学に入って問もない頃からだという。
「 いや、もうメチャ飲みでね。その時はモスコー・シェール ( ウォッカ + ジンジャーエール ) というヤツを連日、ガバガバ。河合楽器 の広島支店でギター教室の先生をして得た収入が、そっくりそのままアルコールにかわっ ていた、って感じ か な 」
その後、一時ビール党に転向したこともあっ たが、現在はまたウイスキー 一辺倒だ 。 酒 グセはいたって悪いと、拓郎は自信をもっていう 。「 酒を飲むと、女グセも悪くなる し 、ますます喧嘩っぱ やくなるしでね。酒 のツマミ は、セロリ & マヨネーズ がよろしいそう だ 。

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5 恋
高校2 の時から大学2年にかけて拓郎は大恋愛をした。いや大片思い 。 大失恋といったほう がいいかもしれない 。 相手は高校の1 年後輩 で、名前を島田順子という。「 いい女で ね 。オレは毎日寝てもさめても彼女のことばかり。もう、徹底的に惚れぬいていたよ。でも既に彼女には彼がいてね。オレの20才の誕生日の日、アルバイトでドラムを叩いてい た ジャズ喫茶に、彼女がお祝いに来てくれたん です。その日、おれと彼女は結ばれたんだ。あくる日彼女とデートの約束をしたんだけど 来なかったんだ、これが・・・。もうその日 はヤケッパチで、パチンコ などしたら、それ が大入りでね。まあ、今でこそこんな冗談いえるんだ けど・・・」
この大失恋のいきさつ は、 『 島田順子が吉田拓郎に与えた影響 」 という曲になり、ステージなどで歌っているので、一聴をおすすめ する。ちなみに彼女は現在広島で、バーのマダムをしているとのことだ 。

6 家出
失恋の悲しみは、拓郎を放浪へとかりたてた。もちろん、それだけが動機ではなかった 。高3の頃から彼はボブ・ディランの魅力 の、そしてフォークの完全な虜になってい た 。彼の生活のサイクルはすべて音楽と共に 動いていた。広島商科大学に入った頃、ダウンタウンズというR & Bバンドを作り、エレキも弾くようになった。ライト・ミュージック・コンテストに参加したら、中国地方第 1 位 。 逗子の全国大会で第3 位 。 大手のレコード会社から誘い最低 50万円必要だといわ れ、失意のまま帰郷 ! しかし、音楽への熱意 はますます燃えさかるばかりだった 。 そして 失恋 。 拓郎は意を決して、大学に半年の休学 届けを出すと、逃げるように家を出た 。 「 失恋のためというより、ディランの影響で ね。Gパンにブーツをはいて、髪を伸ばし 、 ギターをかかえて放浪すれば 、 歌ができる と信じこんでいたんですよ 。 民謡とは何か なんていう大テーマに取り組んでやろう 、 とも思っていたしね 」 と拓郎はその当時を 思い 出し ながら話してくれ た 。 「 千葉の検見川にあるお寺の、本堂のわき の 3 畳を強引に借りてね 。 月2000 けみがわ円だったかな 。 実は、お寺は公共 のもので 、誰でも泊めてくれるものと思ってい たんですよ」
「実に健康的な生活だったな。ラーメン屋で働いて食いつなぎ、半年間歌を作りつづけていたんだよ。その間数回陸送トラッ クの助手もやったけど、カ仕事はまるでダメだったな」
この半年間は、拓郎を一段 と大きくした。民謡研究というテーマ は、約2年後、卒論 「日本のうた」(300枚)としてまとめられ、学長じきじきにおホメの言葉をもらうほど、立派なものに仕上が っている。(ちなみに彼がとっていたゼミは、「アジア社会研究」であ
った。とはこれいかに?」)

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7 喧嘩
彼は自他ともに認める、 《甘えん坊》 であり、 ≪ダダッ子≫ である。
「オレは甘えられると思うと、もうデ
レデレに甘えちゃう。その点は小学生 以下だよ。今でも小室(等)さんなんか には甘えっばなしヨ。気を許している
ャツの前だと、えらく涙もろいし。」
そんな男なのに、拓郎は異常に(?) 喧嘩っ早いのである。
「2年前、東京に出てきた当時は、 1 週間に 1度はやってたな」
「やられることは、めったにない。何せ先に殴っちゃうからな。そりゃもう目にも止まらぬ早業でね」・・・「酒が入ると余計ダメ。その上、女がひとりでもいると、女のことで喧嘩することが多いな。やっぱり酒グセ、女グセ共に悪いんだよ」拓郎から喧嘩の話をきいていると、話が終わりそうにないくらいだ。一番最近では2月半ば、友人同士が延々2時間にわたって拓郎論を彼の前で展開。ナゼか彼はそれを聞いて、怒り心頭に発し、「拓郎論をするほど、オレはエラクない!」と怒嗚ると、2人をアッという間に、ぶん殴ってしまったのである。ところが、拓郎の婚約者、四角佳子(通称お佳=六文鈍)と結ばれたのもこの喧嘩のおかげというから、縁とは異なものである。

8 結婚
喧嘩のいきさつはともあれ、去年彼は4人を相手に大喧嘩。目をきるなどメチャクチャにぶちのめされた。泣きよし泣き介抱してくれたのがお佳だった。「ホント、けがしてよかったよ。オレは・・・」といって拓郎は笑った。
2人は今年の6月軽井沢で、『結婚しようよ』の歌そのままに結婚式をあげる。3月4日は、お佳の20回目の誕生日だった。その日のコンサートが終わったあと、原宿のあるスナックで仲間たちと、彼女の誕生バーティを祝った。拓郎はその日その席でみんなの前で叫んだ。「お佳、俺はお前がホントに好きだぞ、ホレてるぞ~!」と。拓郎は心の中にあるものを黙っていられない男なのである。周囲の心配をよそに、彼はラジオで結婚宣言をしてしまうような男なのである。お佳も負けずにのろける。「とってもやさしいの。風邪なんかひくと、病院に一緒に行ってくれるし、よく看病もしてくれるし」「でも、初対面の印象は、ムッツリして図々しい感じのヤツ」って感じたという。「その上、彼ときたら、私のいる前でも平気で他の女の子とデレデレするの。それだけはぜひやめてもらいたい」そうだ。拓郎さん!

9 フォーク
《結婚は人生の第2の門出〉〉というが、ユそれによって彼の音楽までが変わるこ力とはないだろう。最後に、彼に現在のフォーク界の状る況を語ってもらうとしよう。ピ「日本の連中はレコードは最高だけど、をステージがおもしろくない。音楽的なけレベルでいえば、やっとこれからもの分が言えるって程度かな。もっともオレ気の場合はまだそこまでいってないけど曲ね。ただ、いまフォーク仲間どうしがもセッションみたいな形で協力しあい、レコードを作ったり、この雪どけ状態はとてもいい」と思うな。
蛇足として、拓郎にフォーク仲間の連想ゲームをやってもらった;す「小室等ー作曲
家、加川良一変化なし、郎高田渡ースウェーデン女、加藤和彦一ミカ以外なし。ただしオレが一番評価している男。赤い鳥ー不逞の輩、杉田二郎ーもう年ですな。泉谷しげる一檻の中のオラウータン。遠藤賢司ー電話魔山本コウタロー鬼気迫る。南こうせつ一本当に迷惑をかける男。ムッシューかつらが気になります。北山修一カッコイイ!」などなど。そして、テレピ不出演宣言をしている拓郎。「小室氏なんかは、今のテレピが気にくわないなら、逆に殴り込みをかけてよくすればいい。なんていうけど、それは無理ですよ。でも最低10分ぐらい歌わせてくれるなら・・・という気持ちもあるけどね。それと、オレの曲が1位になったら、1度くらい出てもいいな」いや、なんとも挑戦的といえる発言だが、そんなフテブテしさ、強さ、大きさの中に、デリケートな感覚、やさしさ、思いやりが同居する男。そしてすべてに気どらない男・・・それが吉田拓郎なのである。拓郎の歌がすべて1人称で作られていること・・・これほど、彼の類まれなる強い個性を物語っているものはない。

 

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カテゴリー吉田拓郎から分離・独立

 

 

 

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2007/01/06

映画・旅の重さ

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映画「旅の重さ」を久しぶりに見ました。 以下ネタばれあります。

72年の作品なんですね。拓郎ファンは見ます、これは。 映画の冒頭から「今日までそして明日から」が流れる。 これだけでもうあきません。 新人「高橋洋子」ちゃんの笑顔の素敵なこと。 

途中、泣くシーンもあるけれど正直言うとそこはヘタ。 黙って笑っている目が、口元が素晴らしい。 新人て本当か? エンド・ロールに「新人」と出てくるから本当ですな。

先日記事にした岸田今日子さんが母親役。 お若いのは勿論だけれど、独特の艶っぽい雰囲気。 その雰囲気そのままの役柄。 

母子の手紙のやり取りで話は進んで行く。 高橋洋子演じる娘は16歳。 少女なのかどうかなんとも微妙な年齢ですが、そこがこの映画のテーマにも通じる。 娘は母のもとを飛び出し四国へ。 

好きなのはこの四国の風景。 夏なのです。 海も山も畑もそのまま四国の夏。 匂いまで届いてきそうな、自分が小、中学生の頃に走り回っていたそのままの風景。 むせ返るような蒸し暑い四国の風景が懐かしい。

娘はお遍路さんを真似て歩く。 日が暮れると野宿をする。 民家もお寺も自分が見て育ったそのままの光景。 当時すでに古い木造民家の壁に「看板」。 あったあった。

小さな商店街には「写真屋」が。 看板には「フジカラー」の文字。 思わず、なるほどっと笑う。 

音楽「よしだたくろう」。 「今日までそして明日から」は主題歌であり、挿入歌でありエンディング・テーマ曲でもある。 どの場面にもぴたりと合っている。 感動するのはこれだけでなく「恋の歌」。 唄は無く、インストゥルメンタルで流れてくる。 それもいくつかのバージョンがあり、シーンによってアコギのみ。 また別のシーンではストリングスで。  これは沁みる。 ここだけ何度も観たい。

さて、撮影は四国の愛媛と高知。 でもね、香川といっても徳島といってもよい風景。 娘は「海よ、ここが土佐の海よ!」と叫ぶ。 桂浜かなあ、もっと田舎の海岸のような。 徳島の日和佐のおばちゃんの所(平成の大合併で“美波町になっとるじょ)とそっくりじょ。 あ、この徳島南部の小さな漁師町にもお大師さんはちゃんといらしていて、「薬王寺」さんがあります。 厄払いには必ず行きます。 「おやくっさん」と呼んでます。

娘はお遍路さんと知り合い、そして別れ、祭りで興行する芝居の一座と出会い、漁師と出会う。 登場人物もみな若々しく男盛り。 

自殺する文学少女には若き「秋吉久美子」が扮している。 演技は???

四国で育った者なら皆、経験するお遍路さんの姿。 それは交通量の多い国道沿いにも見られた。 お遍路さんを接待する習慣も。 小さい頃は、いつの間にか家の前に「托鉢の僧」が。 親から小銭を手渡されて、修行僧に差し上げる。 お遍路さんは「同行二人」、お大師さんと二人。 そんな会話も映画の中にみられた。 

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2007/01/05

ヤング・ギター・クロニクルvol・1 吉田拓郎 これが青春

simple さん Ryan さんの所で教わりました。

ヤング・ギター・クロニクルvol・1 吉田拓郎 これが青春 が出るようです。

こっちにも、 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070105-00000077-sph-ent

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2007/01/03

Takuro NEVER SHRINK BACK AND ALWAYS SURE・MESSAGE FROM 小倉エージ

Takuro NEVER SHRINK BACK AND ALWAYS SURE MESSAGE

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- MESSAGE  FROM  小倉エージ -

タクローがまた、ヤッカイなことを言いはじめたゾ。黙って、歌ってるだけにしとけばいいものを、いつもキマッて、アーダコーダ、ナンダカンダってまくしたてはじめるんだから、もう、イっちゃうよネ、ハッキリ言って。 ソ、困ったもんデス。でも、ま、そうじゃなきゃ、っていうか、ガタガタ、マクしたててるのが、タクローらしい、とも言えるわけで、フム、フム、ウーン、と考えもつかせず、納得させちゃう。 その素早さと強引さは、サスガであります。

それでなくても、タクローのコンサートっていうと、ウァーって、思いっきり盛り上がって大騒ぎして、汗かいてサヨナラ、てなパターンが濃厚。 まるっきり、サウナにいったみたいで、フト我に帰ったりすると、シャワーやらバス・タオルの用意がないのに気づいて、そうかボクはコンサートに来ていたのだった、と思う人も多いらしい。 なんていうのはホントかね。

そうそう、肝心なのは"愛の歌"についての話。実は、タクローがここで語ってるのを見るまで、僕としてはそれほど"愛の歌"が世の中にハンランしていること、その数の多さについての認識っていうのは、なかったのであります。 ウカツ、なんだきっと、僕は。なんていうより、その数があまりに多すぎて、見えなかったのかもしれない、とも、言い逃れることもできる。

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で、タクローの言いたいこと、彼が考える"愛の歌"っていうのは、要するに、"人間歌"きっとってことなんだよね。きっと。 男と女の、ホレタ、ハレタってことよりも、人間としての存在の認識、そしてまたその有り様や生きざまを追及するってこと。それをどれだけ歌というもの中に表現しうるか、また、人に語りえるかってことの追及ってことになるのでありましょう。そう、それこそは、人間にとっての、いや、タクローにとっての永遠のテーマなのであります。
いや、そんなこと堂々といっちゃうっていうのは、ほんとはスッゴク、ブザマなワケ。ダサイというか、クサイわけ。しっかり、内に秘めて燃やしておくものなのにもかかわらず、言わずにはいられなかった。というのは、世の中の状況に対するアピールである以上に彼自身がガケップチにたって、自分の立場に決着をつけたってことの表明であることは明らかなのであります。

世の中にハンランする、たとえば"男と女"の愛の歌について、といえば、語り継がれてきた男と女の愛の真実を、ひとつの"型"として、というよりも、"決め文句"として、その欲望や心情を語るにたけた人もいる。実際、その追及に余念のない人々もいるわけで、タクローの言う○○サンとは、その種の人々のことをさすのでありましょう。 が、ある意味じゃ"愛姿"や
"愛の型"にこだわりすぎるってワナに陥りやすい。とまあ、そんなことへの警告でもありましょう。いや、それよりも何よりも、"愛してる"というひと言が、臆面もなしに言えるかどうか、人間にとっていちばん肝心なことかもしれないそのひとことを、そう軽々しく言えるかどかってことが、問題なのでありましょう。要は"愛の大安売り"はゴメン、というワケなのであります。それとともに、実は"愛してる"というひと言が、恥ずかしくて、照れちゃって言えないってこともある。あれだけ、のべつまくなしにガンガンといろんなことをわめきちらすのも、実はシャイであることの裏返しなのではと、思われるフシもある。誰がって?もちろんタクローがですよ。アハハ、とか、ウッソォー、なんて笑う人がいるかもしれない。でも、僕としては、そのシャイなところ、内気なところが見えたりする。で、"愛してる"なんて、そのひと言が、簡単には言い出せなくて、だからこそ、行動に出ちゃう。きっと、キワのギリギリになるまで、そのひと言は、それも誠心誠意こめた真実のひと言は、言わないんじゃないかと。そんな風に思うのです。そう、いろいろガナりたててるみたいで、肝心なことは歌の中でしかいわないで、歌の内容についても案外言わない人なのですよネ。そうそうところが、僕は結構気に入ってたりする。そう、見えるだけのものにダマされちゃいけないのだ。


タクローも、そういってるでしょう?

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ものまねバトルSP

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今夜9時から日本テレビ系列で ものまねバトルSP“今夜決定!ものまねベストアーティストアワード2007!! (な、なが~)で岩本恭生らが「拓郎&KinKi」の共演を披露するようです。

似てるんかなあ。 見てみましょう。

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