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2006/12/30

吉田拓郎90年代へ・・・・・。・パチパチ読本 1990年 No.1(3)

吉田拓郎90年代へ・・・・・。・パチパチ読本 1990年 No.1(3)

●全国ツアーっていう形の最初だったでしょ。
吉田 そうですね。いなかったね。自分だけでバンドから照明からPAとか全部入れてパッケージでやった人はいなかったね、やっぱり新しいこと、他人がやっていないことをやるのは気持ちいいし。そういうことをみんな探してたよ。アレはやってる、コレはやってないとか。アメリカの話なんかきいてると、ディランもツアーやってるんだ。とか思うとそれやるしかないって。
●ビートルズもやってた、アレだ。
吉田 そうそう。アレだっていう。みんなでパッケージ組んで旅するらしい。それ、やんなきゃって言ってたもん。
●誰もやってなかったことがすごい。
吉田 なかったからねぇ。演歌の人は、やってたかもしれないけどね。
●ツアーというより地方巡業。(笑)
吉田 生意気な言い方だけど、全国ツアーやって客入る人いなかったんです。だからってそんなにマスコミに登場したりするわけじゃないからね。若いコたちは知ってるけど、年上の人は知らないですよ ね。僕たちはその頃25、26歳で、30歳以上の人は知らないよね。だって地方行くと夜なんかみんなでキャバレーとか行ってたけど、わからなかったもんね。 誰も。変わったスターだよね。キャバレー行って遊んでたんだよ。(笑)
●テレビに出ないというのも拓郎さんから始まった。売れても出ない。出なくても売れる。
吉田 あれはねえ。いきさつも全部記憶にないけど (笑) 作戦だったのは間違いないですよ。後藤(後藤由多加、現フォーライフ・レコード社長)とふたりで、夜、飲みに行って酒飲みながら、さあ、これからどうやってこの音楽業界に新しい風を吹き込むかって朝まで何日も議論するわけ。で、後藤の戦略として"逆流のコミュニケーション"というのは使える。だからこれまでのマスコミの姿勢とか何かを逆手にとっちゃえばいいんだっていうわけ。俺もそれはありだと思ったの、例として、当時、藤圭子っていうヒトが「圭子の夢は夜ひらく」っていう曲をブラウン管を通じてものすごくヒットさせてた。 じゃあ、あの人の言ってることやってることを全部否定するという、作戦としてね。まず、テレビに出な い、コンサート中心にやっていく。現場でファンと交流しながらやっていく、マスコミの取材もなるべくうけない。音楽誌もよくチェックしないとたいしたこと書かないとか (笑) 女性誌は絶対ホントのこと書いてくんないとか。頭から決めてたね。女性誌の取材とかいうと、ハナからバカにして"勝手に載せて"とか言ってた。気分悪かったと思うけどね。 みんな(笑)
●生意気の極地。(笑)
吉田 そうだろうねぇ。でも、そうやって始まった以上、途中から変えられない。(笑) "すいませんでした"なんて言えない。(笑)
●でも、それを押し通す方が大変でしょう。
吉田 相手が既成の概念をしみ込ませて立ち振る舞っている業界人ですからね。テレビ局やラジオ局にはすごくてね。ツラかったねぇ。わかってもらうまでは、まず、高飛車、"使ってやる" "出してやる" "出演さしてやるんだ"、"歌わしてやるんだ"それから、"取材してやるんだ"という意識ね。こっちは"出てやる"、"歌ってやる"、だから当然ケンカになるよね (笑) あいつら生意気だ、になるよね。少なくとも"お願いします"とか"オハヨーゴザイマス" なんて言わないから"お疲れ様でした"も言わない(笑) 初めて海外旅行した時に、ロンドンだったんだけど、女性誌とか、その手の取材がロンドンの空港にいて、日本人のカメラマンがパチパチ撮ってたわけ。 で、俺、ツカツカと行って、"バカヤロー勝手に撮んな、このヤロー"って言ったら、むこうも"バカヤローいつもお前たちをこうやって扱ってやってんだよ、俺たちは"って"ロンドン初めてか"って俺に言うから、"初めてだ"って言ったら、"ロンドンっていうのは、いつもこうなんだバカ"って。ものすごいんだ。芸能人は"やってもらってるんだ"みたいな気分になっちゃうよね。
●今もそうやってるんじゃないかなぁ。
吉田 いるだろうね。そういうの。
●でも、殴りあいにならない。
吉田 なるなる。なんだとーって、なりますよ。
●創成期という感じなんでしょうね。いろんな意味で。
吉田 そうだね。いろんな意味でのね。だから自分たちで曲を作っていくっていう音楽の創成期ですよね。雑誌にしてもそうだし。レコード業界、ラジオ、テレビ・電波も含んだマスコミの全てが始まった時期だよね。若者文化というもの自体がね。
●なつかしいと思います?
吉田 いやぁ、よく言われるんですよ。"拓郎さんとか70年代生きた人って、あの時代に帰りたいでしょ"って、めっそうもないって言うんだよ。帰りたくないよ、絶対に。あのファッション、あの時代に帰りたいとは思わないもんね。あの絞りのTシャツなんか、絶対に着たいと思わない。 (笑)
●でも、今の子供たちにわかるかなぁ。(笑)
吉田 貧乏じゃなきゃいけないみたいな風潮あったよねぇ。現代だったら信じられないだろうね。雲泥の差だよ。お金持ちのカッコしてるだけで怒られたよ、あの頃、家出る時なるべく汚いカッコして。(笑) あれ、不思議だったなぁ。本当に貧乏が良かったんだよなぁ。
●聞いている人も貧しかったのかもしれない。
吉田 あ、親近感みたいなのかな。いつも言ってたんだけどね。ボブ・ディランは豪邸に住んでるじゃないかとか。あれはアメリカの話だとか、日本では貧乏でなきゃいかんとか。(笑) 何だかよくわかんなかったね。フォーク・ソングっていうのは。何か"あーしちゃいかん"というのが多かったねぇ。まっぴらだったよ俺、あんなの。(笑)
●夢はビートルズなのに。(笑)
吉田 でも、本当に、東京に出てきて7~8年の間 に全部やったよ。僕の視界の中では、テレビは別にして、やってないことはないと思うけどね。
●プロにもなって、1位にもなって、全国ツアーもやって。
吉田 お金も入ったし。欲しい車も買ったし、カミさんももらった。(笑) 車はね、最初、ジャガー買ったの。いきなり。クルマ屋の前で。すげぇかわいいクルマだなぁと思って、これくださいって言って。 ハッ? ていうから、僕んちそこですからすぐ持ってきて下さいって買っちゃったんだよね(笑) 当時500万円くらいじゃないの。72、73年に買ってんだよね。
●そりゃ、すごい。(笑)
吉田 すごいですよ。だって、当時、俺が住んでいた柿の木坂の家なんてビックリするよ。すごい豪邸に住んでたもん。今の方がつつましいですよ。(笑)
●矢沢永吉がロールス·ロイスで煙草買いに行くって言ってたことがあったけど。
吉田 いいな。それでも煙草買いに行くなよな(笑) でも、ジャガー買って、そのまんま乗ってない。これは乗りにくいって、シビック買ったっていう。変わってるね。(笑)

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