NACK5 J-POP MAGAZINE ( 5 )
'05 8月27日(土)FM NACK5 J-POP MAGAZINE
【 吉田拓郎インタビュー・後編 ② 】
♪ ああ青春(一瞬の夏より)
田家: あのお聞きいただいているのはですね去年のツアーの中の抜
粋曲をまとめた「一瞬の夏」というアルバムの中の「ああ青
春」。去年のツアーこれから始まったんですけど1975年のつ
ま恋のね1曲目、これだったんだよ。
アシスタント: よく覚えてますね。(笑)
田家: 覚えてますよ。いましたからねぇ、もう「朝までやるよー」
「朝まで歌うよー」っていうね拓郎さんのセリフがですね
今でも目に焼き付いてます。セリフが焼きつくか?セリフ
もまとめて光景として焼き付いてます。本当にね武道館コ
ンサートですらね、もう一大事だった時代に6万人とか7万
人とか呼ばれていて初めてのオールナイトイベントですよ
日本で。誰もね誰もそういう経験なくてノウハウも無くて
みんな手さぐり。そう、で夜明けまで歌ったの。もうあの
僕ははっきり言いますがこのイベントが無かったらこんな
仕事してない。
アシスタント: ヘぇ~、じゃほんときっかけと言うか。
田家: いやー音楽ってすごい、鳥肌立ってね明け方でね「人間な
んて」を5万人6万人が歌ってんのを見ながらね、僕ひざが
がたがた震えてたんですよ。これは何だ、と思ったの鳥肌
立って。だぁー話ながら今鳥肌立った。(笑)
うん、これをまたやるんだ。嬉しいなぁ~俺。
・・・ 略 ・・・
田家: そうやって考えると60代の迎え方、だって60なんて数字が
出てくること自体が、まあ想像できなかった事ですけど。
そんな悪い迎え方ではないって事ですよね。
拓郎: どうかなぁ~、あんまり気持ち良くないよ。あんまり気持
ち良くないし幸せではないな。(笑)ないけどねぇ~。
仕方ないもん。仕方ないんだもんねぇ。これやっぱり嘘つ
くわけにいかないもんねぇ。
いやじつは42です、なんて言ったってだめだしね。
仕方ないんだけどねぇ、もう気持ちは良くないっすよ、た
だ救いは周りのみんなもいっしょになっていっちゃってる
から、(笑)あのみんな例えば今、バンドね、今僕のバン
ド瀬尾さんもそうだしドラムの島村さんベースの富倉みん
な50代中盤から後半という感じのミュージシャンが集まっ
て、みんな異常って言っていいと思うけど若い、でしょ。
そういう時代でしょ、だからその分だけ救われてるけど。
現実はやっぱり60前だから、あんまり幸せだとは言えない
ね。(笑)
田家: まあこれからそういう意味では50代60代になっていくミュ
-ジシャンがどんどんどんどん増えてくるわけで、最初の
扉を開けるわけですよね。
拓郎: そうですね嫌ですけど。はい。
田家: この先どんな道が待ってるんでしょうね。
拓郎: あぁ、ねぇ、どうなんだろうね。ただもう今の感じで言う
とさっき一番最初に話したんだけど、もう来年のイベント、
その先を考えてもうバンド組もうとしてるしね。
だからなんかねそういう事を一個一個テーマを持ってやっ
てるうちに時間とか経っていくわけでしょ。それに素直に
なっていくしかないんじゃないかな。
田家: そんなに身構えたり気負ったりしないで。
拓郎: うん、もうそれじゃないんじゃないかな。
できる事のベストを尽くそうと言うのがあるよね。だから
夢はまだいろいろあってね、こんな事がやってみたい、例
えばコンサートツアーも中ホール小ホール規模のやつをた
くさんやりたいという話はしてるんですよ。
だから本数は多くて多くの人に見てもらえるような。大き
いコンサートっていうのはそんなにあまり考えないんだな
今やりたい事の一つとして言うと。中、小規模のコンサー
トホールとか会場で数多くやれるバンドっていうのをね、
作ろうとしてるんですけどね。それがまあ来年以降のテー
マなんですけどね。イベント以外では。
田家: でもそういう意味では夢はあるわけですよね。
拓郎: そういう夢はあるんですよ。こんなコンサートツアー組め
たらいいな、てのは思ってるんですけどね。
田家: でもそれだけ来年、来年、その先もやりたいっていうふう
になってたのって今まであまりなかったんじゃないですか。
拓郎: うーんそうね。音楽好きじゃない時期もいろいろあったし。
歌いたくない時期もあったし、それ率直にあったしね自分
で。だからそういう意味で言うとプロフェッショナルとい
えないのかも知れないんだけど非常に自分でこうめんどく
さいっていう時があったりして。今、なんかもうちょいや
りたいっていう感じが強いのかなぁ、もしかしたら。
やっぱりこのある程度年齢は、逆にこう年とったっていう
かそういう事によって、むしろ何かこう音楽がシンプルに
なっちゃうって事になってるね。だからあんまりあれこれ
考えないで歌う事が先決だっていう感じはありますね。
田家: 俺は音楽好きなんだ、とか歌うのが楽しいんだっていう。
拓郎: そうですよねぇ。歌ってんのが一番楽しいっていうか幸せ
だっていうような事が非常にこうシンプルにね、先にあり
ますね。いろんな事の先に。
田家: あの、倒れるまで歌うぞ、とかその死ぬまで歌うっていう
ような気負い方ではなくって。
拓郎: そうそう、そうですね。
田家: でもまあそうなってもいいやっていう・・
拓郎: 今やってる事がどこまで続けられるかってのは、そういう
事なんだよね。だから続けられる所までベストを尽くして
頑張れるだけ、でいっしょに頑張れるバンドを今、作って
音楽をいっしょにやりたいなって思ってるんですけどね。
だからなんか今、そういう気持ちの「歌う人」なんかもね
声かけて、バンドは俺達がいるからいつでも演奏してあげ
るよ、っていう歌手募集なんでね。
田家: あ、なるほどね。
拓郎: だからね今年は誰それさんと誰それさんをいっしょに連れ
てまわる。来年はまたB子さんとかA男さんを入れて、とか
いう事をね企画してんですよ。
田家: へぇ~。
拓郎: ヴォーカリストはいくらでも呼んで来ていいと思ってるん
ですよ、このバンドに。
田家: はぁ~、演奏してあげるよ。
拓郎: いくらでも演奏するから、そんだけの面子は揃えるからち
ゃんとバンドで。それで歌いたいんだけど歌うチャンスな
い、あるいは歌うバンドがいない、今ちょっとコンサート
休んでるとか、なんかそういう人にすぐ声かけて、ねぇね
ぇちょっといっしょに歌おうって。
田家: その時にはじゃあ拓郎さんの歌だけではなく・・
拓郎: もちろん。その人の持ち歌とかをいっしょにやれたらいい
な。
田家: それは新しい企画ですね。
拓郎: うん何か僕らもほら喜びが欲しいから、単に僕の歌ばっか
りとかいうんじゃなくて、僕も演奏したいじゃない前から
言ってるけど。後ろにまわってギター弾きたい夢があるか
ら。じゃあまぁあの沢田研二に声かけて、おぉ、いっしょ
に歌わない?って。ジュリーの曲を俺達が演奏してジュリ
-が歌ってるバンドになるんです、その時は。
田家: ゴールデン60'Sというバンド名がいいです、なんて。
拓郎: バンド名ね。なんかそういうような夢をね。
田家: ええそういうですねこれから先の事ももう既に見えていて
常に先の夢も見ていて、で明日ですね。50代最後の広島公
演というのがツアーの初日として始まります。
拓郎: そうか、広島なんだよね。やれやれ、(笑)広島が初日で
すか。誰が考えたんだかな。
田家: という事でツアーもですね楽しみに皆さんもして頂けると
思いますが。
拓郎: はい、あのぜひ楽しみにしてもらいたいと思います。絶対
に素敵なステージですから。はい。
田家: はい。ありがとうございました。
拓郎: (力いっぱい)ありがとうございました!
♪ いつも見ていたヒロシマ
田家: えー拓郎さんは85年にもつま恋でオールナイトイベントや
っていて、これはかぐや姫といっしょではないんですが。
お聞きいただいているのは、その時のライブアルバムの
中で歌われている「いつも見ていたヒロシマ」という曲
です。
でも前向きでしょ。
アシスタント: うんすごく前向き。
田家: あのねその85年にこういうイベントやって90年代入って
からね、もう音楽やんないっていうような空気になって
た事があるんですよ。もう歌やること全部やっちゃった
、もう歌う事ないやっていう。まあさっき言ってたのは
そういう事なんですが今またね、違うところにいますね。
夢がまだまだいっぱいあるんだよ。
アシスタント: ね、ジュリーさんとのコラボレーションも見れ
るかもしんない。(笑)
田家: まあやっぱりねそうやってシンプルになって好きな事が
見えてくるっていう年のとりかたもいいな、って思った
りします。
【 終 】
インタビュアー・パーソナリティー 田家秀樹
アシスタント 横田佳織
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