« T's-R更新 | トップページ | 吉田拓郎90年代へ・・・・・。・パチパチ読本 1990年 No.1(2) »

2006/12/30

吉田拓郎90年代へ・・・・・。・パチパチ読本 1990年 No.1(1)

Pachi00

構成・文 田家秀樹

いろんな音楽が開花して、80年代はいい時代だったよね。とりあえず90年代もいようと思う。『いること』が王者なんだよ。

90年代へ----。
ラストバッター、最後に登場するのは、大御所。 吉田拓郎。

1946年4月5日生まれ、今、43歳。 エ~ウチのお父さんとおんなじィ。
きっと、そういっている十代の読者もいるに違いない。少なくとも、30代~40代にかけての世代で、吉田拓郎の曲を知らないという人はいないに違いない。もし、"ウチのお父さんとおんなじ"という読者は、お父さんに「吉田拓郎の曲、知ってる?」と聞いてみると面白いかもしれない。突然押入れや物置の中からギターをとりだして、歌い始めたりするかもしれない。 吉田拓郎のデビューは1970年の4月である。 デビュー・アルバムには「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう』というタイトルがついていた。 70年代の始まり。そんなタイトルは、新しい時代の幕開けにふさわしい高らかな若さに溢れていた。 70年代は、吉田拓郎とともにあった。彼が動くところ、新しい時代の舞台が作られていった。 簡単なことをあげてみる。今でこそ、あたり前になった、いくつものできごとやものごと。その多くが、日本では吉田拓郎が始めたものだったといってもいい。たとえば、"シンガーソングライター"という言 葉だ。吉田拓郎が、さっそうと登場する前には、そんな言葉すらなかった。たとえば、"ツアー"というスタイルを日本で最初に行ったのが彼だった。 "全国ツアー"などというスタイルは、なかったのだから。"野外イベント"や"オールナイト・コンサート" などもしかりである。70年代に、彼が起爆剤となり、道を拓いていったいくつものことが、今、あたり前になっている。 そして、89年。テレビから、吉田拓郎の曲が、ひんぱんに流れてきた。「夏休み」「今日までそして明日から」渡辺美里は「どうしてこんなに悲しいんだろう」を歌い、氷室京介は「たどりついたらいつも雨降り」を歌っている。そして、あの、とらばーゆのCMで使われている「人間なんて」・・・・。あの原曲が、吉田拓郎のものだということを知らない人の方が多いという話を聞いた。
'72年に発売された4枚目のアルバムが「人間なんて」というタイトルだった。 '71年、中津川の全日本フォーク・ジャンボリーで、ギター1本で2時間、叫び続けた曲であり、'75年のつま恋の5万人オールナイト・ライブ'79年の篠島のアイランド・オールナイト・コンサートの夜明けのフィナーレでの熱狂の大合唱と、この曲にまつわる"伝説"は、70年代のドラマそのものだった。
'89年11月21日から90年1月10日まで、彼は"89-90"というツアーに出た。ツアータイトルは「人間なんて」だった 80年代には一度も歌われることのなかった「人間なんて」が、90年代を前に、新たな詩で歌われていった。
●ツアー・タイトルが何と「人間なんて」だった。
吉田 そうだね。ま、僕の意志じゃなかったんだけど。ハメられたっていう(笑) テレビみてたりして、いいコマーシャルだなって思ったりしてたわけ。面白い曲だな。誰が作ったんだろうという感じで。(笑) 僕にとってあれはヒット曲かもしれない。だったら歌うべきだと素直に思えるようになったのね。
●80年代が終わるという、区切り、みたいな意味はあった。
吉田 そんな意味は特にはない。そんなのないけど、でも考えてみれば、本当に89年で終わりなんだね。 早かったな、80年代って。(笑) '79年に篠島だったんだよね。80年代って、どんな年になるんだろう、とか言いながら、ダラーッと入って来ちゃって、ダラーッとしてたんだけど、早かったなァ(笑)
●'79年頃に何考えてたか、思いだせます?
吉田 あの頃はねぇ、確か、70年代の後半はサボリがちだったんで、80年代に入ったらやろう、と思ってたんだけど、やんなかったねぇ。(笑)
●今日は、時代を逆のぼりながら訊いていこうと思ってるんですけど、'69年頃の記憶っていうと、また違うでしょ。
吉田 記憶にないくらい。(笑) 60年代って記憶にないんだよね。70年代の前半、東京に来て4~5年っていうのは、すごく覚えているんだ。夕べもバンドの奴らと話してたんだけど、だいたい、そこら辺の話なのね。東京に来て、わかり易く言うと成功するまでっていうのが結構覚えててサ、成功した後っていうのが、あんまり記憶ないね。金銭的にも経済的にも、得ちゃった後って。お金もなかったけど、探ってる時代が一番面白かったみたいね。すごく鮮烈に覚えてるからね。
●成功する前っていうと、どの辺から。
吉田 アマチュアから、ずっとつながってて東京に出てきて、エレック・レコードで、社員やりながらレコード作ったりとかしていた頃とかね。
●アマチュアの頃の記憶ってどのくらいから始まります?
吉田 高校じゃないかねえ。初めてみんなでバンド 作って演奏したりとか。その中のひとりが作曲してて、カッコいいなと思ったりしててサ。
●ダウンタウンズといってたアマチュア・バンド。
吉田 そう。このあいだ大阪でダウンタウンズの同窓会っていうのがあってサ。みんなすごかったよ (笑)すっごいおじさんなんだ。やっぱり。(笑)
●それは、そうでしょう。(笑)
吉田 俺、やっぱり浮いているなぁと思ったりしたんだけど、でも、よく覚えてるもんねぇ、みんな。 当時のことって、米軍キャンプでやった時のこととか、あん時、お前がもうちょっと頑張れば、とか言って。(笑)音楽の夢ってあったんだよね、みんな。ビートルズになるって思ってたから。(笑)俺が今、こうやって音楽で生活してるでしょ。みんな素直にうらやましいって言うもの。お前みたいになりたかったんだ、俺たちって。
●高校の時が、最初のバンドですか?
吉田 高校には、そういうクラブはなかったんだけど、校長とか、教頭に言って、特別に軽音楽愛好会っていうの作らせてくれって。
●創立メンバー。
吉田 そう。その頃だもん。ボブ・ディランとか聞いたの。
●それまでは。
吉田 やっぱり60年代のやつ。アメリカン・ポップ ス。プレスリーとか、ニール・セダカとか、デル・シャノンとか、そういうの聞いて。あの番組、何て言ったっけ。帆足まり子のやってた番組。
●S盤アワー。
吉田 S盤アワーとか、東京の番組をエア・チェッ クしてた。ラジオでリクエストしたりとかね。読まれたらうれしかったよね。広島の西霞、吉田拓郎さんのリクエストの「可愛いベビー」とか、やった!って。 (笑)
●ういういしい。(笑)
吉田 圧倒的に聞く側の人間だったからね。自分でやる側にまわるなんて、全然思ってなかったよね。
●兄弟の影響があったとか。
吉田 兄貴がピアノやってたから。ジャズの。立教に行ってたんだけど、学校から、東京から帰るたんびに、演奏してる写真とか女の子一杯連れてる写真とか持ってくるわけ。バンドやってるとこんなふうになるわけ? とかそういう憧れあったもんねぇ。東京でバンドやってるともてるんだ。とか(笑) でも、やっぱりビートルズじゃないかな。プロになってみようなんていう気にさせたのは。プレスリーとかコピーしてたら、突然出てきて。で、話聞いたら4人の若者だって。しかもみんな音楽の勉強もしてない。我流でやってるとか。いろいろ入ってくるでしょ。ビートルズの何が良かったかって、僕たちにもできるっていう気にさせてくれたことが一番大きかったよね。 全てが刺激的だったからね。ファッションから音楽から、とにかく全てが最高だったからね。これをやんない手はないと思ったよ。
●ギター持つ恰好までマネした。
吉田 そうそうそう。足の開き方とか、タイコなんかもリンゴのって低いとこに置いて叩いたりするでしょ。そういう座り方させたり、髪型も真似たり。 顔は似てないんだけどね。(笑)なりきってた。同じギター手に入れたり、エピフォンとか。ボックスってアンプは手に入んなかったけど。ギターとかは手に入れてたね。リッケンバッカーは手に入らなかったけど。
●その時は何を使ってたんですか。
吉田 グヤトーン。(笑)グヤトーンのリッケンバッカーモデルっていうのがあったの。ドリフターズも使ってたけどね。高木ブーさんが使ってるの見てビックリしたもん。やめてくれっていいたくなった (笑)
●米軍キャンプで演ってたのは高校?
吉田 いや、大学。
●広島商大。
吉田 大学行ってからだよね。人前でホントにやるようになったの。"ビア・ガーデン"とかあの頃だと、ゴーゴー・クラブっていってたけど。(笑) DISCO。
●大学の時って応援団だったんでしょ。
吉田 そう。(笑) 応援団に入っていたんだけどね。 大学入ったときにロックやりたくて、そういうクラブ探したんだけど、カントリー&ウエスタンしかないわけ。エレキギター使うクラブが。で、そのカ ントリー&ウエスタンのクラブに入ろうと思って一年生の入学式の日に、入部手続きしに行ったら、手前が応援団の部室だったんだよ。その前通んなきゃいけないし。前通ったら、いきなり、"いい体してんな、お前"とか言われて。(笑) いい体してないのに。いきなり応援団入れられちやったわけ。俺、となりのクラブ入りたいんですよって言ったんだけど、入れてやるからウチも入れって(笑)

別頁より引越

|

« T's-R更新 | トップページ | 吉田拓郎90年代へ・・・・・。・パチパチ読本 1990年 No.1(2) »

吉田拓郎90年代へ・・・・・。・パチパチ読本 1990年_」カテゴリの記事